3 藤野青嵐
シンと静まった部屋の中、ピンポーンという音が遠くから聞こえてきた。誰かがオールドアを訪ねてきたのだろうか。玄関の呼び出しボタンが鳴らされたようだった。
「あれ、そう言えば巴姉。本部から担当者が来るって言っていなかった?」
「それ言ったの俺な。そろそろ来る頃だ」
そのとき、社長室の扉に遮られてぼんやりとしか聞こえないが、確かに男性の声がした。
「おお~い、ここオールドアさんですよねー? 間違っていたらスミマセンが、誰か来てくれませんかー!」
基本的に来客に対応するのは来留芽だ。会社でも一番下っ端なのだから当然のことだが、ふてぶてしくお茶を飲んでいる薫が目に入ってイラッとしてつい呪を放ってしまった。
「うあちぃっ!」
突如沸騰寸前の温度になったお茶を口に含んで薫が飛び上がる。
来留芽も簡単な呪は使えるのだ。むしろ、最も得意としているのが呪だ。身の回りの小さな事象に干渉するもの。今回はお茶に干渉して熱湯にしてやった。恨めしげな声を背に聞きながら若干楽しげな足取りで玄関へ向かう。
「……お待たせしました。お名前をお願いします」
「ああ、えっと、君はここの子かな?」
男性は名前を尋ねたのにそれに答えずに来留芽がオールドアに属する者かどうかを聞いてくる。見た目は三十代後半辺りだろう。普通のスーツを着ていてどこかの会社員のようだが襟元の小さいバッジがそれを否定していた。太極図を模したそれは日本霊能者協会の所属である証だ。人の良さそうな笑みを浮かべているが、目は冷静にこちらを見ていた。
彼が危惧しているのは来留芽が一般人かどうかということだろう。丁寧に尋ねてくるあたり本部所属の人にしては珍しかったりする。あそこに所属している人はたいてい横柄な態度でこちらの神経を逆撫でしてくるのだ。
「はい。……ああ、裏のことは知っていますので」
来留芽がそう言うと目の前の人物は安堵したように息を吐いた。
「ああ、そうなのか。助かった。私は裏関係総合本部の藤野青嵐です。一色さんと紅松くんが鏡をこちらに持って行ったと思いますが、それに関する問題の解決のヘルプに参りました」
「はい、概要を今聞いたところです。詳しい話は社長のところでお願いします。こちらへどうぞ」
あの本部から来た人物にしては人を見下すところがなかった。これは久々に当たりだろうか、と考えつつ案内する。
「ここは君の家なのかい? すごいな……邪気が一切入ってこれないぞこれは。この中で過ごす人物はそうとう愛されているな。あ、言葉は崩させてもらったが、いいかい? わざわざ堅苦しい空気を作らずとも良いと思ってね。君も普通にしてくれて良いから」
だって面倒だろう? とその瞳が告げていた。来留芽も同じ意見なのですぐに首肯する。
「分かった」
それにしても、入ってすぐにこの会社の結界に気付くとは、この男なかなかの慧眼かもしれない。事実、オールドアは来留芽の父が遺したものの一つで家の中くらいは人の負の心に悩まされないようにという思いから作られた場所だ。まさに(来留芽への)愛溢れる会社なのである。当然、守られる者にそうと気付かせるような“守り”ではない。
「どうぞ」
「お邪魔するよ、守」
「青嵐! 今回の件を担当するのはお前だったのか。だが、無理するなよ?」
「もちろん。だがどうせ無理しようにもできないさ。今の私ができるのはせいぜい自分の命を守ることくらいだ」
藤野はおどけた仕草で自分は特に力があるわけではないと言う。しかし、その顔に浮かべた悪戯っぽい表情がそれを裏切っていた。
「嘘だろう。むしろ実力が上がっているように感じるが?」
「……本部には黙っていてくれよ」
どうやら藤野と社長は知り合いだったらしい。二人のやりとりには気安さが感じられる。
「ちょ、まさか役職持ちが出張るほどの事件にするつもりっすか!?」
「藤野支部長? この仕事は遊んではいられませんよ」
「……君達ねぇ、私のことを一体何だと思っているのかな。私ほど仕事に真面目に打ち込む人はいないよ?」
「いや、でも藤野支部長と言えば鼻歌交じりに仕事をこなすことで有名じゃないっすか。いつも楽な仕事を選んでいるって評判っすよ。今回はそんなに楽できないっすよ?」
「だから一体それは誰から聞いたのかな。私達は簡単に仕事を選ぶことはできないんだよ?」
