10 追憶の記憶へと
次は3月30日の投稿を予定してます。
井谷宗佑は暗い廊下に立ち尽くしていた。目の前には応接室の扉がある。この向こうに幽霊となった六条美沙がいるというのだ。一階で待機している彼等によれば、霊感などないはずの自分でも幽霊が見えるようにしてくれているという。
最初に自宅で先輩から彼女が幽霊となって現れていると聞いたときは信じられなかった。自分に都合の良い夢だったのではないかと、そう思っていた。
しかし、どうやら本当のことだったらしい。
ここにきてようやく彼女と会うという現実を認識した。死者と会えるなんてとんでもない奇跡だ。ここまでお膳立てしてもらったのだ。行かなくてはならないだろう。それに、依然として彼女に会いたいという気持ちは強くある。
井谷は深く息を吸って腕を伸ばし、扉をノックした。
『どうぞ』
聞き覚えのある声による応えに、心臓が大きく鼓動した。ドクンドクンとうるさく音を立てる心を上から押さえつつ、扉を開ける。そこは応接室のようだった。廊下とは対照的に、明かりが満ちている。その中心にあるソファに彼女がいた。
「っ! み、美沙……」
『宗佑さん……』
井谷は息を呑んだ。六条の体の損傷が目に入ったからだ。
――これが、幽霊なのか。自らが死んだときの姿で一月以上彷徨っていたのか
何もしてやれなかったと悔いる気持ちと共にそんな言葉が彼の心の内で渦巻いていた。だから、再会は笑顔でとはいかなかった。強張った表情を無理矢理動かして、失敗したような歪な表情になってしまっていたはずだ。
「……久しぶり、美沙」
『本当に久しぶり、宗佑さん』
六条は気にしていない様子だった。どれだけ井谷がぎこちない様子であってもきっと彼女の方は会えた喜びを全面に出していただろう。
そう思わせるような喜び方だった。
「『会いたかった……』」
二人が向き合ってぽつりと呟いた想いは全く同じだった。自分の言葉が彼女のものとぴたりと合ったことで井谷は泣きそうになっていた。
――ああ、怖がることなんてなかったんだ
彼女の声が懐かしい。直接会って言葉を交わしたのは相当前になる。そして、それが最後だった。元気な姿を見たのも、自分を温かく包み込む声を聞いたのも。
『私達、同じ気持ちだったのね。実は、少しだけ会うのが怖かったの。――だって、何も相談せずに勝手に死んじゃったんだもの。怒っている、よね?』
彼氏にだけ向ける言葉遣いでそんなことを言った六条は不安げな色をその表情に表していた。
「怒ってなんかいないよ。怒りようがない。一番辛いときに僕は会いに行けなかった。いや、行かなかった。だから、君に会う権利なんてないだろうと思って……会うのが怖かったのは僕も同じだったんだ。君の方こそ、僕のことを怒っていたんじゃないのか」
『いいえ。怒ってなんかいないわ。怒るとしたら、それは……』
そこで少し言葉を切って六条はうつむいた。
『……それは、身勝手に死んだ自分に対してよ』
彼女のその言葉に、井谷は何も言えなかった。
――身勝手に死んだ
確かに、何の相談もせずに死を選んだ彼女は身勝手と言えるかもしれない。
「確かに勝手な行動だったかもしれない。でも、それを言うなら僕だって自分の都合を優先して君を気に掛けていなかった。君が深く悩んでいることは察することができたはずなのに!」
――『ねぇ、もし私がいなくなったとしたら』
『宗佑は悲しんでくれる?』
あの言葉は彼女からのSOSだった。それなのに井谷は会いに向かおうともしなかった。もちろん、RISE上では心配する文言を書いた。しかし、本当は面と向かって話すべきだったのだ。
そうすれば、この先もずっと彼女と寄り添い会うことが出来ていたかもしれない。町で見たあのカップルのように、幸せの中に生きていられたかもしれない。
しかし、もうそれは叶わない。
強い後悔の気持ちが襲いかかり、井谷は苦しげに顔を歪めた。
それを見た六条は目を見開くと、ぽろりと涙をこぼした。
『私――、死んだのはやっぱり間違いだったみたい。たぶん、こうして会うのも』
「美沙……?」
『宗佑さんをこんなに悲しませることになると分かっていなかったの。何て馬鹿だったんだろう私……会ってしまったら、もっと辛くなる。悲しみを長引かせてしまうのにっ』
「美沙……ちがうよ」
ぽろぽろと涙をこぼす彼女に向けて井谷は手を伸ばす。だが、その手が涙をぬぐうことは出来なかった。
降ろした手の拳を強く握りしめる。
