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4人のベルセポネー  作者: 望月 薫
第3章:ピアスで隠せるものなら
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第4話

「ねえ薫。その刀頂戴。」

薫が刀に付いた血を拭っていた時だった。今でも鮮明に思い浮かぶ。あれは中学1年になったばかりの春。

愛美の肩に、外で咲いていた桜の花びらが付いていた。テリトリー中を走り回って刀を振り回したのにも関わらず、その桜は辛抱強くその場にとどまっていたのを覚えている。薄っぺらい花びらが不思議と力強く感じた瞬間だった。愛美の思い切った発言を後押しするように、その桜は微動だにしない。

左手に自身の刀を持ち、右手で薫の刀を指さして言った愛美は、じっとそれを見つめる。

あたしとりんは驚いて二人を見た。

「何言ってんの愛美。」

薫の刀、それは薫自身が数ある中から選んで毎日丁寧に手入れをしているほど、薫が愛用している数少ない一つだった。地肌が珍しい模様で、振るたびに凛と輝く。素人では刀をいい状態に維持するには難しいと言われているが、刀はその美しさを見事に保っていた。

あたしは勿論、りんも愛美も薫が大事にしていたのは知っているはずだ。だからこそ、そんなことを言い出すなんて思わなかったのだ。

「薫、いつも銃でほとんど使わないじゃん。私の刀と変えてよ。」

差し出された刀は、愛美が今まで使っていた刀身に反りがない直刀。薫の太刀とは異なるものだ。

「駄目だよ、そんな我儘言っちゃ。薫も困っちゃうよ。」

りんは和まそうとするが、愛美は薫の刀から目を離さない。

その目は真剣だった。いつもは温和で気の抜けた雰囲気を醸し出している筈の瞳が、薫の刀を執拗に見つめ、有無を言わせない気迫迫ったものになっている。


二人は愛美が本気なのだと直感した。我儘という言葉では終われないほど、愛美は刀に執着している。

薫がそれを手にしている時、愛美が見惚れていたのは気付いていた。かくいうあたしも、魅入ることが少なくなかったからだ。まるで洗練された剣舞を見ているかのように、刀を扱う薫は美しかったのだ。

それを、愛美は手に入れようとしている。見るだけでは飽き足らず、自分のものにしようとしている。


「薫。」

ずいと、己の刀を差しだす愛美を薫は一瞥し、手中の刃に映る自分をじっと見つめた。

そしてその時はあっけなかった。渋ることもなく、反論することもなく、怒りも見せることもせず、いつもの落ち着いた声が響いた。



「いいよ。」


















待ちわびていたベルが鳴り響くと、若菜は大きく背を伸ばした。

分からないのに鉛筆片手にテストに向かっていた為、とてつもなく長い時間に感じられた。

すぐさまテストが回収され、あちこちで声が上がる。

「若菜、やっとテスト終わったね。部活行こ。」

「よし。やっと体動かせる。」

軽い鞄を持ち、理沙と教室を出た。廊下はテストが終わった解放感からか、なんとも晴れやかな表情をした生徒が目に入る。やはり皆考えることは皆同じだ。つい先ほどまで凝視していた教科書を手放し、死に物狂いで一夜漬けで覚えていた公式など頭からとっくに消去されているのだろう。重い荷物を降ろしかのような清々しささえ窺える。

下駄箱に行くには愛美のクラスの目の前を通ることになる。若菜は歩きながらさりげなく教室の中を見た。容易く愛美の姿を見つける。

愛美は友達と仲良く談笑していた。笑顔を向けてなにやら盛り上がっている。周りの子も笑ってはしゃいでいたが、その中に一人かすかにくぐもった表情を見せる子がいた。その顔には見覚えがあった。