巴と薫もこの藤野という男と知り合いのようだ。二人は本部の依頼をよく受けているので支部長ということは彼から仕事の説明などを受けることがあったはずだ。
「こほん。それで、ある程度の話はしたんだね?」
「はい」
巴が首肯する。仕事モードに入ったようだ。彼女に頷き返してから藤野はラウンジを見回した。
「では、ここにいる人は皆この件に関わるとみなしていいのかな?」
呪詛が関係しているのなら来留芽が役に立つこともあるだろう。学校との兼ね合いが少し心配だがこの市内で動く分には問題ないはずだ。
「では、少しだけ追加情報を話そうか」
――この鏡が収められていたのは常世商会というところだ。裏に生きていて知らない人はいないと言われるほど大きく、また手広く商売している商会だね。一色さんと紅松くんにはこの商会の蔵の整理を依頼していたんだ。
倉庫を整理した二人は知っていると思うけどあそこは細々とした物までリストを作っていたね。この鏡も当然リストに書かれていた。まぁ、他人にも見せてもいいリストは鏡について書かれていたところが破れていたのだけどね。だが、実は本当のリスト……あそこが簡単には見せてくれない極秘リストという物があったようだ。私はそれを見せてもらい、鏡について詳しいことを覚えてきた。
あの鏡が神具だっていうのは間違いない。もとは呪いを解呪するために使われていたようだ。鏡が対象の呪いを引き取り、神社の者がそれを昇華していた。それ以外にも鏡を媒体にして術をかけるとか使い方はいろいろありそうだった。あれを使えるのはあれが常世商会に来る前に収められていた神社の神主の一族しかいない。だが、何か事件が起こったらしく、一族は皆亡くなってしまった。どうも強い呪いに取り殺されたらしいが……真実が分かることはないだろうな。
そういう経緯を経て鏡は呪を溜め込むしかできなくなった。いくら神具といえども呪を溜め込み続けることはできない。いずれ災いとなってしまう。実際に鏡の中で呪詛の合成が起こり人格を備え始めたらしい。それに気付いた者が必死で封印した。そのうちにそれが常世商会にたどり着いたのさ。
藤野はそこで言葉を切ると、ゆっくりと目を瞑り深呼吸をする。そして、静かな声でただ事実と悪い予感を言葉にした。
「……封印はね、解けるんだよ。特に一番外側のあの箱は何度か封印し直した記録があったからそこまで強い物ではなかった。ただ、この鏡は呪詛が完全に抜けているだろう? それが意味するのは神社の者の生き残りがいたか、目覚めた呪詛が触れた者を乗っ取ったかしたということだ」
藤野からの追加情報に一同は険しい表情を浮かべた。
予想以上に危険な状況かもしれない。
もし、神社の生き残りが自らの意思でそれを手にしたというのなら。そんな強力なものを手にして何をしようというのだろう。何をしても想像できないほどの惨劇が生み出されそうだ。
もし、呪詛が封印を解いてしまった人を乗っ取り出て行ったのなら。……制御できない悪意に突き動かされ、悪事を働く可能性がある。最悪は人間社会が終わるかもしれない。
どちらにせよ、大変危険な状況にあるのは間違いない。解決を急がねばならない。しかし……呪詛がどこに行ったのか、それが分からないうちには動きようがないのも事実だった。
「実はね、一人だけ心当たりがあるんだ」
「犯人の、ですか?」
「ああ。一般倉庫の整理係だった人物だ。けれど、彼女は……本人は知らなかっただろうが呪などに強い耐性を持っていたようだ。だからあの蔵の整理も行っていたらしい。というか、押しつけられていたのだろうね」
話を聞くに、その女性は一般人なのだろう。それなのに裏関連の物を置いてある蔵の整理をも任せていたというのか。それは、常世商会がおかしくはないか。そう憤っていると藤野が目に冷たい光を宿し、冷笑混じりに言葉を続けた。
「商会の上層部の一部はその事実を見て見ぬ振りをしていたそうだよ。本当の担当者が彼女に仕事を押しつけていたことをね。自分より余程強い呪耐性を持つ彼女を妬んでのことらしいけど……一般の人相手によくもそんな気持ちを抱けるものだ」
「ですが、その方が犯人と決めつけることはできないのでは」
