第8話
他の話より少し長くなっています。
高級住宅街の高台にそびえ立つ、不自然なほどの白に塗りたくられている壁が遠くからでも悪目立ちしている。黒岩に金で『速水総合病院』と彫られている看板を眺め、軽く睨みつけ小さく舌打ちをした。茶髪の髪が風に煽られるが、パーマがかかっているので激しく乱れる心配はない。手にしていたターコイズブルーのクラッチバッグから丸みを帯びた大きめのサングラスを取り出し、器用に片手でかけた。そして目の前の建物を上まで眺める。もはや何階まであるか数えることも気が遠くなりそうな高さであるにも関わらず、最上階、他の階とは明らかに異なる窓の作りをしている部屋を見上げた。ミニの黒いタイトスカートから見える足は細ずぎず形のいい筋肉質を纏い、こげ茶の皮ジャンがちょうど体にフィットしていて美しい体型を浮き上がらせていた。デコルテを存分に見せている紫のインナーは、谷間が見えない程度に開かれていて下品さを全く匂わせない。派手な装いなのに妙な落ち着きと優美さを持ち合わせている立ち振る舞いだった。爪には真っ赤のマニキュアがムラなく塗られ光を反射して輝く。バッグとお揃いの色のピンヒールを高らかに鳴らし病院の入り口に向かう左耳には、水色の丸いイヤリングが垣間見えた。
一般病棟と異なるスイートルームと呼ばれる病室に、速水は大きすぎるベッドの中で苦虫を噛むような顔をして腕を組んでいた。ベッドのすぐ脇で、全身をブランドのスーツで身を包んだ女が心配そうに見つめている。手にはファイルと分厚い手帳を持っていた。細く角ばった左手の薬指に高そうな宝石をあしらった指輪を嵌めており、水色の光を放って存在感を示していた。そしてその部屋には他にも3人の女性が控えていた。同じく高い品で身なりを固めている。
速水が低く唸る。
「馬鹿にしよって・・・!」
目の前の卓上に置かれている複数の封筒。大きさも色も異なるためどれも違う人物からだろうが、書かれていた内容はどれも酷似していた。
「やはり警察に知らせた方が・・・。」
部屋の一番隅にいた女がそう言うと、速水はぎろりと鋭い視線を送った。女の肩がびくっと震える。
「これくらい昔からあったことだ。警備は万全。問題はない。警察なんぞに任せてなるものか。」
もう数えることをやめた見慣れた脅迫状を勢いよく手にすると、力任せに引き裂く。静まり返った部屋にビリビリと裂く音だけが響いた。
「全く、どんな恨みがあるか知らんがとんだ無駄だとなぜ気付かない。本当に殺す気ならかかってくればいい。できるものならな。」
速水は引き裂いた手紙をばらまくと、それを眺めて大きな口で笑いだす。皆それには慣れているのか平然とした表情していた。
「じゃあお言葉に甘えて。」
パシュッ。
卓上に置かれていた花瓶が勢いよく割れる。パリンと心地いい音を出し、支えを失い中身の水が暴れだした。破られた紙片をじっとりと濡らしてゆく。
「きゃーー!」
女達はとっさに頭を抱えうずくまる。何か擦れたような音から思いがけず大きな衝撃が来たことに、速水は笑ったままの顔から元に戻すことができず凝固している。近くにいた第一秘書は花瓶の割れた音に一瞬動揺するものの、すぐに病室のドアに目を向けた。
黒い棒のようなものを嵌めた銃を手にし、こちらを見て笑っている女を捉える。大きなサングラスで顔はよく分からないが、つり上がった口元が無邪気な雰囲気を出していた。銃を持つ手には黒皮手袋。そしてきらきら光るブロンドの髪と派手な身なりがまぶしく見える。
女が背中でドアを閉める音でハッとし、第一秘書はすぐさま壁に取り付けられている防犯ボタンを探し拳で叩くように押した。だが悲鳴のようなブザー音を待つが全く反応がない。
「ど、どうして・・・!?」
再び力を込めて押すが、結果は同じだった。何度も何度も押すが期待している音は天井から全く聞こえない。動揺の色を見せる第一秘書をくすくすと女は笑って眺めていた。
「ごめんなさい。誰か呼ばれて大騒ぎになったら病院の人が困るから止めさせてもらったの。それと変な動きしないでね。」
カチャ。
金属を組み立てたような音がして前を向くと、女が笑った顔で銃口を速水の頭に押し付けていた。速水と秘書たちの顔がさあっと青くなる。その反応を楽しんでいるかのように、女は歯を見せて笑った。
「ど、どうやって・・・。」
銃口を向けられた速水が震える声で問いかけている声が届き、女は軽快な口調で言った。
「ん?ブザーの事?友達にその手に詳しい人がいるの。30分くらいならばれないように止められるんだって。すごいよね。あ、この階にいた怖い人達はちょっと眠ってもらったわ。これでバチッとね。」