山口紗恵。兄が惨殺され時の人となった子だ。

隔たりなく笑いかける愛美に、紗恵はぎこちないながらも穏やかな表情をして見せた。それを細い目で見つめ、微かに視界をにじませた。


仕事中、ある囚人に対し執着的な憎悪を滲ませていたと、薫から聞いた。

『自分の感情に素直なの。自分の気持ちを疑うことなく行動するから迷いがない。それが愛美の強みでもあり、弱みでもある。』

昔から薫がよく言っていることだった。

あの笑顔の裏には強い意志がある。揺るぎない決意がある。皆が想像できないほどに大きく重い塊が、愛美には常にのしかかっている。

『愛美と私達では、目的が違うの。あの子のはもっと雄大で理想的な願いだけど、私達のそれは幼稚で陳腐なの。』

若菜は反論しなかった。事実、それは間違いではなかったからだ。だから愛美は人の為に怒り、憎み、手を下すことができている。若菜にはそれができない。



愛美の教室に向けられている若菜の視線に気付き、理沙が口を開いた。

「あぁ、山口さんね。元気そうでよかったよ。」

「そうだね。」

「辛かっただろうなあ。私にも妹がいるけど、急にいなくなるなんで考えるだけで気が変になりそうだよ。」

「千沙ちゃん可愛いもんね。」

「そうなの!可愛すぎて誘拐されないか心配になっちゃってさ、この間親と相談して携帯持たせようかって・・・。」

理沙のシスコン節を遠くで聞きながら、若菜は軽く頷いて階段を下りて行った。






土の香りを感じながら、若菜は念入りにストレッチをする。グラウンドはたくさんの部活の活動場なので辺りが人でごった返している。それでも人と人の衝突が起こらないのはすごいといつも思う。

目の前をバレー部が走りすぎていく。部活によってランニングの際の掛け声があって実に面白い。伝統的に伝えられているそれは、放課後の風物詩と言ってもいい。若菜は野球部の掛け声がお気に入りだ。かといってランニングが好きになることはないが。

手首と足首を回していると、丁度ランニングを終えた速秋が息を切らして隣に座りこんだ。木蔭に置いてあった水筒を手に取る。

「いつまでストレッチやってんの?走らないで。」

「走るの嫌だからその分念入りにね。」

「相変わらずだな。」

水筒の蓋を開け、ほぼ垂直に立てて豪快に飲む速秋を横目で見ながら、今度は腕を伸ばす。筋肉が伸び骨が小さく鳴った。ホイッスルの音が木霊し、勢いのある掛け声が響く。集団が走った後の砂煙が僅かに目に染みるが、気を反らすことなく己の動きに集中する。


若菜の動きを座って眺めていた速秋が口を開いた。

「お前さ、平川さんと仲いいの?」

「愛美?小さい頃からの付き合いだからね。仲良くさせてもらってるよ。」

「そうか、なんか意外だな。」

その言葉に若菜はぴたっと動きを止め、やっと速秋を見た。

「どういうこと?」

「お前らって正反対なイメージがあるからさ。」

「そう?似た者同士だと思ってたけど。」

「いやいや全然違うよ。」

再び水筒のお茶を一口飲んだ速秋は、小さく笑う。

「平川は良い意味で凡人だけど、お前は違う。できるのにやらない。才能があるのに拒絶する。きっと勉強も手抜いてるだろ?」

いつの間にか呼び捨てになっていることに、本人は気付いているのだろうか。目が眩むような感覚。それは太陽のせいなのか分からない。

「あたし馬鹿だからあんたが何言ってるか分からないな。あたしは何のとりえもない凡人だよ。」

お手上げのポーズをとると、速秋は立ち上がる。

「お前はきっと遺伝子的に才能があるんだよ。潜在的って言ったほうがいいかな?努力では埋まらない受け継いだ才能があるんだよ。」

水筒を乱暴に草むらに投げると、背を伸ばす。若菜はその様子をぼんやりと見ていた。

「じゃあその天才のあたしから一つ質問。」

「どうぞ、工藤様。」

「愛美の事、好きなの?」

速秋の体が逸れたまま固まる。それが答えだった。それまで飄々としていた表情がバツの悪そうに目を逸らす。

「なら忠告しておくよ。無理だよ、何やっても。」

グラウンドの中心で誰かが手を振っているのが見えた。すぐ傍に見慣れたバーが立っている。

「愛美は絶対に落ちないよ。」

それだけ言うと速秋の方を振り返らず、勢いよく駆けだして行った。










『辛かっただろうなあ。』

なぜ、そんな悲痛な顔ができるのだ。どうして一人の死を悲しむのか。

他人が死んでもなんとも思わないくせに、なぜ。

他人と近親の死と違いが、あたしには分からない。

きっとあたしは、あの男が死んでも悲しまない。絶対に。


無意識に、そっとイヤリングに手を添えた。

 


















あたしには、分からない。



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