6 終『アリスエディション白雪姫』
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「あの小娘が帰って来ない……よもや、逃げ出したのではあるまいな?」
女王様は魔法の鏡の前に立ちました。そして鏡にはその美貌を讃えさせようとします。
「鏡よ、鏡。国じゅうで誰が一番美しいか、教えておくれ」
「女王様、ここではあなたが一番美しい。けれども白雪姫は千倍も美しい」
「おのれっ……白雪姫め」
この鏡は決して間違ったことを言わないのですから、白雪姫が生きていることは間違いありませんでした。遣わせた小娘も目論み通りに紐を渡し、あの憎い姫を殺すことは叶わなかったのだと分かってしまいます。
女王様はさらなる悪巧み、白雪姫を殺そうとする計略を考えました。
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一方、白雪姫と同じように七人の小人達の家にいさせてもらえることになったアリスは白雪姫の手伝いをしながら『白雪姫』のお話をしていました。
そうです、アリスは白雪姫のお話を知っていたのです。
「女王様は四回も白雪姫を殺しにくるのよ。この家にいてもね。……七人の彼等が帰って来るはずのない昼間にトントンとドアをたたく音が聞こえたら気をつけなきゃ」
「それは、今扉から聞こえているようなものかしら?」
トントントン
今まさに、家の扉に開けと告げる音が聞こえてきました。アリスと白雪姫は顔を見合わせます。
「私が出るわ。私は、狙われてはいないはずだもの。白雪姫よりはね」
アリスが窓を開けて顔を出してみると、扉の前に立っている一人のおかみさんの姿を見つけます。
「こんにちは、どのような用件でいらっしゃったの」
「良い品を売りに来たのです。お買いになりませんか」
「良い品?」
アリスが興味を示したように尋ねますと、おかみさんは持っていたかごの中から一つの櫛を取り出しました。
「「まぁ、きれい」」
アリスと、いつの間にか窓のそばまでやって来ていた白雪姫はまるで示し合わせたかのように同じ感嘆のため息を吐きました。
「でも、だめよ」
アリスがそう言って買うのを拒否すると白雪姫も残念そうな表情ではありましたが頷きます。そんな二人の様子を見て、おかみさんは不思議そうに首を傾げました。
「おや、なぜだい? こんなにも良い品なのに」
「誰であってもこの家には入れられないし、この家の主に何も言わずに買うことはできないわ!」
しかし、おかみさんはそう言われても立ち去らず、かごをごそごそと探ります。
「せっかく来たんだ、何か受け取ってもらいたいね。ああ、そうだ。これならどうだい?」
そう言って手の平にのせて見せたのは採れ立てのみずみずしさに輝くばかりの赤いリンゴでした。
「まぁ、とっても美味しそうね!」
「特別に試食させてあげよう。遠慮はいらないよ。次に来たときに品物を買ってもらうためだからね」
白雪姫はふらふらと手を伸ばしてリンゴを受け取ろうとします。アリスは彼女を引っ張って離しつつこう思いました。「ただで食べられるなんて、そんなオイシイ話があるかしら」と。
「毒が入っているとでも思いなさっているのかね。ほら、三等分してしまうから遠慮なくおあがりなさい」
おかみさんはそうするとまず自分の口にぽいと三等分したリンゴを放り込みます。目の前でそうされてから差し出された残りのリンゴを受け取らないなどということはできませんでした。
「いただきます」
先に受け取った白雪姫はおかみさんと同じようにぽいと口に放り込んでしまいます。その次の瞬間、彼女はパタリと倒れてしまいました。
そのあと、しばらくアリスは白雪姫を生き返らせようとしましたが、小人達が帰ってくる時になってもそれは叶いませんでした。
「ああ……なんという……」
「なんということだ……白雪姫」
