10 忙しきオールドア
織姫と彦星は普段は天の川に隔てられて過ごしている。彼等が出逢うことを許されているのは一年のうちのたった一日……七月七日だけである。
七夕の源流には、日本の禊の行事として乙女が布を織って棚に供え、神様を迎えて秋の豊作を祈ったり人々の穢れを祓ったりする神事があった。
今はそれと中国の乞巧奠の風習が混ざって現代の七夕の形になったという。短冊に願い事を書くというのはこちらの風習からだそうだ。
そんな歴史のある七夕だが、この日を祝うのはなにも人だけではない。あやかしもまた、現代の風習を知り、参加しようとするのだ。
だから各地で七夕祭りが行われている中、オールドアの面々はそれほど楽しめてはいなかった。羽目を外したあやかしを人に見られないうちに葬る……否、妖界に送り返さなくてはならないからである。送り返すことが出来ずとも人目の無い場所まで連れて行かなくてはならない。それは意外と重労働なのである。
例えば巴の場合
「こらー! 蛇ども! 散々釘指したでしょうがぁ!!!」
ヤマタノオロチの眷属である蛇のあやかしと追いかけっこをする羽目になっていた。飲み比べでヤマタノオロチを潰し、七夕当日に蛇系のあやかしが現世にやってきて騒動を起こさないようにしろと言ったが、言うことを聞かなかった奴らである。一応蛇系のあやかしのボスがヤマタノオロチだから彼の言うことはたいてい聞き入れる。しかし、中にはあえて逆らう行動を取る跳ねっ返りも存在する。妙に度胸のある彼等は後に説教が控えていると分かっていてもヒャッハーッと現世を爆走するのである。
それを踏まえて巴が追いかける蛇集団を見ると、どいつもこいつも頭の上にモヒカンやトサカが生えているように見えてきてしまう。
『『『ひゃっはーっ』』』
「この、アホどもがーー!!!」
巴は拳を握ってわなわなと震える。額に青筋が立っており、とても七夕を楽しめるような様子ではなかった。
蛇の細身はシュルシュルと人混みを抜けていく。しかし、巴は生身の人間で日本人女性の平均以上の身長はあり、容姿も相俟って目立つ。なので人をかき分けて追いかけるしかない。全力のスピードは蛇に勝るのだが、全力を出せない場では引き離されないようにするのが精一杯だった。
「あ、一匹確保。お前、太りすぎだよ。こりゃ罰は決まったかね」
胴が太くて支えてしまった蛇が一匹いたので鷲掴み、捕獲する。
『シューッ、シューッ!』
「ああ? 手加減なんかしないよ! あんたの罰は断食一択だっ」
哀れっぽく何かを訴えている蛇に向けて凄むと巴は樹特製の妖界ポケットに放り込んだ。今日一日だけこのポケットは妖界(の牢屋的なところ)につながっているという。
「これであと六匹か。ちょっと離れすぎたね。こうなれば仕方が無いか。……はらへたまひきよめたまふこと……」
現世にやってきたあやかしは何が苦手かというと神様や御仏の力と言える。どうやら叱られている気分になるらしい。巴の力はあやかしを怯ませるのに適したものだった。でも倒すのは不得意。
ところで今、オールドアがカバーしている地域は大きく七つに分けられる。巴は神に願うことでさらに問題児どもを囲い、じわじわと動き回れる範囲を縮めようとしているのである。
巴は邪悪な感じにニヤリと笑って呟いた。
「さぁ、追い込み漁をしようか」
美人が台無しだが、いろいろとストレスが積み重なった結果である。
例えば翡翠の場合
翡翠が割り当てられたのは自分の住む地域だ。土地神が補助についてくれるということだったので翡翠は大樹の公園にやって来ていた。
「ここも意外と賑わっていますね……」
ばれやしないかと少しだけ焦る気持ちもあった。もっとも、今日は細と来留芽から支給された呪符があるので自分の姿を認識させないことが出来る。だからそこまで心配する必要はないかもしれない。
『翡翠。久しいのぅ』