ポケットからスタンガンを取り出し速水に見せびらかす。第一秘書は目を見開いた。ここに配備していたボディーガードはどれも腕利きの者ばかりで、隙を突かれたとはいえ容易くスタンガンなど食らうはずないのだ。
「にしてもなんで病院にこんな地下があるのかなあ?最上階があるかのように小細工までして隠したかったの?騙されるところだったよ。たぶんそのまま上に行ったらここより大勢の人がいてすぐ捕まるんだろうなあ。」
速水はギクッとあからさまな動揺を見せる。
己の命を狙ってくる者を返り討ちにするため、最上階にスイートルームがあるように見せかけていることがなぜ分かったのだろうか。
「にしてもすごいねえ、この地下。さっき一通り見て回ったんだけど最新の機器が一杯。豪華な病室がたくさんあって手術室まであって。ここだけで一通りの病気も治っちゃうね。ここがお偉いさんの特別階ってことかな?」
秘書の一人がそっとポケットにある携帯を手に取る。ごくりと息を飲み静かに番号を打とうとした時。
バシュッ。
手に激しい衝撃を受け、携帯が吹っ飛ぶ。秘書はキャと小さく悲鳴を上げ身をすくめた。見ると、弾丸が携帯の端を掠め、白煙を上げている。画面は真っ黒でバチバチと電流が走る音がして、掠れていないのに手がびりびりと痺れた。
「あ・・・あ・・・。」
「あー、やっぱり射撃は苦手だなあ。あの子ならもっと正確に中心を狙ったのに。あ、変なマネしないでね。まあ一応電波来ないようにしてもらってるけど。地下だからサイレンサー必要なかったかな。」
白煙をあげないサイレンサーの先に息を吹きかけ、再びその先を速水に向けた。だが先ほどより余裕が出てきたのか、女を上からぎろりと睨み付ける。
「おぉ、怖い。一般人の味方の善良なお医者様がそんな悪い顔してはいけませんよ。」
「貴様の目的はなんだ。私の命か。」
「んー、それを聞かれると難しい所なんだけどねえ。」
銃を突きつけたままベッドにどっかりと腰を下ろした女は右手の人差し指を顎に当て考え込むような仕草を見せ付けてきた。その様子が子供っぽく見え、第一秘書は目を細めた。しばし思案し、名案が思いついたように女は声を高くする。
「そう、あなたのお話でもしましょうか。そうですね、まずは・・・。『第二資料室』にあったカルテのことでも教えてもらいましょうかね。」
その瞬間、その場の空気が一気に凍りついた。女を除く全ての人間が瞳を震わせ血の気が引いている。それと対照的に女はその反応を明らかに楽しんでいた。サングラスの向こうで瞳が輝いている。
「誰も入らないからって油断したんですか?指紋認証とかだったら手間取ったけどあれくらいの鍵だけだったら簡単に入れますよ。注意した方がいいですよ?たくさんありましたねえ。一部に目を通したんですけど何人か見たことある名前があったんですよ。でも顔は全然違いました。さあなんででしょう。教えてくれませんか?気になって今日は眠れそうもない。」
その口ぶりは明らかに全てを理解しているものだった。速水はぎりっと歯を噛みしめる。
「はっきり・・・言ったらどうだ。」
女はにやりと笑い、たっぷりと間を取ってから言った。
「さぞかし良い商売だったでしょう。この世の中、他人の戸籍を欲しがる人間はたくさんいますから。おそらく・・・身寄りのない人達ってところでしょうか。病院で死んだ、もしくは死に至らしめた人間の名を高額で売りさばく・・・。メディアに引っ張りだこの速水氏がこんなことしてるって知られたらどうなりますかねえ。いやそっちが本当の顔でしょうか、政界随一の闇医者さん?」
「それがどうした。」
速水が怒気を含んだ声で言い放ったのを、女は意外そうに感嘆の息を漏らす。
「認めるんですか。これは意外。」
「ふん。そんなことお前ごとき小娘が知った所で何になる。生意気に大人に刃向うもんじゃない。」
女の顔が初めて笑いを消す。無表情な唇が微かに震えていた。秘書たちは速水の言葉の意味がよく分からず、力なく座り込んで二人の様子を茫然と眺める。
「・・・驚きましたね。結構誤魔化せたと思っていたんですが。」
「私は医者だぞ?身なりでそれなりに隠せても体の成長段階くらい分かるわ。せいぜい高校生くらいだろう。成人しきっていない未熟な体だ。」
高校生?その言葉に第一秘書は少し引っ掛かりを感じるも、その蟠りがどんな要因でできたかわからない。
「まあ、私の年なんてどうでもいいじゃありませんか。それで、法律で認められていない戸籍売買を認めるんですね。」
「これは医者の特権だよ。人の生命をこの手中に簡単に収めることができる。そんな有効なこと使わない手はないだろう。」
「・・・・・・ということはその人の臓器も・・・・。」
「あぁ、誰も引き取り手がない者の体だ。世の為人の為に活用することがなにが悪い?それで莫大な金が手に入る。私としても死んだ者にしてもいい話じゃないか。」
