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一、藻の巻

安倍播磨守靖晶は不思議な少女に出会った。

後日、彼女は市で占い師になっていた。その行列に並んだ靖晶と預流の前のもとに次々現れる衝撃の人物!

「取り戻さなきゃいけないものがある 呪詛呪詛ずそずそ

果たしてこの世に呪詛はあるのか? ないのか?

平安仏教ラブコメ、再び!

「なぜお前、今日に限ってそれほど牛車に酔う」


 従兄弟が背中をさすりながらため息をついた。

 なぜって。

 賢木三位中将さかきさんみのちゅうじょう(やしき)に行きたくないからだ。ストレスから来る出社拒否、急性胃炎。安倍播磨守靖晶あべはりまのかみやすあきはかの晴明公の嫡流、二十四歳にして陰陽寮(おんようりょう)の筆頭の英才ということになっているくせにその実態は鉄輪(かなわ)の女鬼に取り憑かれた陰陽師(おんみょうじ)失格、人間失格の産廃だった。

 牛車を降りて道端でひとしきり嘔吐(おうと)すると、もう日が暮れて辺りは暗かった。懐紙(かいし)で口を拭ったがのどの奥が酸っぱい。


「今日は無理だ、良彰(よしあき)一人で行ってくれ。勝手に歩いて帰るから。中将さまにはよしなに」

「よしなにってな」

「先日、鬼を(はら)ってから体調が戻らない。このような(けが)れた身でお邪魔したのではかえってけちがつく。凶事の兆しを感じ取って忽然(こつぜん)と消えたとか式神飛ばして魂だけでお邪魔してるとか何か出鱈目(でたらめ)言っといて」

「出鱈目とは何だ。方便だ!」

「それ、仏教用語だぞ」


 どうせ三十五歳の従兄弟の良彰は何だかわけのわからない格好をつける。言いわけだけは得意なのだ、こいつは。

 良彰だけでも牛車に乗っていけばいいのにと思ったが彼は牛飼童(うしかいわらわ)土御門邸(つちみかどてい)に帰るように指示して、ぶうぶう文句を言いながら歩いて中将邸に向かった。播磨守は五位の殿上人(てんじょうびと)だがヒラ陰陽師は七位の地下人(じげにん)、播磨守がいないのに牛車は使えない、どうせ歩いた方が早いと。妙なところで律儀なやつだ。

 しばらく、靖晶は道端にしゃがんだままぼんやりしていた。自分の吐いたものが臭くて少し離れた柳の木の下にいたが、多分行き会う人などいたら(もの)()のように見えるだろうな、と思った。きっと今は顔色も人相も悪い。鬼に祟られた陰陽師が夜道に化けて出るとかウケる。

 いや実際、行かないと決めた途端に胸の悪さが治まって我ながらわかりやすい。度重なる騙し討ち、あちらが怪我をしていたときは平気だったのに、いざ健康になってから呼びつけられるとここまでプレッシャーを感じるとは。

 しかし京の都の高級貴族にとって陰陽師による細々とした占い、タスク・スケジュール管理は生活必需品。永遠に賢木中将を避けているわけにもいくまい。陰陽寮の官なのだから公務員なのだ。三位の公卿(くぎょう)を相手に「あの人が苦手だから外してください」なんて甘えは通らない。

 大体、何かあるたび一喜一憂する方が甘えているのかもしれない。陰陽師は京の都で起きる全てのことに責任を取るのがお役目――人の生き死にまでも。わかっていたはずだ。

 世の中、美しい姫君や幼子(おさなご)が理不尽に死ぬこともある。誰か一人だけに肩入れしていたら身が持たない。あんなことは何も珍しくはない。

 ――人は死を避けられない、直視しろと言いながら、弟子の剃髪の機会を逃して泣いていた妙な尼もいた。あれくらい図太い神経がなければここではやっていけないのだろうか。

 無茶苦茶なのに何だか間の抜けた人で危なっかしい。絶対かかわり合いになるべき相手ではない。次にあの萌黄(もえぎ)法衣(ほうい)を見かけることがあったら逃げなければ。