少女の姿をした土地神がいつの間にかそばにやって来ていた。翡翠はもう彼等のような存在が唐突に現れることに慣れていたため、驚くことなく挨拶を返す。
「土地神様。お久しぶりです」
『うむ。早速じゃが、呪符を使ってくれるかの』
土地神の言うことに従って翡翠は動く。呪符を使えばたちどころに自身の存在感が薄くなったことが分かった。これも訓練する前はさっぱり分からなかったものだ。
「どこに向かえば良いでしょうか?」
『わらわの大樹の根元が良さそうじゃな。案外人がやって来ぬ所じゃからの』
翡翠の仕事は結界の維持である。ついでに引っ掛かったあやかしを鏡に回収する。これは恵美里のやっていることと同じだった。
「意外と広い範囲ですね……」
『そうかの?』
「ええ。でも、慣れれば維持も楽になりそうです」
その時、翡翠の耳が聞き慣れた声を拾った。
「おーい、翡翠さん」
「あら……藤野さん? 夜衆の方の仕事は大丈夫ですか?」
七夕はどこの集団も忙しいという話だった。藤野が所属している夜衆もあやかしの捕獲作業があるのではなかっただろうか。
「ああ、うん。そっちは夜中のシフトだから大丈夫。今は翡翠さんのサポートに来たんだ」
夜衆は意外と所属している人が多い。シフト制に出来るのは実に羨ましいことだ。しかし、彼はただ翡翠のサポートだけに来たのだろうか。いや、それだけではなはずだ。
「それだけですか?」
「ああ~……いや、まぁ、うん……もし余裕があれば一緒に祭りに行きたいなと思っていました……」
「ふふ。いいですよ。デートですね」
「でっ……あはは」
真っ赤になって頬をかく藤野。からかったつもりの翡翠も照れくさくなってしまった。
『んふふ……仲の良いことじゃ』
「あ、土地神様……あまり浮かれてはいけないですよね」
『いやいや、結界の維持とあやかしの捕獲が出来そうであればでーとをしてもいいじゃろう。厳しいようであればそこの男に代わってもらえばいい。それくらい、男の子なら出来るじゃろ?』
「はい。もちろんです」
『では、祭りを楽しんで来るのじゃぞ』
誰も彼もが浮かれる祭り。羽目を外しすぎては困るが、多少の遊びは許されるだろう。願わくは、かの善き隣人にも祝福あらんことを。そんなことを思いながら土地神はニンマリとした笑みを浮かべ、手を振って見送った。
例えば薫の場合
薫は鬼混じりの霊能者だ。しかし、人によっては薫のようなあやかしの血が混ざっていることで異形の力を使える存在は異能者と呼ぶ。こちらの呼び方は裏の界隈では蔑称と認識されていたりする。
「……おや、こんな所に異能者の紅松クンがいるとはね」
場所は山間のとある道だ。不意に人を馬鹿にするような音を含んだ声が落ちた。不愉快な形容に眉値を寄せて薫は立ち止まる。
「ああ? お前、誰だ?」
視線を向けた先には黒装束をまとい、木の枝に腰を掛けている男がいた。
「おや、もう忘れられてしまったのですか。残念でなりませんね。まぁ、所詮は鬼混じりの痴れ者ですか。頭の方も程度が知れるものということです」
「はっ、名乗りもしない奴の方が常識のなっていないアホだろうさ」
「……っ、この!」
ヒュン……と暗闇を裂いて薫に向かって何かを投げつけてきた。薫はそれの柄を狙って掴み、目の前に持ち上げる。
「暗器? それに……毒か」
ポタリ、と刃の部分に塗られた液体が垂れる。薫がそれを毒だと断言できたのは昔に散々その手のものを受けたことがあったからだった。
「思い出しましたか?」
「あの時のことを忘れちゃいねぇが……毒の記憶しか無いな。お前程度の奴など記憶するに値しなかったんじゃねえか」
「生意気なっ」
「こんな挑発に乗るってことは三流霊能者ってことだぜ。ほら! 返してやるよ!」
「なっ!」
「意外ととろくせぇな」
薫の投げ返した暗器は相手の腕の布を裂いた。暗闇で見えにくいが、ひょっとしたら肌も傷付けたかもしれない。
「ちっ、平穏でいられるのは今のうちです。『妖毒蛙使い』を馬鹿にした報いは受けてもらいますから」
