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4人のベルセポネー  作者: 望月 薫
第4章:あの人と死ぬのは私   
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第4話

「じゃあ、今日はこれで解散。お疲れ様でした。」

薫の合図で皆は思い思いに立ち上がり帰り支度を始める中、薫は目の前の書類を見て小さく息を吐いた。

2年の秋、薫は前生徒会長から推薦され生徒会長に就任した。りんは薫に押され引き続き生徒会に残ることになり、伊藤も会計として生徒会役員を続けることになった。そして3年に上がって初めての仕事、新入生歓迎会の話し合いを終えた所だ。

薫の目の前にあるのは各クラスに送る書類の山だ。学年別に分けてまとめる地道な作業が残っているのだが、新学期が始まったばかりで皆部活の新入生勧誘の準備で忙しいので頼むことができなかったのだろう。書類を一部取って作業を始めようとした薫にりんは言った。

「薫、私がやっとこうか?薫も部活があるでしょ?」

「え、別にいいよ。」

「何言ってんの。生徒会で忙しくて部活に顔出せてないんでしょ?もうじき大会近いってぼやいてたじゃん。私は部活入ってないし暇だから。ね?」

自身を人差し指で指し、りんはにっこりほほ笑む。それを見て薫はわずかに安心した顔を見せた。

「じゃあお願いしていい?ごめんね。でも一人じゃ大変だと・・・。」

「それなら僕も手伝うよ。」

2人して声がした窓の方を向くと、いまだパイプ椅子に座っている伊藤の姿を見つける。両肘を机につけてにっこり笑っていた。りんの鼓動が一瞬だけ大きくなる。

「でも伊藤君も部活があるでしょ?」

「大丈夫。バスケ部なんてほとんど女バスがほとんど仕切ってくれるから頼まれことやるだけだし。部員多いから僕が抜けても大丈夫だよ。」

少し申し訳なそうな顔をする薫だったが、遠慮がちに席を立つと、

「じゃあお言葉に甘えようかな。ごめんね。」

「いいの、いいの。お礼はなんか奢ってくれたらいいからさ。」

薫は小さく笑い、鞄を肩にかけると手を振り教室を出て行った。パタンと静かにしまったドアがやけに重厚に感じてしまう。足早に去っていく音が廊下から消えると、りんは書類を手にして椅子に座った。

「さあパパッと済ませちゃおうか。」

伊藤の目を見ずにそう言うと、りんはさっさと書類の数を数え始める。伊藤はりんの隣に座り、目の前の書類を眺めた。

「じゃあ僕1年生のやつやるから他の頼める?」

「分かった。」

手を止めずにそっけなく答えるりんの態度を気にする風もなく、伊藤も作業を始めた。各クラスの人数を確認し、その枚数分だけ指定の封筒に入れていく。

「丸山さんってすごいよ。生徒会の仕事完璧なのに部活も大活躍で、集会のとき何度も賞もらってるよな。それに疲れた顔見たことないし。」

「あの子は体力あるからね。苦に思ってないんだよ。たまに面倒だってぼやく時もあるけど。天才ってああいうのを言うんだと思うよ。モテるしね。」

そこでりんは思わず失言をしてしまったと気付く。だがりんの後悔虚しく、伊藤は易々とその話に乗ってきた。

「あぁ、そうだろうなあ。才色兼備で人望もあるし。僕の友達にも気になってる奴何人かいるよ。でも僕は高嶺の花って感じでそういう風に見たことないな。・・・、伊吹はさ、好きな奴とかいるの?」

唐突に話を振られる。このまま薫の話題で終わるはずだったのにあまりよくない方向へ向かっているのが明白だった。きっと伊藤はそんなこと思ってもいないだろう。無自覚は時に罪だ。

「え?なんで?」

「いや、伊吹も普通にモテるからさ。昔とだいぶ変わったって皆言ってるし。」

「え~?私なんて全然モテないよ。」

「謙遜だな。お前普通に良い奴だし勉強もできる方だし。何より友達思いだしな。」

りんの書類を折る手がぴたりと止まる。思いの他、伊藤の言葉は胸に刺さってじくじくと痛んだ。



『伊藤君って好きな人いるの?』

『友達思いだしな。』



「・・・・・・好きな人、いるよ。」

呟きのような言葉でも、2人しかいない静かな教室では充分の声量だった。伊藤も思わず手を止めこちらを向いているのが伝わってくるが、りんは目の前の折りかけの書類を見つめる。