『ごめん、ごめんなさい、宗佑さん……。私、あなたに会う権利なんてなかった……! こんな場を望む前に消えてしまうべきだった……!』
「そんなことないっ!」
初めて、井谷は声を荒らげ、立ち上がった。確かに、今こうして会ったことで気持ちの収集をつけるのが遅れるかもしれない。しかし、それがどうした、と思っていた。むしろ、こうして会えたからこそ整理できる心もある。
「美沙、僕はこうして君に会えて良かったと思っている。僕と君が共に会いたいと願って、今叶ったんだ。その奇跡を否定しないでくれ。会わない方が良かったなんて言わないでくれ!」
『宗佑、さん……』
井谷も少し前に同じことを言って悩んでいた。だが言われる側になってみれば、権利などという言葉を理由にして欲しくないと強く思った。
こうして会ったことは決して間違いではなかった。
「美沙、僕は君と会いたかった。ずっとずっと――忙しいと言いながらも。美沙は違っていた?」
『ううん……会いたかった。それで、本当は言いたかった。助けてって……』
助けてという言葉を言ってから六条はびっくりしたように手を口に当てていた。言うつもりはなかったということだろう。
しかし、一度覗いた心の声のせいだろうか。箍が外れたようにそこから次々に本音が零れ落ちてくる。多くは生前の彼女が井谷と会えない間どんな気持ちで過ごしていたのかという内容だった。
『苦しかった。どんな行動をしても悪意が跳ね返ってきたから』
うつむいた六条は膝の上でぎゅっとスカートを握りしめた。
『悔しかった。あそこでは私のことを誰も見てくれなかったから。私の価値を何も認めてくれなかったからっ』
そこで、井谷はテーブルを回り込んで六条の隣に腰を下ろした。そして彼女の体に腕を回す。触れるか、触れないか。そんなギリギリまで寄り添う。
「僕が言えることじゃないかもしれないけど……美沙はよく頑張った。気付いてあげられれば良かったね」
『そう、かな……』
顔を上げた六条は井谷の手にそっと自分の手を乗せるように置いた。
触れるほど近くにいるのに触れられない。
生者と死者という距離。詰めることの出来ない、越えることのできないそれが二人を隔てている。もはや覆すことなど叶わないその事実が重くのしかかった。
『もっと、強く……抱きしめて欲しいの。だけど、もうそれも出来なくなっちゃった……』
「そうだね。でも、こうして出会えただけでも奇跡なんだ」
二人はしばらくの間、沈黙の中にいた。互いに抱いていた後悔の気持ちは消化され、受け入れられていく。
『ねぇ、宗佑さん』
ややあって、六条が顔を上げる。瞳は潤み、今すぐにも涙が零れ落ちそうだったが、唇を引き結んで強い覚悟を浮かべていた。
『私ね……あなたに伝えたいことがたくさんあるの。話せるだけ話してしまったら今度こそお別れ、しなきゃ……』
唐突に死ぬ、または消えるという幕引きではなく心残りの無いように言葉を尽くして、納得ずくで別れよう。そう告げているのだ。
井谷は言葉を押しとどめるかのように唇を噛んだ。しかしそれでも湧き上がる感情のまま漏れ出てしまいそうだった。彼女の覚悟を理解しようとしない言葉が溢れそうで、必死にその波を抑えようとする。
『あなたはもう私という枷を外さなくてはならないの』
死者は生者に関わるものではない。ただ時を止め、未来へ行く者達を見守るのだ。
生者は死者に対する悲しみを抱えていても、未来へ歩いて行かなくてはならない。
六条美沙は願う。自分が彼への未練を断ち切り、彼が未来へと歩いて行けるようになることを。
「……美沙、ちゃんと分かっているから。だけど――」
井谷はくしゃりと顔を歪ませ、言葉を押し出すようにしてそう言った。内心で渦巻いている言葉とは全く違うことは明白だった。しかし、彼も分かっているのだ。人間社会を構成する中に死者はいない。生者が死者と共に歩むことなど出来ないということを。
『とりあえず、夜明けをめどに――ね。話そう、たくさんのことを』
覚悟の決まった、しっかりとした瞳を柔らかく細めて六条は終わりの時を決めた。それを受けて井谷は泣きそうな顔で頷く。
「そうだね。この奇跡の夜を語り明かそうか」
そして東の空が明るくなる頃、『さようなら。それと、ありがとう』と言い残して六条美沙はスゥッと消えてしまった。まるで始めからそこにいなかったかのように。
「っうう……美沙」
何も残っていない隣の空間に、もう二度とあの奇跡が起こることのないと悟り井谷は目を覆って項垂れ、嗚咽を漏らした。
