三人目
著者:森彗子
空高く旋回する鳶が、笛のように啼いている。
乾いた砂を踏みしめ、石の要塞にいま足をかけ、身を預けた。
靴の底に取りついた砂利のせいで、滑りやすくなっている。
こんなところで滑って転ぶってのは、なしだ。
石の回廊だ。
石柱がいくつも並び、天井を支えている。
襲ってくるなら、うってつけの場所だろう。
回廊の幅はおよそ10メートルはある。
柱の影に神経を尖らせると、鳶の鳴き声に似せた口笛が聞こえた。
下手くそな芝居しやがって。
袖口に隠していたオートマ2丁の安全装置を、、それぞれの手で解除する。
リロードは済ませてある。おかげでいつでも始められる。
銃を構えながら、歩き出した。
予測した位置より先の柱に、動く影が飛び出す。
眼球全部で拾った映像に、赤い目を光らせた奴がいたら、そいつが俺の獲物となる。
自動小銃を構えた無数の影たちが一斉に銃口を向け、打ち出す。
その前に俺は引き金を引いて、一度に三人薙ぎ払った。
指が絡まったままの自動小銃が、でたらめな場所に傷を残していく。
散弾の煙の中を同じ速度で歩きながら敵より早く引き金を引く。
固い石畳みの床に弾け飛んだ薬きょうの金属音を微かに捉えた。
やけっぱちに突っ込んでくる惨めな男達が、焦点の合わなくなった目を開けたまま仰向けに弾け飛ぶ。
オートマチックだからと言って、弾数に限りはある。一発だって無駄にはしない。
弾道を操るように銃口に捻りを入れ、弾に回転を加えると面白いことが起こる。
まるで迸る螺旋の蛇のごとく、弾は獲物目掛けて飛んで行った。
俺が操っているんじゃない。
銃が俺を操っているのだ。
身体は銃に従って動きを選び、俺の獲物達はあっという間に屍になる。
空砲を知らせるトリガーの感触。
オートマチックを後ろに放り投げながら、丁度足場に転がっていた兵士の自動小銃をブーツの甲で梳く上げるように蹴り上げた。
腰の位置でつかみ取った途端に、手に吸い付いてくる。
石柱からはまだ途切れることなく、羊たちが徒党を組んで歯向かってくる。
目の前に迫った死よりも怖いであろう羊飼いの顔を思い浮かべ、ほんの少し憐れに想った。
あの世ではもっと自分の身を可愛がれ、と口の中でつぶやきながらトリガーから指は外さない。
鉄の塊から発射する弾というのは、小さな爆発を原動力に飛んでいく。
その反動をいちいちまともに受けていると、腕の筋肉が馬鹿になっちまう。
その点自動小銃は肩に固定し余計な力も入れず、腹から下の筋力でしっかりと体幹を意識するだけで安定する。
雑魚は数で圧倒する。これは疲労が溜まり、隙を生めばたちまち形勢は逆転する。
尤も油断ならない時が、今だ。
少しでも進め。決して慌てるな。冷静であれ。頭の中でその呪文をひたすら繰り返す。
学習能力の低い連中が玩具の兵隊のようにバタバタと倒れた。
血しぶき、火薬の匂いに、強い臭気を放つ兵士達の屍。
それらを踏み分けながら、迷いなく真っすぐに進んでいく。
耳はもう役には立たず、色味の濁った視界に赤い敵意だけを見分けることに集中する。
回廊を進んで来ると、前方に門が見えた。
閉ざされたその門が、ゴールだ。
接近戦に慣れた兵士が、捨て身で駆け込んでくる。
迷っている暇などありはしない。立ち止まり、迎え撃つ準備をする。
痺れの取れた両腕をウォームアップするつもりで、拳を握って開いた。
赤い目がこちらを見ている、と思うだけで身体は反応する。
受ける振りをして身を翻し、深追いした敵の肩に銃剣を突き刺し、発砲。
一度の攻撃で仕留めにかかってくる兵士は、動きが大袈裟になっている。
過度の興奮は体のバランスを奪い、不安定にふらつく。
そんな隙だらけの肌に肘を突き刺し、蹴り倒したところでまた銃剣を刺して撃ち殺した。
赤く光っていた眼から、光が鈍色に混じり絶望に混濁する。
敵から奪った光を糧に、俺は歯を食いしばり先へと進む。
最初の攻撃さえかわせば勢いを失くし、その瞬間がねらい目。
門まであと僅かだ。
銃剣の切れ味が落ちていく中、刺しては抜くという動きが体力を剥ぎ取る。
急所でなければ意味がない。反撃の隙を与えるな。
生へと執着なら誰にも負けない。
俺はこれまでもこれからも、人類最後の一人になる覚悟は出来ている。
奪い取った銃で、二度と立ち上がれないように確実に光を吸い上げた。
骨もそれを包み込む肉も壊れそうな振動の中、魂だけは失わずに、獲物を仕留める。
あの世はきっと、この乱世よりも天国に違いないはずだ。争いのないユートピアへと送ってやるのが、せめてもの情けというもの。
気付けば殲滅に追い込んでいた俺は、漸く一息吸い込んで吐きだした。
何人いたかなんて、どうでもいい。
振り向けば地獄絵図。
そんなものを記憶に焼き付ける資格など、俺にはない。
だから、ただ前だけを見詰め、汚れたブーツで門を蹴り開けた。
火薬と血を孕んだ追い風が、背中を押す。
死臭に集まってきた鳶が降り立って、赤い目で俺を一睨みした。
end