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或る天狼星の公安事情 The Cold Logic of Sirius: The Secret Record of Binary Star  作者: 霜月淡碁
第0章

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2059年3月7日

マーレセルロ市オートオルム区

10時15分


 マーレセルロ市北西のオートオルム区は、交通の便が良いことから、マーレセルロ市中心部をはじめ企業や工場が多い地域のベッドタウンとして機能している。

 シリオは知人が経営する自動車整備工場に預けていた愛車を受け取りに、学院の寮から電車とバスを乗り継いできた。

 寮のあるマーレセルロ市北部のザイルフォーア区からオートオルム区まで直通する鉄道路線がないことを、シリオは以前から不便に思っていた。普段は車を使えるが、整備中だったり酒を飲む予定がある時は、電車と本数の少ないバスを乗り継ぐか、電車だけなら大回りを強いられる。北部をバイパスする鉄道が欲しいと、シリオは思っていた。

 バスを降りて国道から一本路地に入った場所に、シリオの目的地がある。年季の入った自動車整備工場は今週末に移転開業する予定になっており、シリオの愛車がこの場所で整備される最後の車になる。

 敷地に入ると自分の愛車である赤いシボレー・コルベットC8が駐車されていた。多くの第二世界諸国同様、右ハンドル左側通行のクラリオン王国だが、アメリカと通じている関係上アメ車の流通量は多い。それでも、40年前の旧車はマイナーな存在だった。

 コルベットの近くには、整備場の主の車なども駐車されているが、その中に白の2021年モデルの日産・R35GT-Rがあった。第二世界でもレプリカが生産されるほどの人気車両だが、オリジナルのR35は34年前に生産を終えている希少車だ。その貴重な車を乗り回す人間を、シリオは一人だけ知っていた。

