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幼い頃、父の大きな背中に背負われて微睡んでいたのを覚えている。涎を垂らして汚したけれど、父は笑って許してくれた。
探索者をしていた父の背中はがっしりとしていて、手も大きくて頭を撫でられるととても痛かった。
そんな父はダンジョンで死んだ。
父の仲間という人が、父の使っていた装備を持って家に訪ねて来ると、父の死因を報告し頭を下げていた。
仕事中の事故だった。
オークを狩っている最中に、多くのオークが襲って来て飲み込まれた。探索者間ではプチ氾濫と呼ばれている現象のようで、小規模だが多くのモンスターが発生するそうだ。
注意はしていたそうなのだが、父の立っていた場所がモンスターから一番近かったらしく、逃げれなかったそうだ。
運が悪かった。
それだけ言って、父の仲間は帰って行った。
母は直ぐに行動に移した。
先ずは今住んでいるマンションから市営住宅へと住居を引っ越し、妹と弟を預けられる保育園へ手続きを行なった。そして、自分が働ける職場を探し出し、パートではあるが父の葬儀後から直ぐに働き始めた。
まるで父の死を悲しんでいないかのような行動力だったが、夜中に母が泣いているのを見ていたので、何も言えなかった。
母の助けになりたいと、家事を覚えて兄弟の面倒を積極的に見るようになる。
毎晩疲れている母に代わり夕飯の準備をして、朝早くに起きて朝食も作っている。中学に上がる頃には料理のバリエティも増えており、家事の要領も良くなり、少しだが友達と遊ぶ余裕も出来ていた。
学生ながらにアキヒロは良くやっており、母も必死に働いたが、生活が良くなる事はなかった。
母の職場が倒産して、更に給与の安い職場に代わったのが原因だ。下がった分の給与を補填しようと、掛け持ちの仕事も始めた。足りない分を周囲の人にお願いして借金した事もあり、更に仕事を増やした。
「お母さん、無理しないで。 僕も働くから」
「大丈夫よ、あんたは勉強してなさい。 家事もやってもらってるし、ユウマとリナの面倒見てくれているんだから、もう十分よ」
心配したアキヒロが疲れた母に言うが、困ったように拒否される。
しかし、無理はいずれやって来る。
母が倒れたのだ。
最初は夏の暑さによる熱中症かと思われたが、長年の無理が祟り、自律神経失調症や不整脈、軽度の鬱病を診断され長期の安静を言い渡された。
「アキヒロごめんね、直ぐに良くなって働くから」
布団に倒れた母が、申し訳なさそうにしているのが辛かった。
弟や妹も心配そうにしており、直ぐに良くなるから大丈夫だよと言って安心させる。妹は母と一緒にいれるので嬉しそうだが、色々と察している弟のユウマは不安そうにしていた。
生活は更に苦しくなる。
アキヒロは何とかしないといけないと考えて、反対されていたバイトを始めた。それでも生活は楽にはならない。弟と妹にひもじい思いをさせたくなくて、どうにかしようと悩んで悩んで、高校の友人のサトルに相談したところ、
「探索者って稼げるらしいぞ」
良い笑顔でそう教えてくれた。
良い笑顔だが、何か悪い事を企んでいる笑顔にも見えて、信じて大丈夫だろうかと心配になる。
友人の言葉を信じて、その日の放課後ダンジョンに向かった。サトルがアキヒロ一人じゃ心配だからと言って付いて来てくれたのだが、何か裏がありそうで逆に心配になる。
「これで俺もモテモテだ」
サトルが何か独り言を呟いているが、敢えて突っ込むような事はしない。
学校が午前中で終わった事もあり、昼にはダンジョンに到着したが、ここで問題が生じる。
「……登録料ですか?」
探索者協会、通称ギルドの受付で探索者登録したいと申し込むと、登録料と保護者の許可が必要だと言われてしまった。
アキヒロは許可も登録料も持ってはおらず、サトルはいつの間にか許可を貰っていたようだが、肝心の登録料五万円を持っていなかった。
