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夢幻舞台  作者: 海北水澪
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第1章

夕焼けが照らしている。日が伸びてきた学校からの帰り道、絵が落ちていた。天使のようなものが描かれている。何かを表したものなのだろうか。誰が描いたかだけでも分からないものかと紙を裏返してみた。そしたらA・Kという刻印が押されている。イニシャルとみていいだろう。しかしこの2文字で思い当たる人物に、交友関係の中では心当たりはない。結局持ち主のもとに持っていく、ということはできなかった。捨てておくわけにもいかないので、そのまま家に持ち帰ることにした。

 次の日、僕が寝た後に奇妙なことがあったことを、テレビで知った。流星群が降り注いだらしい。それも僕の住んでいる地域、青羽市の周辺だけに。ニュースがそのことを取り上げているが、詳しい理由はわかっていないようだった。それでも学者が何人か出てきて、無理やり説明しようとしているが、見ていて不快感しかわいてこない。説明ができないうえに、下手なら出てこなくていいのに。いつもそうだ。何か事件が起きれば、すぐに陰謀論にこじつけたり弱者を叩こうとするし、司会はやたらと目立ちたがって人の話を頻繁に遮る。そんな不快な気分になっても、僕はこの番組を見ることをやめたりしない。その理由は天気予報だ。普通天気予報っていうと、雨が降りそうだとかそんなことしか言わないけど、この番組は違う。最後の方で潮の干満の時間と、月の満ち欠けについて教えてくれる。

「明日が満月か」

 それくらいのことだったら新聞に載ってるんだけど、僕はそれを見る機会がなかった。なぜなら、父さんが職場に持っていてしまう。忙しいからしょうがないので反論はしない。父さんだって大変なんだ。

 朝から気分を害してしまったが、学校へ行くため昨日と同じ道を通る。通ってはみたのだが当然といえば当然なのだろう、そこには何も残されてはいなかった。いつもと同じまっすぐ伸びた通学路。紙どころかゴミも落ちていない。変わったことは何もないのかと思いながら周りの学生たちと目的地を目指す。変わったことがあったとわかったのは放課後のことであった。

 学校の目の前を流れている川の岸。帰ろうとする途中、橋の上からだが石ばかりの中に一個光を放つ石が混じっているのが見える。学校から見て向かい側の岸なので登校する時は目に入らなかった。拾いに行くため堤防を飛び越えて川へと降りていく。

 手に取ってみて分かったのだが緑色をしていて丸い。手のひらに収まるくらいの大きさだった。距離のある橋の上から視認できるくらいのきらめきを持っているので近くで見るとまぶしいくらいだ。石の間に挟まっていてわからなかったが金色のひもがついている。ペンダントか何かだ。誰が作ったものなのだろう。落し物ということもありえる。風に吹かれて川に落ちたのかそれとも上流から流されてきたのか定かではない。しかしどちらにせよ気になることがある。なぜこれだけの光を放つ石に対して誰も気にしないのだろう。拾う気にはならなくとも誰かが足を止めることだってあり得るはずだ。不思議に思ったのだが考えても結論は出ないのでこの石も家に持って帰ることにした。

 その夜のこと。奇妙な夢を見た。僕は森の中に立っている。背後に木がそんなに生えていないので入り口付近なのかもしれない。そして目の前には洋館がある。外壁が白く屋根部分がそれにそう反するかのように黒い。無意識のうちに足を踏み出して洋館へと向かっていく。頑丈そうな扉に手をかけて中へと入った。内部は豪奢な作りの玄関となっていた。しかし壁はところどころ古びていた。人の気配は感じない。誰かいないものかと屋敷の中を探索することにした。玄関ホールは廊下につながっていて部屋が何個か並んでいる。廊下をそのまま進んでいく。明かりがないのか玄関よりも暗くなってきた。通路にある一室のドアノブに手をかけ自分の手元へ引くと扉が開いた。

 しかし

「っ!?」

 ドアの向こうには何もなかった。部屋に何かがあるとかというレベルではない。空間そのものが存在していないのだ。一面を暗闇が支配している。足場が存在しているのかそれとも一歩踏み出せば終わりのない空間へ転落してしまうのか。それさえも分からない。怖くなってドアを閉めようとすると、中で何かが赤く光った。どうやら生き物の目か何かのようだが徐々に近づいでくる。あっけにとられてその場に立ちつくす。が、すぐに正気に戻ってドアを閉めた。しかし無意味だった。中から力がかけられて抑えてても開いてしまうのだ。隙間から腕のようなものが見えた。真っ黒で無機質。人ならざる者、それだけで十分恐怖の対象になりうるのだ。