アリスから話を聞いた彼等も膝をついて何とか生き返らせようとしましたが、白雪姫は息一つせず、顔は青ざめ体は冷えきって起き上がることはありませんでした。
小人達は嘆き悲しみながら白雪姫を一つの棺の上にのせました。ガラスでできた綺麗な棺です。白雪姫を土に埋めるのは辛いと言って小人達がアリスも含めた八人で周りを囲み、ぽろぽろと涙を流します。
「……小さなレディ? それに小人達も。いかがなされた?」
ふいに後ろから声が聞こえて、アリスは振り向きました。立っていたのは五人の騎士達のようです。騎士に尋ねられて、小人の一人が白雪姫の身に起きた不幸を話しました。
「では、そこの棺にいらしているのが……」
「はい、白雪姫です」
五人が代わる代わる綺麗なガラスの棺に横たわった白雪姫を覗き込みます。死してなお美しいその姿に「生きているときに出会えたならばどんなに良かったか」と悔やみました。
「小人達よ。そなた等が大切にしていた白雪姫を引き取らせてもらえないか。かわりに、君達の欲しいと思うものを何でもあげよう」
ふいに騎士の一人が兜を取りまして、そのような頼み事をしてきました。アリスはその内容と、兜の下から現れたハンサムな顔に「王子様みたいだわ!」と驚きましたが、小人達は内容よりも顔よりも、その方自身に驚いていました。
「あなた様は、もしや……」
「如何にも、私はそなた等が思い浮かべた通りの存在だ」
「しかし、如何なる者にも、如何なる対価を提示されようとも、こればかりは差し上げられません」
小人達は頑なに彼の願いを拒否しました。
「ああ、そうだ。もし私がそなた等の立場であったら決して首を縦に振りはしないだろう。しかし、私はどうしても白雪姫が欲しいのだ。私の生きている間は彼女を敬い、粗末にはしないと約束するから」
どうか、と言って頭を下げる彼に小人達はついに折れました。気立てのよい彼等は手酷く拒絶することなどできるはずがなかったのです。
小人達の許可を得た彼は騎士達に命じると棺を担がせました。
「小さなレディ。おつかいの相手はこの方だったのかな?」
「……ええ」
「残念なことになってしまったようだね」
「いいえ。白雪姫と出会えたことは決して残念なことではないわ」
アリスがそう言いますと、顔を見せていたハンサムな騎士がやって来て手を取りました。
「君は彼女の味方なのだな」
彼はそう言うと膝をついてアリスと視線を合わせます。
「もし良ければ、君も隣国の城へ招待しよう」
「まぁ、お城へ?」
「ああ、言い忘れていたか。私は隣国の王子なんだ」
それを聞いてアリスは「まぁ!」と驚き、口元に手を当てました。王子様のようだと思っていた彼は本当に王子様だったようです。
「でも、それは――小人の皆さんにも聞かないとなりませんわ」
「わしらとしては構わぬよ」
アリスと王子様のやりとりを見ていた小人達はあっさりとそう言うとアリスの背中を押しました。
「この家は安全とは言えないのだと明らかになった。この上お嬢さんにまで危害を加えられては困るからな」
そういうわけで、アリスは王子様達に同行することになったのでした。
王子様に命じられて白雪姫の棺を担いでいる騎士の四人は森をそっと進みます。アリスに合わせているわけではないでしょうが、アリスが歩きやすい、丁度良い速さでした。
「そういえば、ハンプティ・ダンプティ……さんは無事に助け起こせたのかしら?」
「うぐっ……どうして今それを聞くかなぁ……」
あまり思い出したくないと言うように一人が視線を逸らします。
「とっても重かったさ! ちゃんと助けたけどね」
「本当に! 水だったのが良かった。あれが陸地だったらと思うと……ゾッとするね!」
そのとき、騎士の一人が言葉を発した拍子に木の根に躓いてしまいました。
