第六話:EC40式機関車と、そこには不似合いなガイコツ鉄道員
夏の早朝の、上野駅。
東北・北陸・上越へ向かう旅客にとって、
ここぞ、帝都東京からの玄関口。
その駅舎は堂々とした二階建て。
そしてその二階には、
食堂や売店、理髪店までがギッシリと詰まり、
汽車を待つお客様がたで、
がやがや、がやがや、
この時刻からたいへん賑わっている。
そこに「チンチン、カラン」と軽快な音。
上野駅前広場に、東京市電が停車した。
そこからゾロゾロと降りてきた客の中に、
旅行鞄を下げた稲井兄妹の姿も見える。
ただし、兄妹二人分のカバンを
両手にもたされているのは
勇作のほう、一人だが。
「ところで」
駅舎に向かって歩きながら、
ふいに勇作が訊いた。
「軽井沢までは、何分くらいかかるんだ?」
「そんなことも知らないで、
わたしにまかせきりなの?
五時間とちょっと。それくらい」
「え?五時間も?
そんなにかかるのか?」
「いいでしょう?
そもそもこれから田舎で
のんびり療養する為に行くんだから。
汽車の中でも、文句いわず、
のんびりするのよ。いい?」
二人はそのまま上越方面行きの
汽車のホームに向かってゆく。
その途中。
勇作は不審げに、
何度も美鈴の顔を見る。
「なに?お兄ちゃん、どうしたの?」
「いや──お前の友だちの
ご実家のホテルへ行くんだろ?」
「そうよ」
「その──お前の
友だちというのはどこにいるんだ?」
「先に軽井沢で待ってくれているわ」
「え?そうなのか。
いや、オレはてっきり、
その友だちとも
東京で待ち合わせて
一緒に行くものかと・・・」
「あ、見て!お団子を売ってるわ!
途中でお腹がすくと思うから、
いくつか、買っていきましょうよ!」
「ああ」
なんだか話を
はぐらかされたような気がして、
首を傾げながらも。
勇作は
美鈴に手を引かれ、
団子売りを呼び止める。
*****
上野を経った汽車は、
中山道を北西へ向かって走る。
車窓の景色はどんどん変わる。
大宮、桶川、鴻巣、熊谷と。
客貨の中、二人向き合って兄妹は座る。
美鈴のほうはすっかり
列車旅を楽しんでいる様子。
まして熊谷を抜けた頃からは、
山やら谷やら川やらが増え、
いつもの関東平野の景色とは
まるで違う世界が広がり。
「あ、森へ入った!」
「あ、山が見える!」
など、勇作にとっては
珍しくもない発見について、
美鈴ときたら、
いちいち、うるさい。
その勇作。
頬杖をついてぼうっと窓の外を見やり、
妹の言うことに
「うん」「うん」と
適当に相槌を打ちつつ、
退屈げに座っているばかり。
やがて汽車は横川という駅につくと、
そこで機関車部分を、
日本でも最先端の
電気アプト式機関車、
EC40に連結した。
最大で60パーミルにもなるという
急こう配を登っていく、
平地と軽井沢をつなぐ、
大正大日本帝国ご自慢の
国産電機機関車の馬力であった。
「うわーーすごい!
町が下のほうになっていく!」
ぐいぐいと汽車が高原に登っていくなか、
美鈴はますます、
窓外の景色に夢中であった。
そのときだった。
「──つぶそうかなぁ──つぶそうかなぁ」
という、妙な声が、
客貨のどこかから聞こえてくる。
はて?
