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ディアレスト  作者: 北条渚
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第2章 国府田サチコ

「あなた、やめてー!」

  

    また、お父さんが罵声を上げて、お母さんに暴力を振るう。もう、何回見てきたんだろう。私が物心ついた時からかな。お父さんの暴力の理由は、自転車が盗まれただとか、仕事でたまたま単純なミスをしただけとか、クダラナイことばかりだった。私は、そんなお父さんが怖くて、いつも怯えていた。いつも機嫌を伺っていた。でも、何でもない時は、いつもニコニコしてて、私が泣いていると一番に駆けつけて「どうした?」って、心配してくれたり、誕生日、クリスマスのプレゼントも欲    しい物をプレゼントしてくれたり、言わば良いお父さんだった。でも、相変わらずお母さんには冷たかった。私が大きくなるにつれて、二人の会話はどんどん減っていて、互いに伝えたいことがある時は、私が中継をして伝えることがほとんどだった。でも、こんな家庭環境を部外者には伝えたくないという想いから、私は、幼稚園、小学校と明るく振舞っていた。世間一般的にいう。『仲良し家族』のオーラを一人で演じていた。授業参観の時は、母親しか来なかったけど、私は友達には「おとうさん、忙しいからね。」と嘘ついて、自分自身も誤魔化していた。そんな私の環境を唯一知っている部外者が居る。それは、神保マモルという男の子。私の幼馴染で私の心の癒し処。ちっちゃい時は。私以上に泣き虫で、どうしようもないヤツだった。だから、「私がお姉ちゃんだから、頼ってきなさい」とよく彼を励ましてたっけ。でも、今はすっかり立場が逆になっちゃったね。マモルにどれだけ助けられて、小学校卒業という時を迎えたのだろうか。彼の名前の通り、私を『守って』くれたんだね。そんな彼が私は大好きだ。

    私がマモルと出会ったのは、幼稚園に入園する春の事だった。私の家の隣に引っ越してきた。私の家に挨拶に来た時、マモルはお母さんの影に隠れて、今にも泣き出しそうな顔で、私を見ていた。私が「よろしくね。」って声を掛けると、泣き出してしまった時は、本当に困ってしまって、つい私もつられて泣いてしまった事は、今でも覚えている。同じ幼稚園に通う事を知り、私は嬉しかった。

    幼稚園バスで通う初日、マモルはお母さんと別れるのが嫌だったのか、そこでも大泣きして、幼稚園の先生とお母さんを困らせていた。そこで、私は初めて彼に「よし、わたしがおねえちゃんになってあげるからあんしんして」と励ました。そしたら、今度は嬉しくなったのか、安心したのか、また泣き出した。本当に面倒くさい奴だと思った。

    それから、何をするにも一緒だった。凄い時は、トイレの個室まで一緒についてきて、私は恥ずかしい想いをしながら、用を足した記憶もある。そんな、マモルも夏になれば、少しずつ、友達が増えるようになった。でも、相変わらず、泣き虫で友達を困らせていた。先生も、友達も皆、優しい人だったから、それが苦じゃなかったんでしょう。同い年なのに、どこからか上から目線で彼を見ていて、彼の行動が微笑ましかった。

    その年の冬のことだろうか。マモルのお父さんが亡くなった事を聞いた。その時、彼のお母さんからは私の家族だけにこう話した。

  「私の主人は航空自衛隊の隊員で今年の春、習志野からこの百里に転勤になりました。亡くなったあの日、いつものように戦闘機に乗って、航空訓練をしていたんです。上空二〇〇〇メートルの辺りで乱気流に飲み込まれて、戦闘機が失速して、コントロールを失い墜落して亡くなりました。マモルは乗り物が大好きな子で、将来はお父さんのように、自衛隊に入って、戦闘機を操るんだなんて目を輝かせて言っています。あの子の夢を壊さない為にも、絶望に飲み込まれない為にも、どうかマモルには、病死と話していただけないでしょうか。」

