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卵を割らないでオムライスは作れない  作者: 卵アレルギー
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卵を割ってこなかった人々

 人生を変えたい、という強い意志を持って外出したわけではなかった。

 職もなく、家もなくなるかもしれない危機的な状況にやっと重い腰をあげただけ。


 生活感の無い通路を牛もびっくりするほどの鈍足で玄関へと向かう。築年数が半世紀経過したドアノブを握り、唸るような音を立てて、アパートから出た。


 すっかり春の気候、と天気予報のお姉さんが言っていたが、青年には外出が久々なのもあり、過剰な眩しさと暑さだった。


 駅までは十分。歩けばすぐ国道沿いにぶつかる。そこから京急の駅に向かう。

 家族連れ、恋人連れと行きかう中、背中には冷たい汗が流れ、視線は泳ぎっぱなしだった。


 然程気にしていなかったスタイリングも、通りかかるお店のドア越しに嫌というほどわからされる。


「社会不適合者……」

 脳裏に過った、と思えば口に出てしまっていた。


 会社勤務時代からのポリシーで髭を毎日剃っていたが、ここ最近は剃るのをさぼっていた。気づけばジョリジョリのフサフサで学生時代との生え方のギャップに驚かされている。


 青年は改めて、この生活から抜ける覚悟をし歩む。


 電車の乗り方を忘れる、訳もなくパスモを卒なく改札に当てた。


 しかし、青年の行く手を拒むように不快な音が鳴る。青年に視線が集まり、会釈をして縮こまる。無論、ビジネススーツを着たおじさんの舌打ちやチャイルドシートに乗っている子は大泣き。


 どうしてくれるんだよ、という雰囲気が背中をナイフのように突き刺す。

 というのは青年の思い過ごしで、何事もなかったように時間だけが過ぎていく。こんなことでは今の生活は辞められない、と再び自身を鼓舞しチャージへ向かう。



 次は日乃出町、というアナウンスに青年は視線を上げた。

「逆方向……、そんなことある?」

 心の中の言葉が漏れがち。


 下大岡で降りる予定だった青年は駅で降りて、ホームで電話を急いでかける。

『これで何回目ですか――』

 電話相手は派遣の地域営業担当。怒声のような声が電話越しから聞こえ、しばらくすると青年は肩を落とした。

 外に出た目的である派遣の面接がなくなり、自分を呪う。




 日乃出町駅を出て、閉店したパチンコを尻目に歩いていくと桜森町駅や関外駅に続く大きなショッピングモールが現れる。


 水曜日から夜更かし、という番組で出てきそうな特徴ある人間が時間問わず集まる街というのもあり、平日の昼間にもかかわらず人混みでにぎわっていた。



 ある人は木陰で煙草を吸い、ある人は外国人のお姉さんと肩を組み、酒を交わす。


 そんな老若男女人種問わず集まるショッピングモールに到着した青年は、落ち着きを取り戻していた。波長が合う、というのか雰囲気が好きで会社勤務時代以来に訪れた。


 目的を失った青年は、腕時計でお昼過ぎを確認するとお腹が鳴る。会社勤務時代のときのようなタイミングに、少しだけ笑みが浮かんだ。


 程なくして、いつも通っていた『カルビラーメン』があった場所へとたどり着く。ドンドンホーテの道路を挟んだ斜向いに位置する『カルビラーメン』は人気店ではなく、コアなラーメンファンが支えていたようなお店だ。


「えっ……まじか……」

 地域の特徴を捉えた廉価なコンクリート構造の三階建てビル。


 その場所にあった『カルビラーメン』の提灯は無い。代わりのラーメン屋が暖簾を掛けていた。

 あまりのショックに青年は膝から崩れるのを耐えて狼狽える。

 嘘だ、という曇った表情で地面を見つめていた――


「人生変えたくなった?」

 と、女の子のクリアな高い声が聞こえてくる。


「そりゃもちろん、カルビラーメン食べられない世界なんて……って、え?」


「これみたんでしょ? 見る目ちょっとはあるんじゃない?」

 仁王立ちしたままの彼女は真っ白な指先で店舗に張り付けられた求人広告を指さしていた。


「えーっと、『ダブルワークオッケー。俳優業の卵としてラーメン屋のアルバイトしてみませんか?』って何ですか?」

 あんた馬鹿? と言いたそうな視線が注がれる。

「読んで字のごとくよ。あんた馬鹿?」

 やはり言われた。

 青年は頭に手を当てて苦笑いを浮かべ、逃げようと「ほかのお店も見てみます」などと誤魔化す。

「ちょっと待ってって。あのさ、知ってる? 卵を割らないでオムライスは作れないのよ」




 誤魔化し切れなかった青年はカルビラーメン跡地の二階で髭を剃っている。

 トラベル用の三枚刃は荒々しく青年のヒゲを攻撃。


「どうしてこうなったんだろう……」


 ホテルのような広い洗面台に移る自分自身のヒゲと戦う青年は、笑ってみた。不格好で不審者と疑われてもおかしくない容姿なのに、同い年くらいの女の子に二階へ案内された。


『守さんはヒゲとか好きじゃないから』という理由だけだった。

「入るよ」


 と宣言する以前に洗面所へ入り、彼女と同じような真っ白なタオルが渡される。

 会釈をし、受け取ると彼女は壁にもたれて続けた。


「名前は?」


「美馬、ヒロです」


「私は鹿島凛々よ」


 呼んで字のごとく、とは言ったもの。鹿島凛々の雰囲気は凛々しくて、美馬ヒロに翳りが出来るのでは? と思うくらい輝いている。


 先ほどはまともに顔を見ていなかったが、鏡越しで横顔を自然と見つめていた。

 透明感、という言葉が適切で芸能人を思わせる佇まいに息をのむ。


「どうして店のポスターみてたの?」


「えーっと、それは……」

 馬鹿正直に言葉を紡ぎそうになり、止まる。


「それは?」

 凛々のオウム返しに三枚刃がチクリと皮膚を刺激した。


「変えたいから、です」

 カルビラーメンはどこいったんだ、と心の中の言葉とは違う言葉が繰り出され、ヒロの頭はキャパオーバー。


 ふーん、と聞いていた側の態度とは思えない相槌に「え?」と振り向く。

「良いじゃん。私はそういう人好き」

 凛々はにこっと口元を緩めた笑顔を向けている。



 心臓の音より先にヒロのお腹の音が空間を支配した。

卵抜きオムライスが開発されたらタイトル崩壊するので辞めてください。

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