そう言い捨てて黒装束の男は去って行った。後に残された薫はその鮮やかな逃げ足に少しぼうっとした後、呟いた。
「妖毒蛙使い、な……。もしかして、解毒薬を持ってこなかったのか? だとしたらアホだなあいつ」
そう馬鹿にしたように笑うが、その表情は僅かに曇っていた。
思い出すのは幼少期に本部の者に捕まった時のことだ。当時、差別されていた鬼混じりの子どもだということで薫の扱いは実に酷いものだった。妖毒蛙使いと自称する奴が確かに薫の元に訪れていた。恐らくはあれの父親も一緒だった気がする。奴等は薫の腕を切るとその傷跡にお得意の毒を垂らし、痛みと苦しみに悶える様を笑って見ていたのだ。
もちろん、薫の復讐リストに挙がっている。
「報いを受けるのは奴等の方だ。絶対許さねぇからな……。はぁ、今は余計なことに気を取られる暇はなかったな」
薫の担当する地域は結界の維持こそ社長にやってもらっているが、引っ掛かったあやかしの回収は薫自身がやらなくてはならない。だからかなり広い範囲を鬼の脚力を存分に発揮して走り回るのであった。
例えば樹の場合
樹も山間の地域が結界の範囲内にある。先日見回りにいったところ、小妖怪が流れ着いていた。今日はどうだろうかと念のため見に行ってみる。
「あっちゃ~……数匹いるね」
子どものあやかしが数匹またも流れ着いていたらしい。大人のあやかしならば問答無用で妖界ポケット行きなのだが、流石に子どもを放り込むのは気が咎める。
「どうしようか」
三つのもふもふを拾い上げてみれば、見た目は猫の子、犬の子、狐の子で、その近くにオタマジャクシと金魚もいた。仕方が無いので猫と犬は懐に放り込み、狐は頭に乗せた。オタマジャクシと金魚はピチピチ跳ねていたところを捕まえて祭りでよく見る金魚袋に入れた。
「見た目は祭りを満喫している感じになったね」
満喫しすぎの男の図。服も和装だから実にそれっぽく見えるだろう。
「いいかい、人間がいる場所では絶対にあやかしの本性を出してはいけないよ~。保護者が追いつくまで保護してあげるから~僕の言うことはよく聞くこと」
『にゃん』『わふ』
返事だけは良い子だが、子どもは子ども。大人しくしていられるはずはない。樹は祭りの中に入ることは諦めて遠目に見ながら楽しむことにした。
……のだが、飽きやすい子どもというものを正直舐めていた。
『にゃん!』『わふ』
代表で樹にせっつくのは猫と犬。人の食べ物を食べてみたいのだという。あやかしだから人の食べ物を食べることは出来るのだが、親の教育方針によっては食べさせてはいけない可能性もある。
「お前達ね~……保護されている立場でよくもまぁ。人に見つかったらこわ~いことになるよ~?」
『にゃんにゃん』『わふ』
人目につかないように呪符を使ってくれているから大丈夫だと言っている。確かに細の呪符を使っているが……。
そのうちに金魚やオタマジャクシまで祭りの食べ物をよこせと主張するようになってしまう。そのあまりの騒がしさに樹が折れた。
「仕方ないから買ってきてあげるけど~、ここで待っているんだよ?」
『にぎゃー!』『わふぅ!』
いやだ、つれていってと言われる。樹は額を押さえ数秒考えるとあやかし達に指示した。
「猫っ子と犬っ子は僕の懐に入ること。顔は出しても良いけど普通の犬猫のふりをしなさい。狐っ子はお面に化けられる? ……うん、いいね。ちゃんと維持していてよ。オタマと金魚はこのまま行くよ。本性を出さないように!」
結局連れて行く羽目になった。そして屋台では犬猫の可愛さにやられた店主がサービスしてくれたり、見た目が子どもっぽい樹の容姿も相俟って微笑ましく見られたりした。かなり買い込んだが、サービス分も含めてそこまで痛い出費にはならなかった。
子どもたちはたこ焼き、焼きそばの紅ショウガだけをそのまま食べて涙目になっていたことをここに記しておく。子どもの舌には刺激が強かったらしい。少しだけ樹の溜飲が下がった。
