事故物件ファイル01:増改築の家 バッソン様の祟り
◆1
その日は、四月にしては蒸し暑い気候だった。
それでも、周囲の環境は自然に満ち溢れ、空気も美味しかった。
頭上には抜けるような青い空が広がり、後背には畑や田圃が一面にあって、左右には森林が立ち並び、前方には山が聳えている。
そうした場所にある、砂利が敷き詰められた空き地に、黒いワゴン車が停車した。
その車から真っ先に出てきたのが、私、神原沙月であった。
ベージュのパンツスーツに、小さな黒いリュックを背負っている。
自然豊かな田舎だから、空気が澄んでいる。
両腕を空に向けて、大きな深呼吸をした。
「けっこう、遠くまで来たのね」
と呟いた。
二十四歳の新社会人である私は、初めての仕事で、長距離移動をした。
とはいえ、別に、不平不満を鳴らしたつもりはなかった。
けれども、私の独り言を耳にしたのだろう。
三十二歳の若社長である竜胆光太郎が、櫛で髪の毛を整えつつ、車外へ出ながら、申し訳なさそうに笑う。
「ははは。いきなりで悪かったね」
竜胆社長は彫りの深い目鼻立ちで、ちょっと日本人離れした端正な顔立ちをしている。
背丈も高く、スーツの上からも、鍛え上げた身体なのは見て取れる。
とても普通の不動産屋さんには見えない。
「でも、神原さんがリフォーム責任者なんだから、あらかじめ物件を観ておきたいだろうと思って」
「それは、そうですが……」
場所は佐賀県K市、旧T町のR山の麓だ。
福岡都心部から西九州自動車道を走って約一時間。
R山への山道に接した、目的の物件近くで、ワゴン車を停めた。
大型ワゴン車を運転していたのは、藤野亨という先輩男性だ。
彼も、私同様、「竜胆不動産」のスタッフだ。今日初めて会った。
乗車するに際して、
「サツキさんは、僕のこと、気軽にトオルって呼んでくれて良いよ」
と言って、照れくさそうに笑っていた。
そんな彼は、私より三つ年上の二十七歳だそうだ。
が、とてもそうは見えない。
童顔の少年のようだ。
ショートカットに瓜実型の顔、時折メガネをかける藤野亨は、ボーイッシュと言われる少女のような風貌である。
そんな彼と竜胆社長、そして私の三人旅だった。
車内では、ラジオのBGMを聴きながら、たわいもない雑談を楽しんだ。
そして、私はこの会社に入って、(当たりだ!)と思った。
雰囲気が気に入った。
これから、この人たちと上手くやっていけると感じた。
ワゴン車の鍵を閉めると、藤野先輩は片手を挙げて、何処かへと歩き去っていく。
「じゃ、社長。
注文通り、物件から少し離れたところで、車を停めました。
僕が必要だったら、そのとき、スマホで呼び出してください。
少しこの辺をぶらぶらしてきます」
「はい、ご苦労さん」
藤野亨はパーカーにジャージ姿である。
おまけに童顔なので、私より年上なはずなのに、学生にしかみえない。
そうした風貌を良いことに、ふわふわと勝手気儘に行動しているようだ。
私は社長に問いかける。
「あのーー藤野さんは、物件を見ないんですか?」
「良いんだよ。彼は物件に用はないんだ」
「はあ……」
彼だって、不動産会社に雇われているというのに、「物件に用はない」だなんて、おかしな話だ。
それでは、なぜこんなところまで同行してきたのか。
だいたい、この竜胆社長が経営している会社「竜胆不動産」自体、普通の不動産会社とは言い難い、奇妙な会社だった。
◇◇◇
この美形の青年社長と初めて出会って、名刺を貰ったとき、びっくりした。
名刺というものは白い紙が普通と思っていたのに、黒い厚みのある紙で出来た名刺を渡されたからだ。
黒い名刺の中央に、名前が金色で『竜胆光太郎』と縦に入っていた。
私が、竜胆と読めずにいると、社長自身が、
「皆さん、読めないって言います。
ですから、ローマ字読みを横に振ってるんですよ」
と笑った。
よく見ると、たしかに右側に『RINDŌ KŌTARŌ』と記されている。
でも、そこに目が行かなかったのには、理由がある。
そのローマ字表記の字体が細いうえに、さらにその横に白い文字で、『事故物件専門取扱会社「竜胆不動産」社長』と大書されていたからだ。
じつに、インパクトのある名刺だった。
裏面には、
『日本全国にお伺い致します。お気軽にご相談ください』
と、白字で書かれていた。
事故物件のみに特化して買い取って、転売するという。
社長が言うには「事故物件転売業者」なんだそうだ(そんなニッチな業界って実在するの?)。
「事故物件」とは、なにかしらの事件(殺人や自殺、その他の死亡事故など)があって、心理的瑕疵(心理的にダメージを負ったこと)になった物件のことだ。
曰く付きなので、当然、買い手がつきにくく、結果として、通常の相場よりも安値で売買される。
そこに目をつけたのが、この竜胆光太郎社長だ。
事故物件をそのまま誰かに売ったり、貸したりする場合、仲介した不動産屋には、その物件にどのような事件があったのかを説明する義務がある。
ところが、いったん誰かが購入したり、賃借するなどして、人を介したら、次の取引には事故物件であることを説明する義務はない。
事故物件であることがクリーニングされるのだ。
ちなみに、噂によれば、いちいち事故物件であることを指摘して回る、おかしなサイトがネットにあるらしいが、誰もがそうしたサイトをチェックするわけではない。
それに実際、その物件が魅力的で、お買い得なら、元事故物件であろうが、買い手はつくものなのだ。
私が仕事を求めて面接した際、竜胆社長は胸を張って言っていた。
「事故物件ってのは、じつに魅力的な、美味しい転売商品だとは思わないか?
そもそも過去にどんな悲惨な事件があったとしても、今現在において、じかに目に見えるものじゃない。
せいぜい痕跡があるかないかってところだ。
それなのに、その場所が『情報的に傷モノ』ってことにされて、安値になるんだ。
ほんと、不動産っていうのは面白いよな。
だったら、痕跡を消し去って、目に見えるレベルで魅力的な物件にリフォームしてしまえば、目に見えない『情報的な傷』なんて、誰もが気にしなくなるはず。
しかも一度こっちが買い取ってしまえば、買い手に情報を伝える義務もない。
そうすれば、傷モノにされた物件が、一転して好立地の魅力的な物件に早変わりさ!」
竜胆社長は、顔を輝かせた。
アーモンド形の瞳が瞬いている。
私は、惹き込まれるように、大きく頷いた。
「なるほど、マイナスの物をプラスにする。
良い発想ですね。
好きです、その考え方!」
社長の風貌と考え方が気に入って、私は彼の下で働く決意をした。
将来の目標として、インテリアデザインの会社を起業したいと考えているからだ。
そのために、できるだけ早く、お金と経験を積みたかった。
「神原沙月さん。
君は事故物件という目で見ないで、普通の住居ーー住まいと捉えて、君独自のセンスを発揮してリフォームしてください。
ウチの会社で、君の可能性が広がるといいな」
と語って、竜胆光太郎社長は、私がスタッフになるのを快諾してくれたのだった。
◇◇◇
そして、竜胆不動産のスタッフになって、わずか二日後ーー。
不動産売買については素人の私、神原沙月は、青年社長に引っ張られる形で、事故物件を内見するため、佐賀県にまで来ていた。
竜胆社長は、ショルダーバックが掛かった右肩をちょっと上にあげながら、手で庇を作って周囲を見回した。
「いやあ、見てみなよ、神原さん。
福岡の中央から一時間も車で移動すると、かなり雰囲気が変わるもんだね。
見渡す限り、田んぼと畑、そして山ーー。
K市ってのは、もっぱら海っていうイメージだったけど、ここらへんはそうでもない」
「そうですね。
田舎ーーなのは、わかってるんですけど、なんというか……」
やたらと、辺りに石塔が建っている。
丸いのやら、尖ったもの、お墓みたいなのもあれば、中にはご丁寧に五重塔みたいにデザインされた石塔もある。
そんなのが、あの畑にも、田んぼにも、その道端にも、木の根っこにもあったりする。
だが、竜胆社長は意に介さない。
ショルダーバックから地図を取り出してしばらく目を落とした後、前方の山に向けて指差した。
「物件は、この畦道から山道に入って、まっすぐだってさ」
平坦な道を通り抜けたら、今度は山道だ。
R山に向かって、ゆるやかな傾斜の道が伸びている。
樹木に取り囲まれて、鳥の鳴き声が聴こえる。
私は社長の背中を追いながら、声をかける。
「これから見るお家、事故物件だそうですけど、どのような事故があったんですか?」
竜胆社長は、ちょっと振り向いてこちらを一瞥した。
「気になる?」
「はい。事故物件なんて初めてですから。
少し、緊張しています」
「そうだよね」
社長は、前方に目を向けて歩きながら、話し出した。
「今回の物件はね、不幸が続いた、曰く付きの邸宅ってことになってる。
この家の住人だった老夫婦が、去年は旦那さん、今年は奥さんと、立て続けに亡くなったんだ」
顔は見えないが、口調だけで、社長が真面目な顔付きで話していることがわかる。
仕事モードってやつだ。
だから、私も誠実に応じた。
「それは痛ましい話ですが、死因と年齢は?」
「旦那さんが心筋梗塞で六十七歳。
奥さんは膵臓癌で六十六歳」
「ちょっと、お亡くなりになるには早いと思いますが、お二人とも、物件内で亡くなったわけじゃないんですよね?」
「旦那さんは、庭でいきなり倒れて亡くなったそうだよ。
奥さんは病院で入院中に逝ったそうだけど」
「だったら、普通のことじゃないですか?
持ち主のご夫婦がたまたま相次いで亡くなっただけで、持ち家が『事故物件』になっちゃうんですか?」
「ああ、それは良い質問だ。
本来なら、事故物件扱いにならないネタだね、たしかに。
でも、面白いことに、少なくともここら辺の地元じゃ、事故物件扱いだ。
ご夫婦が亡くなったのは、この地方特有の『祟り』のせいだ、と噂されてるからね」
「祟りーーですか?
それも、この地方特有?
何ですか、それ」
「ははは。
祟りなんか、信じないって顔だね。
じつは僕もだ。
実際、老夫婦の娘さんがこの家を相続して、僕に売ろうとしているんだけど、その売主さんも、そんな祟りなんか信じちゃいない。
娘さんは元々、この地方の生まれじゃなく、福岡の出だっていうからさ。
ーーああ、君も生粋の博多っ子だったっけ?」
「はい。
といっても、厳密に言えば、博多じゃなくって筥崎なんですけど」
九州以外の出身者は、福岡県生まれというだけで、すぐに「博多っ子」と決め付ける。
新幹線の駅が博多にあるから、福岡=博多っていうイメージなんだろう。
ヘタしたら、福岡の人がもっとも中央と意識している天神という地名すら知らない。
やはり竜胆社長は、県外ーーそれも口調から、おそらく東京首都圏の出身と思われる。
「まあ、とにかく、僕のように、売主さんも、ここら辺の祟り伝説なんか信じちゃいない。
だけど、他にも不幸な事件と、噂が重なってるんだ」
「その物件に、ですか?」
「そう。
その邸宅の庭で、他所からハイキングにきていたご夫婦が毒に当たって死んだ」
「毒ですか?」
「そう。毒。
それも、かなりの猛毒で、のたうち回って死んだんだそうだ。
その事件についても、近所の人たちは、この地方特有の祟りで亡くなった、と囁き合ってる。
おまけに、地元の若い連中の間では、この物件は、小さな女の子の幽霊が出る心霊スポットとして有名になってるんだと」
私は汗を手で拭いながら、しばし呆然とした。
まさか、これほど不気味な噂がコンボしてるとは思ってなかった。
「この地方独特の呪いと、毒死、そして女の子の幽霊ーー。
なんだか、怪しげな噂ばかりですね。
だから事故物件扱いになった、と」
「そうなんだよ。
でも、売主さんは、君と一緒で、そんな噂なんか真に受けてない。
だから、事故物件という割には結構、強気の値段設定をしてるんだ」
「でも、この物件、社長は買うつもりなんですよね?」
「もちろん。
だから、わざわざ車で一時間、福岡の都心部から飛ばして内見に来たんだ。
売主さんからは出来るだけ安値で買い取って、加えて、不吉な噂について調べて、事故物件となるに至った事情を明らかにして、問題を排除したい。
そして、綺麗に仕上げて出来るだけ高値で売りたいんだ」
「なるほど、それでは私の、インテリアコーディネーターのセンスが試されますね。
即、価格に反映するのでしょう?」
「そう。そのために君を雇ったんだから。
よろしく頼むよ。
内装工事のプランニングをしっかりして、魅力的な物件に再生して欲しい。
この家を訪問してきた人に、
『ぜひ買わせてください』
って言わせたいんだ」
「わかりました」
私は両拳に力を込める。
生垣に囲まれた、物件の門前に辿り着いた。
山道に接した地で、門前でも、それなりに広いスペースが空いている。
道なりに、例の石塔が幾つか建っているが、その間を抜けて、ここまで自動車で乗り入れることは充分、可能だ。
普通車だったら十五、六台は駐車できる広さが空いている。
私は、大きく息を吸い込んだ。
この生垣に使われている植物は、葉の形が竹の葉に似ている。
いまだ蕾で花は咲いていないが、初夏にでもなれば、鮮やかな彩りで花開くのだろう。
私も、今は蕾の状態だが、いずれはインテリアデザイン会社を立ち上げて、花開いてやろう、と自分に向けて気合を入れたのだった。
◇◇◇
私たちは、生垣に囲まれた門を通り過ぎた。
その途端、竜胆光太郎社長は、目的の物件の全貌を見上げて、呆れた顔をする。
「神原さん。
この物件の間取り図を渡してあったけど、どうやら参考程度にしかならないようだ」
私は手にした図面と、目の前の建物を交互に見比べて、思わず甲高い声をあげた。
「おかしいですよ。
これ、二階建てじゃないですか!」
仲介する不動産屋から渡された(至って杜撰な)間取り図では、一階しかない。
平屋の物件になっている。
私は目前の建物を指差しながら、竜胆社長に向けて生唾を飛ばした。
「これ、明らかに増改築物件ですよ。
平屋を二階建てにしちゃってる。
そのくせ、不恰好!
