プレイングメッセージ【中編という名の蛇足③】
「サイレント・ハンドサイン」
彼女はおもむろに言った。
「何?」
「DV被害を訴えるためのサインだよ。親指をゆっくり握り込む動作を、そういう意味のジェスチャーにしようって決めたの。カナダ発祥」
手のひらを僕に向けて、親指を内に折ると、他の四本の指でそれをゆっくりと握り込んだ。
「DVを受けています」
手が喋っているように言った。
「助けてください」
「それと男の子と、何の関係が?」
「その子なりのサインだったのかも」
「遊んでいるようにしか見えなかったけど」
「本来、目の届くところに加害者がいても、隠れて訴えを起こせることに意味があるの。普段と同じ態度で、カモフラージュしながら、助けを求められることが重要」
あの場に加害者がいた、とでも言うのだろうか。
天真爛漫な笑み。思い返してみても、それは健全なハナタレ小僧の姿だった。DV被害者とは思えない。
「もう一人いたんでしょう?」
「ああ、少し大きなお兄ちゃんが」
「サインを出せない誰かの代わりに、勇気ある行動を示したのかも知れない」
やつれたお母さんの顔が目に浮かぶ。
育児に疲弊した母親、だとばかり思っていた。しかし、何らかの暴力を受けていた?
「家族に向けられた加害を見かねて、長男が次男の手にメッセージを書いた、のかも。次男は何も知らず、それを他人に見せた。長男は誰かに、母親の被害を間接的に訴えたかった、のかも」
もし、本当にサインだったとしたら、サインを目撃した僕に一体何ができただろうか。
「カタカナのイ、それから、カタカナのト」
「うん、僕にはそう見えた」
子どもの手に書かれていた文字なのか記号なのかわからないもの。
二文字。
「どちらも『ト』だったのかも」
「ん?」
「トト」
「……父」
彼女は、僕の手を取ると、そこにシャーペンで書き込む真似をした。
「遊びまわる元気な弟の手に文字を書くのは至難の業だった。二文字目は歪み、回転してしまった」
書き終えたシャーペンを置いて。
「のかも」




