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9 人の形とて人にあらず

 

『――死を覚悟する』


 来留芽の姿をした何者かは優雅に影の手の上に自分の手を置き、藤野から引き剥がした。呆気ないほど簡単に離れた自分の手に驚いてか、影は来留芽を凝視する。一方で藤野は地面に尻餅をつく。その視線は赤い目をした少女を捉え続けていた。

 来留芽は屈んで藤野の両頬を手で挟み再び言う。


『誰がために……死を覚悟する?』

「私は……翡翠の、ために」


 訳の分からないままに藤野はそう言った。それに納得したのかどうか、来留芽は瞳をそらし、今度は影に相対する。そして首を傾げ、問いかけた。


『――汝は何ぞ』

『俺様は俺様だ、が……お前、一体何だ?』


 影は近付く来留芽に……その異様さに一歩後退る。来留芽はそれに構わず近付くが、一歩進んでは影が一歩後退るため距離を詰められず、少し考えた様子を見せたかと思うと口を開いた。


『汝は何ぞ――生者か、死者か……鬼、か』


 鬼と吐き捨てるように言う来留芽に影は弁解するかのように、慌てて否定する。


『生者も死者もねぇ。鬼とも違う。ていうか俺様の質問に答えろよ。お前こそ一体何なんだ』

『呪は人にあらず、呪詛は人のためならず。汝とよく似て……全き異なる』

『……どういうことだ?』


 影のその問いには答えずに来留芽は土地神のそばに寄る。しゃがんで目線を合わせて話す。ほの暗い紅が覗き込んでくる。しかし、恐怖を覚えるような色ではなかった。人らしい気遣いがきらめいていたからだ。


『この身は人なれど意識は紙一重の者なり。されど……まほろばの主様、この場で力を使う許可を頂けましょうか』

『無論、構わぬ。守りとなるならば。そなたが何者でもわらわは問わぬ』


 にっこりと微笑むと来留芽……いや、来留芽の形をした何かはそのまま結界で囲まれた翡翠の元に向かう。そして藤野の結界を解いた。そして結界に使われていた呪符が重なる。驚いたことに、まだ使えるようだった。

 他者の呪術を解き、それに使われていた呪符がまだ使えるということは余計な力を入れずにほどいたということだ。そのようなことは本人でも無い限り不可能だと言える。今、来留芽の体を使っている何かが人の理を越えたものであるという証拠である。

 しかし結界が解けたことで翡翠の姿が誰にも見えるようになってしまった。そう、影にさえも。


『見つけたぜぇ、翡翠。そこにいたのか』


 翡翠を見つけた影はニンマリと笑った。今、影の体を構成する呪詛はだいぶ減っているため形を保つのが難しくなっている。しかし、相性の良い翡翠を乗っ取れば安定性が増すのだ。そこに丁度良く現れた翡翠は意識を失っているから乗っ取りやすい。影が喜ぶわけである。

 そのまま影はあの瞬間移動じみた動きで翡翠の元へ向かう。


「翡翠っ!」


 藤野は影と相対していたからか動けず、翡翠のそばにいた来留芽が影を押しとどめる最後の砦だった。しかし、何者かに乗り移られている来留芽では影を敵と認識しているかどうか。


『……愚か者が』


 影が翡翠の元に到達する前に来留芽から紅い文字列が飛んだ。それは影を取り囲み縛り上げる。


『な、何だこれは!? 俺様が読めない……これは、呪なのか!?』

『呪を読まれるならば……読めない文字で作るまでよ』


 慌てる影を尻目にそれは気を失っている翡翠の上に手をかざす。現れた文字列は翡翠の両手首を一周してからそこに定着した。それを確認するように見て一つ頷くとそれは翡翠の額に手を当てて気付けの呪を使う。


「翡翠を起こしてどうするつもりだ!」


 藤野はそれが何かをしようとしていることには気付いていた。影を倒すためならと思い静観していたが、翡翠を思いきり巻き込むその行動は許せなかった。


「頼むから……翡翠を巻き込まないでくれ」


 ――守ってきたのだ。昔から

 彼も、彼の親友も必死になって隠してきた。


『見くびるな。一族の者はそこまで弱くはない。そしてお前の保身のためにくれてやるような娘ではない』

「な……保身……?」

『無意識か? それとも考えぬようにしてきたのか。何とも、人らしい』


 それはハッと笑うだけで藤野の様子に頓着しなかった。


『翡翠。鏡音の巫女よ』

「う、ううん……あれ……貴女は誰ですか?」

『我が名は浅葱(あさぎ)。そなたの力を借りたい』

「私の力ですか。ええ、どうぞ。もう好きにしてください」


 翡翠は状況が分かっていなかったが目の前の少女が自分の力を借りたいと言っていることは分かった。そして、よくできた夢だと思っていたから深く考えずに首肯する。この時翡翠は力を貸してさっさと夢から覚めたいと思っていた。もういっぱいいっぱいだったのだ。