 僕のことを黒い腕がつかもうとした。が、触れる直前に火の粉が飛んできて手がひるむ。初めはそれだけかと思った。弱い火の力。しかしすぐに大きな火へと成長していき扉の隙間から中へと突っ込んでいく。腕も火の渦の中へと飲み込まれてしまった。総てが収まった後には何も残っていない。炭化した部分も灰さえも。

「危なかったね」

 声がしたので来たほうを見る。人間がいた。なぜか陰に覆われていて姿がはっきりとしない。声のトーンからして女性という判別はできるが。それ以外でちゃんと見えるのは右手に浮かぶ炎。腕を追い払ったものと同じものだ.。青くすべてを焼き尽くすような。そんな強い炎。手から直接出ているように見えるがどうなのだろう。

「誰?」

 ゆっくり近づいてきて僕の前に炎をかかげる。暑いという感想よりもまぶしい。そして右手から直接炎が出ているわけではなかった。ライターを持っていてそこから放っているように見える。

 しかしおかしなことに光っていても顔がはっきりと見えない。

「あなたにー」

 その言葉はっきりと聞き取れたのだがその先は分からない。そうしているうちに炎の放つ光がどんどん強くなっていく。耐え切れなくなり目をつぶると

「目を開けた次の瞬間にはね」

「うん?」

 そして目を開けるとそこは見知った場所だった。広いとも狭いと言い難い僕の部屋。カーテンの隙間から明かりがさしこんでいる。暗闇に閉ざされているわけではないと知って少し安心した。

「夢なのかな。気持ち悪い夢だったけど」

 誰に聞かせるわけでもなくそうつぶやき、枕元の時計を見たらまだ六時だった。今は夏だからとっくの昔に夜が明けていたらしい。

 今日は終業式だけだった。通知表をもらい適当に好調の話を聞いて終わりだ。宿題とかをやらないといけないのかもしれない。が、僕はすでに終わらせていた。数日漫画とか絵を描くのを我慢すれば終わる話なのだ。そんなわけで昼過ぎから夏休みが到来したのであんまりできないことをやってみようと思った。それが今回計画した外出の目的だった。普段通り学校に通っているとどうしても時間が確保できない。家と学校の間にはそれなりの距離があるので帰ってくると夕方になってしまう。 

 それで休みに入ったので時間もできたので絵を描くために町はずれにある山にやってきた。僕の住んでいる青羽というのは江戸時代の初めから宿場町として栄えていた街だった。と言ってもそれは中心部の話であってこの辺りは昭和の中ごろまでは手つかずの自然が残っているのどかな地域だったけど。なのでこの山も麓のあたりまで宅地化が進んでいるとはいえ頂上のほうはまだ自然が残っている。といっても全く手が入っていないわけではなく遊歩道として整備はされていた。事実ここに来るまでに何人かとすれ違った。山を横断する形で道が開かれているので散歩以外の利用者もいるのだろう。

 街を一望できる地点にたどり着いてあたりを見渡す。眼下には自分が歩いてきた道が広がっている。ここからは街のシンボルとして知られる人工湖の大きさを知ることができた。

「なにしてるの」

 知らない女の子に話しかけられる。初夏だというのに膝下まであるような真っ黒なコートを着ていた。その下にどういう服を着ているのかは現状ではうかがい知ることはできない。ゴシック系のデザインとでもいうのか。漫画でしか見ないような格好。おまけに右目に眼帯までしているときた。髪の色も漆黒の夜を思わせる色で腰まで伸びている。しかしそれらに対するように露出している顔だけが白い。総合すると彼女の格好は派手で目立つ。そしてかわいくなければこんな恰好は絶対に似合わない。しかそれは裏を返せば似合ってしまえば反則的なまでに本人をかわいくするということだ。

「絵を描いていたんだ」

「そういうことが好きなの?」

「うん」

「いい趣味だと思うわ」

 立っているのに疲れたのか隣に腰かけてきた。座りこんだ少女が顔を近づけて笑った。服装のこともあるけれど彼女からは何か不思議な魅力を感じる。ほかの人とは違う何かを。人とは違うということを感じるのだからもしかしたら人ではないのかもしれない。そんなことはおそらくありえないのだろうけど。

「技術的にも全然だけどね」

「それでも好きで書いてるならそれでいいの。その感情がなくてもお金を稼ぐために必要だとかね。まあ理由は何でもいいんだけれど」

 それまで楽しそうに話していた、少女が言葉を切って急に黙り込んだ。そして笑みを消して僕のことをまっすぐ見つめてくる。青い左目に見つめられると、かなりの迫力を感じて目をそらすことができなかった。自分自身を見つめていることを理解すると彼女が、再び口を開いた。

