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奇想三国志 英華伝 短編集  作者: 牧知花
青嵐に笑う
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第2話 青嵐に笑う その6


昨日とつづいての快晴。

初夏の山風は適度につめたく、孔明の肌にここちよい刺激をあたえた。

頂上をひたすら目指し、山道をあるく。

朝まで昨日と変わらぬ様子であった趙雲が、頂上が近づくにつれ、また、口数がすくなくなってきた。

はて?

「どうした、疲れたのか」

昨日は退魔香に引き寄せられたのか、あらわれた四匹もの蛇と格闘し、ほとんど眠っていないという。

そのために疲れがでたのだろうかと心配した孔明であるが、趙雲は、あいまいな返事をかえしてきた。

「いや、そういうわけじゃないのだが」

「だが?」

「俺は間抜けかもしれぬ」

突然の反省の弁に、孔明としてはわけがわからず、首をひねる。

「なんだ、急に」

「いや、こいつらが」

趙雲は、山道の両脇に生い茂る、みずみずしい生命力をみせる木々のうちの葉の一枚を、まるでだれかの手を握るかのようにして掴むと、ゆさゆさと揺すった。

「木がどうした」

「この季節は、数日で木々が一気に生長することを忘れていた。そういえば、十日ほど前に、雨がつづいた日があったな。ああいう日のあとの、草木の生長というのはいちじるしい」

