Should we review education?
訳:教育を見直すべきだろうか?
「助動詞『る・らる』の意味は受身・可能・自発・尊敬……」
「古典の勉強ね」
ここは二年生の教室のひとつ。新井浩太は古典の勉強をしていた。そろそろ、期末試験も近いので居残ってやる人が多くなっている。そこに、島津陽正がやってきた。
「島津はやらなくていいのか?」
「古典は受験で使うつもりはあるけど、今は最低限しかやらん」
どうやら勉強するために、残っているわけではないようだ。
「んじゃ、どうして教室に残っているんだ?」
「俺にはやることがある。ただ、それだけのことさ」
そういうと、陽正は鞄を持って教室から出て行った。
(なんだ、やっぱり帰るのか?)
浩太はそう思ったが、また勉強に集中することにした。
確かに陽正には用事があった。
「失礼します」
職員室にいくと、どの先生も忙しそうだった。試験前なのだから当然だった。オマケに試験前なので、職員室には入り口付近以外は立ち入り禁止なのである。したがって、先生を呼ぶときには……。
「植野先生、いらっしゃいますか?」
と、呼ぶしかないのである。そして、今回その植野先生はいたようである。年齢四十を超え、少々メタボリック気味であることを気にしている植野先生。専門は化学にして、意外と知識量は多いことで知られている。
「先生、先日の実験のレポートができたので提出したいのですが」
「ああ、島津君か、どれどれ」
植野先生は、陽正から渡された実験レポートをパラパラと見る。
「うんうん……さすがは島津君だね。毎回良くできているよ」
「そうですか、レポートはいつ返却されますか?」
「明日にでも、担任の先生に渡しておくよ」
「では、失礼します」
陽正はそういうと、職員室から退室した。
「失礼しました」
そして、そのまま一人で下校する。学校から駅までは徒歩十分ほどである。その道の途中にある本屋に必ず寄るのが彼の日課でもある。新書が入ってなくとも、立ち読みが可能なので三日に一冊ほどのペースで読んでから帰っている。
(この本、欲しいけど――)
陽正は財布をそっと見る。中にあるのは、先月まで買った本のレシート、そして様々なカードに、百四十二円のみであった。
(諦めるしかないか)
彼はしばらく本を読むことにした。
そして、気がつけば、日が暮れかかっていた。陽正は書店から出て、再び美しが丘駅に向かって歩く。さすがにもう生徒は歩いている時間ではないようだ。
(試験のための勉強だなんて、意味が無さ過ぎる)
見慣れた道路、見慣れた建物、見慣れた晴空。全てがつまらない『日常』だった。入学当初の初々しさなど欠如した生活。人を人と思わなくなってきている自分に恐怖を覚えた時期もある。今はそのときほど、他人に対して無関心ではなくなってはいるが。
しかし、世の中に対しては相変わらずの認識を持っている。それは、『世の中は、欲望と陰謀に渦巻いているうす汚く暗い社会の塊』というものだ。最近、ニュースで殺人、強盗など心無い事件が相次いでいる。そして、政府高官などの公務員の脱税、賄賂、犯罪……。ニュースにならないまでも、ごみを平気で捨てる人や学校内での苛め、差別。
昔の中国にいたという荀子の性悪説の話を知ったとき、陽正は今でも忘れない。性悪説こそ、人の心理を表した論説なのだ、と。そのため、彼は世の中に対しては、堕落しつつあった。
(結局は、俺の独り善がりで傲慢な性格から生れた考えなのかもな)
だとしても、やはり世の中の人が一斉に善人になれるはずもない。陽正は『自分』というものをよく知らない。多忙で退屈な毎日に埋もれた『自分』などに関心が持てないからだ。今あるこの体は、誰か別の人間が中に入り込んで、コントロールしているのではという考えもよぎるのだ。
ふと見ると、駅はもう目の前のところにあった。夏なので、まだまだ熱気が十分残っていたが、陽正にとってはそれは些細なことだった。バスロータリーを抜け、駅構内に入ると、北口から南口へとさっさと通り抜ける。美しが丘高校やデパートがある北口に比べ、南口はひっそりとしている。陽正はそのまま帰宅するのであった。
風呂の中。口からもれ出てくる空気の泡がゴボゴボと音をたてながら、昇っていく。息苦しくなった陽正は顔を水面から出す。天井の水滴が落ちてきて、ポチャンと音を出す。
「ふぅ……」
陽正はそのまま、また顔をお湯の中に突っ込む。ゴボゴボと音を立てる風呂。
(どうしたら、人は良くなるのだろうか)
彼はもう一度、顔をお湯から出す。呼吸を整える音のみが、バスルームで反響する。そして、ゆっくりと風呂に浸かることにする。
「どうするんだろうな」
陽正にとって、試験よりもこっちを考えるほうがいいようだ。
(人が変わるには、やはり性悪説のように、教育に頼るべきなんだろうか)
だとすると、どのように変えるのがいいのだろうか。その前に、なぜ今の教育では駄目なのだろうか。現在の教育制度がどのようなものかは具体的には陽正は知らない。しかし、いえることは昔よりもわがままで乱暴な性格の子供が増えつつあることだ。陽正自身、聖人君子ではないのであまり言えないのであるが、彼以上にエゴの塊が大きくなっているようである。
そのため、成人してもなかなかその子供的性格に基づく思考、行動が直らないようである。そんな大人にするために教育をしているわけではないはずだ。では、何がいけないのだろうか。
それは、学校の先生がどんな状況であろうと体罰が出来なくなったことが大きな原因の一つに当たると思う。体罰とは、悪いことをしたら肉体に直接苦痛を与えるものである。例えば、昔は窓ガラスを割れば、確実に叩かれていたであろう。しかし、今の教育現場ではその体罰が消え去ってしまったようだ。なぜかといえば、殴ればPTAが黙ってはいないからだ。
あの疲れ切っているであろうおばさん集団のどこにそんな力があるのかは知らないが、以前美しが丘高校でも、体罰をした先生に対し、訴えて辞職にまで追い込んだことがあるらしい。それから、校内では体罰がみられなくなったらしい。そうして、苦痛の無い自由な場所に子供がいれば何をするだろうか。『自由=自分のわがままが通る』と勘違いしている小学生や中学生は、好き勝手に行動するだろう。それを苦痛によって、縛り付けられないため、生徒は調子に乗ってエスカレートしていく。止めるものがいないため、彼らは自己増殖を行い、仲間を増やし、そして大きくなっていくのである。
(ああ、嫌だなぁ)
そこまで考えて陽正はそんなことを考える自分に嫌気をさす。何だかんだ言っても、やはり陽正も堕落していても人である。人について考察すればするほど、気分も悪くなるものだ。
(あんまり浸かっていても、のぼせるだけだな。出るか)
陽正は、風呂から上がった。しかし、このとき、彼は一つのミスを犯していた。気づけば風呂に二時間も入っていたのである。そのため、既にのぼせていたのだが、それに気づいていなかったために――。
「あっ」
クラクラする重い頭から、バスルームの床にへばりつく。
「気持ち悪い」
のぼせたことがある人にはわかるだろうが、本当にのぼせると気分が悪くなる。時には戻してしまうこともあるそうだ。
「うぅ……」
陽正はそのまましばらくへばっているほか仕方が無かった。その結果は……。
「は、は……ハクション!」
ズズッと鼻水をすすりながら、陽正は勉強をしていた。どうやら、体を冷やしたために、季節外れの風邪を引いてしまったようだ。
(くそ、もう、風呂で考え事するのはコリゴリだ!)
「は、ハクション!」
終