 「ドム、いるかー?」

 「おー、来たか」

 声をかけながら事務所に入ると、自動車整備場、ディゼルファクトリーの店長、ドミニク・ディゼルは、椅子に腰かけたまま答えた。

 スキンヘッドのマッチョな男は人生の大半を車に捧げてきて、運転も整備も慣れたもので、エンジンの分解から電装品の改造まで、車に関することは大抵こなす。

 そんな男と机を挟んで向かいに、一人の青年が座っていた。優男のような顔立ちだが、眼には獲物を狩るような鋭さを持つ。

 「なんだ、シリウスもいたのか」

 「久しぶり」

 シリウス・ループスは机に両肘をついたまま短く応える。

 「ノヴァインレットからはるばる、今日は引っ越しか?」

 「ああ…その様子だと、編入の話はルドリナから聞いてるようだな」

 「しがらみの多いバリウェスト校にようこそ」

 シリオは、物好きを見るような目でそう言った。

 「その様子だと相変わらず派閥争いしてるのか」

 「好きでしているわけじゃないがな。で、どこに住むんだ?」

 シリオが質問すると、ドムが口をはさんだ。

 「ここだよ」

 「ここ?」

 「新しい整備場に俺らが引っ越すから、ここの住居部分を賃貸にしようと思ってな。なんせ新しい整備場に金かけすぎて、こっちの取り壊し費用がなくてな」

 「そういや住居兼用だったな。で、入居者第1号がシリウス(こいつ)か」

 「それに第1号特典で、母屋の入居権プレゼントだ。離のアパートと違って戸建てだぞ」

 「俺は離れでもよかったんだがな」

 この整備場にある住居は、ドムとその家族が住んでいた母屋と、従業員が住んでいたアパートのような離れがある。

 「そう言えば、シリオも引っ越ししようか考えているんだってな?ルドリナから聞いた」

 「あ?ああ、そうだが?」

 「お前もここに引っ越せば?」

 ドムはドヤ顔で提案する。

 「なぜドヤる?」

 「なんなら、シリウスとシリオで母屋シェアしたら?」

 再びドムはドヤ顔で提案した。

 「知り合いとはいえ、なんで付き合ってもない男女を同棲させる?」

 「付き合っていても、いきなり同棲はしないだろ」

 シリオとシリウスは微妙な表情を返した。

 「そうか?俺が若い頃は、付き合うとか関係なくシェアしてたし、付き合ってないけどシェアハウス長く続けてた奴もいるぞ」

 ドムはあくまでもハウスシェアリングを勧めたいらしい。

 「まぁ、候補に入れといてくれや。それより、これ取りに来たんだろ?」

 ドムはシリオに向かって車のキーを投げてよこした。コルベットのキーだ。

 「ああ、ありがとう…それじゃ行くか?」

 「あ?」

 急に振られて、シリウスは間の抜けた声を出してしまう。

 「表のGTR、お前のだろ。走りに行くぞ」

 「走りにって、どこに?」

 「いい場所がある。ついて来い。ドム、あの場所借りるぜ」

 そう言って、シリオはシリウスの返事を待たずに事務所を出た。

 「行って来いよ。引っ越しも済んだんだし」

 ドムは揶揄うような笑顔で促した。

 シリウスは渋々腰を上げ、愛車に向かった。


-----


11時30分


 ドムの整備場を出て数十分、シリウスとシリオはそれぞれの愛車を、マーレセルロ市郊外のロッジストーム区まで国道を東に走らせて来た。

 目的地がわからないシリウスは、シリオのコルベットを見失わないように、車間距離を詰めて追いかけていた。幸い、交通機動隊に遭遇することはなく、車間距離保持義務違反を指摘されることはなかった。

 しばらくして、シリオは何かしらの敷地に入り、シリウスも続く。

 かなり広い敷地はどうやらサーキットらしい。

 サーキット内の駐車場には、スポーツカーやSUV、さらにはそれらを積載したカーキャリアがおり、その周りには多くの若い人々がいた。

 「シリオ様、お待ちしてました!」

 シリオがコルベットから降りると、自然と人々が集まってくる。彼らはシリオが束ねているグループのメンバー、要は彼女の取り巻きだ。

 騎士魔法学院の学生を含む、市内の学校に通う学生たちだが、多くはお世辞にも素行が良いとは言い難い、一言で言えば不良たちだ。

 「今日は知り合いを連れて来た。運転技術は控えめに言って、お前らより圧倒的に上だから、張り合おうと思うなよ」

 シリオはシリウスをそう紹介した。

 「シリオさんがああ言ってるんだ」

 「そうとうやばいんだろうな」

 「車見てよ、R35だよ。レプリカじゃない本物だよ」

 取り巻きたちは、シリウスとR35を見てそう言い合った。

 「別にそこまで大したものじゃない。シリオ、このサーキットはなんだ?」

 「ドムが管理してるサーキットだ。私らがよく借りてる」

 「サーキット運営まで手を出していたのか、あの親父」

 「ここはいいぞ。この辺りは住宅が少ないから、夜遅くまで走っても騒音の迷惑になることはないからな」

 「で、ここに俺を連れてきてどうすんだよ」

 「サーキットだからレースするに決まってるだろ」

 シリオは当然だろうと言いたげな表情を見せた。


-----


13時50分


 気が付けばサーキットに集まった人と車が増えていた。シリオのグループ以外の人間も合流し、キッチンカーによる屋台まで出ていた。学生の野良レースだけで、1つの産業が確立している。

 「王、お飲み物をお持ちしました!」

 「うむ」

 誰かが用意した椅子に座りながら、シリウスは隣のやり取りを聞いていた。

 いつの間にかグループを引き連れて来ていたフェヴァルは、当然のように飲み物を取り巻きに用意させていた。

 「王って…」

 「うちのグループの日常っす。気にしたら負けっすよ」

 引き気味のシリウスに、ヴァリシアが耳打ちした。

 シリウスはこの赤髪の少女が、フェヴァルにため口であること、取り巻きたちの挙動から、グループ内ではかなり地位が高いことに気づいていたが、それは特に言及しないことにした。

 「バリウェスト校の女は、取り巻きを持つのがステータスなのか?」

 「実力者には民が集うものだ」

 シリウスはヴァリシアに聞いたつもりだったが、フェヴァルが得意気に答えた。

 「ずいぶんと自信満々だな」

 「確かに私は王族でもなんでもないが、王と呼ばれるに相応しい実力は持っている自負がある。王は自らに自信を持つものであろう?」

 「であろう?って…それでよく警察官が勤まるな?」

 「ほぉ…私が非常勤とはいえ警察官と見抜くとは」

 「君だけじゃない。君…ヴァリシアだったっけ?君もそうだし、臣下も警察官が多いだろ」

 「根拠は?」

 「バリウェスト州警察官職務規定法第4条。『州警察官は警察手帳、拳銃を常に携行しなければならない。ただし、非番時に次の場合に該当する場合、その限りではない。1、盗難、紛失の可能性がある場合。2、旅行に行く場合。3、飲酒をする場合。4、武器の携行が禁止された場所に行く場合。5、予備警察官にあっては、本業に従事する場合』だろ?フェヴァルは腰右側のヒップホルスターに拳銃を入れて上着で隠している。ヴァリシアは、左脇のショルダーホルスターに拳銃を吊るしてる。警察手帳は、それぞれズボンとスカートのベルトループにランヤードを装着して左ポケット」」