彼女のことは出会いからすべて鮮やかに井谷の中にあった。「はじめまして」と言って緊張した様子を見せていた姿。デートで楽しくて笑い合った思い出。最後は「会社、別になっちゃったけど、連絡は取り合おうね」と少し寂しげに微笑む姿。
もしあのとき別の選択肢を取っていたら、彼女は今も側にいたのだろうか。
「うぅ……ううっ……」
耐えきれず零れ落ちた涙が服を悲しみの色に染めてゆく。しかし、こうして涙を流したことでようやく彼女の死を受け止めることが出来そうだと思っていた。彼女のことは懐かしい思い出としていつまでも……きっと死ぬまで心の中に息づくことだろう。
唯一残してくれた手紙を抱き締め、彼は心の中で告げる。
――さようなら、ありがとう
***
「……!! 失礼するっ!」
ちょうど客が来ていたらしく、勢い良く跳ねた扉に驚き、一歩下がった。
「フンッ……」
不機嫌な気配を撒き散らした客はそのまま帰っていったようだ。見覚えがない相手だったが、おそらく、霊能者だ。
「失礼します。叔父さん、今の人は?」
「ただのクレーマーだ。こちらが報いる必要のない。親に叱られた子どもが八つ当たりに来たようなものだ。あとで塩を撒いておこう」
「怒らせたの」
「いや……この度はお悔やみ申し上げますと言ったら勝手に怒り出しただけだ。さて、それはともかく、今回も無事に解決したようだな、来留芽」
社長の言葉に来留芽は視線を下げた。
無事ではあったがベストな解決は図れなかった。今回の顛末をまとめると、あれで本当によかったのだろうかと思ってしまうのだ。結局、もう二度と会えないことを突きつけただけだった。幽霊関係はどうしてもそんな終わりになってしまう。
「……まぁ、いつもの面々で仕事に向かえただけあって楽だった」
オールドアに戻ってきた来留芽は一人で社長に簡単な報告をしていた。今回最も健闘したのは細だろう。次点で樹か。
このような報告は彼等がやってこそ内容の充実したものものになるはずだ。
報告を押し付けられた身としてはそう思う。
「何か言いたげだな。正解なんてないのだから、納得するしかないだろう。ところで、他のメンバーはどうした?」
社長が少し訝しみつつそう尋ねてきた。微かに首を傾け、眉を寄せて不機嫌さを表しているようなヤクザ顔と真っ直ぐ向き合ってどうしたものかと考えた。この場に細以下、碓井家の怪で仕事をしたメンバーがいないのはそれぞれ情報収集のためにどこかへ出掛けているからだった。
何故かは知らないがそのことを社長に知られたくないようだった。しかし、おばあさんと六条美沙の霊について一応報告しなくてはならないので来留芽が来たのだ。
細には追求された時は何と言ってでも誤魔化してくれと言われていた。だから「後のことは知らないから」と心の中で呟いてこれ以上の追求をかわせる言葉の選択をすることにした。
後になって慌てる彼等の様子を思い浮かべたからか、少しだけ笑いそうになりながら来留芽は言い放つ。
「サボり」
「は? あいつらが?」
社長のヤクザ顔が和らいだ。ぽかんと口を開けている様子は間抜けさが漂う。
これだけ凄味のない顔なら会う人会う人に怖がられることはないだろうに。しかし、間抜け顔を晒し続ける社長というのは逆に困るかもしれない。
そんなアホらしい考えから現実へと戻って、来留芽は説明を加えずに同じ事を言った。とにかくこの場は社長を煙に巻いて時間を稼がなくてはならない。
「だから、サボり」
「つまり、逃げたということか?」
来留芽の言葉からそういった結論を導き出した社長は恐ろしく凶悪な表情になっていた。怒りが振り切れそうになっているに違いない。それはそれで困るので言葉を濁しておく。
「さぁ? でも、報告を面倒臭がったのは確かだと思う。私もだいたいの流れは知っているから押し付けられた。細兄達が何をやっているかは知らないけど、悪いことにはならない。たぶん」
「……そう、か。まぁ、帰ってきたら一つ雷を落とす程度で済ませることにしよう。もういいぞ、来留芽」
「じゃあ、宿題に戻るから」
来留芽はパタンと社長室の扉を閉め、“雷”が比喩的な意味だといいね、と独りごちた。昔、細が悪いことをしたときは社長の母親、渡世暦が文字通りの雷を落として仕置きしていたという記憶がある。もう随分と昔の懐かしい記憶だ。
その血を引いている社長もそれが出来るかもしれない。いや、きっとできるだろう。
「……」
後に待つ阿鼻叫喚を想像してしまった来留芽は肩をすくめて考えなかっことにした。
追憶之章Fin.
『蓮華原市の番外』も更新してあります。
下の方にあるリンクからどうぞ。




