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4人のベルセポネー  作者: 望月 薫
第3章:ピアスで隠せるものなら
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第9話

「あー、濡れちゃった?ごめんね。りんと愛美の私物なのに。」

「全然大丈夫よ。乾かせばいいんだもん。」

若菜の部屋でウィッグをはぎ取ったりんはにこやかに笑って見せた。黒い艶のある髪が現れる。濡れて少し水分を含んだ上着を脱ぎ、代わりにジャージを羽織った。ボールペンで書いた耳のほくろは水と汗で流れたのか消えてなくなっている。

ノートパソコンとにらめっこをしていた若菜は、やがてほっとしたように息を吐いた。

「セキュリティも今戻った。なんだかすごく疲れたな。」

りんと息を吐いていると、、テーブルに湯気がたつココアが置かれる。

「お疲れ様。奮発して買った特注品だよ。」

カップから香りは神経を和らいでいくような甘さがした。2人は顔を明るくして手に取る。じんわりとした温かさが体の芯から伝わってくるようだ。

いくら若菜が凄腕のハッカーとはいえ、病院のセキュリティは頑丈でかなり手こずった。調べる過程で最上階がダミーだと気付いたからよかったが。ココアを一口飲み、若菜はほっと一息つく。

「りんごめんね。こんなこと頼んじゃって。大丈夫だった?」

「平気よ。ボディーガードもあっけなかったし、銃突きつけたら皆震えちゃってさ。すっごい面白かったよ。あ、薫。これありがとう。」

ベッドの上で本を開いていた薫にサイレンサー付きのデリンジャーを放り投げた。片手でそれを受け取った薫は銃を眺めると呆れたように口を開く。

「安全装置つけ忘れてるじゃん。危ないでしょ。」

「うそ。ごめんごめん。」

そう言いながら同時にピンクのヘアゴムを投げてきたので、薫はだるそうに体を起こすとヘアブラシを手にりんの後ろに立つ。ボサボサの髪を丁寧に梳くと、慣れた手つきでヘアゴムでまとめる。さまざまな方向に動く頭に逆らうことなく、りんはされるがままになっている。見慣れたツインテールの頭が姿を現した。りんは満足そうに髪の先のそっと撫でる。

「で、りん。ちゃんと録音できてた?」

若菜が手を差し出す。りんはにやりと笑ってポケットから縦長の録音機を取り出し手渡した。

「バッチリよ。帰る途中で確認したもんね。」

受け取った録音機を細い目で見つめる。それを見て愛美が口を開いた。

「若菜、やっぱり自分で行かなくてよかったの?だって・・・。」

「いいの。セキュリティ解除する人が必要だったし。それにあたしが行ったらきっと冷静になれずに暴走してたかもしれないから。言うとおりの事を言ってもらえただけで充分。」

そう言ってりんと会話するためのイヤホンを耳から外す。


初めて聞いた母の声は、思っていたより枯れてやつれたような声だった。しかし幼い頃の記憶の声の主と同じであることは明白で、あのイヤリングの主だと確信させるものだった。

己の子より金と欲情に塗れた男を選んだ馬鹿な女。


「若菜、それどうするの?マスコミに流しても速水の圧力で負けちゃうんじゃない?」

りんがそう言うと、薫と若菜が目を合わせて笑った。それが気に食わなかったのかりんが頬を膨らませる。

「りん、最近はもっと便利なものがあるでしょ?」

「そうそう。一斉に広がって止められないものが、ね・・・。」

それを皮切りに、若菜と薫は並んでノートパソコンを開いた。












一週間後。

速水病院の前はそれはもう大勢のマスコミがひしめき合っていた。

「速水さん、ネットに流れた話は真実なんですか!?」

「あの声の主は本当にあなたのものなんですか?」

「話が本当ならとんでもない事ですよね、速水さん!」

「何か言ってください!何か反論はないんですか!?」

ネット上に流れた、速水の数々の不正疑惑。それは警察が収集する隙もなく市民の耳に流れ、止める間もなくマスコミが便乗してきた。混乱の収拾と同時に発信源を必死に突き止めようとした警察だったが、発信されたパソコンはとあるネット喫茶のものであることが分かっただけで、誰がどんな目的でアップしたのか、どうやってあの音声を手に入れたのかは迷宮入りになりそうだった。

しばらくすると大勢の人に囲まれた速水氏が、顔を俯いて病院から現れる。テレビで見せるにこやかな笑顔はおろか、顔面蒼白で生気も薄い。一声に大勢のフラッシュとマイクが向けられた。

「速水さん!あの音声の真相を教えてください!速水さん!」

速水は答えない。周囲を囲んでいる刑事たちはマスコミを必死に抑えながら速水を車に誘導する。その後ろから身を縮ませて歩く第一秘書の姿もあった。彼女も『美人秘書』としてテレビに取り上げられたことがあるので面が割れていた。

「秘書の方ですよね?なにかコメントをお願いします!」

マイクを向けられるも、第一秘書は首を振ってそれを避ける。

そんな様子をマスコミから少し離れて、近隣の住民が野次馬と化して眺めていた。非難と軽蔑の目を向け、小さく何かを囁いている。それ混ざるように若菜と薫は制服姿で細い目を向けていた。