「でもこれだけは覚えておいて。自分の描いた都合のいい世界を現実で再現しようなんていうことだけはしないって。もちろん絵の中とか紙上の中に留めておく分には私は何も起こらないわ。現実に干渉しない以上は自由だもの」

 いきなり突飛なことを、言い出す。服装のセンスが周りと違うだけなのかと、思っていたがやはりそんな恰好をしている人物が普通なはずなかった。やっぱりヤバい人間に関わってしまったのかもしれない。

「やらないってそんな無茶なこと。それに普通に考えて、そんな大層なことできるはずもないし」

 笑いながら否定する僕のことを彼女は、静かに見つめていた。少しの沈黙を挟んで再び顔に笑みを浮かべる。

「そう、ね。普通ならね」

 何か含みを持たせたような言い方は気になったが、特に追求しないことにした。だって今の時点までで、どこかおかしな娘だってことがわかったから。そのまま会話がなくなって沈黙があたりを支配した。絵を描くことが好きだといっても、続けていたら疲れる。だから少しの間休むことにしているのだ。要するに何もしていなかったのだが、隣にいる少女は立ち上がる気配はない。黒く艶やかな髪をいじっている。

しかし、何というべきか。彼女のことはどこかで、知っていたような気がする。初めて会ったはずなのに。少女のほうはといえば、そんな僕の心中を見抜いてるのかように顔に笑みを浮かべていた。思い切って聞いてみようかと思ったが、怖いという感情が邪魔をしている。話すべきかどうするか悩んでいるかと少女のほうが僕に接してきた。

「きれいね、そのペンダント」

「ああこれ?」

「誰かにもらったのかしら」

「拾ったんだ。川に落ちてたやつをね」

「そう」

 身を乗り出して、ペンダントの観察を始めてきた。体がくっついて戸惑う。離れようとしても近すぎて身動きが取れない。だが彼女のほうは何ともないらしい。悪意があるのやらどうなのやら。指先でつまんで相変わらず観察をしている。

「ねえこれちょうだい」

 いきなり耳を疑うようなことを言う。変わらず、少女の顔は僕の目の前にあった。

「ちょっと困るよ、それは」

 真っ向から否定するわけではなく、遠まわしに無理だというのだが諦めようとする気配は全くない。何を言ってもどうにかして、僕からもらえないだろうかと考えさせるだけなのかもしれない。

「そうよね、大切なものなら渡せないはずよね」

「うん」

「そっか」

 少女の体が動いて引いたから納得してくれるのかな、と思って少し気を抜いた時。彼女が近づいて唇を重ねてきた。驚きのあまり僕は目を見開く。

「これでもダメかな、ただでくれっていうわけじゃないよ」

「そんなに欲しいの?」

 彼女は黙って頷く。首肯だ。ここまでされてしまった以上、渡さないわけにはいかなくなってきた。首に手をまわしてペンダントをつかむ。そして彼女の掌の上に置いた。

「ありがとう」

金細工のペンダントを受け取ると、立ち上がってコートについていた土を払う。立ち上がる寸前になぜか草をむしっていく。

「最後に少しだけ」

「なに」

「簡単なクイズよ。知ってれば解けるし知らなければ解けない」

「それ簡単って言わないような気がするけど」

「いいから。いくよ」

 僕の事を手で制して自分の話を続けていく。普通だったら憤るところだけど、ただそれもかわいいからというだけで許せてしまう気がした。それだけ彼女は麗しい存在なのだ。

「桜の木の下に埋まっているのは?」

「死体、だっけ」

「そう正解よ。少し簡単すぎたかしら。じゃあ次行くわね」

「まだ続くの?」

「今のは練習問題というか序の口。ほらほら」

「ちゃんと簡単なのがいいなあ」

「それは君次第。いくよ」

「うん」

「桜の下に埋まっているのは死体よね。じゃあ都市の下に眠っているものは?」

「え?」

「質問に質問とか疑問で返しちゃだめだよ」

 少女に窘められるが仕方ないと思う。彼女の言っていることが、なんだかよく分からなかったから。なぞなぞみたいなものなのか、それとも本当に何か埋まっていて、それを答えるべきなのだろうか。どうするべきかを考えていると。

