第2話
「何を笑っている?」
最高裁での判決を受けた男は、だらしなく首をたらし俯いていた。
肩を震わし、くっくっと声を出して笑っている様子は明らかに異質だ。
長い裁判の期間ですっかり伸びきった髪は、男の不気味な笑いをさらに不可解なものにさせていた。
「だってよ、死刑はおろか、終身刑にもならなかったんだ。傍聴席の奴ら血の気が引いてたぜ。なんでだって顔してた。おかしくって」
護送車の中、いるのは手錠を付けた男とその両隣に座る男たち。そして運転手だけだった。
「にしてもよかったよ。無期懲役つったら模範囚になれりゃ釈放の余地があるんだろ?あのお堅い裁判官の奴らも騙せたんだから余裕だよ」
模範囚であれば再裁判が行われ、認められれば一定の刑期を得て釈放になるのだ。
「死刑にならなきゃこっちのもんだ。やっと長い裁判が終わって疲れたぜ。ところでよ」
自らの手を右側に座っていた刑務官に差し出す。手首には手錠が鈍く光る。
「いい加減これ外してくれない?別に逃げねえし。いつもは車に入ったらすぐに外してくれるじゃん」
「決まりなんだ。もう少し待て。目的地に着いたら外してやる」
抑揚のない口調でそう言った刑務官を細い目で眺め、男は何も言わず手を引っ込めた。
しばらく沈黙が続く。
機嫌がいいのか鼻歌を口ずさみながら窓からの景色を見ていた男は、ふと歌を口ずさむのをやめる。
裁判の間収容されていた施設とは違う道を進んでいた。高層ビルが立ち並んでいた景色が、いつの間にか森林が目立つようになっている。いつもはそのようなものは見えなかったはずだ。
不審に思い口を開こうとした直後、左側に座っていた刑務官が先に言葉を発した。
「お前、受刑者に関する噂を知ってるか?」
「あ?噂?」
自らの発言を遮られ、投げやりな言葉を返す。
「一部の受刑者が、刑期を終えても二度と戻ってこない」
「あぁ、『罪人の神隠し』ね。知ってるよ。刑務所に入ったら最後、消息が立たれるってやつだろ?」
都市伝説に近い噂だ。裁判を終え刑務所に入ったらなぜか、面会もできず手紙も届かず、挙句の果てには刑期を終えて釈放されているはずなのに誰の前にも姿を見せない者がいるという、なんとも奇妙なものだった。
「なんだよそれって感じだよ。一部のテレビじゃ政府の水面下で行われてる策略だとか言ってるよな」
もたれていた体をがばっと起こし、男は興味深そうに右の刑務官の顔を覗き込んだ。だが深く制服の帽子を被っているので表情は分からなかった。
「なに。本当にあるの。俺も神隠しに遭っちゃったりして」
男は大げさな高笑いをしてみせた。不気味な笑い声が車の中に響く。
それが人を惨殺した男の笑いだと思うとさらに怪奇に感じられた。
「……今のうちだぞ」
左の刑務官がぼそりと呟く。男は己の笑いでそれを聞き取ることができなかった。
「あ?なんて言った?」
「さあ着いたぞ」
大げさに手を耳に当て聞き取る仕草をする男を尻目に、二人の刑務官はすっと立ち上がる。
男は怪訝そうな顔を見せるも、やや丸く曲がっている背をシートから離しだるそうに立ち上がった。
話をしていて窓から目を離している間に、車はある建物に入ったようだった。車から降りると、建物の中に薄暗い一本道があった。他には何もない。不自然なくらいに何もないのだ。
男は思わず眉をひそめた。以前いた刑務所と随分違う以前に、直感的に感じた寒気と、何とも言えない奇妙な心地がした。
「おい、なんだここ」
隣を見ると、男を挟んで立つ刑務官達がなにやらゴーグルを装着していた。ガスマスクのような厚い生地で目をしっかりと覆っている様は、物々しい雰囲気を醸し出していた。そして茫然と立ち尽くす男の腕をつかみ強引に進ませる。
