「片葉(かたは)の紫陽花」
遅くなりました。
すみません!
そして、事件、発生です!
まさか稽古の内容を発表する事を求められるとは思っておらず、慌てて瑞季殿に抗議しようとしたが叶わず肝を冷やした。
南月は他の嫁と違い、この手の稽古などした事などない筈だ。
それでなくとも婚姻を嫌がっていた南月は準備もなく不自由しているだろう。
にも関わらずいきなりこんな・・・。
後で南月に土下座するか?
広間へ入ってからも、嫌な思いをさせっぱなしで、今も何の力にもなってやれていないのだから。
発表された内容の出来に広間は「あれ?」と言う感想が飛び交っていた。
土下座は、しなくてもいいか?
傍らへ戻ってくる南月は相変わらずではあったが席を立った時より機嫌が悪くはなっていると言う事はない様だ。
安堵と驚きで見開かれたままの視線の先の南月に声をかけたいという衝動を押さえながら先程までの出来事について反芻する。
正直、驚いた。
色々言いたいが、このひと言につきる。
どの内容も生粋の旧家令嬢のそれである。
まるで、生まれた時よりそう育てられたと言われたら何の疑いも無く信じてしまうだろう。
技術は多少不慣れがあるものの、その纏う気品や空気は正にと言ったものがある。
それほどまでに彼女の振る舞いは素晴らしかった。
周りを目だけ動かして伺うと、皆が同じような顔をしていた。
これなら南月に対しての縁戚の風当たりも心配ないだろう。
″義務は果す″とは、依然彼女の口から聞いたことがあったが。
俺が果すべき″義務″とは、何だろうか?
この時俺は遠く考えていた事だが、それは本日中に覚悟する事になるのだった。
***
うっわあ・・・、やりきった?
いきなり発表会と言われた時は肝を冷したわ。
今までのお稽古ってこの為だったのかしら?
しかし、四男さんのお嫁さん・・・彼女は凄いな。
完璧が服着てるってああいうのを言うんだろうな。
メロディ?ぴったりなんだもんな。あれ、真似とかあり得ないわぁ。
でも、三男さんのお嫁さんはアレだな。
何でかな?私よりお嬢様な筈なんだけど。
当主の奥さんの目が物凄い怖かったわぁ。
出来てなかったら私もあの目に睨まれてたのかな?
うわぁ、勘弁。
ただ、その後から三男さんの奥さんが私を睨んでるんだけど、何で?
とにかく発表会はこれで終わりと当主さんも言っていたし、あとは食事をしてこの催しも終わる。
あと少しでこの厄介事から逃れられると安堵の息を吐いた。
でも、それは一時で膳に食事の小鉢などが運ばれてきた直後に響いた硬い音がかき消すのだった。
***
危ない所だった。
まだ痛む左腕を水に浸しながら傍らで着物の端を握る南月に視線をやる。
身内だけの催しだと気を抜いていたが、一応公式の行事なのだから、普段関わりのない使用人もいる。
南月は居住邸宅からは基本的に出ないので気にもしていなかった。
だから、油断していた。
膳に料理がは運ばれてきて少ししたあたりで、飲み物を配る者が広間に入って来た。
その使用人は先程から出入りしていたから気にもしていなかったのだが、考えてみれば可笑しかった。
あまり見ない顔だ。
この天守家では使用人の入れ替わりはほとんどない。
仕える分家やらから行儀見習いなどで入るくらいだ。
ただ、例外的に″嫁入り″した家からの紹介で入って来る者がいる。
勿論公平性の為、その嫁に近付けさせはしないが。
だが、完璧ではない。
その使用人もそういった人材だった。
「お嬢様が余りにも不憫で・・・!」
理由はそんな事を言っていたが、それほどまでに忠義深い様には見えないその使用人。
大方、金か?天守家から元の家に戻された後の地位か何かを約束するとでも言われたか?
情けない事にどうやっても昔からこの手の問題が絶えない。
当主が絶対の主。
絶対君主の形をとり、派閥を作らないようにしてきた天守家。
しかし、嫁入りの際は何かしらの問題が起こってしまう。
新たに加わる血筋。
嫁達の縁戚達がいかに主家に深く食い込むかを競うのだ。
勿論、ほんの一部の愚者による企てで、嫁達も預かり知らぬ場合がほとんどだが。
だが同時に嫁達が標的になる事もある。
基本この婚姻に離縁はないが、嫁に何かがあった場合は特例という場合が存在する。
花嫁を使った椅子取りゲームだ。
その椅子の確保の為に・・・、考えただけで気分が悪い。
特に、血筋だけで嫁入りが決まった後ろ楯の無い娘が被害にあいやすい。
そう、南月は正に。
だが、それは花嫁候補が婿より多い場合だけだと油断していた。
今回はどうやっても適齢の娘は婿と同数ぴったりしかいないのだから。
なら、別の理由だ。
単純に″他の嫁が気に入らない″と言った理由だ。
この使用人は確か、朝斗の嫁の実家『綾原』の者だった筈だ。
歴史はないが金はある。
俗に言う成金だが。
チラッと朝斗の横でさも心配そうに振る舞い、自身の知らぬ間に起こった実家の者の失態に戸惑う風を装う紗奈に視線を向ける。
腹立たしい。
俺は喧嘩っ早くも短気な方でもないが、こうしたばかな真似をされては腹立たしくて仕方無く、正に腸が煮えくり返ると言う体である。
なぜ紗奈が使用人を使ったと思うかだが、腕を冷やす水の入った桶を持ってきた時、蒼紫邸の女中頭の愛乃が、瞳に怒気を映して紗奈が先程の″事件についての指示″を出していた旨を伝えてきた事と、厄介な事に他にも協力する者がいるらしい事を伝えてきたのだ。
愛乃も急ぎ駆けつけたが、話を聞いたのが用事で離れた際歩いていた向い側の廊下であった為、事件発生に間に合わなかったのだ。
しかも、相手も気付いたらしく到着させまいと妨害までしてきたようだ。
暇な事だ。
まあこの時少し離れた場所に愛乃がいたから、色々喋っていた内容に関する情報が手に入った訳だが。
まさか、向い側の廊下に今から悪さをする相手の女中がいるとは思わないだろうし。
愛乃は心底悔しげに話していたがしょうがない。
彼女も必死で走って来たのだろう。
少し休む様に伝えて下がらせた。
こんな事もあり、主犯は突発的にイライラを張らすべく使用人に指示を出したらしい。
動機は南月が出来が良いと評価されたからだろうか?
全く身勝手極まりない。
本当は俺の手でかたをつけたいが、この事は兄上に報告し、朝斗の嫁には警戒と監視を付ける様に伝えておかなければ。
南月は立場上後ろ楯がなく守りも弱い。
何か、考えなければ。
何としても、守り抜かなければ。
天守家の者として、夫して。
義務だが、義務ではないのだから。
黒い争いです。
ただ、蒼耶(旦那様)は紗奈が南月を狙った理由をひとつ見落としましたが。
今後の火種が見落とされてしまいました。