第四十二話:美鈴、ドレスに着替えて素敵な夕食会にお呼ばれする
手近なドアの向こうから
聞こえてきた、その音というのは、
複数の人間がガヤガヤと
話をしている声のようであった。
いつのまにか、
ドレス姿に変身させられていて、
戸惑っていた美鈴。
おそるおそる、そのドアに耳を当ててみる。
話し声の他に、
食器のカチャカチャと触れ合う音や、
「ホホホ」と上品な女性の笑い声も、
かすかながら、聞こえてきた。
「誰かいるんですか?」
ノックをして、そう声をかけてみるが、
特に返事はない。
真っ白な長手袋をはめられた手で、
おそるおそる、ノブを握り、
客室のドアを開けてみると。
「あれ?」
思わず、声をあげてしまった。
ホテルの設計上、そこは個室のはずだが、
ドアの向こうには、広大なレセプションホールが
広がっており、
大きな蓄音機からは心地よいワルツのレコード曲が
流されていて、
身なりのよい紳士淑女、
外国人の人たちもいれば、
日本人もいるが、
とにかく、着ているものからして、
明らかに上流階級の人々が、
大勢、談笑をしていた。
「ああ!いらっしゃいましたわ!
みなさま、本日の大切なお客様ですわよ!」
美鈴の姿に気づいた、
ドレス姿のマダムが嬉しそうに言うと、
ホールの紳士淑女たちが一斉に、
美鈴のほうを見て、
「まあ!」とか、
「ほう!」とか、
「おう!」とか、
感嘆の声をあげる。
「え?え?え?
あの、すいません!
部屋を間違えたみたいで!」
美鈴は慌ててドアを閉めようとするが、
「ボンソワール!マドモワゼル」
歩み寄ってきた、フランス人と思われる
若いタキシード姿の男性にそっと手を握られ、
「ええ?」
と、まごついているうちに自然にエスコートされて、
オードブルの並んだテーブルのうちの
ひとつに案内された。
長身の、これまたハンサムな給仕が
礼儀正しく歩み寄ってきて、
「お飲み物は何に
いたしましょうか?レディ?」
と恭しく訊いてくる。
「れ、、、れでぃ?」
すると、先ほどのマダムがにこやかに、
「美鈴お嬢様は、
お酒はまだ飲めないので、
ライムソーダがいいんじゃないかしら?」
と声をかけてくる。
「ら、、、らいむそうだ?
あ、、、ええと、じゃ、それで、、、」
「かしこまりました」
給仕は一礼して、下がっていく。
「それで、美鈴お嬢様、
この夏はいつまで、
軽井沢にいらっしゃいますの?」
「え?、、、いや、それは、、、?」
ますます戸惑っていると、
隣に座った、あのフランス人男性が、
早口で何か言ってきた。
「え?なんですか?
ごめんなさい、フランス語はわからなくて、、」
「ホホホ」
先ほどのマダムが高く笑う。
「お上手ねえ。フランソワはね、
あなたのような可憐な美少女には、
東京に帰ってほしくないって」
「ふ、、、ふらんそわ?」
「美鈴お嬢様、わたしたちの気持ちも同じよ。
東京なんかに帰らずに、
ずっとここで、私たちと、
優雅に暮らしましょうよ」
ホールにいた紳士淑女たちが、
一斉に、うんうんと、頷く。
「で、、、でも、、、」
「いいじゃないですか!」
「ここでずっと、暮らしましょう!」
「うむ、それがよい!
昼はサイクリングにクリケットにテニス、
夜は毎晩、パーティーじゃ!」
「ウィ!セビアン!」
先ほどの給仕が戻ってきて、
グラスに注いだライムソーダに、
ちょこんと、ミントの葉を添えた
飲み物を、美鈴の目の前に置いた。
緊張していた美鈴、
ストローをくわえて一口、ソーダを飲むと、
急にフワリとした良い気持ちになり、
「・・・えへへ、そうね」
チヤホヤとされて気分がだんだん
よくなってきていたこともあり、
紳士淑女たちが見守る中で、
「ここでずっと暮らすことにしますわ」と、
危うく、言いかけた、、、
その時だった。
バリバリと、稲妻のような音が轟き渡り。
紳士淑女たちが悲鳴を上げる中、
壁紙を突き破って、
ルカが、このホールに飛び込んできた。
「美鈴!魔法文字を消すんだ!」
「え?ルカさん、なに?」
まだぼうっとしている美鈴、
うつろに返事をする。
「魔法文字を消すんだよ!
・・・ええい、まどろっこしい!」
ルカが手をかざすと、空気中にいくつかの
水の弾丸が生まれた。
ルカはそれらを、
壁紙や、部屋を飾る絵画などに
次々に打ち込み始めた。
乱雑に弾丸を放っているようでいて。
美鈴もようやく、理解した。
このホールの、あちこちの壁や、絵画や、
テーブルクロスに、赤いインクで、
以前に暗渠脇の岩場で見たような、
あの古代文字が書き込まれていた。
ルカは、この部屋の各所にある古代文字を、
ひとつずつ、水の弾丸で打ち抜き、
消しているのだ。
そして、文字が一つ消えるごとに、
部屋にいる紳士淑女たちや、
料理や飲み物が、どんどん、
蜃気楼のように、輪郭がぼやけてくるのが
美鈴にもわかった。




