毒薬令嬢と呼ばれ婚約破棄されたので、薔薇の首飾りに仕込んだ「甘い毒」の解毒権ごと国を出ていきます ~前世は薬剤師、あなたたちの命綱を握っているのはこの私だったんですけど?~【短編・ざまぁ完結】
「毒薬令嬢。お前との婚約を破棄する」
卒業式の夜。まばゆいシャンデリアの下、王太子ジークベルトの声が大広間に響き渡った。
「人を薬漬けにし、王家を毒で操ろうとする悪女め。もはや貴様に王太子妃の資格などない」
扇子の陰で息を呑む令嬢たち。ざわめきが波のように広がっていく。その中心で、わたし――リーゼロッテ・フォン・アーレンハイムは、ただ静かに立っていた。
(ああ、やっぱりこうなったのね。むしろ、よくぞここまで持ったものだわ)
心のどこかで、こうなる予感はしていた。感心すらしている。
ジークベルトの隣には、栗色の巻き毛を揺らす男爵令嬢アメリア。潤んだ瞳で、いかにも「怖くて震えています」とばかりに王太子の腕に縋りついている。
「ジークベルト様……わたくし、怖くて……。あの方の作るお薬、いつも変な匂いがして……」
「案ずるな、アメリア。アメリアが教えてくれたのだ。お前が調合していたあの薬――あれは毒だとな」
(毒、ねえ。毎月あなたが発作で死なないように、夜通し薬草をすり潰していたのはどこの誰でしたっけ)
甘い香りの結晶を煮詰め、揮発しないよう温度を測り、指を火傷しながら作り上げてきたあれを――「毒」と。
「何か申し開きは? あるなら聞いてやろう」
ジークベルトが勝ち誇ったように顎を上げる。
わたしは、ゆっくりと首元に手を伸ばした。
甘い薔薇の香りを放つ、結晶のペンダント。国宝級の解毒薬『薔薇の首飾り』。
「……そうですか。では、これはお返しします」
その瞬間、彼らの誰一人として――自分たちの命綱を、たった今、自ら手放したことに気づいてはいなかった。
◇
留め金を外す。ひやりとした結晶が、手のひらに落ちた。
「リーゼロッテ、聞いているのか。お前は――」
「わたし、もう我慢するのをやめます」
わたしが静かに遮ると、ジークベルトが虚を突かれたように口を閉じた。
「な……なんだと?」
喚かない。泣かない。取り乱しもしない。
「喚きも、泣きも、いたしません。断罪される悪女は床に膝をついて許しを乞うもの――そうお思いでしたか?」
わたしは微笑んだ。淑女らしく、穏やかに。
「生憎、わたしにはそんな趣味はございませんの」
(前世でも、理不尽なクレームには淡々と対応するのが一番効くのよ)
前世――現代日本の薬剤師、莉世。幼い頃の高熱を境に蘇ったその記憶が、わたしの背骨になっている。以来、薬草学と化学の知識を駆使して、王家の先祖伝来の遅効性血族毒を、秘密裏に抑え込んできた。
薔薇の首飾りを、王太子の足元にそっと置く。カツン、と乾いた音が大理石に響いた。
「聖女様の御力があれば、もう毒薬令嬢など不要でしょう」
アメリアの肩が、ぴくりと跳ねた。
(なに、この人……なぜ、こんなに落ち着いて……?)
