第十六話:テニスコートで二人の目玉は、右、左
カコーン!
カコーン!
軽井沢に新設されたテニスコートでは、
朝の涼しい時間から、
外国人逗留客の
紳士やご婦人たちが、
爽やかにラケットを振るっている。
飛び交うテニスボールを、
右に、左に、右に、また左に、
首を振って追いかけながら、
勇作と美鈴は
ベンチに腰かけていた。
ここで黒澤の兄妹と
待ち合わせをしているのだった。
「それにしても、お兄ちゃん」
テニスボールを、
右に、左に、右に、また左に、
首を振って視線で追いながら、美鈴が口を開く。
「どうして、妖怪たちと
オハナシができるなんて、
今まで、教えてくれなかったの?」
彼女は東京にいた時と同じように、
紫色の行燈袴に革靴という、
大正モダンな女学生姿をしていた。
軽井沢の上流階級の人々に混じっても、
結局、この格好が落ち着くらしい。
「そんなことを言ったって」
勇作のほうも、
右に、左に、右に、また左に、
テニスボールを追いながら、口を開く。
「お前にも妖怪が少しは視えるなんてこと、
昨晩まで、知らなかったんだから」
「私にも妖怪を見る能力があるかどうか、
もっと早く、
試してみてくれればよかったじゃない」
美鈴の視線は、
右に、左に、右に、また左に。
「そんなに楽しそうなことをしていたなんて。
わたしに秘密のうちに、
いっぱい、冒険をしていたんだね」
「冒険だなんて。
そんな悠長なもんじゃないぜ」
右に、左に、右に、また左。
「私にも、手伝えること、
きっと、いろいろあったのに」
右に、左に、右に、また左。
「黙って一人でやっていたなんてひどい。
ずっと言い続けるわよ」
「はいはい」
「一生言い続けるから」
「はいはい」
カコーン!
カコーン!
と、そんなテニスの軽快な音を破って、
プップップー!
と、自動車のクラクションの音が響いた。
「あ!お兄ちゃん!
二人が来てくれたみたいよ」
美鈴がベンチから立ち上がる。
黒い自動車がテニスコートの前に停車し、
中からまず、清潔なボブヘアの忍が
「おはよう!美鈴ちゃん!」と
顔を出し、
続いて、相変わらず昼間から白のタキシードという
意味不明な格好の紀緒志が、
「おはようございます!お兄さん!
そして美鈴ちゃーん!
おはよう!」
と、顔を出した。
「いやー、お兄さんから
呼び出しを受けるなんて、
とても嬉しいですよー!
僕、てっきり、お兄さんに
嫌われているのかと思ってました!」
(オレがほしいのはお前の自動車だけだよ)
と、勇作は心の中で呟きつつ、
黒澤兄妹の案内で、
自動車の後部座席に、美鈴と並んで
乗り込んだ。
「自動車が必要とのことですが、
どこへ行くんですか?
さっそく、軽井沢観光ですか?」
そんな紀緒志に、
勇作は手書きの地図を一枚手渡した。
「その神社に行ってほしいんだ」
「へえ、お稲荷様?
こんなところにお稲荷様があるなんて
僕らも知らなかった。なあ、忍?」
忍も地図を覗き込む。
「あー。けっこう隣町に近いところ。
山の中だけど、たぶん、
自動車で行けるところよ。
せせらぎがキレイなとこだけど、
そんなに有名な神社でもないかも」
勇作は、
「ああ、そこでいいんだ。
軽井沢に来たからには、
お稲荷様にまず、
滞在中の安全をお願いしたくてね」
と、適当な言い訳を並べる。
「わかりました!行きますよー!」
紀緒志が上機嫌に、
エンジンをスタートさせた。
勇作は美鈴と顔を見合わせる。
美鈴も、それに、頷いて応える。
昨夜のうちに、美鈴には、説明してある。
その稲荷神社というところ。
東京で、
オヤカタさまに、
「何かあったら、ここを訪ねろ。
信用できる信州妖怪が棲んでいるところだ」
と教えてもらった、
あの場所なのだった。