「はい、時間切れ」

「早いよ」

「さっき言ったでしょ。知ってれば解ける。そうじゃなければ解けないって。これ以上時間をあげたとしても、多分答えは出てこない」

「うーん……」

 言っていることはなんとなく分からなくもないのだが、どうしても納得がいかない。

「じゃあ正解を言うわね。答えは龍よ」

「龍?」

「そう龍よ。大きな都市の下には、絶対に龍が眠っているの」

 最後の最後に一番おかしなことを言いだした。いわゆる電波系なのだろうか。関わってしまったことは失敗だったかもしれない。

「龍なんて」

「実在するわ。君が見たことないだけで確実にいるの」

「そういうもんかな」

 これ以上話を続けても変なことしか言いそうにない。どうにか切り上げる方向に、仕向けたいのだがどうすればいいのだろう。

「信じてなさそうね。でも証拠だってあるわよ。青羽の由来は聞いたことないかしら」

「青葉根 っていう字がなんかいろいろあって変わったとかじゃないの」

 小学生の頃、総合の授業か何かで由来について調べたような覚えがある。青葉の生える木が多かったから青葉根とかだって文献に書いてあったけれど。

「それはいくつかあるうちの理由の一つ。で最も多くの人が理解できてなおかつ納得のいくものだったの。本当は青い翼をもった龍が、この都市を守っていたから」

「だけどどこかにそのことが書かれた文献が残ってるんじゃないの」

「燃えちゃったの、ぜーんぶ」

 あっけらかんとした調子で彼女は告げる。さっきまでは、勘弁してほしいって思ったけど青羽の件にになってからはもっと聞きたいって思ってたみたい。彼女ともっと痛いとか思ってたけど、もう話す気はないようだった。

「さて、と私はもう帰るけど。君も早く帰った方がいいよ。最近異変が相次いでるし」

 異変 というのは流星群が降り注いだことだけではないなと僕は思った。数日前から僕の住んでいる街も含めた、広範囲で地震が頻発しているから。最初の頃は小さかったものの徐々に大きくなってきている。中には大地震の前触れだなんて、言っている人もいたけれどこの件に関してはあながちウソでもないのかもしれない。それより少し前にはなんとオーロラが見えたりしたこともあった。そもそも僕の住んでいる地域は、日本でも西の方にあるから位置的には絶対に見られるはずはない。

「そうだね、早く帰るよ」

 彼女は僕が返事をした後、歩き始めた。僕が来たのとは別の方角から来たようだった。おそらくは隣町に住んでいるのだろう。確か地図を見た限りだと、山の頂上あたりを境に住所が変わるはずだった。といっても住所が変わったとしても、住んでる人間とか街並み自体はニュータウンなので似たようなものなのだが。

 少女の姿が見えなくなった後、芝生の上に横になる。座っている姿勢から、寝転がり足を投げ出して空を見た。すがすがしいくらいの青空である。ところどころ小さい雲が浮かんでいるが雨を降らしそうなものはない。帰るといったが、少しばかり昼寝をしたって罰は当たらない。

「おーい」

 声が聞こえたので目を開けた。どうやらいつの間にか眠っていたらしい。目を覚ますと隣に男の人が立っていた。高そうなスーツを着こなし、革の手袋をするなどとてもおしゃれな格好をしている。どこかで見たような気がするが思い出せない。

「大丈夫かい」

「あれ、いつの間に……」

 さっきまで明るかったのに空が雲に覆われて真っ暗になっている。起きてた時は青空だったのにだいぶ長い時間眠っていたらしい。うかつだったかもしれない。この空模様では帰るまでに天気が持つとも限らない。心なしか眠る前に比べて気温が下がっているような気がする。風も強くなってきた。

「こんなところで寝ていては風邪をひいてしまうよ」

「あ、はい」

 少なめながら言葉を交わして山を下りようとした時。僕の顔に雫が垂れてくる。1回で終わらず何回も続きやがて雨が降り始めた。雨粒の大きさとしてはまだ小雨程度なのだが傘は必要だろう。

 立ち上がろうとして

「これって……」

 足元のあたりに何かが引っ掛かっているのに気が付く。手に取ってみるとそれはペンダントだった。彼女にあげたはずだったのに何でこんなところに落ちているんだろう。一応拾ってポケットにしまっておくことにした。

「降ってきてしまったか……」

 僕のことを起こしてくれた男の人が、ため息をつく。彼は僕と同じように傘を持っていない。無理もない。雨が降るなんて朝の天気予報では言っていたから。日が暮れるまではずっと快晴で青空が広がると僕も思っていた。濡れてはいけないので急いでスケッチブックをカバンの中に仕舞う。どれくらい降るかは分からないが今のままの振り方の可能性は低い。ならば麓まで早く降りて安いビニール傘を買って家を目指す。それが今取れる最善の考え方だと僕が思っていると。

