第7話
「私は薬漬けになる気なんてないんだけど?」
ワザとらしく笑ってみせると、智也も作り笑いを向けた。
「そうだなあ。俺の知り合いだから見逃してやりたい気持ちもあるが・・・、俺らも一応仕事だから。」
「か弱い女子から金巻き上げて薬物中毒にするのが?」
「そのか弱い女子たちも金がなくなってきてさあ。こいつらの大半はもうすぐ手を切る。だから新しい奴が必要なんだよ。で、俺らに金を借りてる咲子に借金の形に誰か連れて来いって言ったんだよ。そしたらお前が来たってわけ。お前、騙されたんだよ。」
すると大きな声で男たちが罵声に近い声で笑い出す。りんを嘲り正気を逸脱した笑い方だ。黙っているりんの顔を、智也は荒々しく顎を掴んで上げた。
「俺さ、お前のこと意外と気に入ってたんだぜ?でもお前俺らとつるんでても危ない一線は絶対に越えなかった。そんなの俺らからしたら目障りなんだよ。案の定すぐに更生してエリート高に行きやがって。ムカつくよなあ。」
顎を掴む手に力が入る。別に平気だったが、りんはワザと顔を歪めてみせた。すると満足そうに笑みを浮かべる。
「それとも俺らの仲間になるか?ヤクの売人はすぐ金が入る。お前知り合い多いだろうから良い金になるし、普通のバイトではした金もらうことなんて馬鹿らしくなるぞ?どうだ?」
気味悪い顔を近づけてくる智也から目を逸らすように、りんは横目で咲子の姿を捉えた。ビニール袋から口を離し、恍惚の表情を天井に向けている。口角からうっすらと涎を垂らし、正気ではない笑いを浮かべていた。醜い、という言葉が似合ってしまう。
そして視線を智也に戻して呟いた。
「あくび・・・。」
「は?」
「あくびに落ち着きのなさ、睡眠障害に集中力散漫。どれも薬物の禁断症状よ。咲子はそれがとても顕著に出てたからすぐに分かったわ。」
智也が少し驚いたような顔をするが、すぐにニヤついた表情を見せる。
「へえ、驚いたな。知ってて付いて来たってか?馬鹿かお前。それとも説得しようとしてたのか?男の言葉に乗せられて貢ぐわ薬に手を出すわの馬鹿な女の為に。」
「そうねぇ、咲子は確かに馬鹿な女よ。彼氏に夢中になって周りが見えなくなるからね。なんでも言うことを鵜呑みにして見境がなくなるタイプだし。」
智也がにやりと笑う。りんはそんな智也の顔にそっと手を添えると、甘い声を響かせた。
「でもね、智也。一つ言ってもいい?」
女の顔をするりんに智也は目を開かせるが、おもちゃを期待している子供のように目をぎらつかる。後ろで男たちが口笛を吹いた。
「ん?なんだ?」
「私はね・・・。」
するりと手を首に回し智也の瞳を見つめると、耳元に口を持ってきて呟いた。
「私はそんな馬鹿な女じゃないのよ?」
智也がその言葉に目を見開くより先に、りんは頭を掴み膝を曲げるとその場で思いっきり踏み込む。油断していた智也の腹部に膝が命中し、聞き取りにくいうめき声を上げた。
「なっ・・・・!」
突然の事に、男たちは瞬時に反応できない。智也がその場で倒れ込むと、りんはポケットからコンパクトを取り出して中のボタンを押した。瞬時にコンパクトの中に内蔵された小さい画面が起動して近くの地図を映し出す。
「このっ!!」
コンパクトをポケットにしまい振り返ると、2人の男が刃物を手にりんを凝視していた。長い刃渡りのサバイバルナイフだ。するとりんは目を輝かせて声を大きくした。
「わー、良いナイフ持ってるね。切れ味よさそう。でもナイフにしてはちょっと長いかな?素人には扱いにくそうだね。」
予期せぬりんの反応に、男たちは面食らってる。刃物を向けられて恐れるどころか歓喜しているなんて普通の反応ではない。
「ナイフ捌きは得意なんだー。近距離戦じゃないとうまく使えないんだけど、私ナイフ投げたら百発百中だし。でも銃になると全然駄目でさあ。やっぱ使い勝手が違うよ。単に振り回してるだけじゃ能ないもんね。」
小馬鹿にしたように小さく笑ったりんに神経を逆なでされ、男たちはみるみる内に怒りに染まりナイフを手に襲いかかってきた。もう少しでナイフが触れるところまで来たとき、りんは余裕の表情でふわりとそれらを避け、ナイフを持つ手首に手刀を食らわせる。カランとと音を立ててナイフが廊下まで転がったのに男たちが視線をやっている隙に、強く両手を握りしめ腹部に叩き込んだ。
