第四話:華の帝都の「バケモノ屋敷」
こんな夜更けの時刻になっても、
さすがはこちら、華の帝都。
欧州戦線のおかげとはいえ、
儲けたお金がじゃぶじゃぶと、
今宵も浅草界隈の
歓楽街には眠ることなく
流れ込んでおりまして。
居酒屋も劇場も洋風カフェも、
夜遅くまで開いており、
なんとも華やかでございます。
我らが稲井勇作が
カラコロとゲタを鳴らしつつ、
そんな歓楽街から脇へそれ、
ひとつ裏町へ抜けただけで。
ムリなまでに白粉を
顔にぬりたくった女たち。
「あら!うれい顔のステキなお兄さん!
ちょっと遊びに寄ってかない?」
とキャアキャア声をかけてくる。
「『うれい顔のお兄さん』ねえ。
いいね、それ。
何かに使わせてもらうわ」
ニヒルに笑い返しながら、
勇作は歓楽街からさらに離れ、
更に裏手へ、更に裏手へと、抜けていく。
いつものように、
白シャツの上に、
紺の長着と紺の袴、
ゲタをカラコロと鳴らしつつ。
やがて。
人の気配がさっぱりない
寂しい路地に差しかかり、
ぐるり生垣に囲われた、
大きな屋敷の門の前、
そこでぴたりと勇作は、
その足を止めたのでございます。
それはずいぶん年季の入った、
茅葺き屋根の大屋敷。
取り囲む生垣の真ん中に、
朽ちかけ開きっぱなしとなっている、
観音開きの門があり。
その門の向こうに見えるのは、
ゆとりをもった前庭と、
茅葺き屋根の大きな母屋と、
泉水のある庭とそして、
こじんまりとした四畳一間程度の別亭。
だがその庭は、草ぼうぼう。
屋根もあちこちが痛んでおり、
灯りひとつ見えることなく、
シンと夜闇の中に沈んでいる。
あまりの雰囲気の
オドロオドロしさ。
近所の子供たちからは、こちらは
「バケモノ屋敷」と呼ばれている。
オトナたちは、
子供たちの
そんな反応を見て笑う。
だが、勇作は知っている。
この場合は、町の子供たちが正しいと。
ここを「バケモノ屋敷」と
見抜いている子供たちが、
大正解なのであると。
さて。
月灯りに横顔を青白く照らされながら、
勇作は、
そっとゲタ足を踏み出して、
開きっぱなしの門をくぐり、
屋敷の前庭に入っていった。
すると。
ぼうっと夜闇の中からふいに、
赤、青、そして緑色の、
三つの火の玉が浮かび上がり、
勇作の周りを
ひらひらと舞い始めた。
しかし勇作は
まったく驚きも動揺もせず、
むしろ、ぱっと笑顔になる。
「やあ!不知火に
狐火に
──海月火か。
元気にしているかい?」
声をかけられた三種の火の玉は、
嬉しそうに勇作の
周囲を跳ねまわり、
また屋敷のほうへと戻っていく。
すると突然、
ケラケラケラケラ!
凄まじい大きな笑い声が
あたりいちめんに響き渡る。
見上げると。
母屋の茅葺き屋根の上に、
巨大なお歯黒の女の生首が。
それもいわゆる、
能楽の「おかめ面」に
よく似たブキミな女の顔が、
こちらを見て大声で笑っている。
ケラケラケラケラ!
「なぁんだ。けらけら女か」
勇作は驚く素振りもなく、
むしろますます笑顔になって、
「そうやって不審者を脅かして
追い出すお役目を
言いつけられているのかい?
ご苦労だね!」
巨大なおかめ顔は、
ぴたりと笑うのをやめた。
「あ・・・勇作さん?
