3 時は少しさかのぼる
時は少しさかのぼる。
事故死して幽霊になった静谷は神無のそばを漂っていた。彼の遺体を見て泣き崩れる様も、その後すぐに体を壊して倒れてしまい、病院生活を送る姿も……外界の全てを拒み、心を閉ざして抜け殻のようになった彼女のことも、全てを見ていた。何度手を伸ばし、触れることなく空振りしただろう。彼女が苦しんでいるのが分かるのに慰められないもどかしさ、そもそも中途半端に幸せを感じさせてしまったから余計に苦しく感じているのだろうと思うと自分を責めても足りない。しかし、ただ彼女のそばを漂っているだけで彼女を助けることは出来ないのは明らかだった。
この状態で僕は何を出来る?
せめて歌を捧げられないだろうか。あの約束は守りたい。
しかし、歌詞の全てが自分の頭にしかないのにどうやって歌手に歌ってもらえる?
神無のいた病院を飛び出して悶々と悩み続けた。そして気が付くと知らない町の知らない通りにいた。滅多に人が通らない場所なのか、まだ明るいのに静かだ。生前にこういう場所を探したな、と懐かしく思う。そして“懐かしさ”を感じた自分に愕然とした。自分はもう“生”に対する未練がほとんど無くなっていると分かったからだ。残っているのは恐らく神無関連だろう。自分は予想以上に時間が無いのかもしれないと焦った。仏教ではよく四十九日とか言うではないか。自分が死んでからどれだけ経った? 少なくとも一月は経っている。時間が、ない。
「そこの幽霊。オールドアに何か用?」
そんなとき、静谷に話しかける人間がいた。バッと顔を上げ、声を掛けてきた人物を確認する。人通りが少ないから誰が話しかけてきたのかすぐに分かった。
『き、君……僕が見えるのですか!』
一方で声を掛けた来留芽は首を傾げる。オールドアに用事があるからこの場で待っていたのではなかったのだろうかと疑問に思ったのだ。今、この場所は人払いの呪符が動いている。つまり、目の前の男性は裏的な問題を抱えているということになる。オールドアに来ることが出来たということは、来留芽達が幽霊などを見ることが出来ることを知った上で依頼に来ているもの、と思い込んでいただけかもしれない。
実は、今日は社長まで出掛けなくてはいけない用事が出来てしまったから来留芽が帰ってくる三時まで会社は閉まっていた。てっきり待ち呆けていた所へ社員がやって来たので喜色を浮かべたのだと思っていたのだが……違ったのかもしれない。
むしろこれは……と小さく唸る。
「ジョーカーを引いたかな……」
しかし、目の前の幽霊が厄介事の種だとしても無下にするわけにはいかない。浮幽霊の悪霊化は大変厄介で面倒くさい事態を引き起こしがちだからだ。
「とりあえず、何か相談事があるのは分かった。中に入ってから聞くから」
『ありがとう! まさか僕を見られて声も聞ける人がいるなんて!』
後ろからそう言われるのを聞いて苦笑する。おそらく日中であれば見える人でもスルーするのではないだろうかと思う。それだけ彼の姿ははっきりしているのだ。死後すぐとか、それくらいだろう。もし、これが死後十数日とかだと余程はっきりとして強い未練があるか、他の霊能者・あやかしの関与を疑うことになる。どのみち厄介と言えば厄介だが。
内心、なんてものを拾ってしまったのだろうと声を掛けたことを後悔したが、とりあえず案内した部屋で余裕があるように見せつつ座る。
「この会社は貴方のような幽霊関係の仕事をしている。でも、問答無用で祓うとかはしないから……話が通じる限りは。まず、貴方のことを教えてもらっても?」
『あ、はい。僕は静谷光久と言って、生前は作詞とかしてました』
生霊ではないことが分かった。彼の体を探し出して戻るように説得しなくて良いから一番面倒なパターンは避けられたということだ。
「死亡したことは分かっていると。ちなみに、貴方が亡くなったのはいつ頃になるかは分かる?」
『えーと、こうなってから時間の感覚がよく分からないのですが……おそらく一ヶ月は経っていると思います』
一ヶ月!!