「ぐわっ!」
智也と同じように腹を押さえてその場に転がり込む。声を出すのも苦痛になるくらいには衝撃が来ているだろう。それを証拠に、先ほど攻撃を受けた智也は未だ声を上げずにピクリとも動かない。意識はあるが痛みで動けないのだ。
「あーあ、大丈夫?私達の拳を受けたら結構痛いと思うけどじきに引くから堪えてね?さーてと、このナイフはもらっとくね。」
廊下に転がっている二つのナイフを手に取ると、りんは慣れた手つきでそれらを手の中で転がし始めた。空中に放り投げられたナイフはうまくりんの手の中に柄を落とす。まるでサーカスの曲芸師だ。
「グリップも滑らないし軽いしほんといいやつね。あんなチンピラには勿体ない。ケースとかあると嬉しいんだけどなあ。」
りんは智也が出てきた襖を開けて中に入る。女の子が一人、衣服がはだけたまま横になっていた。虚ろな目を開けたまま動かない。眉一つ動かさず女の子に一瞥くれただけで進み、奥の物入れの襖を開けた。
「何かロープみたいなのがあったら・・・。ありそうだけどなあ。」
しまわれているダンボール箱を開き中身を探っていると、手元でジャラリと音がした。同時に伝わる金属の冷たさ。
「んー?」
それを掴み引き出すと、それは大きめの鎖だった。さらに引き抜いていくと、先には首輪が付いている。だがそれは明らかに犬の首のサイズではない。豹柄の下地に棘のようなスタッズがあしらわれている。
「うっわー、予想以上のものが出てきちゃった。あいつそんな趣味あるの?げっ!それも一つじゃないし・・・。ん?」
頑丈な鎖と首輪を交互に見つめ、りんは途端に口角を上げて笑った。その笑い方は、いつもの鬼ごっこの時と同じ笑い方だった。
ぱたんとドアが開く音がして、慌ただしく靴を脱ぎ静かに廊下を滑るように部屋に入ってきた薫を、りんは手を振って出迎える。息を切らした薫はスキニ―パンツにレザージャケットというい出立ちだった。
「薫、ごめんね。忙しかった?」
「念の為今日は部屋にいたんだけど・・・、これは・・・。」
さすがの薫も目の前の光景に絶句しているようだった。智也たちがりんの手にかかった時もまったく動きを見せなかった少女たちは、変わらず茫然と空を見ている。その中に咲子を見つけ、薫は納得したように息を吐いた。
「やっぱり中毒者だったんだ。」
「うん・・・。それもだいぶはまっちゃってる。愛美と若菜は何か言ってた?」
「アラームが鳴りだしたから私が部屋を出ると丁度2人も出て来てね、大体検討ついてたから1人で来たの。心配してたからすぐに電話でも入れた方がいいかもね。」
「うん、分かった。」
「で、あんたは何をしてるの?」
薫が呆れたようにりんを見る。りんは首に先程の首輪をつけられ、口と手をガムテープで拘束された智也たちの前に座り、サバイバルナイフを向けていた。必死に逃げようと首を緩慢に動かしているが、ガチャガチャと耳障りな音を出すだけで外れる様子など全くない。鎖が短めに止められているので、動ける範囲が極端に少ないのだ。そのせいで当てられるナイフを避けることができない。立膝を突きながら首が半分つられている状態なので、、器官と動脈が締め付けられて苦しいのだろう。3人の顔が若干青ざめ鼻から荒く呼吸していた。目が血走り声にならない何かを呻いている。まるで虐待されている飼い犬だ。
「いやー、全く手はかからなかったんだけどさ、この状況をどうしようかと思って薫を呼んだのよ。で、その間こいつら捕まえておかないとなぁと思って何か探したら首輪が出てきて。ほらあんまり騒ぐと他のアパートの人に迷惑でしょ?暇だからナイフ突き付けて遊んでた。大丈夫、怪我はさせてないから。」
にっこり笑いながら智也の首にナイフを当てるりんは本当に楽しそうだ。智也は泣きながら体を大きく震わせる。ひやりと首を伝うナイフの冷たさがより一層恐怖を与えているのだ。
「ほらほら、そんなに動いたら切れちゃうよー?」
「あんた本当にそういうの好きだよね。いい趣味ですこと。」
「えー、そう?やっぱり鬼ごっこの方が面白いよ?」
薫は再び溜息をつくと、携帯を取り出して電話をかける。相手はコールがかかるとすぐに出た。
