The vibrating rain brings imagination
訳:震える雨は想像力を駆り立てる
雨、それは彼――島津陽正にとってもっとも嬉しい天気である。何故なら、晴れの時は大気だけでなく自分の心までもが太陽の陽の下に晒されるからである。
雨はすべてを洗い流してくれる。
自分の思考、過去、思い、そして未来までも……雨がすべて流してくれる。彼はそう信じている。
今日も土砂降りの雨であった。陽正は外をぼーっと眺めているだけであったが、雨を見ているだけでどこか癒される……。いやそんな低俗な言葉では表せないような感覚に包まれるのである。
そんな彼の意識を戻す声がした。振り向くとそこに立っていたのは、親友の新井浩太だった。
「何ぼーっとしているんだ?」
浩太の声がどこか遠くから聞こえる感覚。
「いや、雨を見ていたんだ」
自分の声ですら一光年先から聞こえるかのように感じる。彼はそう言うと、また雨を見だした。浩太はやれやれといったように教室を出て行った。
陽正は特に部活には入っていない。だが、帰る気にもならない。なので、今日は用事もないのでここでしばらく雨を見ることにした。
雨の音だけが教室に届く。空気を振動させ、陽正の耳に届く。そして、彼の精神はより深くなる。
(俺はこうやって無駄に生きてきたのは、何故だ?)
雨はどんどん空気を強く振動させる。
(無駄に肉体という檻に囚われ、わざわざ生きることで時間による苦痛に耐えなければならない)
教室には相変らずの雨の音。陽正は自分から一番近い窓を開ける。
(なら、なぜ人は肉体から魂を解放するために死のうとは思わないのか?)
その瞬間、雨が自分に降り注ぐ。
(人は自分の存在価値を証明するために生きたいのか?)
彼はその雨を避けようともせず、むしろ歓迎するかのように手を広げる。雨は体を濡らす。
(それとも、人は縛られたい存在なのだろうか?)
風が物凄い勢いで彼の体から急速に体温を奪っていく。今は夏だが、下手をすれば風邪も引く。だが、彼にとってそんなことは些細なことのようだ。
(自分を縛り付ける何かを求めて、生きるのだろうか?)
「だとすれば、人間って愚かだな……」
つい口に出た言葉だったが、それが真理のようにも思えた。しかし、それから何も思い浮かばなくなった。頭の中では何もかもが思い浮かぶのに、それを言葉に変換し出力するだけで無味乾燥になる。
つまり、想像を言葉にすれば、それだけ本来の意味が薄れてしまうのである。
体が震えた。風邪を引きたくないので窓を閉める。
「あ……」
そう。この行為自体が、先ほどまで彼が考えていた愚かな行為だ。肉体を捨てれば楽になれる。だが、それなのに、風邪なんていう些細なことを気にした彼自身もまたやはり人間であるのだ。
「ふ、ふっふっふ――」
それに気がついた彼は、自分自身を嘲笑するために笑い始めた。
「あっははは……!」
雨が窓を強く叩く。その音は変わらずに教室に響く。
「おい、島津、そろそろ帰ろうって、お前、ビショビショだな」
「ああ、雨に当たっていたんだ、気持ちいいぞ、風邪引きそうだけど」
部活から帰ってきた浩太はまだ汗が流れるその顔をタオルで拭いていた。だが、自分よりも濡れている陽正を見て、驚いたようだ。そんな彼とは対照的に、陽正は冷静だった。
「な、なら、早く帰って風呂で温めないと本当に風邪引くぞ」
「ああ、そうするか、帰ろう」
そして、二人は電気を消して、教室を出た。ドアは閉まり、音を反響させて、消えた。足音がどんどん遠ざかっていく。やがて、廊下の電気も消えた。
それでも、なお雨は降り続く。
教室に残る雨の音は、まるで世界の終わりまで響くようだった。陽正が開けた窓の付近は濡れている窓からわずかに入る光によって、それは見えない星のようにキラキラと光る。
だが、誰もこの教室のことを知らない。そう、浩太も陽正も……。人間には分からない情景が、そこに濃縮されていた。
雨は相変わらず降っている。
終