 来留芽……いや、浅葱は一瞬哀しげな顔を浮かべたが、翡翠の手を引いて立ち上がらせると鏡を呼び寄せた。


『これを』


 鏡を翡翠に預け、連れ立って影の前に立つ。


『お前も巫女だったのかよ』

『巫女の呪、よ』

『ははっ、はははははっ! 何だ、お前もか……』


 浅葱は翡翠の腕にある呪の文字に片手で触れて、もう一方の手を影に近付ける。すると、影は呪詛の形になって鏡に入っていった。


『そなたの、幸せな思い出は』

「幸せな思い出? 学生時代に出会った人達と遊んだこと……」


 翡翠が幸せな思い出を思い浮かべると鏡からまばゆい光がほとばしり、辺りを白く染め上げた。まぶしさに目を細めつつ何かの輪郭(りんかく)を見ていた。そして光が収まると、翡翠は懐かしい教室の中にいた。


「これは……高校のときの……?」


 明るい生徒が多くて、人見知りの自分でも男女問わず多くの友達ができた。席替えのときに一番窓際の席を日高佳樹と藤野青嵐が争うのはこのクラスの風物詩だった。二人とは大学まで一緒だった。大学の入学式で二人とばったり出会って、そのときに佳樹が自分はストーカーじゃないからと勝手に弁明してきたのには笑ってしまった。そのお陰でだいぶ緊張がほどけたことを覚えている。

 毎日が幸せだった。佳樹と結婚して娘の恵美里も生まれた。あの人はいなくなってしまったけれど恵美里に幸せを感じて欲しくて……誕生日はいつも一緒に祝った。その記憶は今も鮮やかに翡翠の中にある。

 とても幸せな、思い出が。

 また周囲が白く染まる。目を閉じて、開いたら元の場所だった。翡翠は何となく目元に手を当てて拭った。


「今、のは……?」

『夢、というのが適当であろう』

「そう、ですか……よく分かりませんが、久しぶりに温かい気持ちになりました」

『鏡音は幸せを忘れてはならぬ。誰かの死で助けられることは……もう許されぬ。心せよ』


 その言葉を残して浅葱は来留芽の中から消え、翡翠の持つ簪がボウッと光る。同時に翡翠も崩れ落ちた。おそらく極度の疲労と先程の夢で翡翠が有する霊力の大半を使ってしまったからだろう。

 そして来留芽は浅葱が自分を動かしていたときのことを鮮明に覚えていた。浅葱の伝えたいことも。

 しかし、それを翡翠に伝える前にやらなくてはならないことがある。


「藤野さん。まだアレ、生きてる!」

「え? 来留芽さん……ええと、生きているって……」


 影が鏡から飛び出した。それはもう人型を取ってはいない。先程の翡翠の夢で大幅に力を削られたからだ。呪詛のように負の心から生まれたものは幸せといったものに弱い。浅葱は翡翠の幸せな記憶で削り取れると想定していたが、予想よりも少しばかり呪詛が多かったようだ。

 力に飢えた影はこの場でもっとも強大な力を有している存在を取り込もうとする。まず狙われたのは土地神様だった。

 土地神は顔を歪ませる。もう存在を保っているだけで精一杯だったからだ。撃退できる力が無かった。


『すまぬ……わらわはもう……抗えぬ』


 土地神はこれも定めだと受け入れるように静かに目を閉じた。

 万事休す。しかし、天は来留芽達に味方した。


「うおおおおおぉらぁっ!」


 影が土地神様のところへ到達するそのときに空から人が降ってきたのだ。その勢いで振り下ろされた腕によって影は散り散りになって跡形もなく消えてしまう。あまりにも呆気ない最後だった。

 ドォンと隕石でも落ちたかのような重い音に後れて巻き上がった砂煙の向こう側で、彼は膝をついた姿勢からゆっくりと立ち上がる。その腕は人ではあり得ないほど筋肉が発達していた。

 ――鬼の腕だ

 呪が消え去ったのも恐らく鬼の力によるものだろう。鬼の力は何かを壊す際に真価を発揮する。


「薫兄!」

「お待たせ、お嬢。間に合って……はいないようだな」


 彼は戦いの跡が残る公園を見回した。立ち上がったその姿を見て来留芽は彼が誰だか分かった。もっとも、鬼の力を持つという時点で思い浮かんでいたが。空から来たということは細の式に乗ってきたのだろう。

 来留芽は駆け寄って飛びつき、ぎゅっと力を込める。


「ううん、助かった」

「無事で良かったぜ。もしお嬢が怪我でもしてようものなら細に殺されていたところだ。あ、もう少しで皆来ると思うからそれまで待機な」

「了解。翡翠さんはどうしよう」

「その人か? 一般人なんだろ。本来なら帰すんだが……この霊力だとこちら側に引き込んだ方が良いかもしれねぇな」

「やはりそうなるか……。できれば彼女には血生臭い裏を知られたくなかったところなんだけど」


 翡翠のそばに座り込み、彼女の頭を撫でながら藤野が言う。その顔に浮かぶのは複雑な表情だ。


「藤野支部長のコレっすか?」


 小指を立てる薫。その仕草はだいぶ古いのではないか。そう思ったのだが意外に通じていたらしい。


「そんなんじゃない。私は諦めてしまったからね……」


 藤野の事情を知っている来留芽としては何も言えない。しかし、翡翠はこちら側のことに気付いているのではないかと思う。本人としては無意識でも、察するところはあるはずだ。裏のことも、藤野のことも……。