   涙を滲ませながら、訴えるように話す、彼のお母さんの説得に私達は従うしかなかった。まだ、話の内容が良く分からなかった私にはお母さんからは。「マモル君のお父さん。病気で死んじゃったんだって。」と簡潔明瞭に話してくれた。その当時の私は親達の言うことを信じていた。通夜も告別式も家族内だけで営まれ、静かに終わった。その時からだろうか、マモルもだんだん泣き虫では無くなってきた。きっと、彼自身で父親亡き今、しっかりしなければならないと思ったのでしょう。日に日にマモルは強くなっていった。

    私の家庭内では、お父さんの家庭内暴力が絶えなかった。家に帰ってくれば、一升瓶の酒をラッパ飲みして、心にも無い暴言を吐いて、気に入らないことがあると怒鳴り散らし、お母さんに暴力を振るった。私は夕飯をおいしく食べられたことなんて数える程しかなかった。私は、部屋の隅に隠れて、怯えていた。

    翌朝、お父さんが仕事へ出掛けるのを確認して、お母さんに訊いた。

  「ねえ、お母さんはなんで、あんなに殴られても蹴られても怒らないの?」

  「お父さんはいつもお仕事が大変だからね。ああやって、お母さんと一緒に運動してるのよ。お父さんは怒ってる訳じゃないのよ。心配してくれてありがとう。サチコは優しい子だね。」

   お母さんは、真実を話そうとはしなかった。あれは運動じゃない。ただの暴力だ。子供の私でも分かる。そして、お母さんがついたウソも。私じゃ力になれないのかな。まだ小さいから、助けることが出来ないのかな。

    やがて、私は小学校に入学した。桜が満開で、とてもよく晴れた日だった。マモルのお母さんに私達三人の写真を撮ってもらった。この時のお父さんはとても良い顔をしていて、周りから見れば『幸せ家族』そのものだった。あの時、マモルが見せた切ない顔に少し罪悪感を覚えた。でも、写真を撮る時は精一杯の幸せそうな笑顔を浮かべていた。それから毎日、一緒に登校した。片方が風邪で休んだ時は必ず、プリントや連絡帳を渡しに家に行くのも決まりになっていた。そうしていくうちに、互いのお母さん同士も仲良くなっていた。それだけで、私は幸せだった。おそらく、マモルも幸せだったと思う。だから、こんな時が続けば良いと思った。

    事件が起きたのは、小学校四年生の時だったと思う。いつものようにマモルと下校した。家に帰ると、お母さんが何やら深刻な表情を浮かべて、電話対応をしている。

  「はい、分かりました。ご迷惑お掛けしました…。失礼します…。」

   電話を切ると、また電話が鳴りだす。

  「はい、国府田でございます。…はい。…うちの主人が大変ご迷惑お掛けしました。本当に申し訳ございません。なんと、お詫び申し上げた良いのでしょうか…。本当に申し訳ございません…。」

   私は、お母さんの電話の会話から察しが付いてしまった。きっと、お父さんが何か事件を起こしてしまったんだと。お母さんが電話を切った後、私は、何も言わず、一人にさせてあげようと部屋に向かった。

    事件の真相が分かったのは数日後だった。お父さんは仕事の帰り道、コンビニで買い物をしている時、私の同級生の加賀屋ユウの親に会ったそうだ。最初は世間話で話が盛り上がったそうだが、話をしていくうちに子供の進路についての話になったそうだ、何が原因で口論になったか、分からないが私のお父さんは、その親を殴ったそうだ。歯が数本折れる大けがをさせてしまったようだ。すぐに警察が来て、仲裁に入り、お父さんは警察署に連行された。警察からは厳重注意で終わったようだが、この事件は、隣の家から隣の家へ、話が広まりいつしか、この地域での嫌われ一家となってしまった。陰ながら見守ってくれたのは、神保家だけだった。頼れるのは、マモルの家だけだった。

