「悩まぬ紫紺(しこん)の紫陽花」
南月の平常運行が始まります。
これが、落ち込んで無い時で本来の彼女です。
かなり前話までの彼女と違います。
本人も意識して、照れてますし。
もう諦めた。
この婚姻には抗おう、と息巻いていたけどまた私は人生の選択を諦めた。
何故かな?私の人生波乱万丈過ぎやしないか?生まれつきに。
今回の場合、権力を前に。
流石に他の親類筋はともかく親兄弟に何か起こるのは嫌だし。
今まで色々妨害してきたのも、親類筋のいう世間体と立場的なものと父のちょっとした意地が原因で、何にもならなかったけど、今回の事は嫌だと思ってくれたらしかったので、もういい。
この数日間、不貞腐れて沈みこそしたけど、どうにもならなくて諦めた事は今までにも多くあり、しかし上を向いた事によりそこそこに留める事は出来た。
なら今回だって何とか出来る事はあるか?
勝手はかなり違うけど。
大体、私は沈むと人が変わった様に変わるから、色々と。
平常運行時とは雲泥の差があるよ、テンションが。
勿論、素直に馴染めと言われも始まりがアレなものでどうなるかは分からないが、後ろを向いていてもいい事はないはず。
何より、経緯や形はどうあれ養われている身なのだし、やはり最低限の義務は果たさなくてはならないだろうと思う。
腹は立つけど。
何だかんだで前向きな私だし、どうにかなるでしょう。
私は生まれ変わったとばかりに伸びをする。
踏ん切りつけたら少し楽になったし、出来る事を始めよう!
そこまで考えて、この数日間の自分の態度が澄まして気取った感じがして少し眉をひそめる南月であった。
勿論、照れである。
***
奥様って、こんな感じかしら?
首を傾げている花弥は傍らで洗濯物を干す人物を横目で何度も伺っている。
確か旧家の奥様ってもっとなにもしない人だという印象なんだけど・・・?
横目で追っているのは彼女の仕える『奥様』である南月だ。
どうしてこうなった?と、先刻の流れを思い出す。
***
洗濯物が入ったカゴを抱えて干場への廊下を歩いていた花弥にうしろから声かかり振り返ると奥様ーーー南月が歩み寄ってきたので何かしら、と言葉を待つ。
本当にこれで32歳だなんて、羨ましいなぁ。
南月を前にこのところ何時も思う事を再度考える。
そうしている間に花弥の数歩前にやって来た南月が少しおずおずと話始めるのを見守っていた。
何を言うのかと期待と僅かな不安をもって聞き耳をたてたというのに奥様の声は想像していたどの言葉とも違った。
***
ーーー私も洗濯物を干すのを手伝うわ。ーーー
奥様はこの邸宅の女主人で奥様だ。
でも、これは・・・主婦?いや、私より早くて綺麗に干してない?
何かしている方が落ち着くからと言われた時には、そういうものかもしれないと思ったのだけど、いいのかしら?
あまり寒くなったらさせられないのだけど。
思いながらもカゴの中が空になっているのに気付き、今度は首をひねり南月の方を向く。
「!」
考えふけっていたせいで見ていない間に洗濯物は南月の手により干し終わりつつあった。
が、そんな事よりも彼女の目を引いたのは・・・。
な、何アレ!か、可愛くない!?まるで・・・。
「・・・小動物。」
「ん?」
最後のタオルを干す為のスペースが一番高い位置にあったので、小柄な南月はうまく干せないからと、まず勢いをつけ放り投げて引っかけ、後は下から引っ張って整え様としたのだが、その位置でも高すぎた為、ぴょんぴょん跳ねて何とか干していたのだ。
その様があまりにも小動物の様で可愛らしく見えたのか、「何あの可愛いい生き物!」等と内心叫びながら花弥は思わず固まり、立ち尽くしてしまったのだった。
「どうしたの?」
しかも、南月はこの輿入れ後も天守家が用意した着物には袖は通さず、持参した服を着ている。
その服が彼女の趣味なのか青年的な物や少年的な衣装が中心で、小さくて可愛らしい外形に妙なバランスで合っているというのに、更に・・・。
何、可愛い動きしてらっしゃるんですか!?
内心、身悶え状態になるのを押さえつつ花弥は南月のすぐ横に移動し「失礼いたします」と、静かに告げ高い位置の洗濯物を整えた。
***
何か間違えたか?
