プレイングメッセージ【中編という名の蛇足①】
薬を受け取って、アパートへ帰った。
……処方箋で薬をもらうとき、あまり「買った」とは言わないという感覚があるのは僕だけだろうか。
自分でどれがいいかを選ぶわけじゃないから、対価を払って手に入れるものであっても、購入とは少し違う気がしてしまう。
ドラッグストアで市販薬を買う場合はその限りではない。
健康保険による費用負担軽減があることも関係していそうだ。
どこか、医療と経済を分けて考えてしまう潔癖さのような感覚もある気がする。
「おかえり」
そんなことをぼんやりと考えながら部屋のドアを開けると、なんと彼女が待っていた。
「あれ、何で」
「何でって、風邪引いたんでしょ?」
そう言って僕の手から薬の入ったビニール袋を取り上げる。
「恋人として看病してあげる」
「いや、そうじゃなくて。どうやって中に入ったの?」
「まあ、おかゆ作るから、細かいことはいいじゃない」
部屋の奥へさっと振り返る彼女。
本当に、いつ見ても可憐だ。安いワンルームのアパートにはとことん似合わない。高級な化粧品CMのような絵面に、脳の処理が追いつかずコマ送りになる。それは静止画としての美しさを伴って、彼女自身が美術作品であるようにも錯覚する。
長い黒髪と白いワンピースという普遍的でアイコニックな姿は、名画のキャンバスを切り抜いたよう。
これが僕の彼女というのだから、驚きである。
いつ、頭上から鉄骨が落ちてきて死んでしまっても、全くおかしくない。人生の幸運と不幸の収支バランスを毎日、消費者金融で借りまくって崩壊させているような気分だった。
そう感じるのには、つまり、ギブアンドテイクであるという感覚がないからだ。
なぜ彼女が僕と一緒にいるのか、その決定的な理由がわからない。聞いてしまったら壊れてしまいそうで聞けない。しかし、だからといって、美人局にしては、僕は何も捧げていない。
あるとすればただ、彼女の暴力に日々耐えていることくらいだが、それも、例えば今日のような、見るからに僕が弱っているときにはぴたりと止む。
それはもしかすると僕が知らないだけでサディスト入門書の一頁に書いてあることなのかもしれない。
つまり、本当に重体になってしまうような一線は超えないという作法は、基本のキなのかもしれなかった。
ここまで考えてわかることは、とどのつまり、僕らは恋人関係らしいが、だけど、まだそこまで深い関係ではないということである。
「何で」
「私がこの部屋の中に入れる理由と、入れない理由、どちらも同じくらい用意できるわ。いくらでも手はあるもの」
彼女はテーブルの上に袋を置いてから、再び廊下へ戻り冷蔵庫を開けた。
「本当は、有り合わせのものでチャチャっと手料理できちゃう系女子を演出しようとしたんだけど、下調べをしたらあまりに何もなかったから、買い足しちゃった。見て見て、手羽コニク。アイコニックみたいな名前じゃない?」
彼女は白いトレイの肉を僕に見せて微笑んだ。その悪魔的な可愛さに目が眩んで、足腰の部品を繋いでいる紐が緩みかけた。なんとかすんでのところで引き締めることに成功して、部屋の奥へ足を踏み出せた。彼女の後ろを通るときに、べらぼうな良い匂いがした。そのせいで、ギリギリのところで持ち堪えていた糸がぷつりと切れた。
バタン。
「大丈夫!?」
僕は床に突っ伏した。
「すごい熱」
驚いてしゃがみ込んだ彼女が僕の身体に触れて言った。
握り込んだ拳か、振り下ろされた踵以外では久々に感じる、彼女の感触だった。
「死なれては困るのよ。私の刑事責任が問われかねない」
「ただの風邪。死なないよ」
「早く回復してくれないと困るのよ。殴りたい用事が他でできたの」
「あ、僕って八つ当たりされてたんだ」
「冗談よ、起き上がれる? 私じゃ運べないわ」
「うん」
「運べたとしても、面倒よ。這ってでも行きなさい」
この非力さと加虐性がたまらない、と朦朧とする意識の中で判然と考えた。