第一話(作者:大岸都心)
25世紀―――――――
かつて人類が想像した未来の状況とはどのようなものだっただろうか?
例えば遠くない未来に比較的仲の悪い隣国と戦争しお互いが疲弊したのち大量破壊兵器に国を焼かれ死の大地となったなどの悲劇的な様相を呈したものや、あるいはそれこそ昔の作家の妄想により塗り固められ作られた御伽噺の様な明るく、優れ、希望に満ちたものであったものかもしれない。
いや、実際そのような事を全人類が思っていたかどうかまでは分からないが今この25世紀に繋がる歴史や資料(中身のない雑誌や少年たちが手にしていたであろう漫画、映像データなど)が少なくとも一部の人間がそのように思っていた事を物語っている。
だがしかし、その世代の人間がどのような夢を見た人間がいたとしても現実というものは対してドラマチックにできているわけでもなく唯々そこに在るばかりに過ぎない。それは近代史の資料に書かれている数世紀でいくらかの国が滅亡したとか平均寿命が落ち込み人類は高齢化社会を脱したとかの文字がまるで楔のような文字で踊っていたとしてもその事実は別に個人にとっては重要ではなく、他の記憶しなければならない情報の一つでしかない。
ふと、そばにある時計に目を移す。時計がもう就寝すべきである数字をとっくに超過している。
この時計、数世紀前に製造され現在では使用されているものではないが最近になり企業の販売戦略として復刻され新しく作られたものだ。(復刻と銘打ちながら真似たのは外観だけで素材は別物で内装は市販されている時計と変わらないのはきっと皮肉だろう。販売数は振るわなかった事も含めて)
しかし、このような物の方が先ほど目を通していた唯の情報を示す資料よりも幾分か過去に触れている感じがする、それはきっと数世紀たっても視覚がそのデザインに惹かれる事がなにより過去と今を結び付けていると考えさせうるからだろう。