    翌日の朝。いつものように登校すると、私の下駄箱には汚された私の上履きと、『暴力家族』と大きく油性マジックで落書きされていた。私は立ちすくむ事しかできなかった。横からマモルが「あらあら。バカじゃねえの」と小さくつぶやいて、私の上履きを洗ってくれた。教室に入ると、クラスメイトの冷たい視線。私の机には油性マジックで同じように落書きされていた。目の前に広がった光景はとても酷いもので、私は涙を流すことさえ忘れてしまうほどだった。

  「一体誰がこんな事を…。」

   動揺して震える私。怒りに震えるマモル。

    しばらくして、担任が教室に入ってきた。いつもと違う教室の雰囲気に、異変を感じたのか、事件を知っているのか、朝から、一時間に亘る緊急の学級活動が始まった。

  「こんな人を傷つける事をして平気な顔をしている人間として卑怯な奴がこのクラスに居る。今ならまだ罪は軽い。今から、この用紙にこの件に関して知っている事があれば書け。書いたら二つ折りにして、先生に提出。はい、始め。」

   担任が少し怒り口調で、用紙を渡す。

  「国府田、あと、神保。ちょっと来て…。」

   担任と一緒に空き教室へ向かう。他のクラスは授業中で静寂に包まれていた。聞こえるのは、担任とマモルと私の靴音だけ。ガラガラと空き教室の扉が開く。普段、使っていない教室なだけあって、少しカビ臭い。床板がギシギシと鳴る。そこに机と椅子を三つ、三者面談をやる時のように向かい合わせ、座った。静かすぎで、耳鳴りが痛いほど響く教室で、静かに担任が口を開いた。

  「国府田のお父さんの事件の話は、先日、お母さんから直接電話があって、聞いたよ。大変だったね。なんだろうな…。上手く言葉にはできないけど、国府田自身が気を落とすことは無いよ。後は、お父さんとお母さんが解決してくれるから。ただ、先生も、今朝の事件は許せない。先生も協力するからさ。だから、神保も国府田の傍に居てやってくれ。時間はある、ゆっくりでいいから、また笑顔を見せてくれ。な。」

   語りかける口調で話す姿は、まるで、教師と言うよりも父親だった。

    自分の教室に戻ると、いつもはうるさい程賑やかな教室も、さすがに静かだった。誰もが下を向いていた。

  「じゃあ、さっき渡した用紙、回収するぞ。」

   後ろの席から、前の席へと用紙が回収される。集まった列から順に担任が回収していく。全部の用紙を回収すると、担任は席に戻り、一枚ずつ用紙をめくっていく。教室内は再び静寂に包まれ、聞こえるのは紙をめくる音と時計の秒針の音だけ。クラスメイトは、ほぼ全員下を向いている。やがて、全部の紙をめくり終わるとトントンと二回紙を揃えて机に置いた。

  「そうか、まあ、こんなことだろうと予想はしてたけど、本当にそう来るとはな。次の時間の図工は中止。連帯責任として、全員で校内を掃除してもらう。一人でもサボってる奴がいたら、その次の時間も掃除だからな。いいな。」

   教室内からは少しのざわめきと共に、終わりのチャイムが鳴った。休み時間の教室の空気は重たかった。いつもははしゃぐ男子達も大人しく、トイレに立つ人くらいしか動かなかった。次の時間のチャイムが鳴ると、担任が入ってきた。

  「さっきの時間、この用紙に書いてもらった。だが、全員白紙で返ってきた。黙っていれば、時間が解決してくれる。そう思っている奴が居ると確信した。とても残念なことだ。だから、連帯責任として、クラスの全員にこれから、校内を掃除してもらう。誰かが話すまで、毎朝続ける。いいな。」

