8 パネルネタの取り扱い
演劇部の怪談話は「強い願いを持ったまま鏡の前に立つと大切なものが捕らわれてしまう」というもののようだ。ここで言う“大切なもの”とは話を聞いた限りでは観念的なものになる。夢以外にも信念なども該当しそうだと思う。
ただ、本当にあの鏡にそのような力があるのかはまだはっきりとは分からない。及ぼす影響は無視できないので早めに調べた方が良さそうではあるのだが……。
「なかなか興味深い話だと思います」
表面的には警戒を見せずに来留芽はほんの少し興味を持ったという程度の態度を取る。
「ああ、そうだろうな」
何となく、「そうだろうな」の前に心霊研ならという言葉が聞こえた気がする。他からの認識については今さらだ。それに、会長や小野寺先輩を思い出してみれば興味津々で詳細を問い詰めるだろうということは想像に難くない。
「八重は、どう思った?」
「ええと……怖いなって思ったよ。でも、強い願いってどんなものだろう?」
比較的怖がりの八重は「怖い」とは言いつつもそこまで怯えた様子ではなかった。鏡の前に立ってさえいなければ問題はないのだと分かっているからだろうか。鏡は今、来留芽達から離れた場所にある。
「強い願いっていうのは……たぶん、その人にとって譲れないものとか、何がなんでも叶えたいものだろう」
美舞先輩は「私にはまだ分からないことだが」と小さく呟いていた。来留芽にしても強い願いというものは自覚していない。
「それでも……例えば叶えたくても叶えられないようなものだったり、仮にそれが幻想であったとしても叶ったような気持ちになるなら、すがっちゃうかもしれないね」
「八重……?」
それは、あまりにも実感がこもっている言葉だった。思わず視線を向ければ、八重はぼんやりと鏡の方を見ていて、常日頃の彼女からは考えられない、隠されていた心の部分を感じさせる。
「あはは……ごめんね、暗い感じにしちゃった。美舞先輩も、すみません」
「いや、それだけ真剣に聞いてくれたということだからな。文句を言うつもりはないよ」
「私の方は、八重もそう思うことがあるんだな、と新鮮な感じ」
謝られるようなことではなかったと思う。来留芽にとっては本当に友人として初めて心の部分に触れさせてもらえたような気持ちだ。何とも言えない感情が来留芽の中にも浮かんでくる。
それを確認するかのようにそっと胸に手を当てたが、八重の反論するような言葉が聞こえたのですぐに下ろしてしまった。
「そりゃあ、私だってあるよ! だって人間だもの。ううん、人じゃなくったってきっと何かの願いは抱くよね」
「そうかもしれない」
美舞先輩は真剣な表情でそれに同意していた。
「ところで。古戸さん、常磐さん、美舞先輩が話してくれた内容で良さそう?」
「えっ、何話していたの、まっすん。ねえねえ」
舛田の言葉に返答しようとしたら、横から遮られてしまった。先程まで白鳥先輩と話していた有栖川だ。
「まっすんて……」
普段呼ばれているあだ名というわけではないのか、舛田は絶句してしまう。そこへ、白鳥先輩がにやにやと笑いながらやって来た。それにつられるように、美舞先輩も笑い出す。
「あら、いいじゃない、まっすん」
「ああ、いいと思うぞ、まっすん」
「し、白鳥先輩に美舞先輩まで!?」
味方がいないと気付いた舛田は来留芽と八重の方にすがるような視線を向けてきた。子犬のような目だ。……舛田の頭に生えているのは猫耳なのだが。
「うーん……いいと思うよ?」
「えっ……」
八重の言葉に期待を外された悲しみの声を漏らす。そして、最後の希望として向けられた視線に来留芽はゆっくりと首を横に振った。この場に舛田の味方はいなかった。先輩方が歓迎している態度を取ったのでわざわざ反対して余計波風を立たせることもないだろう。
「ええー……」