吹っ切れたのか、銃を突き付けられたことへの恐怖が興奮を招いているのか、いやに饒舌に話す速水は正気の沙汰ではないように思えた。第一秘書を除いては、皆驚愕のまなざしを速水に向けている。
「世の中は金だよ?あってもあっても無駄じゃない。金さえあれば名声も女もなんでも手に入るのだ!その為なら私は何をするにも犠牲を惜しまない。」
くっくっくっと笑い、目の真っ赤に血走らせて視線を彷徨わせている速水はまさに金の亡者だった。この緊迫した空気が老人の神経をそうさせたのか、まるで全ての感情が麻痺したように言葉が堰を切ったように溢れていた。その水はひどく濁り、もはや全てを汚染する毒でしかない。
狂ったように笑い声をあげていた速水が突然黙り込み、女を鋭い視線を射抜く。女は狼狽えるどころかそっけない顔を向けていた。
「こんなことしてどうなるか分かっているのか?ここからうまく逃げられたとしても私には警察にも太いパイプがある。皆黙っておらんぞ?お前だけじゃない。お前の家族にも罰が下るだろう。どんな教育をしたらこんな風になるのか。全く、親の顔が見てみたいものだ。」
女はしばし押し黙っていた。速水の強烈な威嚇の視線にも終えることなく、長い間その視線を見つめている。女が速水の言葉に堪えている。そう思い秘書たちは少し顔を綻ばせた。
が。
「ふ・・・ふふふっ。」
女の口から高い声が漏れる。そう認識した直後、女は大きな声で笑い出した。
「あはははははっ!!確かに、私の親は最低ですよ!あなたにもぜひ会わせてあげたいものだ!!ははははっ!」
顔を天井に向け大きな口で豪快に笑う様子は、もはや狂気にも見えた。秘書たちは恐れ慄き僅かに身を引き、何が女をこんな風に導いたのか理解できず、速水は先程狂乱した様から目を覚ましたようだった。
「は、ははっ。はは・・・。あーおかしい。こんなに笑うとは思わなかった。さて、そろそろ終わりにしましょうかね。」
皆その言葉で一斉に息を飲む。女は銃を構え直し、速水を遠い目で見据えた。
「や、やめなさい!あなたの目的は本当になんなの!?お金なら・・・。」
「済みませんが黙ってもらえませんか。」
先程と異なる恐ろしく冷ややかな声で制され、第一秘書は何も言えなくなってしまう。だが女ははっと顔を上げ、第一秘書に薄い笑顔を見せた。
「そうそう。あなたにお渡ししたいのがあったんです。」
「え?」
動揺が広がりを見せる中、女は左手で己の髪をまさぐりスッと引いたかと思えば、手に何か握っていた。それを予兆なく第一秘書に向けて放り投げる。爆弾かもしれないと頭では思いつつも反射的に身を乗り出して受け取ってしまい手を震わせるが、手に収まった何かが小さく固い何かであることに気付きそっと手を広げた。
片耳の丸い水色のイヤリングが、手の平で転がっていた。
どこかで見たことがある。確か、昔似たようなものを持っていた。だがなぜ彼女が持っている?
しばらくイヤリングを見つめ考え込んでいると、突如頭上から言葉が降ってきた。
「しもやけはもう治りましたか?」
その瞬間、第一秘書の思考を、頬を真っ赤にした少女の残像が通り過ぎていく。
血の気が失せ、驚愕でひどく視界が揺れた。
まさか。まさか彼女は・・・。
髪を振りかざしながら顔を上げると、女は左手にライターを持っていた。蛍光の黄色で包まれた、安っぽいライター。
ライターを手にしたまま、女は器用に左手で髪を掻き上げ耳にかける。その耳たぶには、黒いほくろが確かにあった。
確信に変わる。もはや思い出そうにも思い出せないでいた、かつての少女の顔。
第一秘書が自分から目を離さず驚愕しているのを見て、女はクスリと小さく笑った。そしてライターに手をかけ火をつけたと思ったら、それを真上に軽く放り投げる。丁度火災報知機の真下。
ジリリリリリリ!!!
けたたましく鳴るサイレンと同時に、勢いよく水が降りかかってきた。室内に豪雨が来たように、その場がを水が叩きつける音が広い病室に木霊する。
その場の皆が混乱に陥り、頭を抱え叫び声を出す。唯一第一秘書だけは女を茫然と見つめていた。
女は素早くドアに近付き外に出る。そしてドアを閉める直前、第一秘書に向けて小さく唇を揺らした。その瞬間だけ、女は悲しそうな目をした気がしたが、それを確かめる隙もなくあっけなくドアが閉められる。
第一秘書はその一連の流れをただただ見つめていた。その瞳に光は失せ、混沌と絶望だけしか映っていない。髪をまとめていたバレッタがずれ、長い髪が瞬く間に水分を含んでいく。じっとり体に張り付いたブラウスが青く滲んでいる肌を映し出した。
サイレンが激しく鼓膜を揺さぶり、痛いくらいに水が体を打ち付ける中、第一秘書は手の中のイヤリングを見つめ、うめき声を上げながら力なくその場に跪いた。