二階部分が明らかに東側に寄ってるし、二階の屋根の色も一階の屋根瓦とまるで違ってる。
ちゃんと建築確認の申請と、建物表題の変更登記、してるんですかね?」
「建築確認申請」とは、増改築が建築基準法に則っていることを確認するための手続きだ。
そして、その増改築によって建物の登記簿の内容が変更になったことを記すものが「建物表題変更登記」である。
これらの手続きをしないと、増改築は認められないことになっている。
竜胆社長は肩をすくめる。
「さぁなぁ。
老夫婦にしてみれば、自分の家なんだし問題ないだろってことで、届け出なしに、勝手に建て増ししたんだろうな。
税制優遇を期待してないから、増改築等工事証明書も取ってないだろう。
まいったな。
これじゃ建築士事務所や検査機関から図面を取り寄せることもできない」
「増改築等工事証明書」とは、住宅を増改築する際、住宅ローンや固定資産税でかかる税金を減らしてもらうため、特定の要件を満たしていることを示す証明書だ。
これは建築士や指定確認検査機関が発行することができて、図面や現場写真などが必須とされている。
でもこの証明書も取っていないということは、増改築後の図面が存在しないということ。
このままでは、自分たちで物件を内見しつつ、新たに間取り図を作成しなければならないことになりそうだ。
私は頬を膨らませた。
「ほんと、この増改築を請け負った業者、どこなんですかね?
明らかにやっちゃいけない工事ですよ」
社長は面倒臭そうに頭を掻いた。
「仕方ないだろ、そんなことを喚いても。
僕たちが正式に買ったあと、いろいろ手続きすることになるけど、そこら辺はプロに任せることになるから。
インテリアコーディネーターの君が気にしなくて良いの」
「それはそうですが……」
「この物件は現況優先なんで、僕たちで間取りを確認しながら図面を作成していくことになりそうだから、注意深く、目前の建物を見て欲しい。
まずは外観から確認しようか」
「はい。わかりました……」
「とはいえ、この家の増改築、結構、しっかり造ってあるようだね。
二階部分の取って付けた感が嘘みたいに、きっちり建築されてる。
設計はともかく、コイツを直接、手掛けたの、素人じゃないな」
私と社長は、平屋状態の間取り図を手に、建物の周囲をグルリと回る。
一階部分は、かなり築年数が経った、大きな平屋だ。
今では、二階建になっており、玄関からすぐの位置に、小規模な二階部分が瓦屋根の上に載っかっている。
二階部分は、屋根も壁も一階とは違い、新しくみえる。
一階部分、旧平屋部分は、はかなり広い。
古びた瓦屋根に、板を並べたような壁、大きな木枠の窓が幾つもある。
玄関は南東にある。
その横、南側に縁側が庭へと突き出ている。
さらに、その建物とは別に、離れが二棟あった。
庭の西側に二つ。
南北に並ぶ二棟のうち、南にあるのはトイレ棟のようだった。
「男女兼用?」
と私が呟くと、後ろから社長の声がする。
「いや、さすがに入口の右左で分かれるようだ。
右に青い男性マーク、左に赤い女性マークが記されている。
神原さんは女性エリアを確認してくれ」
私は左手に曲がって、中に入る。
見ると、洗面台に、トイレの個室が三つ並んでいる。
個室の扉を開けて視認してから、トイレ棟から出た。
振り向けば、北方には、浴室棟があった。
温泉施設で見られるような、青い暖簾が表にかかっているから、わかった。
浴室は、男女で分かれていないようだ。
時間をズラして入浴するのだろう。
「でも、これだけ住宅家屋が大きいのに、トイレと浴室が外にあるって、どういうこと?」
と私が疑問を呈すると、社長が答える。
「昔のお屋敷みたいだね。
ほら、水洗式トイレになる前の。
こうだった、と聞くよ。
トイレとか風呂場といった水回りは、みんな屋外施設だった」
「そんなの、ひいおじいさん、ひいおばあさんの時代でしょ?
まさか、これほど大きな住宅なのに、家屋内に浴室やトイレがないの?
そんなことないでしょ!?」
私は、平屋時代の、じつに杜撰な間取り図(亡くなった所有者が、この物件を買ったときの、手描きの間取り図)を、改めて見直す。
「ほら。北西側に突き出したようにトイレがあるし、そのすぐ斜め下に風呂場もある。
増改築前から、家屋内にトイレも浴室もあったんですよ。
ーーいや、待って。
だったら、どうして、大きなトイレや浴室が庭にあるんでしょう?
これらも、後になってから建てたっていうこと?」
「そうだろうね。
この増改築前の図面には、離れの存在が示されてないもんね」
私は腕を組みながら思案する。
どうにも、おかしい。
夫婦二人で住むには、この物件全体の規模が大きすぎる。
本宅の増改築に加えて、離れを二棟も建てて、規模を大きく拡大している。
しかも南の縁側の前には、大きな一枚板のテーブルと、丸太を真っ直ぐに割ったような椅子が六脚もあった。
「ここでバーベキューでもしてたんですかね。
まるで大家族が住んでいたような……」
「でも、仲介の不動産屋によれば、この物件、老夫婦が二人だけで住んでいたみたい。
田中浩一さんと、妻の美保さん。
最後に六十六歳の美保さんが亡くなった時は、一人だったようだ。
それなのに、こんな大きな邸宅だったっていうのは、かえって寂しいような……」
「それじゃあ、このテーブルに、大勢のお客さんを招いていていたってことですかね。
この屋敷から出てちょっと行くと、近所の山へと至るハイキングコースがありましたから」
西側には、私たちが登ってきた山道があり、生垣によって、この物件の庭と仕切られている。
生垣の間近には、ボウボウと雑草が群生している区域があったが、地面に手入れした痕跡がみられるから、畑か何かだろう。
家庭菜園というには大規模だが、それなりに作物を収穫できたと思われる。
竜胆社長はショルダーバックを肩から外し、タブレットを取り出した。
「あ、ちょっと、待ってて。
今、この物件の全体像を、ラフに描いておくから」
「まあ、ザッとこんなもんか。
それにしても、外観は悪くない。
古いながらも、趣がある。
でも、やっぱり注目すべきは住宅だな。
なんだか二階部分の窓が変だったんだよ。
ほら、東側に回って見てみなよ。
みな、横長の長方形をしている。
おや、その斜め下に、えらく小さな窓があるな。
ほら、玄関の上あたりにーー」
「二階?
一階じゃないの?
あの小窓は。
えっと、図面で見るとーーああ、平屋時代には窓の記載がないわ。
ということは、やっぱり二階に新たに設けられた窓ってこと?
でも、変な窓ですね。
随分と丈の小さい窓ーー」
他の二階の窓に比べて、随分と低い位置にある。
二階部分からすると、ほとんど床にスレスレなところにあるかんじだ。
「足元を照らすための窓か?
何のために?」
「さあ……。
でも、家屋内から見れば、いろいろと見えてくるんじゃないですか?」
「それも、そうだね。
外観を眺めるのはこのくらいにして、さっそく住宅の中へ入ろう!」
◇◇◇
私たちは焦茶色をした大きめの玄関ドアを開けて、住宅の中へ入る。
玄関に入ってすぐのところに、階段が延びていた。
「階段を昇るのは後回しにして、まずは一階部分から見て回ろう」
私は社長の提案に従った。
かなり広い玄関で、下足入れの反対側、左側に扉が二つあった。
玄関間近の引き戸を開けると、廊下が伸びている。
その隣のドアを開けると、十帖もの広さの洋室が広がっていた。
洋室は、花模様が入った壁紙が貼られ、高級そうなアンティーク家具に囲まれていた。
私と社長は、持参してきた簡易スリッパに履き替えて、洋室へとお邪魔した。
「外観は古風な和式だが、この部屋は洋風の仕様だ。
田中さんご夫婦は、和洋折衷の様式にこだわっていたみたいだ。
かなりお洒落なご夫婦だったようだね」
洋室には、縁に彫り物と金細工が施された、大きな食器棚が一つ、北側の扉の右隣の壁に立てかけてあった。
ガラス戸の棚には、たくさんのお椀やお皿が重ねて並べられている。
かなり時が経っているはずだが、いまだ綺麗だ。
随分と丁寧に暮らしていたようだ。
物持ちが良かったのだろう。
食器棚の手前には、脚が長い小さなテーブルがあり、そこに一冊のアルバムがあった。
『想い出のアルバム』と題され、中をめくると、何枚もの写真が挟まれていた。
「どうして、こんな家族のアルバムが、残置物として残されているんですかね」
私の問いかけに、社長も首を傾げる。
「それは良くわからないな。
が、せっかく住人の記録を垣間見れるんだ。
この物件がどうして『事故物件』扱いになったのか、探る手立てにしよう」
アルバムの最初に並べてあった写真から、田中さん夫婦はすでに中年で写っていた。
四十代の頃のようだ。
背が低いながらも、ガッチリした体格のお父さんとお母さん、そして可愛らしい、おかっぱ頭の女の子が写っていた。
アルバムを広げつつ、竜胆社長は頷く。
「どうも、このご夫婦は、晩年に子供を授かったとみられる。
アルバムの記録によると、四十二歳と四十歳のときに、子供が産まれたらしい。
子供は諦めていたから、大喜びだったようだ。
その結果、この娘さんは相当、可愛がられて育ったようだ」
娘さんが赤いランドセルを背負った姿や、学芸会で白いドレスを着た姿などが、何枚も写真に写っていた。
「この娘さんが、この物件の売主でしょうか?」
「そうだろうね。
でもーー」
写真の背景に写っている家を見ると、この物件とは違う。
住宅街に並んでいる建物の一つだ。
こことは別の住宅で、こんな緑に囲まれたところではなかったようだ。
つまり、田中浩一・美保夫妻は、愛娘が長じてから、ここへ引っ越して来たとみられる。
さらにアルバムの頁をめくると、一気に時代が進み、娘さんが学生服を着た姿で写っていた。
服装と、娘さん本人の背格好からして、高校生のときの写真のようだ。
私は写真に指をさした。
「見てください。
後ろにある家、ここの一階部分ですよ!」
写真の背景にあったのは、この物件だった。
しかも、増改築される前の、平屋の状態だ。
そして、娘さんは、小中学の頃とは違い、幾分か暗い表情で写っている。
何かあったのだろうか。
社長がめくるアルバムに、私は横から首を突っ込んで、さらに指摘する。
「とにかく、その一人娘が高校生のときに、この家に引っ越して来たようですね。
そしてこれは、何歳ぐらいの頃かしら。
私服になっているので良くわからないけどーー見てください、これ。
この娘さんにも、子供が出来たようですよ。
老夫婦にとってはお孫さんに当たりますね」
生後、生まれて間もない赤ちゃんを抱いて、娘さんが、いまや老夫婦となっている田中さん夫妻と一緒に写っている写真があった。
竜胆社長は、アルバムを私に預け、腕を組む。
「ふむう。この家の田中さんご夫婦、娘さんとお孫さんがいたのか。
でも、この娘さん、孫を産んだお母さんにしちゃ、随分とあどけない顔だな。
若くないか?
十代で出産したのかもしれない」
たしかに、若く見える。
訳ありな感じがする。
私は社長に尋ねる。
「今現在、売主さんは、お幾つですか?」
竜胆光太郎は首を横に振る。
「さあな。
僕は直接、顔をあわせたことがないから。
でも、親が六十六歳で亡くなってるってことは、娘さんは二十代後半だろ」
「じゃあ、この赤ちゃんは今頃、十歳になるかどうかって年齢ですね。
可愛い盛りじゃないですか。
でも、だったら、このアルバム、こんなところに放置していて良いんでしょうか?
ほら、ヨチヨチ歩きを始めた頃の写真があるのに」
私は思わず唇を咬む。
この娘がお母さんだとすると、おかしなことがある。
お父さんに当たる若い男性が、ちっとも写っていないのだ。
写真では皆、笑っているが、どこか貼り付いたような笑顔に見える。
私が言葉に出さずとも、竜胆社長も同様のことに思いを致していたらしく、眉間に皺を寄せていた。
「仲介業者によると、ご夫婦が亡くなった後、売主ーーここに写っている娘さんは、一切、この家には来ていないそうだ。
だから、こんなアルバムが、ここに残されているとは思っていなかったのだろう」
「それはなんか、不自然ですよね。
両親が亡くなったんですよ?