それに気づいた勇作は、
周囲を見回してみる。
すぐに、わかった。
鉄道員の恰好をした二人組が、
隣の客車から渡ってきて、
「──つぶそうかなぁ──つぶそうかなぁ」
と互いに音頭のようにかけ合いながら、
ひょこひょこと、
妙な足取りで、歩いてくる。
鉄道員の恰好をしているものの、
中身は、むき出しの、ガイコツ。
二人組のガイコツ鉄道員、
といったところでしょうか。
「──つぶそうかなぁ──つぶそうかなぁ」
「──ど・こ・で・つぶそうかなぁ」
「──この汽車をひっくり返して」
「──谷底へ落っことして」
「──つぶしちゃったらなぁ」
「──なかの人間どもも、
一緒につぶれるだろうなぁ」
「──ぐしゃぐしゃに、つぶれるだろうなあ」
「──つぶそうかなぁ──つぶそうかなぁ」
「──ど・こ・で・つぶそうかなぁ」
「──次の谷間が、よかろうかなぁ」
「──いんや、もっと、
高いところからのほうがいいなぁ」
二人のガイコツは、そう言いながら、
隣の客車のほうへ移動しようと、
勇作の座っている席のすぐ脇を
通り過ぎていった。
勇作は、
美鈴の顔を見た。
美鈴は、相変わらず、
窓の外を楽しげに見まわしている。
(あーあ。そうだよな)
勇作は一人、
首を横に振った。
やっぱり、妹には見えていない。
奴らの声も聞こえていない。
いや妹だけではなく。
この客車の誰もが、
ガイコツ鉄道員の存在に
気づいていないわけで。
誰も奴らを見えていない。
奴らの歌も、聴こえていない。
(やれやれ・・・こうやって、
いつもオレの役回りだ)
勇作は立ち上がると、
わざとらしく
「ふあーーあ!」
とアクビをしてみせ。
「んー。なんかずっと座っていて、
腰が痛くなりそうだ。
ちょっと汽車の中を歩き回ってくるわ」
そう言って、
できるだけ彼らが
「視えていないかのように」、
ガイコツ鉄道員二人の
後ろについて歩きだす。
「気を付けてね。
汽車から落ちないでよ?」
勇作の後ろ姿に、
美鈴が声をかけた。
「汽車から落ちるマヌケが
いまどきいるかい?」
勇作は
手を振りながらそう言って、
引き続き眠そうな演技をしながら、
ガイコツ鉄道員二人組のすぐ後ろに、
ぴったりとついて歩いていった。
「──つぶそうかなぁ──つぶそうかなぁ」
「──ど・こ・で・つぶそうかなぁ」
二人のガイコツ鉄道員が、
次の客貨に行こうと、
扉を開けようとした、
その瞬間に──
勇作は、
近くの席でイビキをかいて
眠っていた紳士の手元から、
ひょいとステッキを拝借すると、
ポカリと、
一人目のガイコツの頭を殴り、
「──あ」
とそのモノが叫んでいるうちに、
鉄道員制服の襟をつかんで、
空いていた席の窓から、
車外へ放り出す。
二人目のガイコツが、
振り返ったところで、
そちらの頭もステッキでポカリ。
「──あ」
ガイコツ鉄道員が
情けない声をあげたところで、
やはりその襟を掴む。
なにせ、肉のない、
骨だけのカラダ。
勇作一人でも、
窓から放り出すのは
じゅうぶん可能な体重にすぎず。
あわれ、二人のガイコツ鉄道員は
汽車の外の草むらに
ノビてしまったまま、
景色と一緒にどんどん
貴社の後方に、
見えなくなっていってしまった。
「・・・ただのザコでよかった」
勇作はそう呟いてから、
あいかわらずイビキを
かいている紳士の手元に
そっとステッキを戻し、
何食わぬ顔でまた、
もとの客席に戻った。
「うわあ、お兄ちゃん!見て、
山の間に、立派な
別荘がたくさん見える!」
美鈴は、
移り変わる景色に
目を奪われ続けている。
角度的に、この窓からなら、
さっきの落っこちた
ガイコツ二体も見えてもいい筈だが。
やはり、まるで美鈴は
気づいていない。
そもそも、勇作以外に
「彼ら」は視えないのだ。
(幸せなこった。
オレがいなければ
この汽車の乗客全員、
死んでいるところだったってのにさ)
勇作はそう思いつつ、
椅子に座り直し、
車窓を楽しんでいる
妹の晴れやかな横顔を見つめ、
もう他に、この汽車には
怪しい気配はないな、
それならば、
残りもう少しの乗車時間の間、
休もうかなと、
そっと目を閉じた。