第十四話:内務省所属、類似宗教対策課
「やあ、おかえりなさい」
誰もいないはずだった
203号室の中に入った途端、
そんな男の声が稲井兄妹を迎えた。
部屋の窓辺のライティングデスク脇の
ランプが灯されており、
その傍の椅子に、
黒スーツに黒い山高帽、
黒メガネの中年の男が、
にこやかな笑顔で、座っていた。
「え?だれ?」
美鈴が驚愕の声を上げた。
「あなたたちを尾けてきた
甲斐がありましたよ。
ロシア妖怪さんの隠し部屋を
一日目にして、私たちのかわりに
見つけてくださるとはね」
「!!美鈴!オレの後ろへ!」
すかさず勇作が妹を庇うように
黒メガネの男の前に立ち、
ツカツカと窓辺へ歩み寄ろうとすると、
「おっと!勇作さん!
乱暴なことを考えているようなら
どうか、おやめになってくださいな」
男はスーツの中から
ブローニングの自動拳銃を取り出し、
勇作に向けた。
勇作と美鈴は、
部屋の中で固まったまま、じっと男を見つめる。
「そう、それでけっこう」
黒メガネの男は、銃口を勇作に向けたまま、
にっこりと、おおらかな笑顔に戻った。
「お前・・・軽井沢駅でも見かけたな。
季節外れの黒服を着ている妙なやつがいるとは
思っていたけど。
軽井沢駅からずっと尾けていたのか?」
「ええ。東京の本庁から連絡がありましたね。
お二人の乗った汽車の到着時刻はわかっていたので。
駅のホームで、お待ちしておりましたよ」
「ナニモノなんだ?」
黒メガネの男は、右手に構えた銃を勇作に向けたまま、
左手でスーツの内ポケットを探り、
名刺を一枚取り出して、
ひらひらと、勇作の足元に投げ落とした。
銃口を気にしながら、勇作はそれを拾い上げる。
「内務省 警保局 類似宗教(*)課 藤田巌?」
「はい。ま、表向きの役職は、そうなっております」
「表向き?じゃ、ウラの役職は?」
「国内外の妖怪の活動監視ってとこですかな」
藤田という男は、にっと白い歯を見せて笑った。
黒ずくめにして、黒メガネの目立つ顔の中で、
そのイヤミなほどに清潔な歯の白さが、むしろ異様だった。
「東京にいる時から、あなたは監視下にあったんですよ、
稲井勇作さん」
美鈴が、おそるおそる口を開く。
「ねえ、お兄ちゃん、今度は『東京の妖怪』って
、、、どういうことなの?」
「お前にもしっかり説明しようと思ったところだったが、
ちょうど、この方が代わりに説明してくれそうだな」
「ハハハ。そうですね。美鈴さん、
あなたのお兄さんはね、東京の妖怪の元締めの一人、
オヤカタさまと呼ばれている妖怪と懇意で、
東京都内のさまざまな妖怪どうしのもめごと、
そして時には、妖怪と人間の間のもめごとを
解決する仕事をしているんですよ。
妖怪親分に買われて動いている、
働き者の侠客ってとこですかね。
そういう意味で、我々当局も、
あなたには一目おいてましてね」
「妖怪親分の侠客・・・?
えーー??
本当?お兄ちゃん?
か・・・かっこいい!」
いつものだらしなく頼りない兄とは
あまりにギャップのあるその話に、
美鈴は目を丸くしている。
「当局ってことは・・・警察の人間なのか?」
「オモテの警察ではありませんがね。
内務省は妖怪の存在にとっくに気づいていて、
彼らが国家の脅威にならないか監視をしている。
ですが、そんな部門、
予算も人員もちっぽけでしてね。
あなたみたいな人に、
お近づきになれる機会を待っていた」
「ふうん。じゃあ、
堂々と最初から挨拶にくればいい」
「それも考えましたけどね。
このまま尾行していたら、まさに我々が
ずっと探していた、ロシア妖怪ルサールカの
所在を、あなたが発見してくれるかもしれないと。
言っちゃナンですが・・・泳がせてみたってやつですな」
勇作は、厳しい目で藤田を睨みつける。
「信用できないな」
「ええ。信用されない仕事だとは百も承知で、
私もやっていましてね」
「オレたちを逮捕するのか?」
「まさか!」
藤田は肩を震わせて笑った。
「お互い、力を合わせて動いたほうが
よい局面が、このあと出て来そうなのでね。
ぜひ、勇作さん、
あなたのその能力をお借りしたいなと」
「隣にいるルサールカはどうなるんだ?」
「とりあえず、彼女にも、何もしませんよ。
監視は張らせていただきますが、
今のところ、彼女は
何の害もなさそうだ。たぶんね」
「たぶん、とは?」
「私としても、ロシア妖怪とはいえ、
この田舎に引っ込んで静かに暮らしているなら、
特に何も邪魔はしないつもりでした。
ところが・・・ちょっと厄介な事件が起きましてね」
「というと?」
「勇作さん。
あなた・・・雪女が一人、
ナニモノかと戦って、氷漬けにされている、
と聞いたら、どう思いますか?」
勇作の表情が変わった。
「雪女が氷漬け?」
「はい」
「この軽井沢で?」
「ええ。ここから歩いて行ける距離が現場です」
「それは・・・まずいな」
「そうでしょう?ハナシが早い。
私もあなたも意見は同じでしょう。
隣室にいるルサールカさんは、たぶん、関係ない。
けど・・・長野の伝統妖怪の雪女が
ナニモノかに襲われたとなると、
この一帯の妖怪は、真っ先に、
最近軽井沢で暮らし始めたらしい、
ロシア妖怪のウワサを、
怪しみ始めるでしょうね」
勇作は、ちょっと考えてから、
強い口調で、こういった。
「なあ。その現場に、案内してくれないか?」
「私が案内したら、どうするので?」
「わからないが・・・現場を見て、
何かできることがあるなら・・・
ルサールカのことも、
そして長野妖怪たちのことも、
穏便に済むように何か考えたい」
「そう来なくちゃ。
あなたは私を信用してくれない、
とのことですが」
藤田は、また白い歯を見せてにやりと笑うと、
拳銃の撃鉄を戻し、スーツの中にしまった。
「私は、あなたを信用しますな。
というわけで、拳銃は不要そうだ。
行きましょうか、勇作さん。
現場をお見せして、我々が知っていることを
共有差し上げますよ」
※類似宗教:現代でいう、新興宗教やカルト教団のこと