遺留品は形見として、受け取るものじゃないですかね?」
「そうだろうけど、このアルバムは老夫婦にとっての想い出の記録であって、娘さんには馴染みのないものなのかもしれない。
ひょっとしたら、存在自体を知らないのかも」
「そう言われれば、たしかに。
私も幼い頃、お父さんがカシャカシャと写真を撮っていたけど、その写真のアルバムなんて、見てないもの。
小さな子供の頃なら、いざ知らず……」
「そうだよな。
今じゃ、こんなふうに写真になんか現像しない。
スマホの中のデータだもんな。
ーーとにかく、残置物があるのは構わないが、アルバムのような想い出の品は、僕たちで処分して良いものではない。
売主さんに届けた方が良いだろう。
僕が欲しいのは物件であって、想い出ではない。
さ、次の部屋へ行こう」
そのまま社長が西の扉へ向かおうとする。
それを、
「あ、ちょっと、待ってください。
ここ、部屋の中だというのに、反対側、東の方に向かって、細い道がありますよ?」
と言って、私が社長を押し留めた。
洋室の中だというのに、人が一人、やっと入れるような狭い道が、東に向かって伸びている。
突き当たりには何もない。
ただ、板張りの壁があるだけ。
だが、細い道の南側側面、白い壁にはドアがあった。
「こんなところに入口があります。
物置か何かですかね」
ドアノブを回して、押してみる。
が、鍵がかかっているようで、ガチャガチャと音がするだけで、ドアは開かない。
「社長。ここの鍵って、あります?」
竜胆社長はズボンのポッケから出した鍵束をいじりながらも、苦笑い。
「家に入れば、鍵は要らないって聞いてたんだがな……。
ちょっと、ここは狭い。
外へ出ようか」
細い道から出て、洋室の中心、広々とした空間に出る。
大きく伸びをしてから、竜胆社長は言った。
「位置的に見て、そこは階段の下に当たる。
デッドスペースを利用した物置か何かだろう。
いずれは確認しなきゃだが、今はよそう。
鍵もないことだし。
まずは反対側、西側の扉を開けて、次の部屋へ行こう」
竜胆社長はショルダーバックからタブレットを取り出しては、何か書き込んでいる。
どうやら間取りを走り描きしているようだ。
そうだ。
まだまだ、この家で足を踏み入れていない場所は多い。
まずは鍵が要らない部屋を全部開け放して、全体像を掴まなければ、増改築後の物件の間取り図は作成できない。
私は頷き、社長の背中を追った。
西側の扉を開けて隣の部屋に進むと、ダイニングルームがあった。
椅子が六脚に、大きなテーブルが一つ。
隣の洋室から食器を持ってきて、ここで食べる仕様のようだ。
さらに西側奥には引き戸があって、廊下を挟んでキッチンルームがあった。
中に入ると、こちらにも大きな食器棚があって、統一されたデザインの白い食器が重ねられており、何本もの包丁、大きな俎板、たくさんの鍋やフライパンがあった。
巨大なシンクを眺めて、私は疑念を募らせた。
「やっぱり変ですね。
これ、どう見たって、大勢で生活していた感じですよ。
アルバムには、田中さんご夫妻とその娘、そして一人の女の子のお孫さんが写っていたましけど、四人だけの生活だったとは、とても思えません」
「たしかにな。
この家がただ広いってだけじゃない。
部屋の造り自体がーーそうだな、プライベート空間と、大勢の人を招くための場所とが別れているようなーーとりあえず、方々にある戸を開けてみよう。
それぞれの部屋が繋がっていて、行き来できるようだから」
「私は玄関の方に戻って、廊下を歩いてみますね」
私は社長と別れ、ズンズン廊下を進み、目に付いた扉を開放しまくった。
その結果、ようやく一階の全貌が掴めた。
竜胆社長が即席で描いた間取り図を見せてくれた。
今まで見て来た洋室、ダイニング、キッチンルームの北側に、七畳の和室が二つ、それと同じ程度の広さの洋室があった。
そうした五つの部屋を、ぐるりと廊下が取り囲んだ間取りになっていた。
さらに、西側に、かなり広いユーティリティもある。
古い平屋時代の図面では、風呂場になっていた場所だ。
そのユーティリティには、来客用と思しき布団が、十人分以上も置かれていた。
「これらの布団は和室に敷くのだろう。
もう明らかだ。
この家のご夫婦は、大勢の客を常態的に迎えていたと考えられる。
宿泊業をやっていたようだな」
「民宿ですか?」
「ああ。でも、そういった申請を役所には出していないかもしれん。
でも、親戚縁者を泊めるってだけで、この準備は、な」
「そうですね。
あ、ちょっと、こっちへ来てください。
もう一部屋、奥にありますよ。
洋室です」
ぐるっと回った廊下の突き当たり。
木製のドアを開ける。
中に入るなり、竜胆社長は嘆声をあげた。
「ほう。
板張りの壁、白いコンクリが剥き出しの天井ーー。
ここだけ孤立しているような部屋だな」
「そうなんですよ。
他の部屋はそれぞれに通じる扉があるんですけど、この北東部、奥の洋室だけが、他の部屋に通じていません。
凄く天井が高いし、窓もあるから、閉じこもった感じはしないけどーー」
「ここが老夫婦にとっての、ほんとうのプライベート空間ってわけだな。
田中さんご夫妻の寝室なのだろう」
ベッドが二つ、並んでいる。
押し開きのクローゼットには、作業用の衣服の他、真珠のネックレス、平成に入った頃の記念金貨や、少しの外貨、ロレックスの時計などがあった。
他に木製の彫刻や、無線機のようなもの、古びた木工道具、絵画なども何枚かあった。
が、それらの奥には、衣服に埋もれるようにして、蓋付きの竹で編んだ籠があった。
竜胆社長は大きな図体を折り曲げてクローゼットに頭から突っ込み、奥から引っ張り出して来て、ふぅと一息ついた。
「知ってるか、こういうの、行李って言うんだ」
私、神原沙月は、ちょっとむくれる。
「それぐらい、知ってます」
行李の蓋を開けると、赤ちゃん用の粉ミルクの缶や、布のオムツなどが出てきた。
「昔はこんな布のオムツでやってたんだ。
昭和の時代は、オムツを洗濯して使いまわしていたそうだ」
「マジ? 不衛生じゃないですか!?」
さすがに驚いて、私は叫んでしまった。
竜胆社長は、さも愉快そうに微笑む。
「昭和の昔はそんなもんだった、ていう話だよ。
ばあちゃんが言ってた」
「でも、こちらの娘さん、そんなに年取っていませんよ。
さすがに昭和生まれじゃないですよね?」
「そうだよ。
だから、この布おむつ、綺麗で、使った形跡がない。
おそらく誰かが記念に取っておいたんじゃないの?
ほら。こんなのがあった」
布おむつの下から、一枚の賞状めいたモノが出てきた。
田中美保を「助産婦」と認定する旨が記してある。
「これは『助産婦』の免状だな。
やっぱり、ここの奥さんが、昔の『助産師』だったから、こんなのを持ってたんだ」
今では「助産師」というが、それまでは「助産婦」、戦前は「産婆」と呼ばれていた。
「助産師」は、看護師資格を持った女性のみが、試験に合格して得られる国家資格だ。
家族計画の相談にも応じるが、やはり出産介助が主な仕事だ。
つまり、田中さんご夫婦の奥さんは、お産はお手のもの、というわけだ。
おかげで、小さな女の子の衣類やおむつが出てきても、違和感を感じない。
でも、行李は他にもあって、見つかったのは、乳幼児用の衣服だけじゃなかった。
三歳から五歳くらいの女の子が使う、おもちゃや洋服もたくさん出てきた。
私は首を少し傾げつつ思案した。
「やはりこの物件には、小さな女の子が住んでいたようですね。
でも、田中さんの奥さんが助産師なら、この女の子、血の繋がるお孫さんとは限らなくなってきました。
この娘さんだって、実の娘かどうか。
ほら、見た目、若いじゃないですか。
高校生とかで妊娠しちゃって、田中の奥さんが助産師として出産に立ち会った、とか、そういうことかも。
そういえば、『小さな女の子の幽霊』っていう噂、この女の子のことじゃないですか?」
竜胆社長も綺麗に通った鼻筋を手で撫でる。
「そうだな。
ここで若い娘が産んだ女の子が、幽霊の噂の元かもしれない。
実際、しばらくここで住んでいたらしいのは、アルバムや残置物からわかる。
女子校生がその子を産んだとなると、出産自体が秘密にされたかもしれない。
結果、この女の子は、近くの保育園や幼稚園に通わなかった。
それだから、この子を見かけた人が、女の子を幽霊と思ったのかも」
私は、激しく頷いた。
「そうですよ!
女の子を見かけた人が、この家のご夫婦に問いかけても、もし秘密裏の出産だったら、守秘義務の関係もあって、
『ウチには、そんな女の子はいない』
って言いかねないですよね。
この高校生っぽい娘のために」
「ふむ。とすると、『隠された子供』がいたってわけかーー。
ちょっと、本格的な『事故物件』っぽくなってきたな。
さっそく仲介業者に話を聞いてみるよ」
竜胆光太郎はスマホを取り出し、電話をかける。
相手は大手の不動産会社に勤める、遣り手の女性幹部だそうで、竜胆社長曰く、「学生時代からの腐れ縁」なのだそうだ。
だから、随分と横柄な口の利き方をする。
が、傍若無人な物言いをするのは、相手も同様らしい。
以降、馴れ馴れしい口調の応酬が、スマホ越しに始まった。
「よう、渚さん。
俺、竜胆だけど。
今さ、佐賀のK市にある例の物件の中にいるんだけど、単刀直入に言う。
売主の家族構成について知りたいんだ。
オフレコで良いから教えてくれない?」
と社長が問えば、スマホの向こうから呆れた口調で返答される。
「なに馬鹿なこと言ってんのよ。
教えられるわけないでしょ?
プライバシーの侵害よ。
そもそも、売主の家族について、あなたに教える必要ある?
あなたは物件を買って、売るだけなんでしょ?
物件の所有権を動かすだけなんだから、それ以外は、いつも通り無視しなさいよ。
物件が抵当に入ってるかどうか気になるなら、法務局に行って全部事項証明書でも見てよ」
「今回、引っかかってるのは、権利問題じゃない。
この物件が『訳あり』になった原因を知るためなんだ。
その売主について俺が聞いているのは、故人となったご夫婦の娘だってことぐらいだ。
他に、彼女に家族ーー娘はいないか?
そうだな、年齢で言えば、十歳前後のーー」
「売主さんが現状について、
『あなたが見知った範囲で答えるなら、構わない』
って言われているから、答えるけどーーおそらく、そんな女の子はいないわ。
売主さんにとって、子供は三歳になったばかりの男の子一人しかいないはず。
その物件に住んでいた親の田中さん夫婦についての話は、それなりに聞いているけど、女の子については、特に詳しいことは聞いてない。
ただ、彼女、今現在、かなりお腹が大きくなっていて、
『もうじき、二人目が生まれる』
って言っていたけどーー」
「ふむ。十歳前後の子はいないのか。
とすると、やはり、その女の子が『訳あり』になった原因か?
ひょっとすると、その売主、未成年のときに子供を産んだかもしれないんだ。
その子が、今は十歳ほどになってるはず。
ーーいや、ここで産み育てた女の子が、売主かどうかも、いまだわからないんだった。
そもそも、アルバムに載ってた娘が、この家の所有者である田中さんご夫妻の娘かどうかも、よくわからないんだよな。
ここの田中のおばあさんーーと言っても、六十代で亡くなっているんだけどーー助産師だったんだ。
とにかくこの家で、赤ん坊を取り上げた可能性があるんだよ」
「あのねえ。
ウチは割と大手だけど訳あり物件も扱っている、そんな不動産会社だから、あなたに回す物件もあるんだけどーーだから、わかるでしょ?
