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ユレルサンカク  作者: 秋沢一文
一章
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はじまりの日の町田(4)

 2限は講義が入っていなかった。ミチスエと話しながら本校舎を出た。TOPビルの正面で、淵野辺の市立図書館の自習室に行くというミチスエと別れた。


 線路沿いの狭い通りに車が迷い込んでいる。排気ガスの匂いがした。


 建物の中に入る。立ち食い蕎麦屋のつゆの匂いがした。TOPビルは今のようなテナントビルになる前は、地元で有名なデパートだったという。

 手すりの塗装がげた、古めかしい造りの階段を三階まで上がった。


 二階には小さな古着屋と美容室、チェーン店系の居酒屋、三階フロアには古本屋が入っていた。四階は不動産資格の専門学校、五階は湘北予備校の教室だった。

 そこからさらに階段を上がり、六階フロアにある自習室の金属製の扉を開けた。


 六階の自習室は、正面と右側の壁がガラス張りになっていた。


 正面には道を一本挟んだ向こうの雑居ビルに入っている会社のオフィス。右側には町田駅周辺のビル群。窓際に立つと真下の踏切の雑踏が見下ろせた。


 広いフロアには何本か大きな柱があり、正面に向かって机がきれいに並べられていた。時間が早いせいか席にはまだ余裕があった。


 五星ごせい塔子の姿はなかった。正面左側の席に着いた。前後左右の間隔が広く、隣の席の学生の様子や、通路を歩く人の気配もあまり気にならない。


 クリアケースからテキストやノートを出し、今日の英語長文読解の復習を始めた。


 ノートをまとめ、辞書を引きなおし、用例にアンダーラインを引いた。テキストの副読本の構文集を参照し、必要な部分をノートに書き出す。


 憶えていなかった単語を辞書と単語集で確認しマークする。テキストの間違えた問題の番号に印をつけて、素の状態で何度も読む。


 長文の読みこなせない部分はノートと照らし合わせながら再び確認する。その繰り返しだった。


 静かな自習室の効果か、英語長文読解の復習は予想以上に順調に進んだ。この勢いをかりて、4限に入っている国語の現代文の予習にも手をつけることにした。自習室を出て階段を五階まで下りた。


 右側に講師の控え室、その隣が小さなカウンターの付いた教務室、左側の廊下を進むと本校舎と比べて小ぶりな教室がいくつか並んでいる。ロビーにあるコピー機で現代文のテキストをコピーした。


 それぞれの教室から講師の声が微かに漏れ聴こえてきている。廊下は静かだった。


 エレベーターの扉が開く音がして、反射的にそちらを見た。ロビーに人が降りてくる。目が合った。英語長文読解の講師・日向ひゅうがマゴヒコだった。日向はこちらに気づいて、近づいてきた。