その衝撃は来留芽の表情を変えさせるほどだった。一ヶ月ともなれば一区切りの四十九日を目前にして、未練がある幽霊は本能的に焦り始める頃だ。ただでさえ死後二十日以降は特に要注意期になる。理性を保っていられる彼は奇跡的な状態だった。
「一ヶ月も私のような人を探していたということ? それで、相談内容は? 貴方の未練は、何?」
驚きのあまり思わず余裕が崩れて矢継ぎ早に質問をしてしまう。だが、静谷は特に気にしていないようで、話を優先していた。
『実は、僕は六月に彼女と結婚式を挙げる予定でした。それが、僕の死でフイになって……彼女が落ち込んでしまったんです。内に閉じこもって食事も満足に取っていなくて……このままじゃ神無も死んでしまう! その前に何とかして生きていて欲しいという僕の願いを届けたいと思うのですが……』
「幽霊じゃ伝えられないと。私が貴方の伝言を持って行くのはダメなの?」
『外界の全てを拒絶しているみたいなので……ダメだと思います。僕も考えてみて、可能性があるとすれば僕自身が伝えるか……僕の歌詞を歌ってもらって伝えるかだと思ったんです。式に合わせて歌を贈ると約束したので、それが彼女の中に残っていればきっと届くと思います』
死者からのメッセージを歌に込めるということである。ロマンチックな話だが、正直に言うと実現は難しいと思う。しかし、試してみる価値はある。
「でも私達に歌手の伝はないし……」
『あの……実は、歌ってもらうのはSTINAに頼みたいんです。何とかなりませんか?』
来留芽は眉をひそめると顎に手を当てて考え込んだ。STINA……聞いたことがない名前だった。新人だろうか。大物に頼むよりは何とかなりそうだが、ここでも立ちはだかるのは来留芽だけでなく、オールドア全体で見てもその方面の伝がないことだ。
「うーん……いっそ取り憑いてみる? 幽霊なら夢枕に立って話せると思うけど……」
『夢枕、ですか。考え付きもしませんでした。あ、でも神無には拒絶されてしまったんですよ。夢枕も難しいのではないでしょうか』
「確かに、心を閉ざされると取り憑くのは難しいと思う。だから、STINAの方に行けば……もしかしたら波長が合う人がいて、話せるかもしれない」
STINAにとっては災難かもしれないが、得意分野の歌で解決できるなら幸いと言って良いだろう。正直に言ってこの件は来留芽達がどうこうできる物ではない。本人……本幽霊? の頑張りに賭けるしかないだろう。
『相談ありがとうございました! 早速取り憑きに行ってみます』
「うん……」
少し早まったかもしれないと思った来留芽はたぶん間違っていない。
「ただいま~。来留芽、帰ってきている?」
「樹兄。おかえり」
「うん、ただいま。翡翠さん、適当にくつろいでいて良いです。支部での仕事の説明をこの後社長と一緒にしちゃいますので。ところで、来留芽はどうして相談室から出てきたのかな~?」
帰ってきて早々に樹に見咎められた。お金にならない仕事について樹は厳しいのだ。
「えーと……」
「ま~た金にならない仕事を請け負ったの? それにしては人が来ていた気配はないけど……まさか」
そのまさか……異形からの相談を受けていたとは口が裂けても言えない。来留芽は無表情を貫く。
「……」
「まぁ、過ぎたことはしょうがないか。社長には話しなよ~」
互いに無表情になったかと思うと樹の方が雰囲気を戻し、来留芽に背を向けた。
樹にとって……いや、オールドアの者達にとって来留芽は妹である。生まれつき厄介な体質を受け継いでしまい、大変生きにくい力を持ってしまった妹だと認識している。正直に言うと彼等は来留芽が裏に関わるのを良しとしなかった。来留芽が持つ呪・呪詛は長年かけて濃密な霊力になっている、異形にとって垂涎の的だったりする。だから昔から様々な霊的事件に巻き込まれかけているのだ。
裏に関わってしまうと否応なしに危険が向こうからやってくる。そして、未だに“妹”という認識が抜けないから樹達は来留芽が単独で異形と接触することを嫌う。
しかし……と樹は最近の来留芽を思い出す。高校生になってから来留芽は感情が豊かになってきた。それは彼女が自分というものを確立し始めたからであり、大人の庇護を必要としなくなってきていることを示す。過保護もいい加減止めないといけないのかもしれないと思う。この世界で生きるならば、ただ守られていることは許されないのだから。
***
夜になって社長や巴も帰ってきた。そこで樹が来留芽のやらかしたことを暴露し、尋問大会になってしまった。さらっと暴露した樹を睨むがどこ吹く風である。
「どういうことか説明をしなさい、来留芽」
叔父がこういう風に身内でも丁寧語になったときは要注意だ。噴火一歩手前だと思えとは果たして細の言葉だったか、樹の言葉だったか。とにかく、返答は慎重にしなくてはならない。
「うちの前で黄昏れている幽霊が居て、会社が閉まっていることに落胆してそうなっていると思って用向きを聞いたのだけど……ここに居たのは偶然だったらしくて。私が見えると知ると大喜びしていたんだよね」
「……なるほど。それで、見捨てることが出来なくなって招いたと」
「結界が反応しなかったから大丈夫だろうと思ったの」
などと供述しており……
冗談はともかく、本当にオールドアには邪気等が入り込むことが出来ない。会社全体に結界が張ってあるからだ。静谷はその結界が反応しなかったから悪いモノではないと分かる。来留芽の行動は結界を信じてのものだったが……。
「結界についてはまぁ、根拠には出来るが。来留芽、自分の体質を忘れたわけではないだろう?」
そこを突かれると弱い。来留芽は身のうちに千年規模で貯め込まれた膨大な呪・呪詛を有している。それは異形にとってのごちそうで――どれだけ理性あるあやかしであっても力の誘惑には耐えられないのだから――そのことに気付かれれば一体の幽霊でさえも脅威となる。
「分かってる」
「分かってないよ、お嬢。俺達は皆お嬢を危険にさらしたくない。それはお嬢が今まで散々危険な目に遭ってきたからだ」
「薫兄……」
「あたしもだ。来留芽ちゃんは守られなくてはならない。その身に持つ呪詛が強すぎるからね。これは、表向きの理由だけど。あたしの本音はただ一つ。来留芽ちゃんを妹だと思っているからだよ」
「巴姉……」
「俺達が過保護なのは散々辛い目に遭った来留芽を守りたいからだ。それを忘れるな」
「細兄……」
オールドアの皆は来留芽に対して過保護というのがデフォルトだ。彼等が来留芽を案じるのは決して建前の理由からではない。それを知っているから、“兄と姉”にここまで言われると来留芽とて反省せずには居られない。
確かに静谷は危険な考えを持っていなかったが、強い未練を持ちそれをどうしても解決できないでいる幽霊でもあったのだ。来留芽のことを知れば襲いかかってくる可能性もあった。
来留芽が迂闊だったのだろう。裏世界では同情だけで動いてはいけないという不文律がある。来留芽の行動はどうだっただろう。同情でしか動いていなかったのではないか。
「来留芽も反省しているようだし、これ以上責める必要はないだろう」
来留芽の様子を見て、守がそう判断して尋問大会は終了した。