「取り調べって所かな。まだ正式な逮捕状は出てないけど時間の問題だね。」

「そうだね・・・。」

曖昧に返す若菜を一瞥し、薫は尋ねた。

「ねえ若菜。あなたは結局、何がしたかったの?」

「ん?」

「イヤリング返すだけならあそこまで大きな芝居する必要なかったじゃない?親子の感動の再会は言いすぎだとしても『はい』って渡して終わりにしても問題はなかったでしょ?殺したかったらもっと徹底的に調べて『テリトリー(あっち)』に送ることだってできた筈じゃない。あいつのやってたことは犯罪だけど送られるほどのものじゃないし。なんでなの?」

しばらくの沈黙があった。若菜は鞄の肩紐を手に持ち空を仰ぐ。実にいい天気だ。


「小学校の頃かなあ。あたし達の嫌いな行事があったでしょ?」

それを聞いて薫は渋い顔をした。言われずとも分かる、参観日の事だ。4人が最も嫌いで辛い一日を過ごす行事。親がいない4人にとって、満面の笑みを作る親子は己を惨めにさせるものでしかなかった。そしてそれを一番感じてコンプレックスにしていたのが若菜だった。

「皆の親が来てる中、あたしに勿論誰も来ないじゃん?それに気づいたクラスメイトが言ったのよ。『若菜ちゃんにはお母さんがいないんだ。』って。」

子供の頃は特にそうだ。人の事情をからかって安易に傷つけることをどうしても好む傾向にある。孤児というのは良い餌なのだ。

「でもね、その頃から親はいることは知ってたから『違う』って言い返したかったんだけどね。実際学校行事は勿論会ったこともない訳じゃん。それっていないのと一緒なんだって初めて思ったよ。いるのにいないの。あたしは2人の存在で苦しんでるのに、向こうはあたしがいない所で楽しそうにしててさ。なんだかやり切れなくって。ずっと・・・、あたしは頭の中の両親に苦しんできた。」

テレビで見るたび、話題に上がるたび、若菜は奥歯を噛みしめて壁に八つ当たりしていた。孤児というレッテルを張られているにも関わらず、液晶の中で笑っているのは間違いなく自分の父親。そしてそんな男に寄り添い恍惚の表情を向けている母親。

気にしないように努めたが、勉強して成績が上がるごとにあの男の血なんだと思い知らされる。どんな内容でも簡単に頭に入っていく。そして一度、全国模試で一位を取った時、怯えと憎しみで手が震えた。あの男から受け継いだものは多く、耳のほくろ然り、同時に自身を恨んだ。

気が狂いそうになったことも少なくない。若菜は2人の光ではなく影だった。隠し隠されて生きる影。薫たちがいなかったら今頃どうなっていたか分からない。若菜を支えて慰めてくれたのは、奇しくも孤児の薫たちだった。


若菜は再び前を向く。あの騒動の中心に、あたしの両親がいる。

そして今、あたし達は他人になる。

「あたしが殺したかったのはね、あたしの中の両親なの。あんな惨めに世間の注目を浴びてるような人達じゃない。あたしはあいつらの絶望的な顔を見たかっただけなの。」

りんに代役を頼んだ理由。それは他でもない、速水達が目的ではなかったからだ。

「・・・・・・それで、あなたの親は死んだの?」

「うん。あたしのマシンガンで穴だらけにしてやった。」

若菜は晴れやかな表情で笑った。薫もつられて笑顔を作る。影ではない、光が灯った笑顔に見えた。












騒がしいマスコミの隙間を縫うように、第一秘書は刑事たちに誘われるまま車に向かっていた。じきに病院と自宅にも家宅捜索に入るらしい。それを聞いた時、第一秘書は静かに目を閉じた。

これは天罰だ。そう思った。

暴力を振るわれても良いようにされても、どうしても速水の傍に居たかった。その代わりに払った代償の、あの子からの天罰。

名残惜しそうな様子を見せずあっさりと投げられた水色のイヤリングは、第一秘書の左耳に収まっている。あれからどんなに探しても、もう片方は見つからなかった。あの子は今まで大切に持っていたというのに。

最近まで忘れていたあの子の存在が、まさかあんな出来事で思い知らされるなんて思いもしなかった。そしてそれまでいない者として考えていた自身の醜さにあきれ果てる。

何気なく視線を病院の正門に向ける。すると集まっている住民の中に、高い声を上げて話している2人組の姿が目に入った。

高校生だろうか。互いに違う制服に身を包み、楽しそうに笑っている。

あの子もあんな風に笑っているのだろうか。きっと私達のことなんて気にも留めていないだろう。それどころかこの光景をどこかで見ていてほくそ笑んでいるに違いない。

何げなく2人の左耳に目をやった。ほんの、本当に小さな希望だった。長い髪の子には何もなかった。そして短い髪の、薄い唇で笑う子を見つめる。

さりげなく髪を後ろにやる仕草で見えた左耳には、黄色い宝石があしらわれたピアスが輝いていた。























駆けだしだ先に、飛ぶべきバーが見えた。地面をする音を耳で心地よく響かせながら、若菜は勢いよく足を踏み出す。その瞬間、目の前には真っ青な空が広がった。














あたしは今日も、鳥になる。


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