「そう、なんだ・・・。僕の知ってる人?」

「内緒だよ。絶対教えない。」

「なんだよ。協力してやろうと思ったのにさ。」

驚きから容易く立ち上がった伊藤は作業を再開する。だがりんはまだ手を付けられないでいた。考えている思いが今にも言葉になりそうなのを止めることができず、再び口を開く。

「報われるような恋じゃないから。諦めるしかないの。」

そしておもむろに伊藤の方を向いた時だった。瞬時に夕日が差し込み、伊藤の顔が逆光で暗くなる。だが伊藤がこちらに顔を向けているのは分かった。りんは一瞬だけ真っ黒な伊藤の顔を見つめると、ようやく書類に手を付けた。

「さ、早く終わらそう。私お腹空いちゃった。」

伊藤にはりんのどんな表情が映っていたのだろう。気にはなったものの、りんは伊藤が意味ありげな視線を送っているのを感じながら、紙の擦る音に耳を傾けることに専念した。










それから約3か月後。伊藤は咲子と付き合うことになる。



告白しようか悩んでいた咲子の背中を押したのは、変わらない笑顔を振りまくりんだった。
















弓道場の入り口に座り込んでいると、上から声が降ってきた。

「りん?どうしたの?」

白と紺の弓道衣に身を包んだ薫が上から覗き込んでいた。りんは首を上に見上げたまま歯を見せて笑ってみせる。

「一緒に帰ろうと思って。もう終わったの?」

「今休憩中。」

水筒を片手にりんの隣に座り込む。髪をまとめてポニーテールにしているので白いうなじがほっそりと浮き上がっていた。

「先生から聞いたよ。生徒会長に推薦されてるんだって?」

すると薫の表情が見る見るうちに渋いものに変わっていった。水筒のお茶を一気に喉に流し込む。

「断ってるのにしつこいのよ。中学の時でもう懲りました。」

「なんで?やったらいいのに。私も手伝うからさ。」

「会長は夏樹の方が絶対向いてるって。副会長ならやるって言ってある。」

福原夏樹は薫と同様の才色兼備で、唯一薫と同等にやり合える才能の持ち主だ。学力もスポーツも負けず劣らず、金山高のトップは薫か夏樹かいい勝負なのだ。だが周りがそう言ってるだけで双方は全く気にしていない。そして薫と同じクラスで友達でもある。2人が並んで廊下を歩く姿は絵になるようで、よく写真部や美術部からモデルを頼まれている。