「どうぞ――御自愛を」
最上級の慇懃さで、わたしは深く礼をする。
この首飾りが、もう空の抜け殻であることを。本物の解毒の鍵が、わたしの頭の中にしかないことを。
誰も、知らない。
「ふん、これで清々した! 二度とその顔を見せるな!」
(解毒薬を突き返されて喜ぶ患者、初めて見たわ。……さようなら。もう、振り返らない)
くるりと踵を返す。ドレスの裾が、床を舞った。
この国に、わたしの居場所はない。公爵家でさえ、庶子の弟に家を継がせる密約が交わされている。
身一つで、出ていこう。誰も、わたしを必要としない場所から。
◇
王都を出て、馬車を乗り継ぎ、辿り着いたのは辺境の街。
荒くれ者の冒険者たちが行き交う、王侯貴族の世界とは真逆の場所だった。
「あんた、薬が作れるって? 口だけならなんとでも言えるけどねえ」
ギルドの受付で、そばかすの散った赤茶色の髪の女性が、無遠慮にわたしを見上げた。まとめ役のハンナだ。
「ええ。傷薬でも、解毒薬でも、魔物素材の精製薬でも。では、そこの怪我をした方に」
カウンターの隅で、腕から血を流してうめいている冒険者がいた。
「うっ……ぐ……もう魔力切れだって言われて……こんな傷、どうにもならねえよ……」
「動かないでくださいね。……はい、これで塗り込みます」
前世の知識で選び抜いた配合。傷口に塗ると、みるみるうちに出血が止まった。
「――嘘だろ、痛みが引いた!? 血も止まってる……!」
ざわり、とギルドが揺れた。ハンナがぽかんと口を開け、それから、にやりと笑う。
「気に入った! あんた、うちで薬師やりな。名前は?」
「リーゼ、とだけ」
貴族の名は、もう捨てた。
「よし、リーゼ! 今日からあんたは『辺境の薬師様』だ!」
その日から、わたしの薬は飛ぶように売れた。眠れぬ夜に効く鎮静薬、魔物の毒を消すポーション、傷の膿を止める軟膏。
誰かに「毒」と罵られることもなく。ただ、実力と人柄だけで、対等に評価される。
(ああ……こんなに、息がしやすいなんて)
そんなある夜のこと。ギルドの薬房の扉が、乱暴に叩かれた。
現れたのは――隈だらけの顔をした、六尺を超える大男だった。
◇
「……眠れる薬を、くれ」
深紅の瞳が、ぎらぎらと血走っている。黒銀の髪は乱れ、右腕から首筋にかけて、竜の鱗を思わせる古傷が走っていた。
「あ、あんた、あれだよ! 紅竜将軍アルヴィス様! なんでこんなとこに……!」
扉の外でハンナが小声で叫ぶ。『冷酷無双の紅竜将軍』――戦場で無表情に敵を薙ぎ倒す、竜血を引く辺境伯。
その恐怖の将軍が、今、縋るような目でわたしを見ている。
(あら。この人、ものすごい不眠だわ)
薬剤師の目が、瞬時に彼の状態を見抜く。
「……何年、眠れていないのですか」
「……数えていない」
「古傷も、痛むのですね」
「……なぜ、それを」
「肩の強張りと、手の震えが教えてくれます。これを、寝る前に。竜人の体力を考えて三倍量です」
大男は、疑わしげに薬包を受け取った。
「……効かなかったら、どうする」
「効きます。わたしの薬は、患者を裏切りませんので」
それは、王都で「毒」と罵られてなお、曲げなかった矜持だった。
アルヴィスは、しばらくわたしを見つめ――そして、何も言わずに去っていった。
翌朝。ギルドの扉が、また開いた。
「……眠れた。何年ぶりか、わからないほど。だから……その、また来る」
そう言って、彼はぷいと横を向く。耳が、ほんのり赤かった。
(え。この人、こんなに可愛かったの? 耳、真っ赤じゃない)……ええ、お待ちしておりますね。
こうして、冷酷無双の将軍は、辺境の薬房の常連客になったのだった。
◇
アルヴィスは、律儀に通ってきた。
薬を受け取るだけならすぐ帰ればいいのに、なぜか薬房の隅の椅子に座り込み、わたしが調合する様子を眺めている。
「……何を作っている」
「解毒ポーションです。沼地で毒沼蛇が出たと聞きましたので」
「ふん」
会話は、いつもそっけない。けれど、彼が来ると薬房が少し暖かくなる気がした。
そんなある晩。遠征帰りのアルヴィスが、ふらりと現れ――そのまま、椅子で眠り込んでしまった。
(まあ、眠ってしまわれたわ。よほどお疲れなのね……起こすのも忍びないわね)
気づけば、夜が明けていた。そして――わたしは硬直した。
(……って、いつの間にわたしの膝で! しかも子供みたいに丸くなって!)