「もしもし、片岡さんですか?薫です。休日なのにすみません。実はちょっと面倒ごとに遭遇しまして・・・。はい、いつものようにお願いできれば。薬がらみです。売人の男数名と中毒者の少女が何人か・・・。はい、はい。分かりました。お手数ですがお願いします。」
電話を切り、薫はりんに向き直った。
「10分くらいで着くって。その間に帰るよ。」
「はーい。」
りんが名残惜しそうにナイフを片付けると、智也が何やら激しく動き出す。顔を懸命に前に出して何か訴えているように見えた。
「んー、何?」
「言いたいことでもあるんじゃない?」
「負け犬の遠吠えってやつ?」
「使い方微妙に違うけど。それともう少し鎖緩めないと。苦しそうよ。」
「え?ワザとだけど?」
「ここは『テリトリー』じゃないんだから必要以上の危害は加えたら駄目。」
「はいはい。よかったねー、薫が優しくて。」
りんは繋いである鎖の位置を長めに変えてやる。すると男たちはドッと床に倒れ込んだ。最後に智也の鎖に手をかけると、未だに睨みつけてくるので思わず笑った。りんは口のガムテープを力任せに取ってやる。痛みで顔を歪めるが、すぐにりんにガンを飛ばしてきた。
「警察に連絡したのか!?」
「そりゃあね。事情が事情だからちょっと特殊な部署だけど。あ、鍵はここに置いとくから。」
「お前・・・、よくも・・・!」
怒りを露わにした智也だが、ふと何を思ったのか奇妙に笑い出す。
「は・・・ははっ。まあいいさ。俺は未成年だからすぐに出てこれる。その時はお前覚悟してろよ・・・!」
「果たしてそれが何年後になるかなー?」
「意外に再会の日は近いかもね。」
薫がいきなり口を挟んできたので、りんと智也は勢いよく薫を顧みる。薫の、智也を見る目で全てを悟ったようで、りんはにやりと笑ってみせた。
「ふーん、あんた前科あるんだー。」
「・・・っ!なんでそれを!?むぐっ!!」
りんは再び智也の口をガムテープで塞ぐ。目を見開く智也の前にしゃがんで手に顎を乗せて言った。
「じゃあその時は鬼ごっこして遊ぼうね。こんな小さいナイフじゃなくて自慢の大鎌を見せてあげる。」
絶望の色に彩られた智也の顔を見て、りんは無邪気に笑って見せた。
「ほらもう行くよ。」
薫がそう言うと、りんは立ち上がり視線を高く上げた。薫が不思議そうにその様子を見ている。
「りん?」
「ごめん、もうちょっとだけ待って。」
りんは窓にもたれ掛り空を仰いでいる咲子の姿を捉える。まるで中身のないがらんどうのように、その姿は全く動かない。目を細めてゆっくりと近づく。咲子はりんが近づいていることに反応を示さない。
だが咲子の目の前までやってくると、そこでようやく咲子の空虚な瞳がりんを捉えた。だが何も話す素振りを見せず、ただりんを見上げている。
りんを救った、太陽のような笑顔。かけてくれた優しい言葉。
だがそれは今では夢の中の世界で、りんが大切に想っていた咲子はもういない。
そして咲子の事を想っていたりんも、もういない。
りんが今心の中で想うのは、ずっと一緒にいたかけがえのない人。
だから、昔の自分と決別しなければならない。
りんはそっと咲子に手を伸ばす。初めて触れた髪はしっとりと滑らかだった。抵抗しない咲子をしばらく愛しく撫で眺めると、触れた頬を予兆なく両手で引っ張った。
咲子は少しだけ驚いた表情を見せるも、やはりなんの反応を示さなかった。それでもりんは頬をずっと引っ張り続ける。昔、咲子がりんにやってみせたように。
『そんな怖い顔してたらもったいないよ。』
そんな顔しないで。笑っていて。何年かかってもいいから、あの時の笑顔で笑っていてよ。
初恋の人には、ずっと笑っててほしいじゃない。
この頬の痛みを忘れないで。私のいない所で笑って過ごせるように。
本当に、あなたの笑顔が大好きだった。
りんはそれからも咲子の頬をつねったり伸ばしたりしていたが、しばらくしてそっと咲子から手を離し立ち上がると、高く明るい声で言った。それはもう満面の笑みで。
「さようなら。」
りんはをそう言うと素早く踵を返し、玄関で待っている薫の下へ駆けて行く。2人が出て行ったときに閉まったドアの音を遠くで聞きながら、咲子はピクリとも動かず、見開いたままの瞳から静かに涙を流した。