   誰もが無言で、掃除用具を出す。

  「他のクラスは授業中だから、静かにやるんだぞ。」

   私とマモルは校長室に呼ばれた。お父さんの事件と今朝の事件に関して、校長先生は深刻に受け止めてくれた。話の内容的には、さっき担任と話した事とほとんど一緒だった。ふとマモルの方を向くと、マモルは今までに見たことのない真剣な顔付きで、私は頼れるのはマモルとここに居る先生方しか居ないと思い、嬉しかったのか、安心したのか、号泣してしまった。この日は、校長先生のご厚意で、午前中で帰らせてくれた。もちろん、マモルと一緒に。午後からは、学年集会が開かれ、児童に今起きている状況の説明と対策を話したそうだ。

    学校の帰り道、歩道橋のある交差点で、マモルは私の手を引いて、路地裏に行き、誰も居ないのを確認してから、口を開いた。

  「サチコ、どうした。昔みたいに強気でいろよ。俺のお姉ちゃんなんだろ?なら、お姉ちゃんで居ろよ。俺は、そんなサチコを見て、強くなれたんだぞ?これじゃあ、立場逆転…。そうか。今日からは、俺がサチコのお兄ちゃんになってやる。だから、どんとこい!昔、俺が頼っていたみたいにさ。」

   私はその言葉が嬉しかった。頑張って堪えたけど、やっぱり目に溜まった少ししょっぱい水は、頬をつたって流れた。

  「ほらほら、泣くなよ。これじゃあ本当に、昔の俺みたいじゃないか。」

  「うれしいんだよぉ。ばか。」

   その言葉が私自身でも分かるくらい、弱々しかった。

  「じゃあ、おまじないな。これは目をつぶらないと効果が無いんだ。だから、目をつぶって。」

   マモルの言うとおりにしたら、何か唇に熱いものを感じた。

  「お、おまじないだからな。勘違いするなよな。」

   マモルは赤面して、また歩きだした。私はその時はビックリして、気付かなかったけど、これが、マモルと私のファーストキスだった。

    加賀屋ユウ。学年成績トップの優等生。スポーツ万能で、女子からも、男子からも人気がある。加賀屋家は代々伝わる医者家系で、将来、彼も医者を継ぐという。加賀屋家の親戚もまた、パイロットだったり、弁護士だったり国会議員だったりとにかく肩書が凄い。私の家族とは天と地の差がある。そんな彼の父親を私のお父さんは口論になり殴ってしまった。怪我の具合は右頬に軽い打撲程度。全治一週間。あの事件から、彼の家、『加賀屋クリニック』は臨時休業をしている。私の通学路にその『加賀屋クリニック』があるため、最近はマモルにお願いして別ルートで学校に通っている。あの前を通るのがどうしても怖かった。トラウマに近かった。

    校門に着く頃、いつも加賀屋は黒いセダンの高級車に乗ってやってくる。降りる時は必ず、運転手がドアを開け、「いってらっしゃいませ」と声を掛け、加賀屋は笑顔で手を振り応える。着ている服も高級そうな服で、文字通り「お坊っちゃま」だ。でも、学校生活では、どこにでも居る普通の小学生。クラスメイトとじゃれて遊んでいたりしている。その笑顔にも裏がありそうだとは到底、私には思えなかった。あるクラスの男子が加賀屋に対し、こう質問したそうだ。

  「ねえ、加賀屋はなんで、私立行かなかったの?そんなに頭良いんだから、私立行けば良いのに…。」

  「ああ、父さんが、中学校までは公立に行けってさ。私立入ると、勉強ってうるさいらしくて、まともに遊んでられないから。だってさ。」

  「へー。なんかすげー。」

  「いや、別に凄くないよ…。」

   確かに、加賀屋の父親は間違った事は言っていない。きっと、子供に掛るストレスを考慮したやりかたなんだろう。やっぱり、彼の事は誰もが羨ましいと思っているだろう。授業参観でも、親同士の会話の中心に必ず、加賀屋の親が居る。中には加賀屋が金持ちだというこで、縁を作っておこうという下心丸出しの親連中もいるらしい…。