先程女中さんのひとり、花弥さんが洗濯物を干しに行くのを見つけたので手伝いを申し出た。
私が出来そうな事、と考えた結果だ。
よく考えてみたら、波乱万丈ではあったものの今まで普通に生活してきただけの私が出来そうなのは掃除洗濯等くらいしかないという事につい先程気が付いたのだ。
料理は趣味であると宣っているので、並みより出来る気がするが。
なので、まず屋敷の手伝いから始めようと思ったのだ。
しかし、先程の花弥さんの反応から察するにあまりよくなかったのかもしれない。
何だろう?反応、可笑しかったし。
逆に何か足りないのかとも思ったのだけど、あれはあからさまに不味かったのだろう。
もしかしたら、女中の仕事を取られたとか思われた?
でも、仕事は分担した方が楽だし、いいと思うのだけど、ダメかね?
***
何故、こうなったかが分からない。
先程この台所にヒョコッと、奥様が戸口の辺りから顔を出されて、「佳純さん、佳純さん」と名前を呼びながら土間部分で作業をしていた私のもとに歩み寄って来られたと思ったら、突然「何か手伝える事はない?」とおっしゃって辺りを見回す南月様。
何が?どうしました?奥様?
内心呟いて、目の前の小さくて可愛らしいお方を凝視する。
この人本当に年上なのかしら?
姿を見かける度にそう思ってしまうのだ。毎回、毎回。
「佳純さん?」
ひとり物思いにふけっていたが、名前を呼ばれて意識を目の前の奥様に戻す。
「お手伝い、ですか?」
どうしたものか。
そもそも、奥様に女中の仕事を手伝わせるなんてあり得ないわぁ。
辺りに甘い香りが漂っている。
何か手伝う事はないか、と問われたら「ない」としか答えられないのだけど、奥様が手伝いを御所望なのだ。
本当に何かないだろうかと辺りを見回し、考えた結果まあこれなら手伝いでもあるし、そうでもない感じもするしいいだろうとお願いする事にしたのだ。
お茶請け兼間食作りを。
台所にあったホットケーキミックスのもとを台に乗せると、お茶請け兼間食の話をした。
そこからは少し唸った後、作っておくと奥様が返事をされて、私も背を向け別の作業に移ったのだけど・・・。
目の前の台には、「ホットケーキ?」と聞き返したくなるような品が大きめの皿に盛られていた。
聞き返したのはいい意味で。
味見にと少し切り分けてもらい口に運ぶと、何だか色々な感情を込めて奥様に視線を送る。
何なんですか!奥様!これはホットケーキではない何かでしょ?
感想はズバリ、おいしい!だった。
いや、市販のホットケーキミックス渡しませんでしたか?
渡しましたよね?いや、生地にチーズとか色々な具が入ってますけどね?
どうしたのか、と聞かれたら色々即答出来ますよ?これ。
このメーカーのホットケーキミックスは何度も利用しています。
いや、私の場合は時間的な問題ですが花弥さんは料理があまり得意ではないからとの事でしたか?間食当番の際、彼女が用意するのは大体ホットケーキです。
だから、かなりの頻度でお目にかかります。
とにかく、何度も口にしています。
しかし、今しがた口にしたこれはまず、食感が全く違います。
何でこんなにもっちりしているんですか?癖になるじゃないですか。
生地に風味が?何故に?
ケチャップ風味のこのタレは?よく合いますね。
奥様、一体貴女は何をなさったのですか?
***
また、何か間違えたか?
流石に落ち込むさ、連続とか。
料理は得意なんだ。
だから、生地に追加で他の薄力粉だったり色々配合しなおして、粉末状の香草と具としてチーズとか色々いれてタレを作った。
タレをかけるにあたって牛乳ではなく水で溶いたりもしたな、たしか。
勿論、そのまま食べてもいける様にした。
やっぱり、無断でしたのが不味かったのか?
***
本日この蒼紫邸では、ある現象があちこちで起こりました。
奥様の南月様の手によって。
私、愛乃は本邸宅に備品関連の作業の為不在だったので詳細は留守番の他の女中達の話での確認のみなのですが。
何と申しましょうか、私は奥様を買い被っていたようです。
いい意味で。
この悲惨な結婚生活の中で生きる奥様の逞しさは、感銘すら覚えます。
おやすみ前の奥様が「こちらが素の性格」という話を伺いましたし、様子からも真実なのでしょう。
流石に結婚後数日間は落ち込んでらしたらしく、紛らわしい事になって申し訳ないとのお言葉も頂戴しました。
そうでしたか。
今は前向きに考えていらっしゃるのですか?良かったです。
私も安心致しました。
ならば私達女中は改めて、奥様にお仕えしましょう。
奥様手動で。
それから奥様。
あのホットケーキ、また作って頂けますか?
何かスーパーお母さんになりそうです。
主婦ですねぇ。