vast and hazy
ここは
どこだ?
暗闇の中にただ靄がかかっている。
俺は自分の手を見る。いつもの自分の手がそこにある。
着ている服もいつものうちの学校のブレザーだ。
足元は……わからない。白い靄がそこから発生していて、膝から下を隠していた。
誰だ?
俺の向かいに誰かが立っている。
黒いスーツに身を包んでいるその少年は、華奢な体躯に似つかわしくないものを手にしていた。
はじめは周囲の暗闇に同化して、何を持っているのか、わからなかった。やがて白い靄に照らし出されるように、その姿が明らかになる。少年の顔は見えない。しかし、その手に持っているのは、鈍く黒く光る、彼の胴よりも幅広の大剣。
いつ振り上げたのかわからないその大剣が、俺をめがけて、振り下ろされた。
斬られた、とわかったのは、袈裟懸けに俺のブレザーが切り裂かれ、俺の肩が首と離れ、俺は自分の腑が露わになるのを見、血が噴出し、
叫んだ筈だった。
しかし声はどこにも響かなかった。
まるでここには空気がないように。
俺は、死んだ。
いや、待て。
死んだやつがなぜこうやって
意識を文章にして記すことが出来るんだ?
真っ暗だと思っていたら靄がかかっていた。
白い靄を踏んで、俺は立っていた。
手が何かを掴んでいる。体温が既に馴染んでいるが、固くて、冷たいものだ。
俺はそれを掲げる。青い光を内から発しているその大剣を。
刀身に見慣れた自分の顔が映るが、死人のように表情に生気がなかった。
刀身を少し下げると、自分の首から下が映った。堅苦しい黒いスーツに身を包み、ストライプ柄のネクタイを締めている。
敵が
来る!
俺の躯が動いた。殺気を感知して、まるで自動人形のように。
靄ごと、敵を斬る。
無音だった。しかし敵を斬った手応えは確かに伝わって来た。
靄が晴れ、敵が腑をぶち撒け、現れる。
それは俺自身の姿だった。
やつは、死んだ。
なぜ……殺した?
俺は、なぜ、自分自身の姿をしたやつを殺したのか?
敵だから。
殺気を見せたから。
しかしやつは武器を手にしていなかった。
理由などわからない。
何もわからない。
ひとつだけわかることは、
今、目の前に、また敵がいる。
凄まじい殺気を放って、俺を殺そうとしている!
靄の向こうに、いる!
靄を裂いて、やつの武器が襲いかかって来た。音もなく。
俺は大剣で受けた。衝撃だけが躯に響く。
やつの武器も同じものだ。着ている服も、ネクタイまで同じ黒いスーツ。
顔も、同じだ。ただひとつ、違うことは……、やつのほうが、強い。
間違いない。やつは経験を積んでいる。おそらく俺達の間にある差は、髪の毛一本分の違いだ。それほどまでに、違いがあるのだ。
俺の剣がやつの肌をかすめる。やつは紙一重で引いてかわす。
やつの剣が俺の肌を斬る。俺は紙一重で引き、やつの剣は俺の肌を削ぐ。
髪の毛一本ぶんの傷が、俺の皮膚に次々と増えて行く。
音はない。俺の息は荒い。やつの攻撃を避けながら、こちらも大剣を振るい続ける。やつの表情は殺気に満ちている。自分の表情は見えない。やつと同じ顔でありながら、おそらくはまったく違う表情をしている。
やつのスーツは黒いままだ。俺のスーツはだんだんと赤みを増す。
やつのスーツは黒いままだが、俺の大剣がその布だけを裂いて行く。俺のスーツはだんだんと赤みを増しながら、裂けて俺の肌を露出して行く。
「まだだ」
俺は口を動かした。声はどこにも響かない。
「まだだ!」
俺は声を響かせようとした。
対峙する俺自身が強く笑う。
とどめを刺せると確信した笑いだ。
鮮血が舞った。やつの胸から。
俺の大剣が、やつの胸に真っ直ぐ突き刺さっていた。自分でも何が起きたのかわからなかった。俺がしたことと言えば、死を覚悟しなかっただけだ。諦めなかっただけだ。
「ウルギ……」
やつの口から、無音の中に声が漏れた。
「オレハ、シンダ」
一陣の風がどこからともなく吹き、靄を飛ばす。すると現れた、やつの足下にあった、俺の躯から流れ、そこに出来ていた血溜まりが。やつはそれに足を滑らせたのだ。
靄がどこにもなくなると、暗闇だけになった。手応えだけを残して、敵も眼前から消えて失くなった。
限りない静けさが俺を包み込んだ。
俺は目を閉じる。
目を閉じても、何も変わらなかった。
ゆっくりと、目を、開ける。
いつもの俺の部屋のベッドだった。そして目の前には、何もなかった。
さて、この何も書かれていない白紙に何を書こう?