    いつも笑顔で、いつも皆の中心に居る加賀屋ユウだが、それは表の顔に過ぎない。一部の児童のウワサでは、塾の帰り道、下級生にカツアゲをしたり、自販機などを壊して街中を歩いているらしい。証拠写真も何もないから、あくまでもウワサだけどね。

    マモルと初めてキスをしたあの日から、数日が過ぎた。犯人が分からないまま、私が受ける被害は日に日にエスカレートしていた。無視すれば何れ飽きるだろうと、私は読んでいたのだが、その読みは甘かったみたいだ。時に慣れっていうのは恐ろしい。私は、初日に比べて心が傷付かなくなった。クラスの皆も普通に接してくれるし、寧ろ、気を使ってくれているみたいで、話す友達が増えた。そんなある日の夕方だった。偶然にも公園で、加賀屋の姿を見た。ブランコに一人座って遠くを眺めたり、時々立ち上がっては何かをぼやいて、ごみ箱を軽く蹴飛ばしたり。そんな彼の異常な雰囲気に私は近づけなかった。私は怖かった。

    翌朝、マモルに加賀屋の事を聞いてみた。しかし、返ってきた答えは、人気者とか成績が良いとか、そんな事しかなかった。クラスにいる連中も同じ答えだった。男同士なら、何か裏の加賀屋の事を知っているのではないかと思ったんだけど、どれも的外れだった。そんな昼休み、突然加賀屋が私に冷たい声で話しかけてきた。

  「今日の放課後、お前一人残れ。いいな。神保とか呼ぶなよ。」

  「うん。いいよ。」

   彼の視線に私は拒否が出来なかった。その、冷たい視線は、誰も気づいてなかったみたいだった。私は怖くなってすぐにマモルに報告した。マモルは加賀屋の言った『一人で』というのが引っ掛かっているみたいだ。

  「最悪の事を考えておこう。とりあえず、俺はお前が危険な状態になる前に偶然を装って教室に入るから、安心しな。お前の事は必ず守ってやるから。」

   その言葉が何よりも心強かった。

    その後の午後の授業は、加賀屋の放ったセリフの事で、内容がなかなか頭に入らなかった。学校が終わって、周りの児童達は、遊ぶ約束をしたり、賑やかだった。私もその輪に上手く紛れて逃げたかった。私はマモルに合図をすると、マモルは軽くうなずいて、帰る振りをした。時計は午後四時半を回っていた。やがて、教室には私一人だけになってしまった。呼び出した本人は姿を現さない。あれは、ただの脅しで、私は騙されただけなのだろうか…。秒針の音がやたらうるさく感じる…。早くマモルと一緒に帰りたい…。いろんな話をしたい…。その時だった、おそらく隣の教室からだろう。一つ大きな叫び声と共に、机が大きく崩れる音が聞こえた。その瞬間、私は胸騒ぎがした。まさか、マモルが居たことがバレたのかと。私は慌てて隣の教室に向かった。そこに広がった光景は、私の予想した事の正解に近かった。予想と違かったのは、加賀屋が仰向けになっていて、マモルが馬乗りになって握り拳を大きく上にあげていて、加賀屋に殴りかかる瞬間だった。さっきの大きな音は、マモルが加賀屋の胸倉を掴み、押し倒した音だった。

  「やめっ…。」

  「来るな!サチコ。お前は、先生を呼んで来い!コイツがやっぱり犯人だった。俺は許せない。早く呼んで来い!」

   マモルの睨みつけるような鋭い視線に私は言い返せず、急いで職員室へ向かった。こういう時に限って、職員室までの道のりが遠く感じる。階段を下りて、廊下を左へ右へ、私は息を切らしながら、走った。職員室の明かりが見える。まだ先生は居る。担任が居なくてもいい。誰か居てくれ。頼む。職員室の扉を勢いよく開ける。

