第二十話:「迷宮化」を施された軽井沢の森で
(それにしても、こういう人を何て呼ぶんだろう?)
陽がまもなく西に沈もうかとしている時刻。
例の森カフェ近くの
暗渠のほうに分け入っていく
勇作と藤田を追いながら、
美鈴は心の中で、思うのだ。
(勇作お兄ちゃんときたら、
昨晩、拳銃をつきつけてきたこの
藤田って人を、
『あいつは信用するな』と言っておきながら、
この調査にはわざわざ呼びつけている。
どういう考えなのか、さっぱりわからない)
勇作の言いつけを守って、
藤田とはもう関わるまい、
と考えていた美鈴には、
こういうあたりの勇作の機微が、
どうにも、わからない。
(ああ、こういう人の呼び方、思いついたわ。
『腹の読めない人』。
『油断ならない人』。
あるいは・・・『食えない人』)
後ろについてくる美鈴にそんなふうに
思われているとは露知らず、勇作はかがみ込み、
「ここだ。着いた」
と藤田に伝えた。
藤田もまた、昨日、
勇作と美鈴が見つけた
古いスラブ文字のラクガキをじっと見つめる。
「さて。警保局のお役人さんの見解は?」
と勇作が訊くと、
藤田はまた、
黒メガネとなんとも対照的な
真っ白な歯をむき出してニッと笑い、
「私を試そうとしていますかね?
いや、残念。本当に残念ですが、
これは、私にも、何の文字だかわかりません。
ただ・・・経験上、
なんらかの呪術の痕跡っぽくは、見えます。
勇作さんのご意見は?」
「残念ながら、オレの掴んでいることも
そんな程度の推測の域だ。
ただし・・・なんとなくだが・・・」
勇作は、暗渠の向こう側の森を見る。
「なんとなくだが、この先に、
ナニか強力なやつがいると思ってますね」
二ッと笑ったまま、藤田が言う。
「・・・そういうこと。
ナニかが、この先にいる」
勇作は頷く。
「それじゃ・・・いちかばちか、
行ってみますかね?」
藤田は笑顔のまま、
すっと黒スーツの下に手を入れ、
ブローニングの自動拳銃を取り出して、
弾丸を確認した。
「ああ。行ってみよう」
「お供つかまつりますよ、勇作さん」
勇作と藤田は、
暗渠を飛び越え、その向こうの森の茂みに
分け入っていく。
「あ!ちょっと!どこ行くの?」
あわてて声をかける美鈴に対して、
勇作が振り返り、
「美鈴はそこで待ってろ!」
と大声で指示した。
「待ってろって言ったって。
もうすぐ暗くなっちゃうよ、ここ。
はああ・・・あの、姿の見えない
モフモフ君でいいから、
誰かついててくれないかなぁ」
美鈴はそう愚痴りながら、
待つこと、10分程度。
森の向こうから、
勇作と、藤田が、
戻ってきた。
「あ!お兄ちゃん!おかえり!
何か見つかった?」
「いや。ダメだ。この先の森は
特に深い森でもない。
すぐに向こう側の路地に出る。
歩き回ったが、何も見つからなかった」
勇作は肩をすくめた。
二人は、暗渠を飛び越えて、美鈴の
立っているところに戻る。
「残念だが」
勇作は話を続けた。
「ここに何かがあると思ったのは、
見込み違いだったかな。
暗くなるし、ホテルへ戻ろう。
藤田のおっさん、
無駄足を踏ませて悪かったな」
「無駄足?とんでもない」
藤田は、またニッと笑って、
拳銃をスーツの下にしまいつつ、言う。
「勇作さん、
途中で何か気づいたんでしょう?」
「え?何の話だ?」
「トボけないでくださいよ。
ここまで護衛がわりにお供させておいたんだ。
情報の共有くらいは、お願いしたいもんですな。
勇作さんは、もう見抜いていますか?」
「だから、何の話だい?」
「わたしも、気付いてはいるんですよ。
この森の中を歩き回った時、
『距離感』が、おかしかったんです。
あらかじめ地図で見てきたんですけどね。
この森を抜けて、向こう側の路地へ出るには、
大人の足で7~8分はかかるはずです。
ところが、今、往復したところ、
ものの10分で、元の場所に帰ってこられた。
でも、地図上、そんなはずがないんですよ」
藤田がそう言うと、
勇作は長着の間に手を入れて
左胸のあたりをポリポリと掻き、
「まいったね。おっさんも気づいていたのか。
じゃ、隠しても無駄だな」
「どういうこと?お兄ちゃん」
「たぶん、あの魔法文字の効力がわかったよ」
勇作は、暗渠の向こうの森の
暗がりを見つめて、静かに言った。
「『迷宮化』という妖術だ。
そんなに複雑には組んでいないけど、
この暗渠の向こう側の森を、
ナニモノかが迷宮化している。
きわめて簡単なものだが、
どこかの地点を『スキップ』
させられているみたいなんだ」
「スキップ?
つまり・・・歩いて行っても、
気付かないうちに、
通り過ぎちゃう場所があるってこと?」
美鈴が頭に手を当てて、そう整理する。
藤田もまた、森のほうを見やり、
静かに、言った。
「勇作さんの読み通り、
この森に、ナニモノかの隠れ家があるようですな。
ただし、迷宮化を破らない限り、
そこにたどり着くことはできないように
なっている。たしかに、発想は簡単な妖術ですが、
誰にでもできるワザではない。
なかなか見事なもんです」
勇作が、それを受けて、こう言う。
「そうだけど、少なくとも、
相手の居場所は、今日、わかったんだ。
妖術の破り方さえ見つければ、
追い詰めることができる。
つまり、相手がナニモノにせよ、
そいつとご対面できるまで、
もうあと一歩ってところだな」