例えば社長の場合。
万能型社長はこのようなとき能力が足りないメンバーの補助も行う。例えば薫は結界を張れないので代わりに張ったり、日高親子はまだ新米霊能者なので結界の補強をしたりしている。
「薫、辰の方向だ。卯寄りで」
《了解っす》
『精が出るのぅ、守よ。ちっとは休憩したらどうじゃ?』
守はオールドアの執務室にいた。そこは今や足の踏み場もないほど団体客でひしめき合っていた。
「あのですね、恵比寿様。今日は七夕です」
『そうじゃの。だからワシ等もこの期に旅行でもしてみようかと思っての』
「ええ、それは大変結構ですが、仕事をしないとこちらは大混乱が起きるんですよ。普通の人はあやかしを見慣れていないので。もちろん、神様方もです」
『そうなのですか? 人の世はわたくし達に厳しくなったものですね』
「そうかもしれませんね。……あの、皆様。お言葉に甘えて休憩を取りたいので道を空けていただけませんか」
『いんや、休憩するというならワシ等が持参したものを食べればいいじゃろ。ほれ、最近妖界でひっとしているという運試しカレーじゃ』
「いえ、それは流石に……万が一当たってしまったら洒落にならないので……」
運試しカレー。それは激辛に当たればどんな猛者でも昏倒するという、地獄のカレーである。
『むぅ……つれないのぅ。いけず、なのじゃ』
執務室に突然やってきたのは七福神が音頭を取って行うことにしたという神様旅行に参加した神様達だった。普通は人の前に姿を現すことはないのだが、守の前では普通に現れる。
『ごめんなさいね、突然お邪魔して……恵比寿が「突撃隣のオールドア!」と叫んで進路を決めてしまったものだから……』
常識的な神様は守に謝ってくれる。そこまで腰の低い対応をされると普段頼っている身としては許さざるを得ない。
「いえ……もう宴会が始まってしまったのでいいですよ。少しだけあやかしを捕獲するのに力を貸していただければ」
『ええ。請われたら手を貸すわ』
その日、オールドアにはあやかし達は決して近付こうとしなかったという。
そのような感じで七月七日は過ぎていった。
そして、おまけで
鳥居越学園の校庭に並んだ笹を見ていた。普通なら一つのところ、一クラスに一本となったのでちょっとした竹藪にもなりそうだ。
それぞれに工夫を凝らして飾り立てられた笹は静かな風に揺れている。取り付けられた願いの重さに倒れないのはさすがと言うべきか。
しかし、五色の短冊、その中の一つは……空白の願いだ。
「私の願いなんて……」
沸き上がる、どろどろとした思いをそっと目を閉じることで抑え込む。
そのとき、ぽん、と頭に手を乗せられた。目を開けて横を見れば、細がいた。ネクタイを緩め、どこか気怠い雰囲気だ。そんな彼は先生という立場にない、普段来留芽の前にいるときの目をしていた。
「少しは楽しめたか」
「うん、まぁ……」
「その様子だと、やはり願えなかったか。とはいえ、人は誰だって我儘なんだから、来留芽も少しくらい我儘になってしまって良いんだぞ」
来留芽も別に自分が良い子である必要はないと思っているのだ。短冊に何も書かなかったのだって一滴の悪意ありきのこと。
「というか、俺達としては我儘になってもらいたいくらいだ。俺は決して来留芽を突き放したりはしない」
そのとき、風に煽られてひらりと一枚の短冊が落ちてきた。とっさにつかんでそこに書かれていたものを見てしまい、細は苦笑する。
「満願成就……ほら、これが強欲の極みだ」
「そうでもないと思う。皆の願いが叶いますように……これは、そんな優しい願い」
来留芽は細の手を借りて、星空に手を振るように揺れている笹の高い位置にもう一度その短冊を飾り付けた。
そうしてもう一度見上げれば、来留芽の空白が少しばかり埋まった気がした。
鬼舞之章Fin.
『蓮華原市の番外』も更新してあります。
『蓮華原市の番外』とある下のリンクからどうぞ。