 「ご明察」

 「服越しによくわかるっすね」

 シリウスの洞察力に、フェヴァルとヴァリシアは感心した。

 「親睦は深まったようだな」

 シリオが声をかける。隣にいるオルフェには、シリウスは数分前、挨拶をした程度で、まだ親睦が深まったとは言い難かった。

 「それじゃ、メインレースを始めるとするか。ルールはメインコースを3周、勝った奴が賭け金総取りでいいな?」

 シリオは話を進める。

 シリウス以外の人間は、よくあることと慣れているのか、財布から賭け金を出してシリオに渡すと、自分の車に向かう。

 「いつも金賭けてるのか?」

 「1人当たり1000ラダー(日本円換算1万円)以下なら合法だろ」

 シリウスは1000ラダー札1枚を渡してR35に向かった。

 レースをしないという選択肢は無さそうなので、シリウスは素直にレースに参加することにした。

 メインコースのスタートには、ご丁寧にスタートシグナルが設置されており、スタートラインに5台の車が並ぶ。

 シリウスのR35、シリオのコルベットの他に、フェヴァルが2035年式のトヨタ・GR86、オルフェが2020年式のシボレー・カマロ。ヴァリシアだけ2050年式トヨタ・プリウスとスポーツカーには分類されない車だが、ボンネットに吸気口が増設され、低速走行時でもエンジンを使うなど、エコカーのアイデンティティを捨てた改造が施されているのが窺えた。

 スタートシグナルが赤から緑に変わった瞬間、まずプリウスが飛び出し、86、カマロ、コルベット、R35の順でレースが始まる。

 スタートから数秒後、R35以外の4台は順番が頻繁に入れ替わりながら、コースを疾走する。一方、このコースを初めて走るシリウスは、様子を見ながら走ることを余儀なくされ、R35の性能を発揮しきれない。

 だが、ファイナルラップになると話は変わる。

 コースの特性を把握したシリウスは一気に速度を上げ、先行車を次々追い抜いていく。

 コーナーでR35を勢い良くドリフトさせ、シリウスは横Gに耐えながら、先頭を走るシリオのコルベットに迫る。

 シリオも譲らないが、シリウスは最終コーナーのほんの僅かな隙を突いて先頭に躍り出ると、最終直線でアクセルを限界まで踏み込み、そのままゴールを決めた。


-----


マーレセルロ市ノースマーレ区

19時30分


 「悪いな。買ったのに奢ってもらって」

 「もともとみんなの金だ。割り勘だと思えばいいし、いい感じの店も教えてもらったしな」

 掛け金を総取りしたシリウスは、シリオに教えてもらったバー、アイライズにシリオ達を誘い夕飯をご馳走していた。

 アイライズは、ギムレットとミリーがアルバイトをしている店で、酒の種類やオリジナルカクテルに自信がある一方、食事メニューも充実しており、価格も良心的だ。

 「ドムのメインコースは、わざと走りにくくなっているのに、よくこの4人相手に初見で勝てたな」

 皿を並べながら、ギムレットは今しがた聞いたレースの結果に驚く。

 「それだけ幸運の女神に愛されていた、てことだろう。ほら、勝者への祝杯だ」

 ミリーはそう言いながら、シリウスにノンアルコールカクテルを渡した。

 「ありがとう。ヴァリシアのプリウスの加速には驚いたな。モーターをブースターにしてるのか?」

 「その通りっす。回生ブレーキの機能は残してあるんで、コーナーでブレーキかけて立ち上がりでブーストができるっす。でも、元がスポーツカーじゃないんで、重さがネックっすね」

