第二十四話:雫谷の「婆さま」
さらさら、さらさらと、
底に川の流れる音を聞きながら、
夜闇の谷を、慎重に足場を見つけつつ、
勇作は少しずつ、
降りていく。
ちょこまかと素早い 仁之助 は、
とうに谷の下のほうにいて、
心配そうにこちらを見上げている。
実に、性格のよくできた妖怪だ。
しかし、この場合、
小柄すぎる 仁之助 は、
勇作にカラダを貸してやることも、
引っ張ってやることもできない。
あくまでも自分自身の手足を使い、
木の枝を掴み、草の蔦を掴み、
滑落することのないよう、
慎重に降りていくしかない。
ようやく、 仁之助 が待っている
ところにたどり着いた時には、
全身汗びっしょりだった。
「お待たせ。ヒヤヒヤさせたかい?」
勇作が息を切らしながら 仁之助 に訊くと、
「おいらのほうが生きた心地がしなかったよ。
アニキ。おいらたち妖怪と付き合うなら、
もう少しカラダも鍛えたほうがいいぜ」
「厳しいなあ」
「アニキを心配してのことだよ。
さ、とにかく、ここが目的地だぜ」
仁之助 が示した先には、
草ぼうぼうの傾斜の合間に隠れるように、
真っ黒な洞窟がひとつ、
ぽかりと、口を開けていた。
勇作と 仁之助 は、
その中に入る。
だが勇作が懐中電灯を向けたものの、
この洞窟はすぐに行き止まり、
大きな岩壁の袋小路になっているだけであった。
「アニキ、ちょっと待っててくれ」
仁之助 はそう言うと、
洞窟に転がっていた、
火打ち石を二つ、前足で取る。
「なんだ?ここで火を起こすのか?」
「火を起こす必要はないんだよ。
火打ち石を鳴らせばいいのさ。
まあ、見てな」
仁之助 がそう言って、
火打ち石二つを打ち付け合い、
かんかんかん、
かんかんかん、
かんかんかんかんかんかんかん、
と、三三七のリズムで火花を散らすと。
すうっと、岩壁が透明になり、
その向こうに、広大な、
ドーム型の大空洞が出現した。
その、大空洞たるや。
はるか上空のカナタに天井がある、
まことに広大、地下の都市のような
巨大な空間で、
つまり、このあたりの地形を、
空間的に完全に無視した、
常識的にはありえない大きさに
広がっていた。
「なるほどね。ルサールカが
ホテルの外観を無視した大部屋を
勝手に作ったのと同じような仕組みか。
日露妖怪、使うワザは似てるもんだな」
勇作が冷静にそう呟く。
ドーム型の大空洞の中へ踏みこむ
勇作と 仁之助 。
この空洞の中には、
あちこちに湯気がのぼっており、
あちこちに露天風呂が
しつらえてあり、
チョウチンオバケやら、
一つ目小僧やら、
よく見るタイプの妖怪たちが多種多様、
温泉に浸かったり、
御座の上で寝転がっていたり、
将棋を打って時間を潰していたり、
思い思いに過ごしていた。
ここは、信州一帯の妖怪たちにとって、
病やケガをしたときに集まる、
いわば妖怪病院なのである。
しばらく進むと、 仁之助 が、
ぱっと顔を明るくした。
「いた!婆さまがいたよ。
あれが、 雫谷 の婆さまだよ」
仁之助 の示した先には、
江戸の世の、いわゆる
「峠の茶屋娘」のような格好をした、
15歳程度の和装・結い髪の少女がいて、
カラカサオバケの足の様子を
丁寧に診てやっているところだった。
「婆さま!連れてきたよ!
この人が、勇作のアニキだ」
「あら?ちょっとお待ちを!」
少女は、カラカサオバケに、
「このままあと一日くらい
様子を見ましょうね」と声をかけ、
優雅な物腰で立ち上がり、こちらを見た。
「ああ、あなたが勇作さん?
雫谷 へようこそ
いらっしゃいました」
そして、丁寧に頭を下げる。
「やあ、どうも。。。」
勇作はドギマギと落ち着かない。
「どうかしました?勇作さん?」
「いえね。あのう、、、『婆さま』と
聞いていたもんだから、オレはてっきり、、、」
「そう!そう思うだろ!アニキ!」
仁之助 が『我が意を得たり』と
ばかりに会話に割り込む。
「たしかに、この信州では、
最も古くから生きてらっしゃるお方。
だからみんなで『婆さま』と呼ぶし、
婆さまも、そう呼ばれるのが好きなんだが。
でも、見た目がこれなんだよ!
ややこしいだろ?」
「たしかに、ややこしいな・・・。
でもま、東京のオヤカタさまも
稚児の見た目をしているわけだから、
おんなじハナシっていや、おんなじか」
さて、美少女といってもいいほどの
可憐な姿のその少女、いや「婆さま」は、
すうっと大空洞の奥のほうを指差して、
「それで、勇作さん。
さっそくですが、雪女さんの様子を
見に行きますか?」
「ああ、ぜひ」
「雪女さんのお友達という方が、
たくさん、お見舞いにお集まりで、
ずっと議論をしているところです。
その方々にも会いますよね?」
「ああ、会うとも。そのためにきたんだ。
で、みんなアタマに来ている状況かい?」
「ええ。皆さん、議論に熱が入っていて。
でも、勇作さん、大丈夫ですよ」
少女姿の「婆さま」は、
優しいながらも、どこかにただならぬ妖気を
まとわせた笑顔をにんまりと顔に広げ、
「この場所で何か乱暴なことをする方がいれば、
わたしが、静かにさせますから」
と言った。




