9 再会を待つ二人
次は3月27日の投稿を予定してます。
夜。とはいえまだ遠くが少し明るい時間だが、碓井は何とか仕事を終わらせて井谷と待ち合わせしていた場所へやって来ていた。彼の表情が焦りから安堵へと移り変わっていくのを店から漏れてきた光が照らし出す。
「待たせたか、井谷」
「いえ。気付いたらこの場所にいたので……待ったとかは特に思っていません。お疲れ様です、係長」
同じ明かりの中、ぽつんと一人ベンチに座っていた井谷は立ち上がると碓井に会釈した。その顔色はとても良いとは言えない。昨晩からずっと――いや、今この時も悩み続けているのではないだろうか。
憔悴しきったような彼の様子は気になったのだが、約束の時間が近付いていた。腕時計をチラッと確認すると碓井は井谷を促して歩き出す。一応ちゃんと井谷はついてきている。
「井谷、お前、食事は」
歩いていてたまに井谷がぼんやりと中空を見たりフラッとよろめいたりするのを見ると心配になった。ひょっとして悩みすぎて食事もまともに取っていないのではないか、と。
碓井の問い掛けに井谷はぼうっとしたまま首を傾げていた。
「……どうでしたっけ? 食べたような、食べていないような……」
その様子を見て危機感を覚えた碓井は井谷に向けて「少し待っていろ」と言うと早足に近くのコンビニへ向かった。悩みすぎて食べていないのだろうと判断したのだ。
「……ほら、井谷。少しでもいいから食べておけ」
戻って来た碓井は井谷の眼前に二つのおにぎりと飲み物が入った袋を突き付けた。それを彼はきょとんとして受け取る。全く話を聞いていなかった、もしくは聞こえていなかったようだ。
彼に分からないように溜息を吐いてから碓井はあえて厳しい態度を取ってみせる。
「そんな腑抜けた様子のお前を見て、六条美沙さんがどう思うか考えたか?」
「あ……」
「俺だったら自分を責めるな。お前の話を聞いていて思ったが、六条さんもそんな考え方をするんじゃないのか? だとしたら、お前はどうするべきだろうな?」
井谷の手がそろそろと袋の中に伸ばされた。そして、一つおにぎりを取り出す。
「いただきます、係長……」
「この時間はもうプライベートだから呼び方は係長じゃなくてもいいぞ。ま、ゆっくり食べておけ。連絡はしておくから」
「……すみません」
「いや、別に構わないさ」
井谷がおにぎりを食べているのを横目で確認しつつ碓井はスマホを取り出す。そしてオールドアへ連絡すると、井谷の隣に座ってコーヒーの缶を開けた。
「碓井先輩……」
少しだけ食べる手を止めて人の流れを見つめながら井谷はぽつりと呟いた。その目が追いかけているのは仲睦まじい様子を見せるカップルだった。寄り添って歩く彼等を視線で追いながら碓井は応じる。
「ん、どうした」
「僕は美沙に会っても良いんでしょうか。一番辛いときに側にいなかった僕に、美沙と会う権利なんてあるんでしょうか」
その言葉によって昨晩から彼が悩んでいたことを知った。会いたいと願ったのは井谷だが、時間の経過によって覚悟を決めるどころか、かえって困惑してしまったのだろう。急な話だったのだ。無理もない。
「……権利とか、誰かが決められる物じゃないだろう。お前が会いたいと願った。そして、彼女も会いたいと願った。それが全てで良いんじゃないか。罪悪感があるなら謝れば良い。勝手に死んだことを怒っているなら文句を言ってやれば良い。せっかく奇跡が起こっているんだ」
そこで少し言葉を切って碓井は考えてみる。井谷に六条美沙と会う権利があるか? そんなものは誰かが決められる物ではない。双方とも会う事を決めたのだから、会えば良い。
やはり、碓井個人としてはそう思う。
井谷は自分に六条美沙と会う権利があると言って欲しいのだろうか。ここで碓井が背中を押しても良いのだろうか。
「……お前にはちゃんと権利があるんじゃないか。こうして機会が巡ってきている。相手もお前を望んでいる。お前の心に従って行動すれば良いと思う。――会いたいんだろう?」