「そうだな」

「軍師、いまから謝っておく。かなりつまらぬかもしれぬ」

「なんだかわからぬが、期待するなというのだな」


山道には人の気配こそなかったが、頻繁に往来はあるものらしく、しっかりとした道になっていた。

趙雲は途中から本道をそれ、せまくて細い、道なき道を登り始める。

ええい、やはり、もっと軽装をしてくるのだった。

孔明は後悔しつつ、裾を気にしながら孔明が苦心して山道をのぼる。

すると、先に軽々と、それこそカモシカのように岩石の連なりをのぼっていた趙雲が、手を差し伸べてきた。


手を差し伸べられ、一瞬、孔明はためらった。

べつにほんものの龍をきどって、逆鱗がある、というわけではない。

叔父の玄を、樊城で、刺客の手によって奪われて以来、人というものに触れられることに恐怖をおぼえるようになっていたのだ。

感触が気持ちわるいから触れられない、などという程度ではない。

本能が、人の温かさをおそれ、反射的に避ける。

命という物をつつんでいる人の肉体のもろさ、そういったものを恐れているのか。

それとも、目のまえの者が、こちらの敵になることを無意識のうちに恐れているのか。

あるいは別の理由か。

孔明は自分の心を何年もかかって懸命にさぐっているのだが、いまもって、答えは出ていない。


十六からはじまった、この奇癖は、十年以上かかって、ようやく改善されつつある。

自分が覚悟をきめさえすれば、人に身を寄せられることを我慢できるまでにはなった。

が、それ以上は無理である。

唐突に、人に身を寄せられれば、おどろいて身を引いてしまう。

どころか、本能に克てずに、これを激しく突き放してしまう場合もある。


目の前の手を、なかなか取らない孔明に、趙雲は、すこし怪訝そうにする。

大きな手だな、と孔明は思う。

武器を持つ者の手だ。

叔父を殺した男も武器を持っていた。

けれど、大丈夫だ、この男は、わたしを傷つけたりはしない。

孔明は差し伸べられた手をとり、岩石をのりこえた。


趙雲は、そのあともしばらく、大きな岩石をのりこえては、振り返り、手を差し伸べてくる、ということをくりかえした。

そのたびに孔明はその手を受け取ったが、くりかえしているあいだに、手を取ることは作業となり、頭の中からむずかしい悩みは消えた。


そうして、最後の岩石の連なりをのぼりきると、やがて頂上にたどりついた。

先に頂上にたどりついた趙雲は、頂上からの眺めをみるなり、ああ、と落胆の声をあげた。

本来であれば、孔明を振りかえり、どうだ、と自慢してみたかったのであろう。

だが、眼下に広がる光景は、生い茂る木々のこんもりとした連なりがあるだけの、ごくごく平凡な山の風景であった。

頂上へ来たという爽快感はあるが、生い茂る草木ばかりが映る風景には、とりたてて目だって、素晴らしいと思える物はない。


「やはりな」

趙雲のがっかりした声が横から聞こえてきた。

「もうすこし早い時期であったら、木々もこんなに茂っていなくて、ちょうどここから、まっすぐに見えるものがあったのだ」

「なにが」

「新野の一帯がだ」

「ああ」

方向からして、山頂からまっすぐ見下ろすと、新野城と、その周囲の町が見えたのだろう。

「おまえが来てしばらくだったかな。前から、自分がいま、どこにいて、なにをすべきか、知りたいと思うときにここにやってきていた。ここへくると、不思議と気持ちがおちいた。おまえも、このところ疲れた様子だったから、すこしは気がまぎれるかと思ったのだ。

麋子仲どのも、おまえをとても心配していた。今日、おまえをここに連れてきたのも、あの方が、気分転換をさせてやってやったほうがいいと言ったからだ。あとで礼を言っておいてくれ」


ああ、そうだったのか。

孔明はようやく、趙雲が自分だけをここに連れ出した理由を理解した。

「たしかに、いまはなにも見えないけれど、気持ちがいいよ」

頂上を走り抜ける風を全身でうけながら、孔明は心からそう言った。

「これほど爽快な気分になったのはひさしぶりだ。とてもいい気分転換になったよ、ありがとう子龍」

孔明が言うと、趙雲は、あきらかに照れたらしく、顔を背けた。

「おまえのその直言、なおす予定はないのか」

「あいにくと、ない。どうしても我慢できない、ということであればなおすけれど、そこまで嫌か?」

孔明が問うと、趙雲は逸らしていた目線を孔明のほうに直した。


その目を見たとき、孔明はすくなからずおどろいた。

なつかしい表情を、そこに思い出したのだ。

叔父や父たち。

なつかしい、自分をかついていつくしんでくれたひとびとの顔に浮かんでいた表情を。

もちろん、趙雲の顔立ちは、思い出の中の顔のだれにも似ていない。

けれど、趙雲の顔に浮かぶ表情は、叔父や父たちが向けてくれた表情と、おなじ種類のものだった。

かぎりなく優しく、あたたかいもの。

そうか、だから手を触れるのも、恐ろしく感じなかったのか。


「ありがとう」

言いながら、孔明が手を差し伸べると、趙雲のほうが驚いた顔をした。

だが、趙雲が先ほど孔明にしたように、孔明が忍耐づよく待っていると、趙雲はためらいながらも、手をつかんできた。

あらためて触れた手は、思った以上に大きく、ごつごつとして、温かく感じられた。

父や叔父、そして襄陽で親しんだ仲間たちともちがう、大切な友をわたしはいま、手に入れた。

この友とともに、わたしも、もっと強くならなければ。


そうだ、だれになんと言われようとかまわない。

わたしは、たとえこの身にどんな風を受けようと、こうして泰然と立っていなくてはいけなかったのだ。

『軍師』になったのだ。

人のかしらになったのだから。

もっと精進しよう。

部屋に閉じこもっているだけでは駄目だ。

もっと外へ。

世界を知らなければ。

趙子龍。

わが君が命じたとおり、この男とともに、手を携えて、いけるところまで行ってみよう。


「ありがとう、子龍」

重ねて言うと、趙雲も、はにかみながらも、うなずいた。


頂上を吹き渡る青い風が、雲ひとつ無い空の上を駈け巡っていく。

こんな清清しい心のまま、いつまでも、どこまでも行ことができたなら。

いいや、どこまでも行ってみせよう。

この出会いで得たもの、そしてこの場所に立って思ったことは、生涯忘れないようにしよう。

これを口にしたなら、趙雲は、またも怒り出してしまうだろうなと、孔明は思ったので、沈黙を守る。

そして、ただ感謝の意味をこめて、太陽のように明るい笑顔を見せるにとどめておいた。


第2話おわり

第3話につづく

第2話、さいごまで読んでくださり、ありがとうございます。

物足りないとか、退屈したとか、いろいろ拙い点が多いかと思います。

まだまだ勉強しなくてはならないことが多いなというのを自分としても実感中。

ほんとうに、反省点が多いスタートとなりました。


次回の第3話・ねずみの算数につづきます。

引き続き、読んでいただければ幸いです。

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