「なんだよ。本当にここ刑務所かよ」
初めて動揺を見せる男に、刑務官たちは無言を貫いていた。それがさらに男の不安を揺さぶる。
半ば引きずられるように歩かされ、男にはどうすることもできない。
恐ろしく強い力で腕を掴まれ道を進むごとに、辺りが闇に包まれていった。だが刑務官達がスピードを緩めることなく進んでいくのを見て、ゴーグルはこの為のものなのだと理解する。
闇が、男の視界を完全に奪う。
その瞬間、男の体が大きく震えた。
腕を掴まれているのが唯一の救いで、今離されたらどうすることもできない。真っ暗闇の洞窟を手探りで進んでいくように、遠い出口を必死で探すことになるだろう。
だがいくら進んでも差さない光に、男の不安や怯えが一層大きくなる。
あとどれくらいでこの道が終わるかも分からない。自分の足元さえも見えず、歩いている感覚を奪っていく。
「おい、なんだよ、これ……!」
明らかに刑務所に向かっているのではないことを悟り抵抗しようとするが、腕の手錠がそれを遮る。
どれだけ進んだだろうか。
突然、刑務官達の動きがぴたりと止む。そして耳元で何かカチャリと音がした。それも違う二種類の、金属がこすれる音。
その瞬間、首元に妙な圧迫感を感じた。無意識に手を首元にやると、首輪のようなものがつけられていた。普段感じない威圧感に息が詰まりそうだ。
「なんだよこれ。ふざけんなよ!」
すると今度は目を何かが覆ったような感触が伝わってくる。ただでさえ暗闇で目が見えないのに、どうするつもりなのか。
「おい、いい加減にしろよ。なんなんだよこれ」
「もうしばらくだ。黙って歩け」
やっと何か言葉を発したと思ったら、再び強い力で歩かされる。
腕には手錠。首輪に目隠し。自分の身に何が起こっているか分からず、男は混乱するばかりだ。
何かがおかしい。これは違う。
男は首を振り己を保とうと努める。
再びしばらく歩いた頃、いきなり腕を掴む力が緩み、足が止まる。
「着いたぞ」
その言葉に男は心からの安堵を感じた。
「全く、ビビらせんなよ。早くこれはずしてくれ」
男が指したのは目隠しだった。
布で覆われ全く見えないが、あの暗闇は抜け出したらしく、僅かに光が伝わってきた。
だが一向に動く気配がないことに気付き、男はいらだち始める。
「おい、聞いてるのか」
「お前は神隠し遭う」
ぽつりと刑務官が呟いた。
「あ?」
「ここに来たら最後、もう戻れない。ここの狩人からの処刑を待つのみ」
「健闘を祈る。少しでも長生きするよう心掛けるんだな」
台本に書かれたセリフを読んでいるかのように、その口調は淡々としていて冷ややかだった。
男の不安を再び呼び起こす。
「な、何言って……」
「全ては正義の為に」
「法の下に置いて、鉄槌を下すべし」
「ようこそ、テリトリーへ」
カシャンと音がした。手首が途端に軽くなる。
その直後に足音が聞こえた。
「お、おいどこ行くんだよ!」
遠ざかっていくことに気付き、男は慌てて目隠しをほどきにかかる。
手がまごついて手間取ってしまう。特殊な結び方をしているのか、複雑に入り組んであるのが感触で分かった。
「くそっ。ふざけやがって」
ようやく目隠しを外し、視界が一気に開ける。
もうすでに刑務達の姿はなかった。
男は目隠しを強く握ったまま、茫然とその場に立ち尽くす。
赤い月が浮かんでいた。夕暮れに近い紅い空に、赤い月が。
辺りには廃墟が立ち並び、薄暗い町が目の前にあった。
アメリカのスラム街を思わせる、荒れた町。
『ようこそ、テリトリーへ』
「なんなんだ、ここは……!?」
男の叫びに、答える者はいない。