「はい。会いたいです」
どれだけ悩んでも井谷の“会いたい”という気持ちは変わっていなかった。それならば、会う以外にすることはないだろう。もしその他の選択肢を取るというならば、それは単なる逃げだ。
「結論は出ているな。なら、躊躇うことはないんじゃないか。ちなみに、命の危険は無いそうだぞ」
「その点については気にしていませんでした」
「そうか」
死んでも構わないという本音が聞こえた気がして、碓井は視線を落とした。
「……食べ終えたのなら、行くか」
「はい。ご馳走様でした」
「気にするな」
井谷の表情が幾分かましになったのを見て碓井は今度こそ家へと向かう。
***
一方で、碓井家の前では細、来留芽、巴が集まっていた。碓井家が異空間めいたものになっており、普通の人間である碓井や井谷では気付けない可能性があったからだ。それに樹が掌握しているとはいえ、危険がないとは限らない。だが、オールドアの誰かの付き添いがあれば別である。
「……碓井さん達は少し遅れるかもしれないって。中入っていてもいいよ。あたしがここに居るから」
通話を切ってから巴がそう言った。来留芽達はもう互いに状況の説明を済ませている。だから誰が外に残っても良いのだ。
「一応俺もここに残ろう。女性を一人で待たせて自分は家の中でのんびりしているなんていうのは男としてどうかと思うからな」
「あっははは。その“男としてどうか”している奴が二人居るみたいだけど?」
細の言葉に声を上げて笑った巴が碓井家の玄関扉を指さした。当然、その対象に思い当たった細と来留芽の二人は苦笑した。
「樹兄は仕方ないんじゃない。空間の制御を安定させるにはその中にいた方が良いみたいだし」
「あー、まぁ、今回はそうね」
「薫兄は……今回、どうなの?」
来留芽にそう尋ねられた細はまた苦笑した。
「あまり役に立っていない。けれど、今回は相性が悪かったからな」
薫は環境に作用されると途端に調子を崩す……らしい。呪であれば力ずくで壊してしまうのだが、霊能者が霊能者たる異能を使われると壊せないのだそうだ。
来留芽は薫との話でこういったことをよく言われるのだが、未だに意味が分からないところがある。誤魔化されているのではあるまいか。そのように感じていた。
「うん、薫兄は次に期待する。じゃあ、私は家の中にいるから」
来留芽がそう言うと細と巴は全く同じタイミングで同じように手を振ってきていて思わず気が緩んでしまった。
「あれ、お嬢。妙に機嫌が良いな」
碓井家の仏間にやって来ると、樹が出した魚をつついて遊んでいた薫が目敏く来留芽に気が付いた。
「そう? 細兄と巴姉がそっくりな行動をしていたのが面白く思っていただけだけど」
「へぇ。あの二人もそんなに息の合った行動するのな」
「するみたい。それで、薫兄は何してるの」
「樹の魚で遊んでる。なかなか面白いぜ、これ。俺もこんな術使えればなぁって思った。工夫のしどころがたくさんあるじゃねぇか。鬼の力はもう本当に超人的な身体能力だけだからな」
すいーっとやって来た極彩色の魚に目を奪われつつも来留芽は会話を続ける。
「樹兄いわく、色々な力を使え過ぎても困るって」
「贅沢なことで」
二人して中に浮かぶ魚をつつき回しながらそんなことを言っていると、赤い鮫がパクッと頭に噛みついてきた。視界が一瞬にして真っ黒に染まったが来留芽も薫も騒ぎはしない。樹がやったことだと分かっているからだ。
「樹兄、これ、前見えなくなる」
「あと、ビチビチしてねぇか? 頭が揺らされる」
「二人とも、のんきだね~……」
特に薫は最初の焦り具合が嘘のようだ。そして、来留芽は落ち着きすぎである。
普通、鮫に食いつかれたら驚き焦るだろうに。
しかし、鮫に食いつかれたまま大人しくしている二人を見るといろいろとどうでもよくなってくる。
「……シュールだね~。あ、そうだ、来留芽。六条美沙さんの様子を見てきてくれないかな~?」
「分かった」