「よう。さっきは急に当てて悪かったな」


「い、いえ」


「さっき手元に、授業が始まる前に丹波チューターからもらった、クラス編成テストの成績一覧表があってね。君、成績良かったから、あれ分かるかなと思って当てたんだ」


「え? でも。たしか僕、その試験の英語の点数あんまり良くなかったはずなんですけど……」


「あ、いやいや。国語と社会のポイントがずば抜けて良かったから。ACLUなんて、どっちかといったら社会の分野だからね」


「は、はあ」


「君、英語のポイントが伸びてくれば、きっとどこの大学でも受かるよ。授業の時だけじゃなくて、分からないことがあったら、いつでも講師室に質問しにきな」


「は、はい。ありがとうございます」


 ヨロシクと言いながら、日向は講師控え室の中に消えていった。




 TOPビル六階の自習室で現代文の予習を終わらせ、少し遅めの昼休みに入った。


 六階フロアの自習室は昼休みの時間帯も飲食禁止なので、弁当持参の学生は五階の空いている教室で昼食をとる。


 昼休みの時間になり、机の上に勉強道具を置いたまま席を立つ人が増えたので、なんとなく昼の時間になったことが分かったが、

 それがなければ、この自習室は時間の感覚がなくなってしまうほど集中できる空間だった。


 階段を地階まで下りた。朝はシャッターが下りたままだった居酒屋が、ランチタイムの営業を始めていた。地下道を通って線路の反対側に出た。


 地上にはたくさんの人がいた。踏切を待つ人、ビラやティッシュを配るアルバイト、カリヨン広場でくつろぐ人、交番の前に立っている警官。

 書店とカフェのある角を右に曲がり、近くの牛丼屋で昼食をとった。


 適度な息抜きとしての音楽との関わりは、完全には絶たないことに決めた。完全に絶ってしまえば、かえって過度なストレスになりそうだったからだ。


 勉強の合間の気分転換には、プレイヤーで好きな曲を一曲だけ選んで、集中して聴くことにした。大好きなビートルズの曲はどれも短いので、気分転換には適していた。


 昼休みなど、予備校周辺での休憩時間には近くの楽器屋に立ち寄り、書籍コーナーでバンドスコアを眺めた。ただ、楽器屋に立ち寄る目的はバンドスコアを立ち読みすることに限っていた。


 楽器のコーナーには極力近づかず、「受験が終わるまでギターには指一本触れない」ということを浪人生活でのルールとして胸に刻んでいた。


 町田の湘北予備校の近くには二軒の楽器屋があった。一軒はカリヨン広場のそばにあるスズラン楽器、もう一軒は本校舎のすぐ裏にあるタバタ楽器だった。


 スズラン楽器は老舗の小ぢんまりとした楽器屋で、ポピュラー音楽の楽器は申し訳程度しか置いていなかったが、いつも客がまばらだったのでバンドスコアをゆっくりと眺めることができた。


 バス通り沿いのタバタ楽器はポピュラー楽器の専門店で、一階フロアにはギターもたくさん展示されていた。高校二年生の時、エピフォン・カジノを買ったのはこの店だった。

 二階の書籍コーナーにはバンドスコアや教則本がそろっていた。


 牛丼屋での昼食の後、タイミングよく開いた踏切を通ってTOPビル側に渡り、予備校の本校舎に向かう狭い路地とは反対側のバス通りを歩いてタバタ楽器に入った。


 一階の楽器コーナーは無視して二階の書籍のフロアに行く。


 レジの前にタバタ楽器の黒いシャツの制服を着た小柄な女性店員が立っていたが、バンドスコアを立ち読みするだけの冷やかしなので、目を合わせないように通りすぎた。


 ビートルズのバンドスコアを開き、『You Can’t Do That』のギターソロ部分を眺める。頭の中で、フレーズをたどってみた。


 ふとバンドスコアから顔を上げて、同じ二階フロアにあるDTM機材が並べられたコーナーの方へ目をやった。

 さっきレジに立っていた小柄な女性店員が、若いミュージシャン風の男性客を相手に機材の説明をしているのが見えた。


 こちらに背中を向けて立っている彼女のブラウンの髪色が、黒いシャツの制服によく映えていた。


 TOPビルの自習室に戻り、4限の講義の開始時刻までまた少し勉強をした。時間になり、本校舎の現代文の教室に移動してみたが、ここにも五星ごせい塔子の姿はなかった。


 現代文の初回のテキストは、東洋と西洋の比較文化論的な内容だった。オナガトという講師は板書のスピードが異常に速かった。


 オナガトの板書のクセをつかむまでしばらく時間がかかり、乱雑なノートになってしまったので、講義の後、自習室でノートをまとめなおしてから帰宅した。


「評価」「ブックマーク」「感想」などいただけますと、とても励みになります。よろしくお願いします。(秋沢)


〈著者・秋沢ヒトシのプロフィール〉

秋沢一氏あきさわ・ひとし /コピーライター、作家。小説『見えない光の夏』で第3回立川文学賞・佳作。ラジオCMコンテストでの受賞歴少々。お問い合わせは、「作家 秋沢」で検索するか、以下のアドレスでアクセスできる、ウェブサイトのフォームから。https://akisawa14.jimdo.com/

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