 そんなことを考えていたら。


「もし、殿さま。ご気分が優れないなら我が家でお休みになってはいかがですか。何もないあばら屋でございますが」


 女の声がしたので驚いて飛び退きそうになった。

 ――尼ではなかった。髪の長さは同じくらいだったが後ろで結わえていた。まだ顔が幼くそばかすがある。十二、三の童女では。茶色っぽい小袖に(巻きスカート)の素朴な出で立ち。この辺に住んでいる娘なのだろう。一応、人の家の前ではないところを選んで吐いたり座り込んだりしていたつもりだったが。


「いえ、お気遣いなく――」


 しゃんと立ち上がろうとしたが。

 逆に立ちくらみを起こしてよろけた。


「ほら、湯を沸かしますから。ここよりはましですよ」

「……申しわけない……」


 子供に諭されてしまった。自分よりよほどしっかりした話しぶりだ。情けない。

 何もないあばら屋というのは謙遜ではなく、ただ板を打ちつけただけの薄暗い小屋で板敷(いたじき)(むしろ)に座らされたが、それでも柳の下で物の怪のようにうずくまって狭量な社会と己が身の生きづらさを呪っているよりは遥かにまともだった。

 そこで少女の身内なのか老爺(ろうや)老婆(ろうば)(たらい)を貸してもらい、顔を洗って口を濯いで、鉢で白湯をいただくとようやくコンディションが戻ってきて、少しは人間のふりをしようと思った。


「何だかお世話になってすいません」

「もしや陰陽師さまですか」

「あ、ええと」


 ――安倍靖晶朝臣(あべのやすあきあそん)は雲上の皇族や公卿から見ればモブその一程度の吹けば飛ぶような小役人だが、陰陽寮の陰陽師というのは世間的にはエリート官僚なのだ。播磨一国を預かる代官でもある。一般庶民とは違うのだ。明らかに目下の者に対して、少しは威厳を示さないと!

 背筋を伸ばし、少し考えて、袖で口許を隠して。


「……陰陽寮の末席を汚す者で師にはほど遠き若輩、心得は少々ございますもののさしたる霊験(れいげん)があるわけでもなく、若いだけが取り柄のつまらぬ小物で……いえ世話になっただけのお礼はさせていただきます」


 ――少し考えたところ、まさかこの状況で「今をときめく播磨守です」と張り切って名乗れないと思った。陰陽師は役人だが人間ではない神秘の存在、安倍晴明の嫡流が牛車に酔って道端でへどを吐いて半死半生になっていたなんて世間の噂になるわけにはいかないのだ。吐くほど牛車に酔うのは神秘のない普通の人でも大変恥ずかしい。播磨国(はりまのくに)受領国司(ずりょうこくし)ともあろう者が。


「やはり陰陽師さまなのですね!」


 だがそれで老夫婦の顔がぱあっと明るくなって。老爺は先ほどの娘の肩を抱いてこちらに押し出した。


「これなるはミクズと申しまして、拾い子にございますが占いでよく()せ物を探し当てます。陰陽師さまの助けになるまいかと」


 ……出たよサイキック自慢。とんだ夕顔だ。陰陽師を歓迎するなんてそういう(はら)だったのだ。播磨守だなどと名乗らなくてよかった。正直ドン引きだが表情には出さない。


「はあ、わたくし小物にて身内の慈悲で土御門のお邸の片隅にひっそりと住まわせていただいている身の上なれば人を雇うような権限も余裕もなく。陰陽頭(おんようのかみ)さまのお耳には入れておきましょう」


 陰陽寮はそういうところじゃないんだよ。終了。二桁かける二桁のかけ算をぶっ通しで百問も二百問も解けるなら考えてもいいが絶対そういう能力じゃない。

 土御門邸に住んでいるとこの手の自称サイキック、前世自慢、宗教の勧誘、ありとあらゆる者が調子ぶっこいて安倍晴明の末裔(まつえい)一族を訪ねてやって来る。道場破り気取りが今年だけで何人来たか。

 ときどき吉野の修験者などを邸に招いているので勘違いされるのだと思うが、あれは修験道で陰陽道の心得のある者が新技術を開発していることがたまにあるので話を聞いているのと、単に京都にいると世間が狭いので旅人から情報収集しているだけだ。超常体験やらサイキックパワーやらには期待していないし、多少の手品や心理操作テクニックはもう大体仕組みを憶えた。身分の高い人が相手だと「わーすごいですねー」と感心するフリくらいはするが、そうでなければさっさと門前払い。