まともな人間ーーと言ったら言い方はおかしいけれども、そうじゃない、訳ありな人が、様々な事情で、売り出して欲しいって要望する物件も、存外、多いのよ。
今回の売主だって、その物件がある佐賀じゃなくて、福岡に住んでる女性なんだけど、
『今、小さい幼児を抱えてて、育児が忙しくて手が離せない。
しかもお腹も大きくなって二人目が生まれそうなんで、あまり移動もしたくない。
それでも物件を早く売りたい』
って言うから、あんたに回してあげたんじゃない。
委任状をもらって、私が一切を引き受けてるの」
「売主さんは、シンママなのか?」
「違うわよ。
いるわよ、いかにも真面目そうな旦那が。
旦那様は公務員。
福岡中央区のマンションに住んでいて、裕福なご家庭よ、マジで」
社長は眉毛をピクッとあげる。
何だか妙に引っかかるものがあったようだ。
竜胆光太郎は語気を強めた。
「やっぱり、売主に直接会えるようにセッティングしてくれないかな。
事故物件なのに、そうなった原因がわからないってのは、気になるから」
「でも、買主に会いたくないから、売主さんは私に一任したわけでーー」
「じゃあ良いよ。
直接、売主さんの家に、俺の方から押しかけるから。
住所、教えてくれ」
「それだけは、やめてよ。
売主さんは、今回の不動産売却、旦那さんに知られたくないみたいなの。
密かな売買を期待して、私に任せてくれたんだから」
「おかしなことを言う。
どうせ俺がこの物件を買ったら、契約書で、売主の住所なんて知れてしまうんだ。
買った後にだって、売主の所に行けるんだぜ。
俺は直接、親御さんたちの事情を知りたいんだ。
ぶっちゃけて言えば、物件を出来るだけ安値で買って、高値で売り捌きたいから、そのために打てる手は、なんでも打っておきたいんだ。
どうせ、俺が買わなきゃ、この物件はダブつくだけなんだろ?」
「ーーわかったわよ。
売主様に連絡してみるわ。
彼女も早く契約の成立を願っていたから、事情を話して、そちらへ私が車でお送りします。
物件の場所にお連れすれば良いのね」
「助かる。恩に着る」
竜胆社長は、プチッとスマホを切る。
そして、私に笑顔を振り向けた。
「じゃ、これから、二階を観てみるか!」
◆2
私、神原沙月と、竜胆社長は、玄関に戻って、そこから北方に延びる階段に、並んで足をかけた。
二人して並んで昇れるほど、階段の横幅が広かった。
やがて、階段を昇る過程で、露骨に周囲の雰囲気が変わっていく。
階段の踏み板も、両方の壁も、綺麗な板張りで、一階の壁とは全然違って新しい。
階段を踏み締めて、二人並んで上がっていく。
その間、足を上げ下ろししながら、竜胆社長が、当然ともいえる疑念を呈した。
「階段の横幅がやたらと広いとは思ってたけどーー階段の段差も、異常に高くないか?」
一般住宅階段の段の高さ(蹴上)は23センチ以下と、法律で決まっている。
なのに、段の高さは25センチ以上ある感じだ。
「ほんとうに、息切れしますよ。
こんな急な階段……年寄り泣かせです。
こんなの、間取り図を作成したところで、図示できないですよ」
一般に間取り図は、一階部分と二階部分とを横にぶった斬ったもので、部屋やトイレ、キッチンなどの部屋割りを図示するだけだ。
一階と二階との間に、どれだけ高低差があるかは、示されない。
間取り図を見ただけでは、この「事故物件」の不恰好さを気付かせない、盲点を突いた増改築といえる。
それでも階段をあがり切り、二階の間取りを確認する。
先に昇った竜胆社長が息を切らせつつ、周囲を見回す。
「ええっと、階段をあがると、かなり広い、板間のフリースペースがあって、正面には洗面所とトイレ、とーー。
それはそれとして、ちょっと天井が低すぎないか?」
天井まで180センチといったところか。
背が高い人だと、頭がつかえてしまうだろう。
まるで屋根裏部屋だ。
二階東側にあった窓が、横長の長方形なのも、頷ける。
竜胆社長は確実に180センチを超える長身だから、頭を亀のように引っ込めている。
が、私は不都合はない。
私は両膝に手を当てて中腰になって息を切らせながらも、声をあげた。
「でも、天井が低いのは、階段最上段部分とフリースペース、洗面所やトイレだけですよ。
左手にある二つの部屋部分は普通のようです。
だって、ほら、フリースペースから階段を三段は降りる位置に入口扉がありますから、その分、床が低くなって、結果として天井の位置が高くなってますから」
私はわずか三段だけの階段を降りて、和室への引き戸と、洋室へのドアを開ける。
フリースペースの左手には、六帖の和室と、八帖の洋室の二つがあった。
図示すると、二階部分の間取りは、こんな感じだった。
「どちらも寝室ですね。
洋室の方には二段ベッドが二つあります。
和室の方は布団を敷くんでしょうね。
それぞれの部屋に押入やクローゼットもあります。
ーーもう、これで決定ですよ。
老夫婦が二人で住んでたってわけではありません。
確実に民泊業か何か、やってますよ」
私が断言すると、額の汗を拭いながら、社長が言う。
「それも、そうだが……。
天井やら床やらに高低差をつけて、変な造りしてるな。
またも間取り図ではわかりにくい仕様をしている。
それに、例の小窓が見当たらない……」
外から見たとき、玄関の上、東側の外壁に、ポツンと他の窓から孤立していた小窓のことである。
「一階部分だったんじゃないですか?」
「それなら、結構、天井寄りの、高い位置にあったことになる。
が、そんなのは見当たらなかった。
いや、そもそも、あの小窓、階段部分に当たるんじゃないの?」
「でも、階段の壁に窓なんか、なかったですよ」
「うーーん。
なんだか、引っかかる」
竜胆社長は顎に手を当てる。
異常に急な傾斜で、段差が高い階段。
そして、階段とフリースペース部分の天井の低さーー。
おかげで外観では、不恰好ながら、普通の二階建ての、増改築された物件に見えるが……。
「でもこれって要するに、フリースペース部分の床を迫り上げた結果、天井が低いと感じさせてしまってるってことだろ?
ということは、やっぱり一階部分に、まだ何かあるんじゃないか?
階段やフリースペースの床を迫り上げているだけ、天井が異様に高くなってる場所が、一階にあるってことだろ?
でも、一階の洋室にも和室にも、特別に高くなってる天井はなかった。
ーーいや、奥の洋室だけは、他の部屋に比して天井が高かったような……」
社長と私、二人で並んで、一階に向かって急勾配の階段を降りつつ、思案する。
そして、ほとんど同時に、二人して思い出した。
階段の下に、デッドスペースを利用した空間があることを。
一階の洋室内に、人一人分だけ通れるような、狭い道が伸びていて、南側の白い壁にドアがあったことを、思い出したのだ。
「そうだ。
あの、唯一、鍵が掛かった部屋だ!
あれは単なる物置じゃないのかもしれない。
この家の増改築の異様さの原因となる何かがあるのかも」
「まさに、『隠し部屋』というわけですね!」
平屋時代の間取り図には、もちろん何も記されていない。
今現在、タブレットで作成中の間取り図でも、一階図面に階段の表記がしてあるのみで、階段下にある空間については、記しようがない。
別途、その空間の間取りを記すしかない。
またも、間取り図の盲点を突いたような仕掛けの部屋ーーまさに「隠し部屋」だった。
「ほんと、実際に現場に来てみないと気付かないよな、こんなの」
一階洋室の奥の細道を通った後、そう呟きながら、竜胆社長が思い切り、ドアを蹴り下ろす。
鍵が掛かっていたから、強引にぶっ壊して、階段下の隠し部屋に侵入したのだ。
鍵が掛かった「隠し部屋」の中に入ると、やっぱり狭かった。
畳二枚分程度の広さしかない。
四方をコンクリートで囲まれた、極めて殺風景な部屋だった。
だが、天井が異様に高かった。
そして、遥か高みの、上の方から、光が下りてきている。
見上げると、東側から、陽光が射し込んでいた。
「見ろよ。
あれが外から見えた、例の小窓だ。
この『隠し部屋』のためだったのか!」
ここからでは、とても手が届かない、高い位置にある。
嵌め殺しの窓のようだが、東側に付いているので、陽光がふんだんに降り注いでくる。
電灯らしきものが見当たらないが、部屋の中が真っ暗にならないよう工夫されていた。
「なんでしょう、この部屋。
わざわざ天井を高くして、何に使ったんでしょう?」
私の問いかけに、社長は答えない。
階段の真下なので、南側の壁は天井にかけて、斜めになっている。
その手前に、低くて四角い設備(?)があった。
白木の段飾りの板箱で、飾ってある。
「まるで祭壇のようだ」
と、竜胆社長は低い声をあげた。
たしかに、キリスト教の教会にある祭壇や、仏教の仏像の周囲を飾っている豪華な飾り付けのような雰囲気を湛えた箱(?)であった。
その祭壇らしきものの左右には、花は枯れてしまっているが、花瓶が二つあった。
中央には、香炉があり、お線香とマッチ、蝋燭も置いてあった。
「物置じゃないのは確かだろうな。
線香の灰が随分、積もってる」
竜胆社長が灰を指で摘みつつ指摘するが、今度は私の方が押し黙っていた。
薄気味悪いけれども、老夫婦がここで何かしていたということはわかった。
竜胆社長はその白木の箱状のものに近づくと、強引に引き上げた。
すると、スッポリと脱けた。
飾り付けられた白木の箱の下には、小さなコンクリートの塊が鎮座していた。
「何だろう、これ。
む、引っ張っても取れない。
すっかり床のコンクリと一体化してる。
なんだろ?
ちょうど、大人一人が座れる程度の大きさだ。
まさか、椅子ーーなのか?」
椅子だとしても、硬そうで、座り心地が良さそうには見えない。
「椅子なわけないでしょ?
段飾りの中にあったのですよ?
隠すように置いてあったんだし」
と私が訴えると、社長も腕を組んで思案する。
「なら、何だろう?
御神体か何かなのか?
お線香が焚かれてあったし」
「この四角い正方形のコンクリの塊が?
御神体か何かなら、仏像でも飾った方がマシだと思いますが……」
「むう……」
ますます気味悪く思った。
それは私だけじゃないようで、社長はコンクリの前でしゃがみ込み、あちこちに手を伸ばして、撫でまくる。
やがて、コンクリの側面に、一枚の、蚯蚓がのたくったような文字が記された護符らしきものが貼られているのに気付いた。
それと同時に、引き剥がした状態の白木の箱の裏面に、封筒が一つ、テープで貼り付けられていることを発見した。
竜胆光太郎社長は、指で何やら怪しげな印を結んで、手を振る。
そして、これまた怪しげな呪文(?)を口にしながら、封筒の封を開けた。
小窓から差し込む陽光を頼りに、封筒の中にあった書状に目を通す。
やがて、竜胆社長は眉を顰めると、その封筒をポッケに仕舞う。
「取り急ぎ、間取りを描いておくから、ちょっと待ってて」
間取りといっても、今までに記したような、何部屋もあるような間取り図ではない。
隠し部屋単体の図だから、至って単純だった。
「隠し部屋」を描き終えると、竜胆社長は大きく息を吐いてから、私に語りかけた。
「この部屋の詮索については、後回しにしよう。
まずはここから出て、外の空気を吸おうじゃないか。
そして、ご近所さんを訪ねて回ろう。
地元の人から直接、話を聞いて、どうしてこの物件が事故物件扱いになったのか探ってみよう。
そうすれば、この部屋が何なのか、そしてこの家がなぜ異様な増改築をしてるのかが、わかるかもしれない」
◆3
青い空と風が気持ちいい。
私、神原沙月は、腕を伸ばし、大きく伸びをする。
「隠し部屋」が狭かったせいで、窮屈な気持ちになっていた。
「まず、どこへ向かいましょうか?
そうだ!
売主さんがーー田中さんご夫妻の娘さんが、通っていた学校があるかもしれない。
近所の人が何か知ってるかも」
私が勢い込んで声をあげた。
が、いきなり背後から声がかかった。
「無駄だよ。
誰に聞いても、ここには田中さんご夫妻しか住んでなかったってさ」
いつの間にか、背後に一人の若者が立っていた。
運転手をしていた、先輩の藤野亨だ。
福岡の都心部から、この物件近くまで私たちをワゴン車で送ってから、物件を見ることなく、今まで何処かへ姿を消していた。
周辺地域をぶらぶらしていたようだ。
藤野亨は、クルクルしたつぶらな瞳を輝かせて、言い募る。
「近くに新興住宅地も出来ていたけど、住んでいるのは、別の土地から引っ越して来た人ばかりだったよ。
だからさ、別口に行こうよ。
せっかく、面白い伝説の地に来たんだからさ」
「え!? 伝説って何?」
私は頓狂な声をあげた。
藤野先輩は、ついてこいよと言わんばかりに、スタスタと歩き始める。
私は訳が分からず、竜胆社長の方を見る。
すると社長も両手を頭の後ろで組んで、「彼にガイドしてもらおうよ」と言う。
私は二人に従うことにした。
「なんだか、やたらと五輪塔が建っていますね。
ここの道端にも、あの畑の木の根っこにも。
多すぎません?」
と私が誰相手ともなく尋ねると、先頭を行く藤野先輩が答えてくれた。
「こういった石塔が、K市周辺で百ヶ所以上あるってさ。
あれはこの地域に伝わるバッソン様を供養するためのもの。
それだけ地元の人たちは、バッソン様を恐れてるのさ」
「なんですか、ソレ。
ばっそん?」
「『バッソン』とは『末孫』のこと。
あの目の前に聳えるR山に、昔、建っていたお城の城主一族の『末孫様』が祟りをなしているってさ。
面白いのは、悲劇の最期を迎えた当代城主様の祟りではなく、その子孫である末孫様の祟りってことにされてるところだよね。
まあ、ご当主様がこの地に帰郷することができなくなかったから、『末裔の呪い』ってことにするしかなかったのかな」
私は、後ろについて歩く竜胆光太郎社長に囁く。
「そもそも、どんな人なんですか、この藤野さん。
今日、初めて会ったんですけど?」
「ああ、彼は君と同じように、福岡で雇った人でね。
でも、彼は不動産には興味ない。
運転手兼歴史解説係として雇ったんだ」
「社長の会社、不動産会社ですよね?
なのに不動産に興味ない人を雇うというのはーー」
「ちっとも、おかしくはないさ。
ウチは、『事故物件』取り扱いに特化した不動産会社なんだからね。
彼が有用なのは『物件』に関する方じゃない。
『事故』に関わる方なんだ。
ドライブしてくれたのと同じく、その物件がある場所、そこにまつわる事件や歴史について、うまいこと僕たちをナビしてくれると思うよ。
幸い、藤野君は僕みたいな野郎に話すより、君みたいな若い娘に教え諭す方が楽しいようだ。
上手に相槌打って、僕にも聞こえるように、彼にこの地域にまつわる伝説をナビゲイトさせてくれ」
(なんか面白い……社長も藤野先輩も独特だわ!)