  「先生!」

   私は息を切らしながら叫んだ。職員室には、奇跡的にも担任しか居なかった。

  「おお、どうした国府田。まだ居たのか。」

  「そんな事より、大変です!マモル、神保君が!」

   その一言で、担任は察したのだろう。分かったと一つうなずいて、一緒に教室に向かった。この非常事態に、さすがの先生も廊下を全力で走った。

    教室に向かうと、マモルの怒鳴り声が教室を越えて廊下まで聞こえてきた。

  「バカ野郎!そんなのお前の勝手な言い分だ。ただ自分を弁護しているに過ぎない。サチコはお前以上に辛いんだよ。だから、お前がこんな事をしていても、せめて、学校に居る時くらいは普通にしていようと、無理して笑顔を作って、負けずに学校に来ているんだよ!お前みたいに負け犬じゃねぇんだよ。普通じゃ考えられねぇよ。その気持ち、お前には分からないだろうな。何が親の仇だ。それでお前の親は喜ぶのか?偉そうなこと言ってんじゃねぇよ!」

   マモルは、涙を流しながら、加賀屋に一発殴った。

  「神保やめろ!そこまでしておけ。度が過ぎると、お前が逆に加賀屋を虐めてる事になるぞ!」

   担任がマモルを抑えつけた。マモルは下を向いたまま涙を流している…。

  「サチコが受けた哀しみ、痛み、全部味あわせてやるよ。そうしたら分かるはずだ。覚えておけ…。」

  「もういいだろう神保。国府田はそこまで望んでない。もうやめておけ。加賀屋は後で先生の所へ来い。いろいろ話すことがある。」

   マモルと私で、崩れた机を元の位置に直し、下校した。あの後、加賀屋は親と担任と緊急の三者面談をしたそうだ。あの事件の真相は、加賀屋のお父さんが私のお父さんに対し、心にも無い言葉を言い放ち、逆上を促していたらしい。第三者から見ても、悪いのは加賀屋の方だと言う。ただ、先に手を出したのは私のお父さんで、そこの部分を加賀屋のお父さんは誇張して、街中に言い放したそうだ。もちろん彼の家族にも…。その日の夜。私の家に、加賀屋家が謝罪に訪れた。私のお父さんは、まあ、そんなこともあるよ。お互い、子供に一生懸命なんだからと笑いながら許して、私の家で一緒に夕食を楽しんだ。最初はユウも申し訳なさそうな表情だったけど、しだいにまたいつもの笑顔に戻った。

    次の日からは、マモルとユウ、私と三人で登下校するようになった。私達に起きた事件はやがて時が解決した。そして、卒業の時。ユウは結局、私立の中学に進むことになったようで、えんじ色の制服を着ている。学校が土浦にあるらしく、会える日は少なくなるねって話した。私とマモルは同じ中学校。地元タマツクリの中学校。今年の桜は例年より遅くて、卒業式に桜は咲かなかった。それでも、暖かく良く晴れた日だった。


  「…チコ。サチコ。起きろ―。授業始まるぞー。」

   マキが私を呼んでる…。あれ、そうか。授業が終わって寝てたのか。でも、懐かしかった。

  「サチコ、よだれ出てるよ。」

  「えっ、うそ、マジ!」

   慌てて口を拭く。

  「なんかサチコすっごく幸せそうだったよ。良い夢でも見てたの?」

  「まあね。一番大好きな人の夢。」

  「あらぁ。誰かしら?」

  「それは秘密。」

   私は、今ここに居ることを幸せに思う。もう高校二年生だけど、高校卒業までにやらなきゃいけない事がある。もちろん進路を決めなきゃならないんだけど、それよりももっと大切なこと。それは…。


  『神保マモルを私の彼氏にすること』


    小学校の時に初めてキスしたけど、きっと彼は覚えて無いだろうし、お互いに消極的だから、友達以上恋人未満みたいなところだし。

  「幸せそうなところ悪いんだけど、次の授業、三品だぞ。気合い入れて行かないと大変だぞぉ~。」

   なんで、テンション下げるかな。空気読めよ!マモル!でも、そんなマモルが私は大好きです。


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