「出世払いとか出来ません?」
「認めてません。 これは個人的な意見ですけど、学生は探索者に成るのは止めた方が良いですよ。学校でよく学んでから来るべきだと思っています。これはあくまでも個人的な意見ですからね」
「そこら辺にしときな、それ以上は職員の権限を逸脱してるよ」
受付のお姉さんに優しく忠告を受けていると、今度は受付のお姉さんが年配の女性職員に注意されてしまう。
殆ど隣に居るのに、一体いつからそこに居たのか気付かなかった。
受付のお姉さんは、年配の女性に謝っている。
年配の女性も忠告だけが目的だったのか、気持ちは分からなくもないけどねと言って離れて行った。
「貴方達も早く帰りなさい。ダンジョンは遊びで来て良いところじゃないから」
受付のお姉さんに諭されて、アキヒロとサトルはトボトボと探索者協会を後にした。
あそこまで忠告されたら諦めるしかない。
と、普通ならばそうなるだろうが、切羽詰まっているアキヒロと欲望を満たしたいサトルに、諦めるという文字は存在しなかった。
「よし、行こう」
「うん、行こう」
「……早く行こうぜ」
「サトが先に行くんじゃないの?」
「いやいや、アキが先に行けよ。背後は俺に任せてさ」
「そんな悪いよ、先頭はサトに譲るから、僕は後で良いよ」
「…………」
「…………」
暫く睨み合い、最終的には二人で一緒に行こうとなる。しかし、そこからがまた長かった。行くのか行かないのか、互いに引っ張り合い前に進まない。
その様子を探索者達が見ているが、皆素通りである。
偶に居るのだ。命知らずの若者が、遊び半分で探索者の真似事をする事が。
そして、そんな若い命は、何も出来ずに終わる。
それもダンジョンであり探索者である。
誰かが止めれば多少は救われる命があるのだろうが、そんな面倒なことをする探索者はまず居ない。
本来ならば。
「待て待て待てーい!? 何やってんだ学生達?」
押し合いをしている二人に待ったを掛けたのは、二人と同い年くらいの太った探索者だった。
▽
「それで探索者をやりたいと」
太った探索者、田中ハルトに連れられてベンチに座ると、アキヒロはダンジョンに潜る目的を話た。
家の生活が厳しく、バイトと弟と妹の面倒を見るのも限界で、何とかしたくてここに来たのだと訴えた。
だが、どうにも田中に響いた様子はなく、だから何?といった感じだ。
別に同情して欲しい訳ではないが、何の苦労もしていなさそうな田中に、馬鹿にされたようで悔しかった。
「それでお前はどうなんだ? 坊主頭の方、サトルって言ったっけ? お前はどうして探索者になりたいんだ?」
どうやら田中の興味はアキヒロよりもサトルに向いていると、この時何となく察した。
太った者同士シンパシーがあるのかと思ってしまうが、これは流石に口にはしなかった。
「お、俺は友達のために……」
「そんな綺麗事はいらないんだよ、本音を言え本音を」
田中は、まるで全てを見透かしたような目でサトルを見る。
その目に圧倒されたのか、サトルはプルプルと震え始め独白を始めた。
「…………俺……俺!モテたいんです!探索者になればモテるって聞きました!俺、俺、こんなんだから今まで好きになった人にフラれてばかりで、悔しくて、悔しくて……ごめんアキヒロ!俺、お前を言い訳にしてた!ごめん!」
まさかの下衆な告白にアキヒロはショックを受けるかというと、そんな事はなかった。
だってそんな奴だと知って友人になったし、それが面白いと思えたから仲良くなろうと思ったのだ。
「別に気にしてないよ。サトはそのまんまで良いと思う」
田中は二人の仲を見てうんうんと頷いている。そして口を開いた。
「お前ら、親から探索者になる許可貰ってるか?」
▽
田中に連れられてダンジョンを潜る。
ダンジョンに潜る前に、使っていないからとロングソードを渡された。
お金が無いと返そうとしたが、鉄パイプで潜れるか馬鹿タレと言われてしまう。その上くれると言うので、ありがとうございますと頭を下げて受け取った。