 「プリウスよりR35の方が重たいだろ?」

 「そうなんすか?」

 フェヴァルが口を挟み、ヴァリシアが聞き返す。

 実際、R35は1.7トン弱から1.8トン弱の重量があるのに対し、プリウスは1.5トン弱で、プリウスの方が軽い。

 「まぁ、軽ければいいという話ではないし、エンジンスワップしてるとは言え大衆車であの速度出せるなら上出来だろ」

 「でも、シリオ。エンジン交換してより重たい車に負けるのは、すごく悔しいっす」

 ヴァリシアは頬を膨らませ、その様子を隣で見ていたオルフェは笑いを堪えながらモクテルを口に運んだ。

 「シリウス、ドーウェン侯爵の世話になっていたと聞いたが、ニウスリックで生活してたのか?」

 ふと、フェヴァルは何気なく質問した。

 「そうだ。ニウスリック警察で予備警察官していた」

 「侯爵とは付き合い長いのか?」

 「子供のころから」

 フェヴァルはシリウスの返答から、恐らくは彼が子供の時には既に親は亡く、ドーウェン侯爵の実質的に養子の様な形で育ったのだと推測したが、それを言葉にすることはなく内に留めた。

 「シリオとも長いのか?」

 「シンビィード家の別荘がニウスリックにあるからな」

 ドーウェン侯爵領ニウスリック自治州は、普段は農業で栄える土地だが、夏は避暑地、冬はウィンタースポーツで有名なリゾート地であり、貴族の別荘も多い。別荘を訪れた貴族が侯爵に挨拶に来ることも多い。

 「逆にあんたらも、シリオとは長いのか?」

 「同じ学校だが、ここ1年程度の関係だよ。学年も違うしな」

 シリオはそう言って、モクテルを飲み干した。

 「にしては、ずいぶん仲がよろしいようで」

 「同じ部署だからな。同僚と仲良くするに越したことはないだろ」

 ふと背後からの声に、シリウスは振り返った。

 「チェン警視」

 「昨日ぶり、シリウス」

 公安特殊捜査部第四課のボス、シズカ・チェン警視は、クラリオン女性では少数派の龍人。龍人の特徴である龍を思わせる2本の角を持つ。

 クラリオン国民は、獣人と人間の混血で女性のみ馬系統獣人としての特徴が現れるクラリア人、獣人としての特徴を持たない通常の人間であるアンメイク、男性含め馬系統獣人以外の亜人の特徴を持つメイクドの三種に大別されるが、少数派であるアンメイク、メイクドの管理職はあまり多くなく、その上シズカは若くして警視まで登り詰めた実力者という点でも、貴重な人材だった。

 シリオ達、412班のメンバーたちは、シリウスとシズカが知り合いだということに、少なからず驚いていた。

 「チェン警視、シリウスと知り合いで?」

 「私もドーウェン侯爵とは長い付き合いだからな」

 世の中は狭いとはよく言ったものである。

 「リクトとクリスがいないが、ちょうど揃ってるし。412の欠員補充がこいつだ」

 「…え?」

 唐突なことに、ヴァリシアが間の抜けた声を発した。

 「明日付けをもって、シリウスは412班に配属される」

 シズカがそう宣言した。

 「本当ですか、課長」

 「そうだ、シリオ。実力に関しては私が保証する」

 そう言われては、シリオ達は文句の言いようはない。

 州警察の中でも屈指の戦闘のプロフェッショナルが、保証すると言い切る実力。戦闘部隊である公安特殊捜査部は徹底した実力主義であり、実力がある者を拒む理由はなかった。

 「課長がそうおっしゃるなら」

 「まぁ、急に言われて戸惑うのも仕方ない。ただ、シリウスの実力は一級品だ」

 「そこまで持ち上げられるほどではないです」

 シリウスの実力を評価するシズカに、シリウスはやれやれといった様子でそう言う。

 「それに必要なのは戦闘だけではないでしょ?」

 「それはそうだ。捜査に必要な各種技能や推理力も必要だし、我々は現場へ真っ先に臨場する性質上、現場保存や鑑識技術、場合によっては爆弾処理の技術も必要だ。その点でも、お前を買ってるつもりなんだが?」

 「買い被りすぎですよ」

 「お前の実績を見れば、少なくとも足手まといになるようなレベルではないだろ」

 「人に見せられる実績ではないですが…まぁ、足手まといにはならないことは約束できますよ」

 シリウスは苦笑しながら、モクテルを口に運んだ。

 この時、シリオ達は『人に見せられる実績ではない』の意味に気づいていなかった。

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