第5話
幼い頃。まだ小学2年生だった。4人の間でとても夢中になっていたアニメがあった。「魔法戦士 マリスター」。
ある4人の少女が、それぞれの家系の守り神である青竜・朱雀・白虎・玄武の精霊の力を借りて変身し、不思議な力を使って悪の組織と戦うというものだった。
勿論その当時は中国神話の四神が大元なんて知らなかったし、少し難しい漢字が入ることもしばしばだったが、4人はその世界観にくぎ付けになっていた。
その当時の女の子向けのアニメといえば、カタカナや英語で飾り付け、パステルカラーが生えるものばかりだったが、青・赤・白・黒という原色をキャラクターのコスチュームに大胆に使い、神話と織り交ぜている内容がとても新鮮だった。
そしてその中の一人、青竜マイがいつも口にする決め台詞があった。
『私達は皆の幸せのために戦う!そう、全ては正義の名の元に!』
剣を掲げてそう言い放つ姿に、強い憧れを感じる子供たちは大勢いた。
よく4人で役を振って遊んだものだ。私は青竜、りんは朱雀、薫は白虎、若菜は玄武。
今でも時々思い出しネットで検索したりする。私の神話好きも、大元の内容を知りたかったのがきっかけだった。
『悪者はいなくなった。再び平和が訪れた。』
悪者を倒し、必ずこの言葉で終わる朱雀カナエのセリフ。
このセリフは今だに言えていない。
沙恵はそのあと早退した。学校に足を入れただけでもすごいことだ。きっと相当躊躇したことだろう。
その流れで愛美も帰りたかったが、さすがに緑に止められた。
退屈な授業をそつなくこなし、愛美は図書室に向かった。今日は所属している家庭科部が休みなので、借りていた本を返そうと思ったのだ。
図書室の扉を開けると、もう既に吉田さんが返却カウンターの所に座っていた。愛美は手に持っていた本を吉田さんの目の前に置く。
「こんにちは吉田さん。これ返却」
丸い眼鏡の向こうから愛美をじっと見つめ、吉田さんは本を手に取った。
吉田さんは同じ学年の図書委員だ。とにかく本が好きで放課後はいつも図書室にいる。もはや本マニアだというくらい本を愛し、吉田さんに聞けばどんな本でも詳しく教えてくれる。男だが皆『吉田さん』と呼ぶ。
そんな吉田さんは無口で愛想がないのだが、なぜだか皆からよく構われている。だが返答が返ってこないことがしょっちゅうで、皆はどうにかして会話をしようと意気込んでいる。
愛美も図書館に通いつめるうち、ようやく普通の会話ができるようになった。とはいっても、明らかに愛美が話す量の方が多いのだが。
返却手続をしている吉田さんに、愛美は口を開いた。
「その本面白かったよ。他にないかな?神話ものって見つけにくくてさ」
「もうない。僕がここで見た中でそれが一番詳しい」
「そっか。吉田さんが言うんだから仕方ないか。じゃあさ、ここら辺で神話ものの本がたくさん置いてある所知らない?」
「……」
返答がない。だがよくあることなので愛美は気にしなかった。
吉田さんが立ち上がり、本を元の所へ返している途中に口を開いた。
「駅前」
「ん?何?」
「駅前の市立図書館。あそこは他より歴史ものが多い」
「成程。また今度行ってみる。ありがと」
吉田さんは元の椅子に座り、再び本を読み始める。いつも違うジャンルを読んでいるが、今日は森鴎外の『舞姫』だった。
ふと、愛美は出ていた課題を思い出す。これから用はないのでやってしまおうと、置いてある机に向かう。いざとなったら吉田さんに教えてもらえる。吉田さんは学年トップなのだ。
愛美以外は誰もいなかった。鞄から教科書を出し、文学の頭から数学の頭脳に差し替え、ノートを開いた。
「平川さん。もしかしてギリシャ神話とかって興味ある?」
動かしていた手を止め、愛美は顔を上げた。
誰かが図書館に入ってきたのは分かっていたが、まさか話しかけられるとは思わなかったのである。
唐突にそう話しかけてきたのは、顔は見たことがあったが名前は知らない男の子だった。
悩んでいた問題がやっと解けて調子が出てきた所だったので、出鼻をくじかれ小さく息を吐いた。
相手の男の子は気にしている様子はない。
スッと目の前に何かが差し出された。それは先程愛美が返却した本だった。
「これの裏のリストにさ、平川さんの名前が書いてあったんだ。この本結構マニアックで珍しいから意外だと思って。他にもここの神話ものの本ほとんど読んでるだろ?俺が借りようとすると絶対平川さんの名前があるんだよなあ」
手に持っていたシャープペンシルを顎に当て、愛美は言った。
「そうね。大体は読みつくしたよ。好きなの」
「俺も好きなんだ。周りに好きな奴いなくてさ」
「そうなんだ。ところで不躾なこと聞いていい?」
「?どうぞ」
「あなた、誰?」
するとしばらくきょとんとした顔をして、次に苦笑いをこちらに向けてきた。
「ひどいなあ。1年の時同じ委員会だったんだけど」
「それは覚えてるのよ。でもほら、私サボってばっかりだったから」
「田池」
その人は言った。
「田池速秋。同じ2年生だよ、平川愛美さん」