白雪姫の横たわる棺が傾き、ガタンッと音を立てます。騎士達は青ざめて慌てて棺のバランスを取ろうとしますが、どうしても衝撃は伝わってしまっていたようで白雪姫の体が横になってしまいました。王子様が彼女の体を仰向けにしてやろうと棺の蓋を開けましたら、雪のように白い肌に血のように赤く美しい紅を差した顔にぱっちりと開いた瞳を見つけます。
「ケホ……ここは、どこなのかしら?」
「棺の中だね」
「私は、いつの間に死んでしまったのかしら?」
「いや、君は生き返ったんだ。ああ、何という奇跡か……君は白雪姫だね?」
「はい。私のことをご存知なのですか」
棺に伝わった衝撃のおかげでしょうか。毒リンゴの欠片をはき出した白雪姫は奇跡的に生き返ったのです。
それから、これまでに起こったことを簡単に話した王子様は改めて白雪姫に求婚しました。
「私は、世界中の誰よりもかわいいあなたを欲する者です。生涯、あなたを大切にしましょう。どうか、わたしのお嫁さんになってください」
「……はい、よろこんで」
そして隣国の王様へ報告したしばらく後になって、王子様と若い女王様のご婚礼が盛大に行われることになりました。このご婚礼には白雪姫の継母である女王様も招かれることになりました。誰よりも美しく装えたと判断なさった女王様はあの魔法の鏡の前に立ちます。
「鏡よ、鏡。世界で誰が一番美しいか言っておくれ」
「女王様、ここではあなたが一番美しい。けれども隣国の若い王妃様は千倍も美しい」
それを聞いた女王様はこれからご婚礼に向かうというのに呪いの言葉を次々に口に出してしまいます。そして、実際に自分の目で若い女王様となる人物を見て腰を抜かすほど驚きました。死んだと思っていた白雪姫だったからです。
女王様が求めて止まない“一番綺麗なもの”はいつもずっと遠くにあるのだと、敗北感に打ちひしがれました。
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白く輝く花嫁衣装に身を包んだ白雪姫はきっと世界中の誰よりも美しい姿でした。老若男女関係なく姿を見た人から彼女に見惚れ、魂が抜けてしまうような心地すら感じていました。その隣に立つ王子様も愛しげに寄り添い、祝福に駆けつけた人々を和ませています。
「おめでとう!」
アリスもまた、白雪姫に向けて祝福の言葉を投げます。きっと同じような声の中に消えてしまったでしょうが、白雪姫を祝う気持ちは心からのものでした。
ただ一つだけ不安の種がありました。アリスはこのまま帰ることができずにこの世界で生きていくのかしら、という不安です。
「お嬢さん、こんなに良い日なのにあまり心から笑えていないようだね。何か困ったことでもあるのかい?」
隣にいたお婆さんにふいにそう尋ねられてアリスは自分の心の中を覗かれたのかと思ってびっくりしました。見つめ合うように視線を合わせてみますと、お婆さんの瞳は深い光を宿しており、本当に人の心を覗いてしまいそうな不思議な様子でした。そこに映るアリスは少しだけ不安そうな顔を見せています。
「これから行くべき自分の道が分からなくなってしまったの」
「そうかい。しかしねぇ、道なんてものはたった一つじゃないんだよ。……少し、ついておいで」
お婆さんに誘われて近寄った屋台ではなぜかお皿を売っていました。多種多様なお皿は絵柄も一つとして同じものはありません。なぜ、お婆さんはアリスをこの店へ誘ったのでしょうか。
「一つおくれ」
「どれをだ?」
「そうさね……それ、ティーカップソーサーでいい。いや、それがいい」
「カップは?」
「ある」
一つだけ買ったお婆さんは次いで近くのポンプから水を出し、お皿に満たしました。
「覗いてごらん、さぁ!」
水面にはアリスの顔が映っています。周囲の景色までは分かりません。しかし、じっと見てみれば見覚えのある家具、部屋に見えてきました。
「私の部屋だわ!」
そう言って振り向いてみますと、アリスは自分の部屋の鏡の前に立っていました。