ダンジョン内での戦いは、主にアキヒロとサトルの手で行われる。
田中はモンスターの倒し方を説明する以外は、基本見ているだけで、痺れ蛾の毒で二人して倒れたり、ゴブリンに苦戦する以外は殆ど手を貸さなかった。
それでも、引率者が居るというのは心強く、そのおかげか疲れを感じる事もなく探索出来ていた。
「なんだよサトル、お前好きな人が居るのかよ」
「はい、その先輩なんすけど、小さくて可愛い感じの人なんすよ」
「へー先輩か。サトルは歳上好きなんだなぁ」
「そういう訳じゃないんすけどね。ただ最近、あの人の近くに気に入らない男が居るんですよ」
「それ彼氏じゃね? お前、彼氏がいる子を狙っているのかよ」
「違いますぅ! 彼氏じゃないですよ!!」
「お、おう、そうか」
サトルの迫力にたじろぐ田中。
アキヒロは九重先輩のことかなと、サトルが好意を寄せている人物を思い浮かべる。
九重加奈子は同じ高校に通う三年生だ。
高校の中でも有名人で、サトルと同じように好意を寄せている男子が各学年に多数いる。というか、一部の男子に絶大な人気を誇っている。
その九重先輩に彼氏が出来たと話題になったのは今年に入ってからだ。何でも、同学年の日野先輩と付き合っていると噂になったのだ。
その日野先輩には悪い噂がある。
多くの女性に手を出しているとか、歳上の女性を孕ませたとか、女性を自殺に追い込んだとか悪い噂がてんこ盛りだ。
また、探索者としても学校では有名で、三年生で美人、美少女と呼ばれる人物達とパーティを組んでいた。
アキヒロとしては全く関係のない話だし、興味も無いのだが、毎回サトルが憎しみを込めて話て来るので、嫌でも耳にこびりついてしまっていた。
そんな雑談をしながら進んで行くが、ふと時計を見ると妹を迎えに行く時間が迫っていた。
「あの、そろそろ妹を迎えに行く時間が……」
盛り上がっている所悪いと思いながらも、二人の会話に割って入る。
すると、田中が焦ったように反応した。
「なに!? そういうのは早く言え! よっしゃ急ぐぞ!」
田中の一声で速度を上げて10階を目指す。
道中のモンスターは変わらずアキヒロとサトルが倒して行くが、相変わらず疲れを感じる事は無かった。
ただ二人は、田中から流れて来る何かは感じていた。
それを問う気にはならず、田中もそれを望んでいないような気がして、何も言わずに10階ボスモンスターを目指す。
ダンジョンでは、10階毎にボスモンスターが出現する部屋がある。そのボスモンスターを倒すと、スキル玉というスキルを得る事が出来るアイテムがドロップする。
探索者協会に登録すると、10階ボスモンスター討伐まで、ほぼ安全に経験豊かな探索者に引率してもらい、そこで晴れて探索者となるのだ。
アキヒロとサトルは金が無くて田中に引率してもらっているが、その田中も十分な実力を持っていた。
多くのモンスターを倒して、10階ボスモンスターに挑む。ボスモンスターは武装したゴブリンと魔法使いのゴブリンだ。
「無理せず確実に行け! 危なくなったら助けてやるから安心しろ!」
「はい!」
田中の助言を受けてボスモンスターとの戦いが始まる。
その結果、惨敗。
当たり前だ。何の訓練も受けてない高校生が、何の補助も無く勝てるはずがなかった。
だからだろうか、田中の戦う姿が凄いと思い見入ってしまったのは。
田中はどこからか取り出した大剣を振りかざすと、瞬く間にゴブリン達を無力化する。
まるで熟練の戦士のような、剣舞のように美しいとさえ思えた田中の戦う姿。
「おら! お前ら、こいつらに止め刺せ。俺が倒したらスキルが貰えないかも知れないぞ?」
「は、はい!」
大剣に刺さったゴブリンを蹴って引き抜く田中。
余りにも暴力的な姿に、先程の感覚は気のせいだったかもしれないと考えてしまう。
田中の指示に従い、アキヒロとサトルはゴブリンに止めを刺す。こうして得たスキルは、アキヒロは雷属性魔法、サトルは地属性魔法だった。