03.日常
GRSI本部のあるセントラル・オービタル。巨大な構造体の中枢は、今日も銀河鉄道の運行を支える無数の光と情報の奔流で満ちていた。しかし、その喧騒から隔絶された場所で、チームYのメンバーはそれぞれの日常を送っていた。
GRSIの訓練場、仮想現実シミュレーションブースに、エミリーの集中した眼差しがあった。彼女が選択しているのは、超高難易度の狙撃訓練モードだ。秒速数百メートルの風、不安定な足場、そして隠蔽された複数のターゲット。通常の狙撃手なら、一発も命中させることなく心が折れるような状況だが、エミリーのスコアは常にパーフェクトを表示していた。
最後のターゲットが煙となって消えると、シミュレーションが終了を告げる。ブースのハッチが開き、エミリーは淡々とした表情で外に出た。額にわずかに汗が滲んでいるものの、その顔には達成感も、疲労も見て取れない。
「お疲れ様です、エミリーさん。今回も完璧でしたね」
訓練場の管理AIが、彼女の卓越した腕前を称賛する。
「ええ。普通よ」
エミリーは簡潔に答えた。彼女にとって、このレベルの狙撃はもはや日課であり、呼吸をするのと変わらない。内に秘めた優しさは、訓練の場では決して表に出ることはない。彼女はただ、与えられた任務を、求められる精度でこなすだけだ。その静かな佇まいには、どんな困難な状況でも動じない、絶対的な自信が宿っていた。
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GRSI本部の最深部にある、専用のトレーニングジムからは、常に唸るような音と、金属がぶつかり合う重い音が響き渡っていた。
イヴァンは、その中心で黙々と肉体を鍛え上げていた。彼のメニューは、常人からすれば想像を絶するハードなものだ。数十キロのウェイトを軽々と持ち上げ、高密度のサンドバッグは彼の拳で原型を留めないほど凹んでいる。彼の屈強な筋肉は、鍛え抜かれた鋼のように盛り上がっていた。
「ハァッ……ハァッ……!」
荒い息遣いと共に、イヴァンが特製のロープを打ち下ろす。汗が全身から噴き出し、床に小さな水たまりを作る。だが、その顔には苦痛の色はなく、むしろ充実感に満ちていた。
「イヴァン、休憩も必要だぞ。無理はするな」
ジムのAIが、彼のバイタルデータに異常がないか確認しながら忠告する。
「うるせぇ!こんなの、日課だ。これくらいやらなきゃ、体がなまっちまう」
イヴァンはガサツな口調で言い放つ。彼の肉体は、どんな状況でも仲間を守り、敵を打ち砕くための、最も原始的で、しかし最も信頼できる「武器」だ。
彼のトレーニングは、単なる肉体改造ではなく、GRSIのエージェントとして、そしてチームYの一員としての、彼の存在意義そのものだった。
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銀河鉄道統合指令室の、広大なサーバールーム。無数のサーバーラックが立ち並び、冷却ファンの駆動音と、情報の光が絶え間なく瞬いている。
ノアは、その中でも最もセキュリティレベルの高い区画に一人、キーボードとディスプレイの前に座っていた。彼の目は、超高速でスクロールするコードと、複雑なネットワーク図を追っていた。
「くそ……やはり、一筋縄ではいかないな」
ノアは、珍しく額に皺を寄せ、小さな声で呟いた。
彼が取り組んでいるのは、銀河鉄道全体の更なるセキュリティ向上に向けた、次世代ファイアウォールの構築プロジェクトだ。様々な事件で露呈した、既存システムの一部脆弱性を克服するため、彼は昼夜を問わず研究を続けている。しかし、その道は想像以上に険しい。
「このルートを潰せば、あちらに新たな脆弱性が生まれる。最適な解が……見つからない」
完璧なシステムエンジニアであるノアにとって、自身の論理が通用しない状況は、何よりも歯がゆい。彼は常に完璧な論理と効率を追求するが、宇宙の広大なネットワークは、彼の想像をはるかに超える複雑さと、時折現れる不確定要素を秘めている。彼は、自身のハッキング能力を駆使し、あらゆる可能性を試すが、未だ理想の形には到達していなかった。
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銀河鉄道本社の裏手に位置する銀河鉄道病院の、清潔な待合室。カケルは、少し緊張した面持ちで、ミリアムの診察が終わるのを待っていた。
リュミエールでの事件以来、ミリアムは定期的な身体検査と、精神的なケアを受けている。彼女の空間認識能力が、コレクターによって強制的に悪用されたことで、身体に予想以上のダメージを負っていたのだ。
やがて診察室の扉が開き、ミリアムが明るい笑顔で出てきた。
「はーい、診察終わり!今日の先生も美人さんだったよ!」
いつもの快活な声が、待合室に響き渡る。
「ミリアム、体調はどうだ?無理していないか?」
カケルは、すぐに立ち上がってミリアムに駆け寄った。彼の顔には、心配と、そして深い申し訳なさの色が浮かんでいる。あの時、自分がもっと早く、もっと完璧に状況を把握していれば、ミリアムにこんな苦痛を味合わせることはなかったのではないか。その思いが、彼の心を締め付けていた。
ミリアムは、そんなカケルの様子を見て、首を傾げた。
「えー?カケル、どうしたの?私が元気がないみたい?」
彼女は、カケルの顔を覗き込むように見上げると、いつものように屈託のない笑顔で彼を励ました。
「大丈夫だよ、カケル!もうほとんど回復したって先生も言ってたもん!それに、あの時はカケルがすぐに助けに来てくれたから、私、頑張れたんだよ!カケルが来てくれなかったら、もっと大変なことになってたかも!」
ミリアムは、カケルの手を優しく握り、まるで彼の不安を吹き飛ばすかのように、パッと明るい笑顔を見せた。
その瞬間、カケルはミリアムのその明るい「音」が、自分の心の奥底の不安な「振動」と、不思議と重なり合うような、微かな感覚を覚えた。それは、すぐに消え去るような、掴みどころのないものだったが、彼の胸に奇妙な余韻を残した。
彼女の底抜けの明るさは、どんな時でもチームの光だ。その笑顔に、カケルは少しだけ胸のつかえが取れたような気がした。
「ああ、そうだな……ミリアム、ありがとう」
カケルは、ミリアムの言葉に救われた思いだった。だが、彼の心の中には、まだ「想定外」を許さない、より完璧なリーダーを目指すという、静かな、しかし確固たる決意が燃え上がっていた。