「まっすん、そんなに嫌だった?」
「そ、そういうわけじゃ……」
有栖川がしょぼんと可愛らしく落ち込んだ様子になったので舛田は思わず否定してしまう。そして、顔を上げた有栖川のにやりとした小悪魔的な笑みを見て「あ、しまった」と思ったときには既に遅かった。
「じゃあ、まっすんでいいよね!」
「あ、うん……」
断定されて反論ができなくなってしまったのだ。舛田の心が諦念に彩られていく。有栖川はこういう奴なのだと改めて理解した。……理解したのだが、また同じ事に引っ掛かりそうだと思う。
「ねー、それで、何話していたの?」
「あー……有栖川には、まだ秘密。碧瑠璃祭終わってからじゃないと話せない」
怪談話に怖がるような可愛い性格はしていないだろうが、万が一の可能性がある。怯えることなかったとしても願いを持って鏡の前に立ってしまう可能性が。アリスを演じている間は大丈夫なのだから、彼に教えるのはその後で良い。
「えー! ボクだけのけ者ってこと?」
「余計なことに気を取られちゃ困るから。今は我慢して」
舛田が宥めるが、有栖川は変わらずぷくりと頬を風船にしたままだった。
「いいもん。まっすんってあだ名を広めちゃうから」
「え」
「ボクの交友関係フルに使ってあげるから! 誰も彼もにまっすんて親しげに呼ばれれば良いんだ」
殊更に子どもっぽくそう言うと有栖川は早速演劇部の他のメンバーが駄弁っているところへ走って行ってしまった。一拍遅れて有栖川の言う意味を悟った舛田が慌ててその後を追いかけて行く。
「有栖川は拗ね方も可愛いわね」
走って行く二人を見ながら白鳥先輩はにっこりと笑っていた。何ら含むものなどないと言わんばかりだが、今の一年生よりも一年だけ付き合いが長い美舞だけはそこに少しだけ違和感を覚えていた。演技しているときのような完璧な……完璧すぎる笑みだったからだ。
「白鳥先輩は比較的有栖川に好意的ですよね」
「そうかしら? 個人的には平等に接しているつもりなのだけど」
その言葉にどうも納得ができなくて美舞は首を捻る。
「うーん。何というか……有栖川に対してだけなんですよね。少しだけ個人的な感情が混ざっていませんか?」
「どうかしら……」
何故かそこでシンと静まってしまい、来留芽と八重は居心地の悪さに顔を見合わせた。
「あの、お話も聞けたので、あとは他に何か手伝うことがあれば言ってください」
「ああ、そうだったわね……あ、感想。さっきの感想は誰かに伝えたのかしら」
「はい。舛田くんに」
「だったらもうやることがないと思うわ。……昴はどう思う?」
「そうですね。二人にはもう心霊研に戻ってもらって良いと思います。……ただ、鏡の件は有栖川に分からないように頼む」
確かに、あえて話さずにいた意味がなくなってしまう。薄く形の良い唇に人差し指を乗せて沈黙を指示する美舞先輩に向けて、来留芽は頷いた。
***
来留芽と八重は収穫話を忘れないうちに手帳に書き込む。今二人がいる場所は体育館から校舎へ続く渡り廊下の途中だった。ちょうど中間辺りにベンチが置かれているのだ。
「とりあえず会長に相談しないと」
「パネル展示にしたせいで問題が起こっても困るから、だよね?」
声を潜めてそう言った八重に来留芽は頷いて見せた。八重は来留芽の仕事のことを知っているので“問題”という言葉には隠された意味が込められている。それをひっくるめて来留芽は肯定したのだった。
「そう。その場合は私と細兄が大変な目に遭う可能性が高い」
裏的な仕事と学校関係の仕事の両方をこなす必要が出てくる。どう考えても忙しくなるだろう。自分がもう一人いればいいのにと心底思うが、現実にそれが可能かと聞かれると無理だという結論しか出せない。
「何にせよ、まずは会長に話してから。八重、行こうか」
「うんっ!」