私は社長の要望に応じて、藤野先輩の蘊蓄に耳を傾けたり、相槌を打ったりした。
藤野先輩の口が、滑らかにまわり始めた。
藤野亨先輩、曰くーー。
「戦国時代末期、豊臣秀吉の大軍が日本統一を目指して、九州攻めに乗り込んできたんだ。
そのとき、秀吉に謁見はしたけど、兵は出さなかった大名がいた。
それが、このR山に古くからあった鬼子嶽(岸岳)城の城主だった。
彼は、鹿児島の島津氏に味方して、秀吉に恭順を示さず、煮え切らない態度をしたんだ。
でも、これが後々まで後を引いた。
九州征服後、秀吉が今度は朝鮮出兵を目論んだ。
その際にも、秀吉が名護屋に陣を敷こうとしたのに反対した。
名護屋は、この城主一族の領有地だったから、当然と言えば当然なんだけど、自ら名護屋を差し出すような態度に出れば、後に起こった不幸な結末を避けられたかもしれない。
けれども、歴史ある地元名家としてプライドが許さなかったんだろうね。
挙句、秀吉が博多に着陣したときも遅参した。
以来、秀吉サイドから、ひどく冷たい扱いをされてね。
朝鮮役では、加藤清正隊麾下の鍋島軍に編入されて、二千の兵を率いて参陣して、兵糧や武器、弾薬の輸送のために、二年もの長きに渡って、制海権を死守する役目を担った。
けれども、『軍紀に違反した』『鍋島軍と別行動を取った』ってことで、領地への帰還を許されず、船の上で詰問された挙句、領地を没収され、そのままわずか八名の家臣を伴うだけで常陸筑波山へと配流となってしまった。
そして、城主は切腹して果てたという」
「それは……厳しいですね」
ボソリと私、神原沙月が呟くと、嬉しそうに藤野先輩は頷いた。
「うん。ちょっと異常な裁きだと思う。
背景としては、その大名が自分の妻を秀吉に求められたのに差し出さなかったとか、K市を中心とした領地八万石を、別の大名が欲しがって、秀吉に讒言したからだ、ともいわれている。
だけど、秀吉自身が名護屋に大坂城ばりの巨大な城郭を建築させたわけだからね。
K市や名護屋を領有する、その一族が邪魔だったんだろうね、初めから」
「その城主一族の恨みが、旧所領地であるこの地一帯に残っているってことですか?
それがバッソン様の祟りだ、と?」
「そういうこと。
その一族の由来は古く、戦国より遥か昔、平安時代からの歴史があるからね。
それなのに四百年以上続いた名家が、いきなり言いがかり同然で、百姓同然の身分から成り上がった豊臣秀吉に滅ぼされたわけだからね。
しかも、悲劇はそれだけじゃなかった。
主君が流刑になったあと、この地元に残された家臣たちがとんでもないことになった、という伝説があるんだ。
今、これから、その史跡へと向かっているとこ」
「うわ。……なんか怖いです」
私はそそくさと後方へ身を移し、ののほんとした調子で後について来ている竜胆社長に耳打ちする。
「このバッソン様に関するくだり、あの事故物件に関係します?」
「そりゃあ、してるさ。
だって、あの家の持主だった老夫婦が『バッソン様の祟りで亡くなった』と、ご近所で噂されてるんだから。
それがほんとうかどうか、チェックしなきゃ。
もっとも、ここら辺じゃ、急病や、事故に見舞われると、決まって『バッソン様の祟りだ』ってことにされちゃうそうだけどね。
あははは」
朗らかに笑う美青年社長を横目に、私も苦笑いするしかなかった。
やがて、R山 Z寺に到着した。
「見てよ、これ」
と、藤野先輩は両手を広げた。
一面に広がっていたのは、苔むして古びた墓石群だった。
ここまで案内された私は、見たままのことを口にする。
「気味悪い。お墓の集まり?」
「そう。
ここは『旗本百人腹切り場所』と言われてる。
バッソン様の城主一族の家臣たちのお墓なんだ」
「これらのお墓が、全部……?」
「ここのお城のその後ーーつまり秀吉に冷遇された、ここらを四百年以上も領有していた一族郎党が、どうなったかっていう話なんだけどね。
彼ら何百人もいた家臣団にとって、主君が廃絶となって関東にまで流されるってことが、まさに寝耳に水だったようでね。
主君が帰ってくることもなく、昔からの領地に上陸することすら許されず、そのまま関東へ流刑になってしまった。
当然、当地に残された家臣たちは大騒ぎ。
この鬼子嶽城に集まっては、連日、激論を交わすことになった。
徹底抗戦を主張する者もいれば、討ち死に覚悟で、名護屋の秀吉本陣に攻め入ることを主張する者、逆に、もっと恭順の意を示して、主君の赦免を願おうとする者もいて、様々な意見が出た。
だけど結局、意見がまとまらず、そのまま城を開放し、一家離散となってしまった。
家臣の大半が方々に散って行き、他家に仕官したり、農民になったり、仏門に入ったりした。
だが、中には秀吉に恨みを残して、主君を慕って殉死する者も多くいて、城主一族の菩提寺である、このZ寺に集まって辞世の句を詠み、集団自決した。
その数が百名を超えたと言われ、それで、このお墓の集まりが『旗本百人腹切り場所』と言われるようになったってさ。
もっとも、これには別の説もあって、鬼子嶽城が開放された後、新たにこの地域の領有者となった大名が、旧領主一族や家臣団の徹底排除を行い、残党狩りを強行した。
これらのお墓は、その犠牲者のものだ、とも。
結局、彼らの居城であったこの鬼子嶽城も散々に打ち壊されたので、旧主一族や家臣団の恨みを恐れて供養塔が方々に建てられた。
それが今現在まで、バッソン様として畏れられている、というわけさ」
藤野亨先輩が私と竜胆社長に向かって滔々と語っているとき、その墓群に向かって進み、膝を折って、手を合わせている老人がいた。
そのことに気付いた藤野先輩は、その老人に向かって、パッと身を翻す。
「お参り、ご苦労様です!」
藤野先輩が明るい声をかけて、老人に近寄っていく。
おそろしいほどのフットワークの軽さだ。
老人も「学生さんが来た」と思って警戒しないようで、にこやかに話に応じてくれた。
「この近所の物件について、お伺いしたいのですが」
と藤野先輩が言ったら、
「俺でわかることなら、教えちゃるけん」
と、隈崎と名乗る老人は、答えてくれた。
藤野先輩は、さっそく事故物件になった田中家について尋ねてみた。
すると、
「あすこには田中浩一っていう旦那さんと、その奥さんが二人で住んでいただけやけん、小さな女の子などおらんかったよ」
と答えた。
そして幽霊の噂話をすると、
「なんでも、都会から来たご夫婦が、ハイキングついでに山菜摘みに来たんだと。
やけん、間違って毒草を食べてしまって、当たって死んだと。
そげん事件があった、っちゅうことは記憶にあるとですよ。
街中から来た人が勝手に山菜を採って、それを焼いて食べたり、家に持って帰ったりしてーー危険極まりない。
だけん、都会から来た人にとっては、山ン中であけっぴろげになって、山菜でもキノコでも、見慣れん草花を見つけると、浮かれて持ち帰ったり、その場で焼いて食べたくなるんかもしれんけんね。
俺もよくその辺の事情は、よう分からんけん」
と言葉を濁しつつも、答えてくれた。
さらに老人は、話を続ける。
「あすこの田中のご夫婦が、立て続けに亡くなったんも、
『バッソン様を、粗末にあつかったからだ』
っちゅう不届者もおるけん。
始末が悪か。
でも、あの人たちは、地元の人じゃないけん、俺とはそげん仲良くばしなかったけど、別にバッソン様に悪さはしておらん。
むしろ、夫婦揃って、供養塔に向けて良く手を合わせておった。
そういえば、かなり前に、あの夫婦に、バッソン様のことを、俺が教えたこともあった。
『バッソン様っちゅうんは、こちらのお山に君臨しておられた一族の末孫のことで、その生まれ損なったお孫さんのことだ』
と説明したら、ひどく驚いた顔をしおってなあ。
より一層、バッソン様の供養塔に、水やお茶を捧げておったよ。
バッソン様は、常に喉が渇いて、苦しんでおられるっちゅう言い伝えがあるけんね。
でも、ちょうど旦那さんが亡くなった頃かいのう、田中の奥さんの美保さんが、
『やっぱり、孫が許してくれんかった。バチが当たった』
と呟いておったとよ。
おかげで、普通に病院で亡くなったのに、『バッソン様に祟られた』っちゅう噂になってーーなんとも不憫やったけん……」
しばらく、往時を思い出してか、しんみりする。
それから、隈崎のおじいさんは、いきなり膝を打った。
「ああ、ここら辺の家族についての話なら、俺よりも相応しい人がおる。
この山道を降りて、あそこの広い畑の向こう側に、お屋敷があるっちゃろ?
あれは自治会長さんのお宅やけん。
あそこでなら、もっと詳しい事情が聞けるけんね」
「ありがとうございます」
藤野亨はニッコリ微笑んで、頭を下げる。
そして、この場を辞し、私たちは揃って山道を降りて行った。
下山しながら、私は首を傾げる。
「でも、毒死事件で幽霊騒ぎになったのなら、化けて出るのは大人の幽霊ですよね?
どうして『女の子の幽霊が出た』っていう噂になってるんでしょう?」
「さあ……」
と、竜胆社長も口をへの字にして考え込む。
そんなとき、藤野先輩が、
「このまま、例の事故物件のところへ帰りましょう。
別に、自治会長さんのお宅へは伺わなくて結構ですよ」
と私たちに声をかけた。
彼が、自治会長のおじいさんから、事故物件に住んでいた老夫婦の噂を、すでに聞いてきているという。
なんと、目端が利く男だろう。
竜胆社長が、不動産に興味がなくとも、彼をスタッフに雇い入れた理由がわかった気がした。
藤野亨は、クルクルとよく動く瞳を輝かせた。
「自治会長の田代さんによると、田中さん夫妻は、彼らが五十を過ぎたときに、福岡の香椎からやって来たんだって。
田中の旦那さん、元々は大工だったそうだよ。
仕事を辞めて、夫婦でのんびり、悠々自適の生活を送りたいということで、緑豊かなR山の麓にあった、平屋の一軒家を買ったんだ。
田中さんは、とにかく器用な人だったようでね。
自治会長の田代さんの家の垣根を作ってくれたり、壁の漆喰だろうと、門構えの欠けたところだろうと、何でも修繕してくれたんだって。
『大工の腕があるってのは違うね』って田代さん、感心してた。
だから、自分の家の増改築なんかは、お手の物だった。
あの邸宅も、元は農家の古民家だった。
なのに、かつての同業者仲間を集めて、あれよあれよという間に、二階建ての豪華建築にしちゃったんだって」
藤野先輩の説明を受けて、竜胆社長はポンと手を打った。
「なるほど。
情報を総合すると、あの物件に住んでいた田中さんご夫婦の生活が、段々とわかってきた。
遠くK市の市街地からR山に至るハイキングコースがあって、そのルートに接する形で、あの物件は建っていた。
だから、R山に向けてハイキングしたり、登山したりする人たちが、休憩所として、田中さん宅を使ったわけだな。
元々は、トイレを借りるために立ち寄る人がいたから、縁側で休ませるなどして、もてなしていただけなのかもしれない。
ところが、何度も何度も、もてなすうちに、商売っ気が出てきたらしい。
コーヒーを頼む人なんかが現れて、段々、人で混み合うようになり、それらをもてなすうちに、平屋では手狭になった。
ついでにお泊まりもできるようにと、家の規模が段々と大きくなっていったみたいだ。
田中さんみたいな年金生活者にとっちゃ、ちょうど良い運動にもなるし、結構な小遣い稼ぎにもなったようだ。
宿泊料が一番、高値が取れる。
多人数の人々が泊まれるように、新たに部屋を設けることを考えた。
だから、二階を建て増ししたーー」
こうして、我々、竜胆不動産の面々の間で、あれこれと語り合ううちに、旧田中邸に辿り着いた。
竹に似た葉っぱを持つ植物を重ねて造った生垣を、裏手からぐるりと回って、門扉を開けて、庭に入る。
縁側に面した、バーベキュー用のテーブルに落ち着いて、ひと息つく。
私は身を乗り出す。
「でも、それだけじゃ、例の『隠し部屋』を作った理由がわからないわ。
急な階段にして、天井の低い、歪な増改築にしたわけもーー」
竜胆社長が、そこで両目を爛々と輝かせる。
「ああ。
だから、僕は思ったんだよ。
田中さんご夫婦は、本来、二階を自分たちの住居にするつもりだった。
ところが、途中で何かあって、急遽、変更した。
そして、例の『隠し部屋』を設ける必要に迫られたーーとね」
「何があったんですか?」
「それなんだよなあ。
あと少しで、いろいろとピースが繋がるんだけど……。
田中さんが派手に増改築した時期って、いつ頃だろうな。
ひょっとして、例の山菜採りによる毒死事件が、何か関連があったりして。
ちょっと、ネットで拾ってみるか」
竜胆社長はタブレットを取り出して調べようとする。
が、藤野亨が笑う。
「嫌ですねえ。お困りなら、言ってくださいよ。
そんなの、今回、佐賀県のR山へ行くって知った時点で、とうに調べてますよ。
ネットで、当時の事件についての記事を読みました」
随分と手が早い、と私が目を丸くしていたら、藤野先輩が調べていたのはネット情報だけではなかった。
なんと、その毒死したご夫婦の遺族にまで、すでに面会したという。
彼、藤野亨が竜胆不動産にスタッフとして雇われたのは、私よりも半年以上早かった。
そのうえ、今回の事故物件の在処を一週間ほど前に、社長から聞いていたので、下調べする時間が充分にあったそうだ。
「じつは俺、調べて来ましたよ。
その毒死したご夫婦について。
和田智之さんと、陽子さんのご夫婦で、福岡市の姪浜に住んでいました。
息子の蒼太さんが財産を相続して、その家に住んでました。
二十二歳のフリーターです。
僕については、和田さんのご両親とハイキングで知り合ったっていう設定で、会ってきたんです。
『ご両親にはお世話になって。
この度はご愁傷様です。
随分と遅くなりましたけど、お線香をあげに来ました』
と伝えて、いろいろと雑談しているうちに意気投合しましてね。
どうやらお金に困っていたようだったので、こいつを売っていただきました」
藤野亨は、黒い手帖を上着のポッケから取り出すと、それを竜胆社長に手渡した。
「ご両親ーーというか、ほとんどお父さん、智之さんの備忘録というか、遺品ノートってやつです。
蒼太君が売ってくれたんですよ。
『金になるなら売りますよ。
所々、何書いてんだか、わかんないから』って。
ちょっと見てみたら、暗号めいた文章になってました。
興味深い内容に入りそうな、肝心なところになると、いきなりアラビア数字やローマ数字で記されてまして。
パッと見ると、なんだこれってなりますけど、読み解くのは簡単でした。
アルファベット順を数字で記しているだけで、ローマ字読みをするだけでした。
中身はーー要するに、いろんな人たちの噂話が載っている、覚え書き風の日記でした。
あ、社長。
これ、あげますから、買い取り価格は社費で落としてください」
竜胆光太郎社長は、「ああ。サンキュ」と生返事をした後、パラパラと黒手帖の頁をめくる。
私は驚いた。
あまりに頁をめくるのが速すぎるからだ。
すると、藤野亨先輩が、私に身を寄せて、耳打ちした。
「速読術だってさ。
社長の説明では、語句や文章を追って読むのではなく、一頁を丸ごと写真を撮るように頭に焼き付けていくんだって。
すると、必要なときに、頭の中のデータベースから、必要な箇所を引っ張り出すことができるようになってる、と。
マジ、信じられねーよな。社長の能力。羨ましい」
私は両目を見開いて、竜胆社長を見詰めた。
(あれで、『見た』ものの中身が入ってるっていうの!?