「そうだ。確かに証拠はない。しかし、彼女は件の神社の一族の血を引いているんだ。傍系もいいところだったけれど、それでも血が流れているのは間違いない。高い呪耐性もそれの影響だろうね」
ここからはあくまでも想像になる。恐らく彼女は蔵の整理中にあの箱を見つけてしまった。神社の一族の血を引いているなら鏡は彼女を呼んだはずだ。呪具だろうと神具だろうと自分と相性のいい存在を呼び寄せる力がある。特に訓練をしていないならばそれに抗うことは到底できなかっただろう。
「しかし、それだったら既に何らかの被害があってもおかしくない。素人が呪詛を手にしたんだろう」
「確かにとっくに暴走させていてもおかしくないわけだが、それは私の予想が正しい場合だ。もしかしたら手練れの共犯者などもいるのかもしれないし、彼女がまだ抗っているのかもしれない」
「あの、ふと思ったのですが、犯人はこの付近にいるのですか? 分からないとしても今のこの人数では手が足りなくなりますよ」
「鏡に微かに残っていた残滓をもとに追跡してみたんだよ。するとこの町に続いていた。だが、詳しい場所を割り出す前に対象が変化したのか全く分からなくなってしまってね。心配しなくとも被害があってからじゃ遅いタイプの案件だからちゃんとこの町以外からも応援が来る予定だ」
早期解決が望ましいということだろう。呪詛が人を乗っ取った場合でも、自分で逃げている場合でもそこまで遠くには行けない。今日明日くらいならこの町周辺にいる可能性が高い。
「そうか。しかし、うちの社員は即座に他と連携できるとは思えないな。うちはうちで対応するかもしれないが良いか?」
「ま、そこは他も同じだろう。構わないよ。私はさしずめ緩衝材といった位置になるのかな。胃薬が手放せなくなりそうだよね……まぁ、知っていたけど」
ご愁傷様だと思う。異能者は一般の人よりはるかに暴力的な力を持つ。それにあぐらをかいているようだと思い上がり、傲慢になった人物に成長する。オールドアで心配なのは薫だろうか。そのような性格の者が集まれば当然のこと、衝突が起こるのだ。
「薫、暴走するなよ」
「もちろんっす。昔ほど馬鹿じゃないんで」
「……そうかなぁ? 薫、売られた喧嘩は?」
巴が思いっきり疑った顔を向けて問いかける。それに対する薫の返答は非常に早かった。打てば響くという比喩をほしいままにしているかのように。
「もちろん買って倍にして返すもんっしょ」
「「……これだから……」」
社長と巴は額を押さえうなだれる。気持ちは大変分かる。そして、そんなやりとりを見た藤野はにっこりと笑って言う。
「うん。オールドアは心配なさそうだね」
どこを見ればそのような発言になるのだろうか。問い詰めたい気持ちで一杯になった来留芽はそれを多分に含んだ視線を彼に向けた。しかし、さらっと視線を流されてしまう。
「そういえば君の名前を聞いていなかったね。この会社に入ったばかりなのかな?」
「古戸来留芽。会社に入ったばかりではなく、あまり人前に出ていないだけ」
「ほう。守の兄に娘が生まれたとは聞いたが、もうこんなに大きくなっていたのか」
「おい、何年前のことを言っているんだ」
「仕方ないだろう。私は忙しいんだ。些事は忘れてしまう」
「ほほう……私の姪の誕生を些事と言うのか。流石に看過できないなぁ?」
青筋を浮かべた社長が手をバキバキ鳴らす。叔父馬鹿のポーズだろうが、ほどほどにしてくれと思いつつも止めることはしない。面倒くさいからだ。
「……やるのか。腕は鈍っていないだろうな?」
藤野はさらに社長を煽っている。もうどうなっても知らない、と来留芽は呆れて首を振った。オールドアが壊れるような乱闘にならなければ放っておいていいだろう。話は以上のようだったので、来留芽は自分の部屋に戻ろうと腰を上げた。
「あっ!」
そのとき突然巴が声を上げた。それに驚いてか社長と藤野の二人はファイティングポーズを取ったまま固まり、顔だけを巴の方へ向ける。
「えっと、何かな、一色さん」
「肝心の犯人だと考えられる方の名前を教えてもらえませんか?」
「……ああ、話していなかったか。彼女の名前は翡翠。旧姓が鏡音で今は日高を名乗っているはずだ」
背後から聞こえた声に来留芽は一度足を止める。そしてちらりと藤野を見た後、無言で部屋から出て行った。




