表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

赫い余波

作者: 汐見瑠依

 ティラント、ティラント、ターチカト。星が瞬く、音がした。こんな夜は空気の純度が高い。思いきりのびをして、夜気を取りこむ。冷たい空気が肺を冷やした。ひんやりとした空気の塊に押し負けて、思わず窓を閉める。さっきの景色がそのまま、色を失って切り取られているのが見えた。星じゃ、なかった。高架を這う無数のヘッドライト。ビルやマンションのあかり。高くそびえるスカイツリーの煌びやかな点滅。それらの残像が刹那にアイリスアウトして、私を穿ちながら洗い流されてゆく。湿っぽい塩味が鼻腔を抜ける。もうあの音はしなかった。


 知的で大人びた横顔。存在感を放つハイブランドの腕時計。仕立てのいい服。物静かで控えめな態度。あなたは、私に静かな衝撃をもたらした。今まで出会ったことのある誰とも違っていた。何とも言えない謎めいた感じが好奇心をくすぐる。こういう人を「つかみどころのない人」というのだろうか。一目惚れとか、恋愛対象(好きなタイプ)とか、そういうことではなかった。ただ、あなたは私が心から「知りたい」と思った最初の人かもしれない。時々頬を横切る翳りの、趣味を語るときの嘘みたいな饒舌さの、その理由(わけ)が知りたかった。



「遠慮しないで。何でも言って」

 あなたはいつも私にそう言っていた。私は決まって、

「大丈夫」

 と返す。

 早く帰りたい。体調が悪い。疲れた。赤黒くて粘着質な辟易は、今日も私の喉元に引っかかったままだ。声帯がその音を形作ってくれない。冷たい空気の塊が、私の喉を閉塞している。あなたは気づかないし、気づかなかった。これからも気づかないだろう。私の躰はもうこんなにも冒涜的嫌悪で満ちているのに。


 あなたは、搦め手がうまかった。今日は勝てると思っても、いつの間にかあなたの中にいた。中の外は中。中の中の外も中。結局どう足掻いても、あなたに沈んでいく。泥濘が、私の両足を掴んで離さない。抗えない波に、徒労感が募る。くやしい。


 あなたは、嘘をつくのがうまいのだと言っていた。あのとき私を心配してくれたのも、努力して得た成果をほめてくれたのも、嘘だったのだろうか。疑念が思い出を曇らせる。自分の言葉の重みや価値を自ら軽くしようとするなんて、愚かしい。あなたは知らなかったのだろうか。自分を信じ、愛してもらうための術を。その無知は、哀しく黒光りしていた。


 黒い無知は、形骸化した言動を生んだ。伽藍洞な言葉の中身を抉りとってみても、実質的な中身なんてなにひとつなかった。いや、中身はあったが目を背けたかっただけかもしれない。その中身を抉り取った鈍色の匙に乗っていたのは、生々しくて赫い、剝き出しの果実だった。その赫さは、さながら毒々しくて攻撃的な猛獣のようだった。綺麗なんて、とうてい思えなかった。なんて冒涜的なのだろう。私はあなたの赫い本能を昇華させるための(イレモノ)にすぎないのだろうか。そう思ったら、あなたの言葉も、態度も、考えも、そのすべてから赫が滴って滲んでいるようで気味が悪くなった。あなたと過ごした、なにげない過去の記憶を掬いあげる。水揚げされた記憶は、どれも赫に染まっていた。ぜんぶ、洗い流してしまいたかった。最初から何もなかったかのように。真っ白にしてしまいたかった。思い出を漂白しても、どこかに赫の残滓が残る気がして、無気力になった。



 あなたは、知らなかっただけかもしれない。

 あなたは、愛されたかっただけかもしれない。


 わたしは、愛したかった。

 わたしは、愛せなかった。

 わたしは、愛さなかった。


 わたしたちは、黒い無知で互いを冒涜していた。

 翳は、少しずつわたしたちを覆っていった。


 すこしずつ、少しずつ、少しずつ。




 都会的で硬質な光は、いつだって私をあなたのもとへいざなってしまう。

 わかっている。だから今日も、私はそっと瞼を閉ざす。

 赫も黒も白も混ざり合った脳裏で、わたしは今日も夢をみる。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