 ***



 一方、細は薫から少し遅れて鳥から降りると土地神に挨拶していた。


「初めまして。このまほろばの主様でしょうか」

『そうじゃ。わらわに何か用かえ?』

「失礼ながら、相当な力を削がれている状態であるとお見受けします。来留芽がお世話になったお礼もかねて力を回復させる補助をさせてもらえればと」

『……わらわはそなたのような人間の手は借りぬ』

「そう、ですか。出過ぎたまねをいたしました」

『……わらわはこのまほろばの主。じゃが、永久(とわ)に君臨することはできぬ身よ。今回の怪我で滅びようともそれは運命(さだめ)だったというだけのこと。延命のための術は受けぬ』

「潔い。陰陽はただの延命にしかなりませんか。私も精進しなくてはなりませんね」

『そなたの技量が優れているのは確かじゃろう。そして、誰かを守るために振るうのであればなお良い。そなたは誰のために力を振るうのじゃ?』

「さて、誰のためでしょうね」


 細はちらっと騒がしい方を見る。誰のために力を振るうのか。それを聞かれてつい振り向いてしまった、そこに答えがある。

 どうやら土地神がよく好む温かい想いからのようだ。良い観察対象ができたと緑の少女はひっそりと笑う。

 細の視線の先……そこでは来留芽と薫、藤野による力の抜ける会話が繰り広げられていた。


「お嬢、結局俺が倒したアレは何だったんだ?」

「倒した、は違う。薫兄のあれは壊した、というもの。で、アレは……簡単に言うと呪詛の塊」

「なるほど。だから手応えがなかったし、簡単に壊せたのか」

「今回は助かったけれど、紅松くんがあんなに簡単に倒すのを見ると自分が情けなくなるな」


 翡翠の様子を見ながら藤野がうなだれる。


「下手に呪を使えなかったんすよね? だったら仕方ないと思うっす」

「君、その妙な口調は改めないかい? 敬語じゃないよね」

「薫兄の口調は病気だと思えば良い。昔からこうだから矯正できないと思う」

「何だとー。俺のことを悪く言うお嬢の口はこうしてやるー」


 そう言って頬を引っ張ってくる。そうしてじゃれていると背後から冷たい声が降ってきた。


「薫。仕事で来たというのに遊んでいるとは、これは指導が必要か?」

「ヒィッ……ってぇ……」


 真後ろに入り込まれて掛けられた細の言葉に情けなく悲鳴を上げた薫の頭に分厚い本が振り下ろされる。何故この場に持っているのだろうかと見つめる視線の先にあるのは分厚い辞書だった。


「これ? 外装は辞書だけど、中身は燃やした方が良いものだから没収しておいたんだ」

「……薫兄の?」

「そう。仕事に持ってきていたからな……」


 細は頭が痛いとばかりに額を押さえる。薫は何かをやらかすたびに細や巴に折檻されているが、その悪行は止まることを知らない。本人も社長や細の説教を食らっても悪びれないのだから手の施しようがない。

 そんなやりとりをしているうちに次々とオールドアの面々と応援としてきてくれたのであろう人達が集まってきた。


「すまん、遅れた」

「社長が最後ですよー」

「そうか。悪かったな。それで、被害者は……彼女で間違いないな?」

「うん。日高翡翠さん。少し霊力を使わせちゃったから今は気を失っているけど」


 来留芽がそう言うと社長は両肩に手を置いて問いただしてきた。


「来留芽。お前は、一体、何をした」

「ええと……私の持っている呪や呪詛の中に鏡音関係のものがあったらしくて」

「出てきてしまったということか。まさか、人格も?」

「うん。人ではないという自覚はあったみたいだけど、浅葱と名乗っていた」


 乗っ取られていたような状態の来留芽だったが、そのときの記憶ははっきりと残っている。


「そうか。まぁ、それについては追々追求するからな。今は彼女のことだ。青嵐、目は覚めそうか?」

「無理じゃないかな。何の訓練もしていないのに霊力を使って鏡に閉じ込めた呪詛のほとんどを昇華したんだから」

「それはすごいね。本当に神職に就いているわけでもない人がそこまでできたんだ?」


 巴が驚いた顔をして確認してきた。藤野がこちらをチラッと見ながら言う。


「ああ。まぁ、来留芽さん……いや、浅葱様の手助けがあってのことだとは思うけど」

「……浅葱様、ねぇ。もしかして、鏡音の巫女?」

「うん。巫女の呪詛から生まれたらしいよ。性格や記憶は巫女のものを受け継いでいた」

「……来留芽ちゃん関係はほんっとうに不思議に満ちているねぇ」


 巴はそうしみじみと言って来留芽の頭を撫でる。しかし、一般の人から見れば裏に関わるもの全てが不思議に満ちているものだろう。



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主人公以外の視点他あります
 『蓮華原市の番外』
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