そして、二人は心霊研の部室へ戻ってきた。まだ昼間なのだが、場所的な関係か室内は薄暗い。カーテンを引いているのであえて薄暗くしているのかもしれない。そんな中、たった一人で静かに座っている会長は見ようによっては幽霊的だった。
「おや、おかえりなさい。早い戻りですね」
「ただいま戻りました。会長、こんな暗くして本を読んでいると目を悪くしますよ」
来留芽は気にせずにパチと部屋の電気をつけた。
「早く戻れたのは手伝いらしい手伝いをしてこなかったからかもしれません」
「そうだねー。その、演劇部のリハーサル見て感想を伝えただけだったんです」
「なるほど、それならこの早さも納得できますね。収穫はありましたか?」
その問いかけに来留芽達は頷く。そして、演劇部で聞いた話を会長に伝えた。
「ふぅん……なるほど。口伝で語り継がれてきたという正統さは良いアピールポイントにできそうですね。しかし、細部の調査には手間取りそうだ」
「細部、ですか?」
会長の言葉に八重が首を傾げて疑問を挟んだ。
「そう。例えばあの鏡がいつから演劇部にあるのか。いつから人を捕えるなどという性質を持ち始めたのか。……そう簡単に分かるようなものでもないでしょうが、展示を見に来た人からはそういった部分を突っ込まれますから」
「ああ、なるほど。そうなんですね」
「ちなみに言うと、そういった細部を調査しているとたいてい厄介事へと発展するから気を付けないとならない」
来留芽は会長の言葉に付け加えた。この場合の厄介事とは、何も霊的な騒動には限らない。演劇部の例で言えば有栖川と舛田他怪談話を知っている面々との仲違い等が考えられるだろう。
「そ、そんな怖いこと言うの止めよう? 来留芽ちゃん」
来留芽の服を掴んで少し泣きそうになりながら首を振る八重をちらりと見ると来留芽は視線を外して沈黙した。冗談では、ないのだ。
「ところで、二人はパネルの題材は演劇部の話で決定しますか? 早めに決めてしまった方が後々楽だとは思いますが」
会長にそう聞かれて来留芽と八重は顔を見合わせた。確かに、展示パネルを演劇部の話以外のネタで埋めるという選択肢もあるのだ。
「せっかく聞いて来たんだし、演劇部の話で作りたいと思います」
「私もそう思います」
「それでは、その方向で進めてください」
「「はい!」」
話が大体まとまったところで、来留芽は会長……木藤に相談したいことがあったのを思い出した。
「あの、木藤先輩。この学園のこと……仕事関係で少し聞きたいことがあって」
「ああ、別に構いませんよ。何かありましたか?」
「旧校舎の二宮尊徳像のことですが、何かご存知ですか」
「二宮尊徳像? どこに……」
彼は珍しく眉間にしわを寄せて顎に手を当て、考え込む姿勢を取った。まるで知らなかったというような、そもそも二宮尊徳像の存在について疑ってかかっているようなその様子に嫌な予感がした。
「高等部に二宮尊徳像はなかったと思いますよ。旧校舎であったとしても、見える場所にはなかったはずです。そもそも、あの銅像は小学校の定番ですからね」
「ひ……」
その意味するところが分かってしまった八重は顔を青ざめさせて小さく悲鳴を上げていた。何度も怖がらせて申し訳ないなと思いつつ、強く手を握ってくる彼女の隣で来留芽もまた考え込む。
青山達を迎えに行ったときに、確かに、間違いなく、二宮尊徳像を目にしたのだ。あれが幻覚だったとは思わない程度には自分の目と記憶を信頼している。となると……
「歩く二宮尊徳か……あればかりは流石にないと思っていたけど」
「私も同じですが……考えてみればそういった思い込みは危険ですよ。特にこの学園は何が起こるか分かったものではないですからね。新たな種族として二宮尊徳像というあやかしが現れていたと言われても驚けません」
その言葉に、来留芽から反論が上がることはなかった。