「でもさ、夏樹も私の方がいいって言って聞かないのよ。先生たちも頭抱えちゃって。夏樹の方が人望も厚いし信頼されてるしいいと思わない?」

薫の放つ独特の雰囲気は親しみにくい所があるようで、確かに夏樹の方が顔は広い。

「んー、でも私は薫のほうがいいなあ。生徒会の時の薫ってかっこいいもん。頼りがいがあるし。」

「そうかな?別にやることやってるだけだよ。」

再び水筒に口をつけ一息つく。そして顔を正面に向けて薫は言った。

「で、どうしたの?」

隣のりんの肩が瞬時に震える。だがりんは諦めに似た乾いた溜息を吐いた。

薫には、何も隠せない。どうようもない不安を、薫は確かに感じたのだろう。

「・・・さっきね、今週の土曜日お茶しないってメールが来たの。・・・咲子から。」

「ふーん。どうするの?」

そっけない返事だが、薫が気をかけていることが伝わってきた。答えを望んでいるのではなく聞いてもらいたいだけだという、りんの気持ちを理解してくれている。

「久しぶりだしね。会おうとは思っている。なんか複雑だけどね。」

少し悲しそうに笑うりんは、薫の手にしている水筒を取り一口飲んだ。薫はそれを黙って眺める。

「りんがそう決めたなら私は何も言わないよ。でもりん・・・。」

「うん、分かってる。」

薫の声を遮り、りんは鞄に手を入れるとあるものを取り出した。赤いハート型のコンパクトで、キーチェンが繋いである。

「持っていくからさ。大丈夫よ。」

そう言って笑うと、薫も安心したように穏やかな顔を向けた。

「ねえ、薫。」

トーンを落とした声音で呼びかけるりんに薫は首を傾げて見せた。

「私ね、咲子に再会するまで忘れてたの。あんなに好きで苦しくて辛かったのに、絶対忘れられないと思ってたのに。薫は私の事、薄情で軽い女だって笑う?」

すると薫は片方の頬だけを吊り上げて鼻を鳴らした。弓道場の外で立っている柳の木に目をやる。

「人ってさ、上手くできてるんだよ。」

「え?」

「忘れたくないことを失って、忘れたいことが頭にこびりついている。ほんと残酷にできてるよ。でもさ、まだ忘れてしまった方が楽しく過ごせると思わない?」

風が吹く。りんの、薫の髪を小さく揺らし、冷たい風が肌に刺さった。宙に舞う枯葉が薫の取り澄ました表情を浮き彫りにさせる。

「忘れたいことでずっと苦しむより、私はずっといいと思うよ。」

「薫は」

薫がりんの方に振り向く。りんが目を丸くし真剣な面持ちを向けていることがおかしく感じ、無表情のまま口角を上げた。

「忘れたいことで、今も悲しんでるの?」

おもむろに首を上げる。もうそこまで秋が来ていた。空が高い。

「悲しかったことなんて忘れちゃったよ。」







『お父さん。やめて、やめてよ・・・!』








そう泣き叫んでいたのは、いつの事だったか。

あまりに穏やかな表情で空を見上げる薫を見て、りんはどこか悲しい感情を抱いた。



















咲子と伊藤が付き合いだして初めての冬が近づいていた。薫たち3年生の最後の仕事である学園祭の準備に、りんも奔走していた。そしてその日はクラスの出し物の準備に参加しようとしていた。学園祭と言っても簡単な売店か見世物をする程度なのだが、3年生ともなると皆力を入れている。りんのクラスでは占いの館を、愛美のクラスは喫茶店、薫と若菜のクラスは演劇をすることになっており、生徒会では生徒からの要望でコスプレカフェをすることになった。薫が最後まで反対していたが、りんを含む他の生徒会のメンバーが乗り気だったので無理に押し通した形になった。

ホームルームが終わり、出し物の装飾を作るために皆が机を移動させていた時。りんも荷物を片付け席を動かそうとしていると、

「伊吹。」

その自信なさげな声で、はっとして振り向く。気まずそうに視線を彷徨わせる伊藤が立っていた。りんが口を開くより先に伊藤から声がかかる。

「ちょっといい?そんなに時間取らせないから。」

目を点にして伊藤を見つめる。自分から声をかけてきたのに目を合わせようとしない。普段から挙動不審な所があるが、それが今日はさらに際立つ。何気に周りの視線を気にしているのはどうしてだろうか。咲子を探しているのだろうか。

いつにも増して落ち着かない伊藤を不審に思いながらも、りんはぎこちなく頷いた。根拠はないのに嫌な予感が一瞬だけよぎった。







黙ったままの伊藤の後姿について行くと、そこは人気のない体育館裏だった。大きな桜の木のそばに来ると、伊藤はようやくりんの方に振り向く。

その表情がいつになく真剣で緊張しているので、りんは険しい顔を見せながらも口を開いた。

「何?こんなとこ連れてきて。もしかして告白?」

口に手を当て冗談で笑ってみせる。伊藤もつられて笑い出す・・・、筈だった。

りんの予想に反して、伊藤はさらに表情を硬くし頬を一気に赤くする。それが何を表しているか、分からない人はいない。

りんの顔から笑顔が消えていく。口に当てていた手をゆっくり降ろし、信じられない様子で伊藤を見た。

「伊藤?」

「伊吹、僕・・・。」

意を決したように伊藤は顔を上げた。覚悟を決めた強い瞳でりんを映す。その瞳から感じるのは、いつもの友を見る目ではなく、異性を認識させるものだった。りんの心臓が一気に撥ねる。






『伊藤君って好きな人いるの?』





やめて。言わないで。あなたがそれを言ってしまったら・・・。




叫びたい言葉が、どうしても声にならない。こんな時に限って喉がひどく乾いてひりひりと痛む。りんにしか聞こえない小さなうめき声が代わりに吐いて出た。

そんなりんの思いなど、届くはずもなく。








「僕、伊吹の事が好きなんだ!」

渾身の力を込め、伊藤は強く響かせた。




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