表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/18

酒場の女

 二人は部屋を取った宿に併設されている酒場で食事を摂った。

 酒場はたくさんのお客でにぎわっていて、常に誰かの話し声や、食器の音で溢れていた。人混みの間を縫うように、ウエイターたちが忙しく歩き回っている。

 アネットはまた、現実に打ちのめされていた。メニュー見ても、文字が全く読めないよだ。見たこともない文字が並ぶメニューに、そしてその事にこれまで気が付かなかったことに、アネットはまた気が遠くなりそうだった。

 アネットが長年慣れ親しんだ日本語など、もちろんどこにも書かれていない。英語やその他の言語には決して明るくはないが、仮に知識があったとしても、全く役に立ちそうにはなかった。


「あのう、オウエン。私の分も適当に注文してもらってもいいかしら」

「それは構わないが、どうした? 食べたい物があれば遠慮しないでいい。ここまで随分魔物を倒してきたし、換金もできた。まだ余裕はあるぞ」


 オウエンは「安心してくれ」とアネットへ目線を寄越した。アネットは、居たたまれない気持ちがむくむくと膨れていく。


「ありがとう、オウエン。でも、そうじゃないの。わたし、今更気が付いたんだけど、ここの文字が読めなくて……」


 オウエンは狐に摘まれたような表情で一瞬皆目し、すぐに顔つきを元に戻した。アネットはこれからの生活を思うと、ますます気が重くなった。


「そうか、わかった。文字はまた教えよう。読めないと、何かと不便だろう」


 オウエンはアネットに書かれている料理の説明しながら、幾つかの料理と酒を注文した。


 オウエンはザルであった。飲み過ぎる前にやめてしまうだけで、その気になればどんな酒でもいくらでも飲める。アネットが甘いサワーをようやく一杯飲む間に、彼はワインをグラスに四杯飲んでもケロリとしていた。


 こちらの世界のアルコール飲料は、アネットの世界と同じ様な物だった。ビール、ワイン、サワー、リキュールなど、アネットも見知ったものばかりだ。ただ、日本酒だけはヤマシロ酒と呼ばれており、名称が違った。ちなみに、ヤマシロはエズメの故郷だ。

 ちなみに、ヤマシロ酒とよく似たもので、オーツ酒というのもある。こちらはヤマシロ酒よりも辛口である。いずれにせよ、オウエンに飲めぬ酒はない。


 久し振りのまともな食事に二人は舌鼓を打った。ただし、注文して運ばれて来た物は、アネットにとって少しグロテスクではあった。

 アーツの宮殿で出されたものや、トリスタンのアジトで食べていた物は、アネットにとってごく普通の食事だった。それで彼女は少し油断していたのだ。

 まず、コールリッジ名物だというスクワイヤという名の魚のムニエルだ。この魚の皮は黄緑色をしていて、身の色は鮮やかな水色だった。しかも、猫科の動物のような目が四つも付いている。調理法はアネットもよく知るムニエルと同様のようだったが、とにかく見た目が怖い。

 アネットはスクワイヤの外見に、思わず食べるのを躊躇した。けれど、『空腹に勝る調味料はない』とはよく言ったものだ。意を決して一口食べると頬が落ちるほどおいしく、結局ぺろりと食べてしまった。

 他にはパプリカを小さくしたような実と、真っ青なレタスのような葉のサラダ、カボチャのような味のする赤いスープ、米の味がするピンク色のフランスパンのようなバケットなど、見た目に違和感のある料理が並んだ。一見クセのありそうなものばかりだとアネットは思ったが、どの料理も想像以上においしかった。


 一通り食べた後、アネットはトイレに立った。オウエンはナッツのような実をつまみに、食後の一杯を楽しんでいる。ほろ酔いで、鼻歌まで歌いそうなほど上機嫌だった。そこへ派手な身なりの女がひとり、オウエン達のテーブルへ近づいて来た。

 女は身体の線にぴったり沿う、真っ赤な衣装を纏っている。煌びやかで大振りなイヤリングを揺らしながら、女はオウエンの真横に立った。少し屈んで赤く潤んだ唇をオウエンの耳元に寄せると、囁くように声をかけた。


「ねえ、お兄さん。楽しんでる? 」


 女は香水の匂いを漂わせながら、オウエンにシナを作って寄りかかる。オウエンは不愉快そうに眉をひそめ、持っていたグラスをテーブルに置いた。ナッツをつまんで口に放り込むと、身体ごと背けて女を視界から外す。

 女はオウエンの様子など意にも介さず、無造作に長い前髪をかき揚げた。オウエンを追うように脇に回り込んで、彼の腕を抱き込んだ。

 女は唇を少し緩ませて、扇情的に彩られた悩ましい目でオウエンを上目遣いに見上げる。胸元が大きく開いた衣装のせいで、豊満な身体が嫌でもオウエンの目に入った。

 オウエンは顔だけを女に向けると、淡々と言った。


「あいにくだが、妻子のある身だ。他を当たってくれ」

「もう、つれないんだから。でも、お堅いのもわたし、嫌いじゃないわ」


 女はオウエンの腕を離すと、次は背にもたれかかった。手で軽く押しのけて抵抗するオウエンだったが、女はそのまま細いを腕を彼の背から腹に伸ばそうとしている。アドルフだったなら、喜んで誘いに乗っただろうなとオウエンは頭の隅で考えた。


「おい、いい加減に──」

「オウエン……え? あ、あの……」


 オウエンと女がはっとして声の主を見上げた。アネットが戻ってきている。しかし、色仕掛けの最中だ。アネットは随分居心地の悪そうな顔をしていた。


「ア、アネット、これは──」


 オウエンは立ち上がった拍子にワイングラスを倒し、テーブルクロスがぶどう色に染まった。面白いほど動揺し狼狽えるオウエンに、女は興醒めした。女は自らさっと離れると、アネットを睨みつける。


「フン、本当にいたのかい。とんだ無駄足だよ」


 心底つまらなそうな表情で捨てぜりふを残し、女は酒場の喧騒に消えていった。詳細はよくわからなかったものの、アネットはあっけに取られながら女を見送る。そして、いまだ落ち着かないオウエンに視線を戻した。


「大丈夫……? 」

「あ、ああ……すまなかったな」


 オウエンは一気に酔いが覚めた。疲れた顔で倒れたグラスを掴み、ボトルから残りの酒注ぐと一気に飲み干した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