たしかに、大学時代の知り合いに、街中の建物や、訪れた先の部屋のレイアウトなんかを一瞬、見ただけで、絵に描き起こせる人がいたけどーー)
これでは、一種の天才ではないか。
なのに、何で「事故物件転売業」などという因果な(?)商売をしているのか。
もっと、有効な使い道があるんじゃないか、と思った。
正直、私には半信半疑だったが、パタンと手帖を閉じた竜胆社長は、じつに晴れやかな顔をしていた。
どうやら、ほんとうに黒い手帖の中身を、すっかり頭に収めてしまったようだ。
一部、数字で記されてローマ字で変換するという、暗号化をされている記述もあるというのに。
竜胆光太郎は、瞑目して、やや上方に顔を向けつつ喋り出した。
「ったく、この和田っていう夫婦、揃って相当、穿鑿好きだったようだ。
ちょっとした強請り集りを趣味にして、小金を稼いでいたらしい。
『椅子だと思って、座って弁当を食べたけど、それは古くて崩れた石塔だった。
なんでも地元じゃ、バッソン様とか言ってーー』
って書いてあったな。
マズいね、こりゃ。
そんなことだから、和田さん夫婦が毒死したのも、
『バッソン様に祟られた』
って噂されたわけだ。
彼らの振る舞いが、地元民の目に止まったのだろう。
そして、最後の方の頁に書いてあるのは、バーベキューの話だった。
『イノシシ肉を串に刺して食ったけど、案外、臭みがなくて旨かった』と。
なるほど。
そのあと容態が急変したわけだ。
下痢が始まって、吐き気にめまい、冷や汗が出て、脈搏が乱れ、かーー。
たしかに、これは毒による中毒っぽいな」
私は思わず、
「イノシシ肉って、臭くないの?
『イノシシの肉は酷く臭い』って田舎のおじいちゃんが言ってたけど?」
と口にしてしまった。
すると、男二人は共に、「気になるとこ、そこ!?」とツッコミを入れたそうな表情になっていた。
私が顔を赤くしていると、竜胆社長が丁寧に解説した。
「いや、イノシシの肉は、ほんとうは臭くない。
焼肉にして塩胡椒を振るだけで、とっても美味しいんだって。
むしろ豚肉よりも旨いってさ。
ただし、仕留めたばかりのイノシシを、しっかり血抜きして、手早く冷やさないと、味が台無しになるんだ。
神原さんに話したおじいさんは、おそらく交通事故や防獣ネットに絡まったりして死んだ後、長いこと放置されたイノシシの肉を食ったんだろう。
ーーでも、そんなことより、串焼きだよ、問題なのは」
私は顔を上げた。
「はい? どういうこと?
バーベキューなんでしょ?
だったら串焼きなんて、普通じゃないの?」
「そう。全然、奇異に見られない。
だから、毒殺されたんだ」
竜胆光太郎社長は、得意げに髪を掻き上げながら断言する。
今度は、藤野先輩と私が、揃って驚きの声をあげた。
「え? 毒殺?」
「その毒死事件って、事故じゃないんですか?」
目を丸くする私たち社員に対して、竜胆社長は嬉しそうな顔をして腕を組む。
「ふふふ。
ヒントは生垣。
わかるかな?」
私はもちろん、藤野先輩もキョトンとしている。
その一方で、竜胆社長は興奮の態だ。
黒い手帖をスーツのポッケに仕舞いながら、明るい声をあげる。
「さすがに、会わないとな。売主と。
仲介の不動産屋に電話してから、二時間ほど経ってる。
ってことは、もうじき、こちらに到着するはずだ。
ーーほら、来た!」
ちょうど、白い乗用車が畦道を越えて、事故物件の所まで走ってきた。
乗用車の側面に、大手不動産会社のロゴがある。
社用車が山道をのぼって、生垣の前に入ってきたのだった。
◆4
仲介した不動産会社の女性ーー古賀渚さん(後で知ったのだが、大手不動産会社の企画部長だそうだ!)に付き添われて、ついに売主がやって来た。
いかにもバリキャリ風で、グレーのスーツ姿をした古賀渚さんに対して、売主の原田(旧姓田中)結衣さんは、ゆったりとしたワンピースを纏った、とても上品そうなご婦人で、お腹が大きくなった身重だった。
すでに妊娠六ヶ月だそうだ。
玄関から入ってすぐの洋室でしばらくお茶をしてから、竜胆光太郎社長は売主の結衣さんを例の隠し部屋へと招き入れた。
先導してきた不動産会社の渚さんも、藤野先輩と私、竜胆不動産の社員二人も人払いをされた。
けれど一か八かで同行をお願いしたら、私は隠し部屋に入れてもらえた。
が、くっついて行って部屋に入るとすぐに、私、神原沙月は同行したのを後悔した。
(狭い!
どうしてよりにもよって、この物置きのような狭い部屋に入って交渉するの!?)
「隠し部屋」の天井は高いけど、さすがに大人三人が集うと、南向きの壁が斜めになっているせいもあり、やっぱり窮屈に感じる。
一方、売主の結衣さんは「隠し部屋」の中を、不思議そうに見回す。
「ようやっと会えましたね。売主さん。
初めてですか、この部屋は?」
「ええ。こんな部屋があるとは、知りませんでした。
二階を造って完成した後に、ここを訪れたのは、ほんの数えるほどしかありませんでしたからーー」
「じゃあ、これらのものが残っていたのは、ご存知でした?」
竜胆社長は、白い祭壇めいた木箱を持ちあげる。
すると、コンクリの塊と、四、五歳ほどの女の子の服が姿を現した。
行李にあった女の子の服を、この「隠し部屋」の祭壇の中に持ち込んでいたのだ。
「あ! 捨てろって言ったのに……」
と、結衣さんは口に手を当て、呟く。
そこを竜胆社長が急襲する。
「ご両親に、そのように言っていたのですね。
うんうん。さすがにそうでしょうねえ。
マズいですか、やっぱり、女のお子さんがいた証拠を残すのは。
でも、親御さんにとっては、可愛い初孫だったんでしょうね」
往時を思い出したのか、結衣さんは赤ら顔になって、吐き捨てる。
「あの子が出来たのが、早すぎたのよ。
だって、仕方ないじゃない!
私のせいじゃないから。
いくら付き合っているからって、心の準備もないままに身体を求められるなんて。
しかも、最後まで何にもしてくれなかった。
まだ高校生だからって、相手の男は逃げて。
世間体ばかり気にして。
私だって、こんな、知らない土地にまで引っ込んで、隠れるようにして、産むしかなかった……」
身重の女性が、顔を真っ赤にさせて、身を震わせる。
それでも、お構いなしに、竜胆社長は、値段交渉を始めた。
「とにかく、原田結衣さん。
この『事故物件』について、いろいろと調べさせてもらいましたよ。
で、その結果、あなたの提示した金額じゃ、私どもも、この家を買い取れないってことが判明しました。
重大な心理的瑕疵が見落とされていましたからね。
いや、『心理的』というレベルではありませんね、これは」
「あら。まさか、幽霊のうわさを本気にしているの?
バカみたい! 幽霊なんているわけないでしょ。
幾らでしたら買ってくださるのかしら」
竜胆社長はニッコリと微笑んで、タブレットに数字を叩いて見せる。
「この価格で」
身重の妊婦は、突然、血相を変えた。
「ふざけないで!
こんなんじゃ、路面地価よりも安いじゃない。
タダ同然じゃないの!?」
「そうです。
タダ同然で、譲っていただきたい。
ーーというか、この値段で、あなたは手を打つしかないんですよ、原田結衣さん」
「何を言って……」
「どうして、私がこの部屋にあなたを呼んだか、あなたが一番わかっているんじゃありませんか?」
「……」
「あなたの目の前にある祭壇ーーこいつは、あなたのご両親が大切に拝んでいた、コンクリの塊を御神体にしているんですがーー良いんですかね?
そのコンクリを砕いてしまっても」
「ま、まさか、ここにーー」
妊婦の顔が、サッと青褪める。
そんな売主が慄く様子を、竜胆社長は眺める。
竜胆光太郎の口元は笑っているが、目は笑っていない。
酷く冷たい眼差しが、売主の結衣さんに注がれていた。
「別に私はどうでもいいんですよ、何が出てきても。
私は事故物件を安く買って、高く売りつける転売屋にすぎないのでね。
その結果、この物件が売るに売れないほどの安値になるんなら、むしろ大歓迎なので。
ただ、その際は、誰かが過去の罪で裁かれることになるかもしれません。
そうなると、その人が、今にも手に入れようとしている幸せはーー」
「あんた、最低!
人の足もと見て値切るなんて。
いいわ!
こんな不吉な家どうでもいい。
言い値で売ってあげるわ!」
「毎度」
売主の妊婦は、笑顔の美青年社長の顔を憎らしそうに睨みつけた。
そして、即座に踵を返して、そそくさと「隠し部屋」から出て行った。
その際、仲介した不動産会社の渚さんに怒鳴り声をあげた。
「ここは売りましたから。
後の手続きをお願いします。
もう、私は関係ありません。
失礼します!」
と宣言して、売主は玄関から飛び出してしまった。
古賀渚は慌てて、原田結衣さんの後を追いかける。
追いかけながら、声を放った。
「どんな交渉したのよ!?」
と竜胆社長に怒りをぶつけた。
私も不思議に思った。
交渉現場にいたにもかかわらず、訳がわからなかった。
それから十分後ーー。
竜胆不動産のメンバーだけになった段階で、私は社長に問いかけた。
「どうして、売主さんは、急に折れたんでしょうか?」
竜胆社長はすっきり晴れやかな表情をした。
「複雑だった事柄が整理されるのってのは、気持ちが良いね。
すべてのピースが繋がった」
私と藤野先輩は、興味深く社長の話しに耳を傾けた。
「あのコンクリは、田中家にとってーーいや、今は原田姓になった結衣さんにとっても、触れるだけで呪われるバッソン様なのさ」
「どういうことですか?」
「え? 祟りなの?」
私と藤野先輩は、同時に声をあげた。
竜胆社長が次に動いたのは、警察への通報だった。
◇◇◇
やがて近所の駐在所から、若い警官が一人でやって来た。
竜胆社長は、さも困ったような顔で、警官に向かって語り始める。
「こちらをご覧ください。
図面にない部屋があったんです。
前の持ち主が、何か事件を抱えていたんじゃないか、って怖くなりまして……」
やたら腰を低くしながら、例の「隠し部屋」へと、制服姿の若い警官を招き入れる。
痩せ細った警官は、露骨に「こんなくだらない用事で、呼びつけるなよ」といった表情をしながら、顎を突き立てた。
「そういった苦情は、あなたにここを売った不動産屋に言ってくださいよ」
「でも、こんな祭壇があったんですよ!」
「だから?」
「これ、元々こちらに住んでいたご夫婦が、熱心に信仰していた証です。
でも、どう扱ったら良いか、悩んでるんです。
不幸にも、ここら近所に、女の子の幽霊が出るとか噂されてますから」
警官は頭をポリポリと掻く。
「ああ、バッソン様のことですね?