そう言うと来留芽はビチビチと動く鮫の尾を掴み、頭から外した。そして、適当に放り投げる。本物の魚ではないからか、鮫はそれ以上来留芽に興味を持つことなく、天井付近へ泳いでいった。
「特に気を付けることはないよね?」
「そうだね~。落ち着いているかいないかを見るくらいで良いと思うよ」
***
仏間を出ると途端に寒々しい空間になる。ここには虹色の魚も赤い鮫も泳いでいないのだ。明かりを点けていないことも理由の一つかもしれない。
階段へ向かう途中、来留芽は玄関に細身で長身の黒い人影を見つけた。
「外で何かあったの?」
「ん? ああ、来留芽か。何でまた明かりをつけずに……」
「大体どこに何があるかは分かるし」
人影の正体は細だった。シルエットの特徴と状況を知っていれば特定は容易い。
「まぁ、確かに。ええと、どうやら碓井さんがもう少し経ったらここにつくらしいということを伝えようと思ってな」
「そう。それじゃあ、そのことも六条美沙さんに話さないと」
「ああ。頼めるか」
「うん。ちょうど二階に行くところだったから」
そう言って来留芽は細と分かれ、六条が待つ二階へと向かった。
こちらもシン……と静まっており、寒々しい。こんな暗い空間に彼女を一人にしていて良かったのだろうか。ふとそんな疑問が頭をかすめた。
しかし、あの混沌とした仏間にいてもらうのもどうかと思うのだ。
それに、一定時間ごとにオールドアの誰かしらが様子を見に来ている。それで今のところ問題ないのだから良いのだろう。それに、社長のアドバイスを得て六条がいる部屋は霊的に安定した空間にしてあった。
「失礼します。オールドアの古戸です」
『どうぞ……入って構いません』
流暢な女性の声による返答があり、来留芽は部屋の中へ入った。この部屋はきちんと明かりが点いている。人には良いが、彼女としてはあまり嬉しくないかもしれない。巴の力をもってしても彼女の体を全く傷のない生前のかたちにすることは出来なかったのだ。明るい光の下では損傷が際立ってしまう。それでも少しはましな姿になっていた。
『ええと……何かあったのでしょうか。彼が到着しましたか?』
「まだこちらには来ていません。けれど、もう少しで着くという連絡がありました」
来留芽がそう言うと六条は顔を曇らせた。
『そう、ですか……古戸さん、迷惑でなければ少しだけ私の話を聞いてもらえませんか。それと、宗佑さんに手紙を残したいです。そうすれば、もう少ししっかりと覚悟が決まると思うのです』
彼女の瞳には不安げな光があった。
「私で良ければ」
六条の話を聞くことが、彼女の安定、そして井谷と会う覚悟を決めることに繋がるならばそれを拒否するつもりはなかった。
来留芽は向かい側に座ってから真っ直ぐに彼女を見た。
「話を聞かせて。六条美沙さん」
そして井谷と碓井が到着するまでの間、六条はぽつりぽつりと話をした。それは彼女の幸せな記憶である井谷と過ごした思い出や苦しんだ大学卒業後に勤めた『雲居商事』での仕事の話など、まるで生きてきた記憶を整理するような語りだった。
来留芽はそれらを真摯な態度で聞いていた。
『……どれだけ理由を並べても、会いたいという気持ちは揺るがないみたいです』
自分の記憶を語ったからか、始めに比べれば幾分か迷いのなくなった顔で六条はそう言って笑った。
その様子に安堵した来留芽が口を開いたとき、二人がいる部屋の扉がノックされた。
『あ……どうぞ』
少し息を呑んで緊張した面持ちになった六条は入室の許可を出す。来留芽が扉まで行って開いた。
「あ、来留芽。まだここにいたのか。……六条美沙さん、碓井さんと井谷さんが到着しました。井谷さんをここに連れてきても良いですか」
ここまでそれを知らせに来たのは細だった。彼は来留芽をみて少し驚いた後、奥を覗き込んで座っていた六条に向けてそう言う。少しだけ心配しているような声だった。
しかし、六条は大丈夫だと告げるように微笑む。
『ええ。彼と会わせてください』
そして、再会の時がやって来る。