 陰陽頭の耳に入れるまでもなく下位の者がスマートに断るのが基本スキル。そういう意味ではもう彼は直接こうした手合いの相手をする立場ではない。

 だが老爺はにこにこ笑って


「まあまあ今宵、こちらでお休みになるうちだけでも。ミクズ、陰陽師さまのお世話をするのだぞ」


 老婆とともに遣戸(やりど)をくぐって姿を消した。……おい。男のそばに若い娘を置いて姿を消すって、おい。平安京でこれは「後は若い人同士で。何なら自宅にお持ち帰りして末永くお楽しみください。基本無料」という意味だ。筵で。マジかよ。筵って。

 そして平安貴族男性の九割は喜んで据え膳を食うのだが、靖晶はそういうキャラではなかった。単にハニートラップが怖い。基本無料なんて大嘘だ。小役人でも(むこ)に取れたらしめたものと思っているのではないか。成金の生受領(なまずりょう)だなんてバレたらどれだけむしられるか。


「いや、あの、泊まるつもりとかないから、もう治ったから帰りますよ軽くお礼の品など送りますから」


 早々にロリコンフラグをへし折ろうと拒絶の意を表明したところ。

 少女は気まずそうに頭を下げるのだった。


「……申しわけございません、播磨守さま。父がはしゃいで」


 ――名乗っていないのにピンポイントで役職を言い当てられて少し焦った。


「は、播磨守などと。わたしはそのような」

「失礼ながら立派な牛車から降りられるところをお見受けいたしました」


 少女はつらつらと滑舌よく述べた。


「中将さまのお邸に向かうとも。中将さまともあろうお方のお邸に伺うのは陰陽頭さまのご子息の播磨守さまでありましょう。そのつもりはありませんでしたが覗き見、盗み聞きをしてしまい大変無礼なことです。知らぬふりをしようかとも思いましたが苦しんでおられる様子、お助けするべきではと逡巡(しゅんじゅん)して」

「いやあぼくはただの伴の者でもう一人が播磨守です! 年上だったでしょう!」

「あちらの方がお年が上なのに狩衣でしたし、牛車を降りて歩いていかれました」

「……なかなか目端の利く子ではあるな……」


 十年前の自分がこんなに落ち着いてものを言えたかどうか、思い出してヘコむほどだ。


「何より、とても上等な衣を着ていらっしゃいますが」


 ――そうだった! いつも狩衣(カジュアル)なのに中将に会うのだからと今日に限ってらしくもなく直衣(のうし)を着ていた! 紋入りの絹地の! 着るものから住むところまでギチギチに分かれた平安身分社会!

 ……一張羅でへどを吐いてしまった。シミでもついていたら家族にどやされる。改めて暗澹(あんたん)とする。やっぱり産廃なんだ。生きる価値なし。


「いや陰陽寮はそういう部署ではないんです、霊感があればバンバン取り立てるとかそういう感じではなく。女性の求人ははなからないし。ましてや愛人、いや妻を募集しているわけでも」

「申しわけないです、それは気にしないでください。わたしが十四になったので、父は焦っているのです」

「そんな焦る必要はないと思うけどね」


 女の結婚適齢期、十二~四歳。その割に二十過ぎの玉鬘(たまかずら)を巡って争うというちょっとよくわからない平安ロリコン青田買い社会。いや本当のところ、大半の者は十六~二十くらいが好みなのだがお家の事情などで予約青田買いが激化しているところに一部真性のペドフィリアが入り交じって拍車をかけているのだと思う。


「いやあのですね。ぼくには身の回りに女性を置くわけにはいかない、いろいろと複雑で入り組んだ真面目な事情があって、ぶっちゃけ今忙しくて一律でNGで君が好みじゃないとかではないので気を悪くしないでほしいです、はい」


 何だかしどろもどろで言いわけする羽目になってしまった。

 慌てた様子がおかしかったのか、ミクズはくすりと大人びた笑みを浮かべた。


「播磨守さまの北の方は優しいお方なのでしょうね」

「……あー、それは」

「……髪が短い? 何だか変わった衣を着ているような。緑色? 高貴の姫君は紅の袴を穿くのでは?」


 ――本当に心臓をブチ抜かれたのはここからだ。


「わたし、時折()()()()()()。気味の悪い子だと(やしろ)に捨てられて神人(じにん)の皆さまに育てていただきましたが、その社が先日の大水で流され、こちらに身を寄せております。父は神人の(おさ)です」