それ、女の子の幽霊とは違いますよ。
遠い昔の戦国大名の子孫の祟りってやつでーーま、どうでも良いですよ。
あなた、これからこちらに住むのでしたら、知っておいた方が良いですよ、バッソン様は地元じゃ有名な伝説ですから」
「いえ。私は転売業者でして。
こちらを買い取って、綺麗に仕立て直して、売るつもりなんです」
「はあ。そうですか」
「そこで幽霊が出るっていう噂があって、さらにこんな祭壇があって。
気になりますよ。
このまま内装工事して良いのかって」
「あなたがどうなさるにしても、これは警察案件ではありません。
不動産屋と良くお話ししてください。
なんでしたら、こちらから不動産屋に連絡いたしますが?」
「いえ。
この物件を仲介してくれたのは福岡の不動産屋ですから、お手数をおかけするわけには。
それに、その不動産屋とは普段から連絡を取り合っている仲なので、心配要りません」
「それなら良かった。
とにかく、幽霊が出るとかいう噂で、警察に連絡されては困ります」
「でも、この祭壇、不気味です。
何かの事件なんじゃーー」
「その檜の祭壇を外して、中は見たんですか?」
「見ましたが、警察の方にも見ていただきたくて」
箱状になってる白木の飾り付けを外す。
中には、小さな四角いコンクリがあるだけだ。
若い警官は呆れ顔になった。
「何があるかと思ったら。
これは、椅子か何かでしょう。
御神体とかいった類のモノには見えませんよ。
とにかく、警察が関わるような事件性はありません。
内装でもして売り出せば良いでしょう」
「そうですか。
わざわざご足労を願いまして、失礼いたしました」
「いえいえ」
若い警官は、大きく手を振ってから、生垣の向こうに駐車させたパトカーへと戻って行った。
◇◇◇
警官が立ち去ったあと、藤野先輩と私が、何も言わずに、竜胆社長をジッと見る。
社長は、はぁと大きく溜息を付いて、
「今日の仕事は終わった。
お茶にしようか」
と言った。
ダイニングのテーブルに、キッチンから持ってきたカップを並べる。
そして、持参した紅茶をポットに入れて、お湯を注いだ。
三つのカップにダージリン茶が注がれ、湯気を立てる。
いかにも事情を聞きたがっている顔をしていたのだろう。
私と藤野先輩に向かって、竜胆光太郎社長は、
「これからは、僕が思いついた妄想の話だと思って、聞いてくれ」
と前置きしてから、長々と語り始めた。
「アルバムに写っていた田中さんご夫婦の娘、あれが原田結衣が高校生の頃の写真だ。
おそらくは、高校二、三年生のとき、同じ年頃の男を相手にして、妊娠したのだろう。
早めに親に相談したら、中絶の可能性もあったろうが、愛されて育った結衣さんは、親に正直に妊娠を打ち明ける時期を逸してしまったらしい。
いや、母親の美保さんが助産師だったから、中絶を許さなかったのかもしれないな。
とにかく、結衣さんは自宅出産をした。
母親が助産師だから、問題なく、自然分娩で、例の写真の女の子を産むことができた。
が、結衣さんは、その子を育てることを放棄した。
わからないでもない。
元々は福岡に住んでいたのに、近所の目を恐れて、ここに引っ越して出産した。
その間、高校には行けなかったはず。
不登校扱いだったのか、中退したのかはわからないが、何食わぬ顔で元の高校に通うのは酷なことだろうし、転校しようにも、もうあまり長く通学できる年齢でもなかったのだろう。
すぐに、この地を離れて、結衣さんは働くことを欲した。
ここからは、封筒の中から出てきた書状を読んでわかったことを加味した推測なんだがーーああ、封筒っていうのは、隠し部屋にあった木箱の裏に貼ってあったやつなんだがーーそれによると、おそらく、例の写真の女の子ーー結衣さんの子供、田中さんご夫婦にとってのお孫さんーーは、出生届を出さなかったとみられる。
今後の結婚を考えて、結衣さんの戸籍を汚したくなかったんだろう。
とにかく、結衣さんも、しばらく、五年ほどは、この家で両親と暮らしていた。
だが、やがて女の子が邪魔になった。
女の子だけじゃなく、結衣さん本人も隠れて生活する有様だったみたいだからね。
やがて、老後の心配を抱えた田中さんご夫婦が、立地を活かして、喫茶店を兼ねた休憩所を始めようとした。
保健所のレギュレーションをパスして喫茶店の営業許可を取り付けると、昔の大工仲間を呼び寄せて、大規模な住宅の増改築工事を始めた。
当初は、こんな異様な増改築をするつもりはなく、二階部分の柱自体は通常並みの高さに設定していた。
この時期に休憩所を始めようとしたのは、先程も言ったように、田中さんご夫婦の老後の備えっていう意味もあったろうが、それよりも、結衣さんが子育てを放棄して出て行かないように、働き場を自前で作るつもりだったのだろうと思う。
喫茶店でも始めれば、結衣さんを娘と紹介する必要もなく、従業員として外に出すこともできた。
実際、和田さん夫婦の黒い手帖には、女の子と遊んだことだけじゃなく、やけに田中さんご夫婦と親しげにしている若い女性従業員がいたことを記している。
だけど、結衣さんは自宅に縛り付けられるのに耐えられなかった。
次第に女の子の面倒を見ることもなくなり、放置し始めて、庭に出て遊ぶ女の子が、初期のお客さんたちの一部には目に止まっていたことだろう。
やがて、結衣さんは自分の子を両親に押し付けて、家から出て行こうとした。
封筒の書面によれば、結衣さんが二十三、四の頃で、福岡中洲に出向いて、夜職に就こうとしたんだ。
そのとき、事故が起こった。
封筒の中にあった書状は、まるで懺悔文だった。
田中さんご夫婦が、深い後悔の念に突き動かされながら記したドキュメントのような文面だった。
その懺悔文によるとーー。
『ママと行きたい。
置いていかないで!』
と、五歳の女の子が、母親の結衣さんが出て行こうとする際に、追いすがった。
それを振り切って、結衣さんは家を後にしようとする。
だが、女の子には、母親が抱えていた事情など、わからない。
だから、庭の外にある、石塔の場所にまで、追いかけてくる。
今は幾つかは撤去したそうだけど、この家を取り囲む生垣の向こうに、当時はもっと数多くの石塔が建っていたそうだ。
そう、例のバッソン様の供養塔だ。
『うるさい。
まとわりつかないで!』
と結衣さんが娘を、突き飛ばした。
その弾みで、女の子は、倒れた瞬間に、石塔で頭を打ってしまった。
後ろで母娘の様子を見ていた田中さんご夫婦は、慌てて女の子の許に駆け寄った。
が、遅かった。
女の子はグッタリしてしまった。
オロオロしながらも、美保さんが女の子を抱きかかえ、田中家の旦那さんである浩一さんは、結衣さんに、
『おまえの気持ちは、良くわかった。
もう、ここには帰ってくるな!』
と宣言した。
その言葉を最後に、結衣さんは、この、増改築途中の実家から立ち去っていった。
そして、結衣さんが出て行った、このときの事件が元で、女の子は亡くなってしまった。
出生届がなされていないことを気にして、田中さんご夫婦が女の子を病院に連れて行かなかったんだ。
その判断を、凄く後悔していたようだよ、田中さんご夫婦ーー特に、美保さんは。
それまではK市の産婦人科病院に時折出向いて、助産師として働いていたけど、プッツリと辞めてしまった。
こうして懺悔文まで貼り付けて、祭壇まで拵えたんだ。
田中さんご夫婦には、罪悪感が相当、あったようだね。
当たり前ともいえるけど、階段やフリースペース部分の床を底上げまでして、階段下の天井を高くして、『隠し部屋』を懺悔室らしく仕立てて、孫娘の供養をし続けたようだ。
が、田中さん夫婦の心が休まることはなかった。
すぐさまーーおそらくは、女の子が亡くなってから半年ほどが過ぎた頃、二階部分の増改築が完成した時分に、今度は、お客さんの毒死事件が発生した。
事件後、亡くなった和田さん夫妻の死因を巡って警察でも紛糾したらしい。
田中さんご夫婦も、何度も警察に呼び出されて大変だったと思うよ。
ここから先の推察には、藤野君が、和田さんご夫婦のご遺族から手に入れた、黒い手帖が役に立った。
ネットで見る限り、当時の新聞や雑誌では、彼らがどういう毒に当たって亡くなったのかについては、記載されていない。
和田さん夫婦は山菜採りが趣味で、このR山まで、頻繁にピクニックに来ていた。
彼らは植物についてかなり詳しかったようで、毒キノコや毒草を採取しないだけの知識は持ち合わせていたと思う。
でも、意図的に毒を仕込まれては、対処のしようがない。
彼らは気付かなかったんだ。
あまりにも自然に、生垣の材質に用いられているモノが、猛毒の植物だったとは。
毒の発生源は、この物件の庭を囲んでいる生垣の材質ーー夾竹桃だ。
夾竹桃は、生垣作りにもってこいの植物だけど、使いようによっては猛毒の凶器になる。
夾竹桃ーー名前の由来は、緑色の葉が竹の葉に似ているところ、そして咲く花が桃に似ているところから、夾竹桃と名付けられた、古くから日本にある植物だ。
乾燥に強いから、道路沿いや公園といった公共施設での生垣として、良く使われている。
夏になると、白や赤、黄色などの花びらが、無造作に重なり合って、咲くんだそうだ。
で、この夾竹桃には、アルカロイドがたっぷり含まれていて、毒性を発揮する。
成分を薄めれば、強心剤や利尿剤としての作用があるそうだけど、このときは凶器として使われたんだ。
ほら、黒い手帖の最後の部分あたりに書かれてあったろ?
イノシシの串焼きを食べたって。
串刺しの串ーーこれに猛毒の夾竹桃が使われたんだ」
ここで、ようやく私、神原沙月が口を挟む。
「あの生垣が、そんな毒物だなんて。
でも、不思議。
どうして、和田夫妻だけが毒死したのかしら?
他の人も串焼きを食べているのに」
ちょっと目を丸くして、どうして、こんなわかりきったことを聞くかなあ、と言いたげに、竜胆社長は、フンと鼻息を荒くする。
「もちろん、和田さんご夫婦だけが狙われたからだ。
夾竹桃の串を、この夫婦にだけ渡した。
この家の老夫婦ーー田中さんご夫妻がね」
「え!? どうして?」
「わかるだろ?
事故で亡くなった女の子ーー出生届がなされていない子供のことを、和田夫妻からしつこく詮索したからだよ」
あの遺族から、藤野亨が買い取った黒手帖、そこに記されていた内容によればーー。
田中さんご夫婦は、「ウチには子供はおりませんよ」というのに、和田夫婦が女の子を発見した。
その女の子は、いつも家の中に閉じ込められているようだった。
でも、来客で賑わうと、女の子は興味を持って、田中さん夫婦の目を盗んでは姿を現し始めた。
その結果、客の中には、彼女に気付く者も出て来た。
女の子は、数少ない機会ながらも、何度かお客さんと接触を果たし、軽く遊んでもらったり、お菓子を分けてもらったりした。
和田夫妻も、そうした女の子と軽く遊んだお客さんのうちの一組だった。
ところが、残念なことに、その後、その女の子は、母親である田中結衣によって、不注意から殺されてしまう。
結衣は県外、福岡中洲へと逃した後、田中さんご夫婦は、仕方なく、コンクリに女の子の死体を埋めた。
結果、女の子が姿を消した。
そのことに気付いた者もいた。
この手帳を残した和田夫婦のようにーー。
竜胆社長は腕を組みつつ、自身の「妄想」を語り継いだ。
「やがて、和田智之と陽子の夫婦が、老いた田中さんご夫婦を脅しにやって来た。
『あの女の子は、どうしたの?
私たち、一緒に遊んだはずだけど』
『おかしいよね。
何処にもいないし、近所の方々も、そんな子は知らないって言ってるし。
近所の幼稚園や小学校を訪ねても、あの子はいないようだーー』
などと、夫婦揃って口にして。
実際、和田夫婦は、他にも他人の家の秘め事ーー不倫や子供の軽犯罪歴なんかを暴き立てて、ご近所の家々から小金をせしめて回っていたらしい。
そうした計画や、実行して獲得した金銭を使って贅沢な旅行をしたという旨が、暗号化された文章で、黒手帖に記してあった。
そんなチンピラまがいの夫婦に目を付けられたあたりも、ほんとうに、田中さん夫婦は運が悪かった。
女のお孫さんについては、出生届も出していない、しかもすでに母親によって、事故同然ながら、殺されている。
女の子について、田中さん夫妻は、チンピラ夫婦に対して、迂闊に語るわけにはいかない。
『その女の子は、私どもの娘ーー結衣が産んだ子だ。
だから娘が、一緒に福岡に連れて行っただけだ』
と弁明し続けたそうだ。
だが、和田夫婦は食い下がる。
そのときの田中さんご夫婦の態度から、何か後ろ暗いところがあるのだろう、と和田夫妻は踏んだらしい。
特に旦那の和田智之は、動揺する田中夫妻に対して、ますます追い込みをかけた。
『この家、増改築しまくりでしょう?
お役所の許可、取ってるんですか?
違法なんじゃないの?