「君も濡れると大変じゃないか」

「ええまあ」

「私の住まいがすぐ近くにあるんだが。どうかな、雨がやむまでそこで待っているというのは」

 ずいぶんと親切なことをいう人だと思う。しかし結構怪しいんじゃないかこの提案。会ったこともない見ず知らずの人間を何で家なんかに招いたりするのだろう。怪しいので断ろうとしたとき、急に雨脚が強くなってきた。さっきよりも雨粒がはっきりと目に見えるくらいに降り注ぐ。

「いかん、本降りになりそうだ。君も急げ」

 男の人が走っていく。怪しいとは思うが濡れたままで下山するわけにもいかないのでついて行くことにした。しかし、住まいとやらはどこにあるのか。てっきり山を降りていくものだと思ったけど山を登っていく。この辺は自然公園みたいになっているのに人なんか住んでいるのだろうか。しかもそれが頂上付近になれば森林が生い茂っているような場所になる。住んんでいるのは人間なんかじゃなくてキツネとか。

「さあ着いたぞ」

 何故か綺麗に整地されている道を進んでいき男の住まいにたどり着いた。普通の一軒家にしてはかなり大きい。一軒家というより屋敷と呼んだ方がふさわしい大きさと外観をしている。

晴れていればきっとここから街の全景を見ることができるのだろうか。ずいぶんと高いところまで登ってきたものだ。

そして驚くべきことはその屋敷が僕が夢の中で見たものとほぼ一緒だったということだ。

偶然なのかもしれない。というかそれ以外に普通は存在しない。

「どうしたんだい、早く入りなさい」

 僕が驚いて立ち尽くしているのを見かねて、男が話しかけてくる。その声で我に返ると

立派な作りの扉をくぐって玄関に入っていった。

「いや、まったくひどい目にあった。急に振ってくるんだもんなあ。でもそんなに濡れてはいないか」

 男が上着を壁にかけている横で僕は部屋の中を見渡した。間取りはもちろん調度品や壁紙さえも一緒だった。何という一致なのだろう。違うとすれば室内が夢の時と比べて耀ということ、室内に誰かがいるということだった。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 階段の上から声がする。そこに目をやるとメイドさんが立っていた。ロングスカートで手と顔以外に露出している部分は一切ない。切れ長の瞳で美人なんだけど表情が動かない。無機質で何を考えているのか。

「使用人の紀香だ」

「どうも」

 男の人の紹介でメイド―紀香さんがゆっくりと頭を下げた。

「濡れてしまったんじゃないかな、服乾かしてあげるからお風呂に入ってくるといい」

「いいんですか」

「構わないさ、風邪をひいてしまったら大変じゃないか。好きに使っていいから。それで風呂なんだが―」

 男が示した通りの道順をたどって風呂場を探し出す。廊下の様子は夢で見たものと違う。玄関と同じでちゃんと明かりだってついていた。なのにどこか怖い。得体のしれないものがどこかに潜んでいるんじゃないかとか、狙われているんじゃないかって。そもそもあの男の人は一体何を考えているのだろう。分からない。自慢じゃないけど僕の家はそこまで裕福じゃないし地位があるわけでもない。誘拐するには人選が間違っている。

 男の目的や正体を考えながらそのまま長い廊下を進んでいく。説明によれば洗濯機も風呂場に併設してあるとのことだった。その洗濯機の中に濡れた服を放り込んでおいてほしいと言っていた。どうでもいいことだけれどこんな大きい家に設置される洗濯機ってどんなものなのだろう。普通のドラムタイプではこの洋館には似合わない気がする。でも高級そうな洗濯機なんて僕は見たことない。というか洗濯機の中身の質がいいとかがあるのは分かるけど、デザインが高級そうな洗濯機なんかあるのかな。

「あ、ここか」

 赤く塗られた扉の前で僕は立ち止った。ここが風呂場として教えられた場所だった。ゆっくりと扉を推して中へと入っていく。夢のことを思い出したので戸を押すとき慎重になった。開けたら向こう側は奈落の底に―。

 と思ったけど別にそんなことはなかった。扉の向こう側はちゃんとした空間につながっていた。少し警戒しすぎだったみたいだ。ちなみに何があったかといえば至って普通の洗面所だった。そこに脱衣場があるのだがしいて違うところを探せばとても広いということ。

僕の家なんかより圧倒的に広い。一般的な旅館と同じくらいかな。そして話通り洗濯機もちゃんと併設されていた。どんなデザインをしているのかと見たらなんてことはない。普通に量販店で売られているようなありがちな洗濯機だった。違ったものを期待していたから少しだけ残念な気がする。

 勝手に期待したぼくが悪いだけなんだけども。

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