 ……驚くな、落ち着け。ホット・リーディングだ。元々靖晶の身の上を噂に聞いてそこそこ知っているのをそれらしく言っているだけだ。陰陽寮でも使う術だ。

 五位の尼御前(あまごぜ)預流(よる)の前は京の都では有名な変わり者で近頃、陰陽師と親しくしているのは噂になっているだろう。かまをかけられているだけだ。上手いは上手い。


「なるほど、そういう。晴明公も信太(しのだ)の森の狐の子などと言われているからね」


 落ち着け。次は銀の匙(スプーン)を曲げるのか。

 (さじ)を曲げる方法なら良彰に三通り教わっている。知らないものもあるかもしれないが驚くほどではない。三つもあるなら四つ、五つあったっておかしくない。

 これまでに本物のサイキックなど一人もいなかった。

 ――本物だったらどうだと言うのだ。陰陽寮にかかわりのあることではない。陰陽師のお勤めはそういうものではないのだから。占いもまじないも期待されて追加したオプションだ。本当に必要なのは漏刻(水時計)の整備技術や天文観測器具の取り扱い、それに計算だ。三平方の定理がわかるかどうかとサイキック能力に何の関係がある。

 そう思うと割り切って落ち着いてきた。


炊き所(台所)の仕事なら紹介もできるけど」

「お気遣いありがとうございます」

「……ええっと」


 もう少しくらい気遣いをしてもいいかもしれない。あの義父母は娘を受領の愛人にしてワンチャン、孫が五節(ごせち)の舞姫にでもなればビンゴ、と考えているならまだマシな方。拾い子を放り出して食い扶持(ぶち)が減らせたら何でもいいという可能性もある。世間は世知辛いものだ。


「本当に嫌な結婚とかさせられそうなら、尼さまのところに行きなさい。文を書いておこう。筆はある?」

「あ、いえ」

「ああ、矢立の硯(筆箱)があるから」


 官は物を書くのが仕事だ。懐に筆入れと懐紙がある。綿に()った墨を染ませておくと話が早い。


「ミクズと言ったかな。名前の字は?」

「え、ええと、あの」


 あ、そうか。――姓と名が誰にでもあると思ってはいけない。


水屑(みくず)なのかな……名前に屑はかわいそうだな」


 適当に考えて、懐紙に書きつけた。


『この(みくず)という娘は安倍播磨守靖晶の恩人です。よくしてやってください。(はした)仕事でも何でもさせてやってください』


 少し考えて、もう一文足した。それをよく乾かして、()のそばに置いてやった。


「堀川の山背式部卿宮やませしきぶきょうのみやさまのお邸にいらっしゃる預流の前という尼御前さまは、どんな無茶ブリも全力でお受けになる大慈大悲(だいじだいひ)のお方だ。別に出家しなくても俗のままでも世話をしてくださるし、女の衣を着たくないと言えば男の衣を用意してくださる」

「女の衣を着たくない?」

「とんでもないお方だから大抵のことはあそこでは許される。ただし宗教に勧誘される。まあ食い詰めたら行ってみなさい。門番にこの手紙を見せなさい」


 それはそれとして別に反物なども送ってやろう。彼女を一晩借りた礼としてはそんなところなのだろう。



 その後、夜も更けた頃に土御門邸に戻ったら寝室に良彰が待ちかまえていて。


「……おい。何でお前の方が帰りが遅いんだよ」


 何やら恨みがましい目でこちらをにらむのだった。


「道に迷った」

「平安京は碁盤の目になっているのにどうして道に迷う!? わからない場所に行くならともかく帰るのは帰れるだろう、月も出ていたんだから!」

「あっそうか月を見れば方角がわかったんだ」

「お前、本当に陰陽師なんだよな!?」

「狐にでも化かされたかな」

「お前、本当に陰陽師なんだよな!?」


 ――この日、靖晶が出会った話はこんなところ。何も不思議なことはなかった。

 だが自分をどん底の産廃生物だと思っていた男が一瞬、他人の世話を焼いて自己嫌悪を忘れたのは一つの奇跡だったのかもしれなかった。

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