通報でもすれば、こうして休憩所を気取って、民宿で稼ぐこともできなくなる。
いや、下手したら、この家が取り壊されるかも。
そしたら案外、あの女の子が、壁の中にでも埋め込まれた状態で出てくるかも。
あははは』
そう言って脅しかけてきた。
加えて、ネットの掲示板などにも、『女の子の幽霊が出る家』などとして、この家についての書き込みをして、楽しんだ。
そうした事実を、ハイキングの帰りがけに立ち寄ったふりをして、ノートパソコンを持ち込んで、田中さんご夫婦に見せつけた。
『ネットで、真実を暴露してやっても良いんだぞ!』
などと、面白半分に脅し続けた。
実際、和田夫婦は『自分たちは正義を遂行している』つもりになっていたのかもしれない。
洋室のクローゼットにあった行李の中には、田中の奥さん、美保さん名義の終了した銀行通帳があった。
見ると、五、六回ほど、数十万から百万円単位の出金があった。
それまでは、わずかな金額の入金が毎月記入されていたのが、頻繁に出金が多くなっていた。
地道に貯金をしてきたやり繰り上手な主婦から、金使いの荒い主婦に変化したみたいだった。
脅しに屈して、口止め料として、和田夫婦にくれてやったのだろう。
田中さん夫婦にしたら、ただでさえ、孫娘に対する罪悪感で苦しんでいるのに、横合いから首を突っ込んできたチンピラまがいの夫婦に金銭を巻き上げられて、生きた心地がしなかったろう。
田中さん宅の祭壇裏に貼り付けてあった懺悔文には、『何度も警察に行って、自首しようと試みた』と記されてあった。
が、そうなると、これから長い裁判を争うことになるうえに、投獄されてしまうと、生い先も長くないというのに、自分たち夫婦が別れ別れになってしまう。
それに、風俗業から足を洗って、真面目な公務員と結婚しようとしている娘の結衣に申し訳ない気がして、結局、警察に出頭するのを断念したらしい。
つまり、田中浩一と美保の二人は、孫の死を十字架に背負って、ただひたすらに呵責の念の嵐が吹き荒ぶのに耐え続けて、老後の人生を乗り切ろうとしていた。
それなのに、和田夫妻の嫌がらせじみた脅迫は止むことがなかった。
合計すれば数百万円も包んだようだ。
だから、それで和田夫婦が満足してくれたら良かった。
それなのに、何度も、彼らは脅しにやって来た。
脅迫に際限がなかった。
かくして、絶望した田中さんご夫婦は、ついに和田夫婦を亡き者にする決意をした。
和田智之と陽子の夫婦は間違いなく、田中さんご夫婦によって殺されたのだろう。
夾竹桃の串に刺された猪肉のバーベキューを食べて。
この事故物件の周囲を取り囲んでいる生垣は、夾竹桃によるものだ。
実際、夾竹桃は簡単に手に入る。
道路沿いの生垣に使われているので、園芸店で安価で売られているんだ」
竜胆光太郎社長は、タブレットを開いて、さまざまなサイトや書物によるデータを、私、神原沙月と、藤野亨に開示した。
そのうえで、眉を顰めながらも、自分が推察した結論を語った。
「毒草関連の書物によれば、夾竹桃は強い毒が、主に葉っぱにあるそうだ。
だから葉をちぎったりすると、白い液体が出てくるんだが、そいつに触れるだけで、ピリピリするらしい。
身体に摂取したら、下痢、嘔吐、めまい、腹痛などが始まって、冷や汗を掻き、脈搏が乱れて、最後には心臓麻痺を起こす。
致死量は体重1キロに対して、0.3ミリグラム。
つまり、20ミリグラムもあれば、大人一人を優に殺せてしまうってわけだ。
人間なんか、食べなくたって、舐めるだけでも死んでしまう。
それほどの、牛一頭をも、楽に殺せるほどの猛毒なんだ。
実際、フランスで、夾竹桃で作った串を使ったバーベキューを食べて、11人中7人が死亡したという事例がある。
その例に倣い、夾竹桃の枝を乾燥させて削って焼き串を作って、そいつに肉を刺して、和田さんご夫婦に食べるよう勧めたのだろう」
淡々と語る竜胆社長に対して、私はオズオズと口にした。
「ーーだったら、まずかったんじゃありませんか?
警官を返しちゃって……」
またも、社長は意外そうな顔をして、反問した。
「どうして?
ちゃんと、こっちから通報したのに、『事件性はない』って判断して帰っちゃったんだから、問題ないでしょ」
「事件の証拠だったら、あるじゃないですか。
このコンクリを砕いて開けたら、女の子の白骨死体が出てくるんじゃ……」
「おいおい、何でそんな無意味なことをする必要があるんだ?
僕はコンクリを砕く気なんて、さらさらないよ。
今まで僕が語ったことだって、あくまで推測ーーいや、僕の勝手な『妄想』に過ぎないんだから。
実際、僕らは死体なんて見てないんだし。
それに、さっきの警官も『事件性はない』って太鼓判を押してくれたんだから」
「あれは、社長がいかにも幽霊の噂にビビってるように見せかけたからーー」
「なに?」
「いえ……。
でも、その社長の『妄想』が真実かどうか、確かめたくはないですか?
そのコンクリを砕いてみればーー」
「嫌だね。
仮に砕いた結果、子供の白骨死体が出てきたとして、君はその事実を腹に収めて黙っていられるのか?
無理だろう?
結局、警察に通報ってことになる。
すると、どうなる?
現況保存ってことになって、長い間、この物件は売れなくなってしまう。
ほとぼりが冷めてから売ろうとしても、このまま売るよりずっと難しくなるだろう。
ーーとはいえ、そういった経済的なことは、じつはさして問題じゃない。
問題なのは、すでに亡くなった田中夫妻が必死に隠そうとしていた不幸な事故を暴くことで、多くの影響が出るってことだ。
『事件性なし』と判断した、さっきの若い警官は、確実に立場が悪くなるだろう。
そして、身重の結衣さんは、自分の子供を育児放棄した挙句に殺してしまった母親として起訴されて、長い裁判を経て、投獄されるだろう。
そうなると、今現在、お腹にいる胎児はどうなる?
生まれた途端に、とんでもない修羅場の中で生きていくことになる。
いや、それ以前に、結衣さんのショックはとんでもなく大きいだろうから、すでに六ヶ月の段階なのに、流産しかねない。
母胎も酷く傷付くだろうね。
そして、なにより可哀想なのは、結衣さんの旦那さんと三歳の子供だ。
これからの長い人生、殺人犯の家族として、生きていかなければならなくなる。
旦那さんも公務員を辞するかもしれないし、父子家庭を維持することもできず、家庭が崩壊するかもしれない。
他にも、いろいろと今後の影響が考えられるが……。
ーー要するに、僕の『妄想』が真実かどうかを興味本位で暴こうとすれば、それだけでかなりの心理的負担を多くの人が抱えることになる、ということだ。
僕が今までいろいろと推理してきたのは、真実を暴こうとしてのことじゃない。
事故物件にまつわる悪い噂を利用して、出来るだけ安く物件を買い叩くためだ。
そして、その噂による心理的瑕疵を出来るだけなくすための手段を考察するためなんだ。
勘違いしないでくれよ。
僕らは、警察官でもなければ、刑事でもない。
推理小説に出て来る、知ったかぶりをした、イケすかない私立探偵でもない。
単なる事故物件転売業者なんだ」
私は口を噤んだ。
先輩の藤野亨も黙っている。
そんな二人のスタッフを前にして、竜胆光太郎社長は、美しい顔を真っ赤に上気させて、両手を広げて断言した。
「『隠し部屋』のコンクリについては、壁の中にでも埋め込んでしまって、ここを普通のスペースにしてしまえば良い。
なに、心配は要らないさ。
買主がひょんなことからコイツを砕いて何かを見つけたとしても、僕は何にも見てなかったし、知らなかった、善意の第三者、一介の転売業者に過ぎないんだから」
そう話してから、地面に変な図を記す。
白いチョークで丸い図を記して、怪しげな呪文を唱え始める。
「なに、あれ?」
私の問いかけに、隣の藤野先輩は肩をすくめて、苦笑いを浮かべた。
「僕が聞いたところでは、密教か何かの祈願なんだって。
白色で円形の曼荼羅だから、『息災』ってのを祈ってるんじゃないかな。
マイナスのものをゼロにするっていう。
ほんとうは護摩焚きでやる技法なんだけど、面倒だから簡略化してるって」
「なに、それ?
社長って、何か宗教でもやってるの?」
「ははは。
そうでもないんだろうけど、かつて僕に言ってたよ。
『事故物件なんかを扱ってると、いろいろと験を担ぎたくなるものなんだ』って。
他にも、何か目的があるようだけど」
「ふうん……」
私は頭がこんがらがる思いがして、釈然としなかった。
が、そんな私とは対照的に、竜胆社長は晴れやかな顔で立ち上がり、胸を張った。
「僕たちは、もとより曰く付きの『事故物件』を扱ってるんだ。
不吉な噂があるのが当たり前。
だから、色々と見て見ぬふりをするのは、事故物件転売業者の嗜みってもんだ。
さあ、諸君は、それぞれの役目を果たしてくれ。
神原さん、インテリアデザイナーとして、コーディネートの方向性は決まったかい?」
私、神原沙月は背筋をピシッと伸ばして、頭を切り替え、お仕事トークを展開した。
「曰く付きの事故物件ですからね、基本コンセプトは、イメージ一新ってことで。
これまでのウッディな古民家な雰囲気も悪くないけど、趣を一変させるって決めたら、いろいろ考えられると思う。
まず、玄関扉は、淡いグリーンが良いわ。
よもぎ色ね。
たたきは、茶と白の配色の乱形ーー天然石を割ったような風合いで、美しくする。
そして廊下は白い無垢材を使いたい。
針葉樹は値段が安価だから経済的なうえに、優しい柔らかさがあるから、ここの廊下にちょうど良いと思う。
和室の畳も本格的に、イ草を使いたいわね。
やっぱり、畳の香りって癒される。天然の芳香だもの。
部屋によっては真ん中をくり抜いて、掘り炬燵を置ける仕様にするのも悪くない。
昭和の家族団欒の場ーー「猫とみかん必須です」的な。
そんな部屋があるのも、嬉しいよね。
ダイニングの床も、白い色にした上に、温かみのあるカーペットを敷くのも良いわ。
灯りも暖色系のライトで照らしたい。
キッチンは、濃い木目調で落ち着いた、雰囲気にしたい。
明るいビタミンカラーも好きだけど、無難に年齢を問わずくつろげるのは、ナチュラル感のある木目ですかね。
奥の洋室は、次の持主にとっても、構造上、プライベート性が強い部屋になるだろうから、ダークブラウンの床板に、シックなベージュのシルクスクリーンを置きたい。
そして、ゆっくりと寛いでもらえるような空間にしたら良いと思うの。
階段については、言うまでもないわ。
とにかく踏面を増やして、段数を増やす。
そうすれば段差は縮まるから、より安全に上り下りができるようになる。
そうね、東側、外に面した壁には、大きな窓を付けて、陽光が差し込むようにしたい。
階段下も有効に使って、かつて『隠し部屋』があった空間も、一帖ほどは残しておきたい。
収納スペースがあるってのは、安心するのよ。
心のゆとりと一緒ね」
美顔の三十代社長は、両手をパチン! と叩いて、上機嫌になった。
「よし、よし。
イケるぞ、この物件は。
『女の子の幽霊』『ハイキング客の毒死事件』『バッソン様の祟リ』ーー。
そういった噂の原因は、あらかた推測がついた。
だから、これ以上、悪い噂が立たないように手を打つこともできるし、買主に安全であることをアピールすることもできる。
もともと、この家自体は古屋物件だったとはいえ、大規模な増改築と修繕をされてるし、七つの部屋に、独立したキッチンルームやユーティリティ、屋外には巨大な浴場にトイレまである。
ハイキングコースに隣接していて、飲食店、宿泊所としての経営実績もある。
それが普通の住宅相場以下で購入できるんだ。
たとえ事故物件だという噂があっても、すぐにも買い手がつくだろうよ。
これは、かなりの利鞘が見込めそうだ。
ふふふ、これだから、やめられないんだよ、事故物件の転売業はーー」
◇◇◇
かくしてーー。
竜胆不動産が購入したことにより、この家は事故物件としての告知義務はなくなった。
その上で、神原沙月の指示に従って、大規模な内装・外装工事が美しく施された。
「隠し部屋」にあったコンクリの塊は、さらにコンクリートで何層にも塗り込められて、斜めになっていた南側の壁は垂直の、普通の白壁になった。
白木の祭壇は焼却された。
こうして、階段下の「隠し部屋」は、一帖程度の、スペースに生まれ変わったのだった。
リフォーム工事が終わった頃ーー。
竜胆不動産の面々は、さらに県外へと事故物件求めて立ち去っていたのだが、竜胆社長の目論見通り、この増改築された元事故物件は、即座に売れた。
福岡市出身の三十代のカップルが、脱サラしてカフェを始めるために購入した。
告知の義務はなかったが、仲介した大手不動産会社の古賀渚は、この場所でハイキング客の毒死事件があったことを正直に教えた。
加えて、「誤って毒草を摘んできて、食した結果と考えられる」といった事件当時の警察発表を伝え、さらに、この地域界隈には「バッソン様の祟り」の伝説があることも報せた。
が、買主は、そうした都市伝説めいたオカルト話を歓迎し、むしろ、お客を呼び込むために、うまいこと利用できないものかと、夫婦揃って思案し始め、ひたすら商売繁盛に向けて心を砕いているとのことだった。
◇◇◇
ちなみに売主の原田(旧姓田中)結衣は、四ヶ月後、無事、女の子を産んだ。
安産だった。
だがその後、家族で某神社へお宮参りに出向いたとき、石段から転げ落ちて、首の骨を折って亡くなってしまった。
まるで目に見えない何者かに足元にまとわりつかれていたようで、石段の上でバランスを崩した途端、転倒して、傍らにあった石塔に頭を打って、それからゴロゴロと石段を転げ落ちて行った。
「あっという間の出来事だった」と、茫然自失となりながらも、夫は証言したそうである。
(了)