これは失礼を!」
シュボッという音とともに、
巨大な顔は小さくなり、
勇作の目の前には、
さきほどの気味の悪い巨大な顔とは
まるで印象の違う、
うりざね顔に紫色の着物姿の、
上品な中年女性が立っていた。
「すいませんねえ。
ここがバケモノ屋敷だなんて
ウワサが立つと、
かえって好奇心を持って、
夜に忍び込む輩がたまにいて」
そのとき、母屋の玄関に灯りがともる。
そしてガラガラと玄関戸が開き、
中から提灯を下げた男が顔を出す。
「顔を出す」とはいうものの・・・
その男は手ぬぐいで頬
かむりをしているが、
顔には、目も、鼻も、口もない。
卵の表現のように、つるりとした、
なにもない顔でございました。
「どうした?お客さんかい?」
口のない筈のその男、
どこから声を出してありますやら。
「勇作さんだよ、あんた!」
けらけら女にそう言われて、
「おお!勇作の若旦那!こんばんは!」
のっぺらぼうは嬉しそうに、
ガニマタでひょこひょこと庭へ出てきた。
「あたしったら、
勇作さんとは気づかずに、
いつものデカい顔にバケて、
脅かそうとしちゃったんだよ。
いやだねえ、恥ずかしい」
けらけら女は口元を隠して
また笑った。
名前にたがわず、けらけらと。
「なあ二人とも。
オヤカタさまとは、
今、会えるかい?」
のっぺらぼうが「へえ」と頷き、
「まだ起きてらっしゃいます。
勇作の若旦那とあれば、
会ってくださるでしょう」
と言ってから、けらけら女のほうに顔を向けた
(しつこいようだが、
厳密には彼に顔はないのですが・・・)。
「お前、オヤカタさまに伝えてくれや。
勇作の若旦那が
いらっしゃったってさ」
けらけら女は頷くと、
シュボッと音をたてて、
煙のようにその場から消えてしまった。
それを見て勇作は首を傾げる。
「シュボッと消えようが、消えまいが、
歩数は変わらないはずなのに。
彼女はなんで毎回、シュボッと音を立てて
わざわざ消えるんだろう」
「へへへ」
のっぺらぼうが肩を震わせ笑う。
「あっしも、
あれには何の意味も
ないと思いますがね。
江戸の昔からここに住んでいる
あの女なりの、
何かの意地なんでしょう。
いちいち、妖術を入れるのはね。
それで──若旦那、
浮かない顔ですが、
何かありましたかい?」
「君ならわかってくると思うけどさ」
勇作はため息をつく。
「まあ、いつもの話ではあるけど、
参っちゃうよ。
優秀な軍人の父親と、
優秀な軍人の兄と、
その二人にさんざん甘やかされて
好き放題やっている妹とに
囲まれている生活ってのはさ」
「いやはや!今夜はいちだんと
愚痴っぽいですね」
「実は妹と一緒に軽井沢に
行くことになりそうなんだ」
「ええと、軽井沢というと信州ですかい」
「ああ」
「いいですね。
ソバのうまい国ですよ。
あっしはあそこのソバが大好きだ」
「お前も長野あたりへ
行ったことがあるのかい?」
「へえ。実はあっし、
ソバにはこだわりがありましてね。
お話したことありませんでしたっけ?
江戸の頃には、赤坂のあたりで、
夜にソバ屋を開いていたんですよ」
「どうせ人間を
オドロかすためだろ?」
「いえいえ、なかなかマジメに
ソバ作っておりましたぜ。
人間のほうが勝手に
あっしの顔を見て
おどろいていくばかりでね。
でも、そんなわけで、
あちこちのソバ屋を
訪ねて回ったことがありますぜ。
信州についても、
いいソバ屋を知ってます」
「ほんとうに?
それ、あとで教えてほしいな」
「是非ともです!
いやあ、こう見えて、あっし、
なかなかソバには目がなくてですね」
「・・・のっぺらぼうだけにね」
その時、シュボッと音がして、
けらけら女がまた姿を現した。
「オヤカタさまに話しましたよ。
是非、お会いになるとのことです。
勇作さん、
庭を回って、奥の茶室のほうへ、
おあがりくださいな」