あの偉丈夫が、わたしの膝元で子供のように丸くなって眠っていたのだ。数年分の眠りを取り戻すように、すやすやと。
やがて、ゆっくりと彼の瞼が開いた。
「――なっ、こ、これは違う! 俺は、その……!」
がばりと飛び起き、ぷるぷると震えている。冷酷無双の将軍が。
「ふふ。よく眠れましたか?」
「うるさい! ……いや、その……」
彼は、ぐっと言葉に詰まった。そして、絞り出すように呟く。
「……お前がいないと、俺は眠れない」
(うわ。不意打ちすぎるでしょう、それ)
不覚にも、胸が跳ねた。
ずっと道具として扱われてきたわたしを。「毒薬令嬢」と罵られてきたわたしを。この人は、まっすぐに「必要だ」と言ってくれる。
「……なら、ずっと、そばで薬を作ります。あなたが、ちゃんと眠れるように」
「……っ、そ、そうか」
アルヴィスの耳が、また赤くなった。
その頃、遠い王都で。王太子ジークベルトが、突然、胸を押さえて崩れ落ちたことを――わたしはまだ、知らない。
◇
王都は、混乱の渦中にあった。王太子ジークベルトが、原因不明の発作で倒れたのだ。
「ぐっ……あ……胸が……痛い……!」
「ジークベルト様! いま、聖女の力を……! さあ、癒しの光を――」
寝台の傍らで、アメリアが両手をかざす。柔らかな光が王太子を包み――一瞬、顔色が良くなった、かに見えた。
だが。
「……効かぬ。また、痙攣が……なぜだ、なぜ効かん!」
光が消えるや否や、ジークベルトは再び苦悶に喘いだ。むしろ、先ほどより顔色が悪い。
「な、なぜ……わたくしの聖女の力が……!」
アメリアの声が、上ずる。額には、脂汗が浮いていた。
そのとき、部屋の扉が開いた。鑑定スキルを持つ高位神官テオバルトが、厳格な相貌で歩み入る。
「畏れながら。わたくしに、殿下を鑑定させていただきたい」
止める者はいなかった。宮廷医たちは、すでに匙を投げていたのだから。
テオバルトが、静かに手をかざす。深い皺の刻まれた双眸が、青白く輝いた。長い、沈黙。
「これは……王家の血に流れる、遅効性の毒。先祖伝来の、血族毒」
どよめきが走った。
「そして――長年、何者かが解毒し続けていた痕跡がある。ここ数月で、その解毒がぱたりと途絶えている」
数月前。その言葉に、朦朧とする王太子の頭の奥で、ひとつの光景が蘇った。
卒業式の夜。足元に置かれた、薔薇の首飾り。淑女の礼と、穏やかな微笑み。『どうぞ――御自愛を』
「……数月前……まさか……まさか、あの女が――リーゼロッテが、余を……生かして、いたのか……?」
そして、テオバルトの鑑定の眼が、次に捉えたもの。それは、寝台の傍らで凍りついている、聖女アメリアだった。
「――ほう。そこの娘。そなたの『聖女の力』。それは、癒しなどではないな」
◇
王家主催の『快気祈願』――そのはずだった催しは、公開審理へと姿を変えた。
大広間には、貴族たちがひしめいている。中央には、青ざめた顔で担架に横たわるジークベルト。その傍らに、震えるアメリア。そして、証言台に立つ高位神官テオバルト。
「聖女アメリアの力の正体を、鑑定によって解き明かした。あれは癒しの魔法ではない。他人の体力を吸い上げ、己の魔力に変える――禁術だ」
悲鳴のようなどよめき。
「表面の症状を一時的に消して見せる。だがその実、患者の生命力を削り取っている。殿下の毒症状を悪化させていたのは――この娘、その人だ」
テオバルトの指が、まっすぐアメリアを指した。
「ち、違います! わたくしは、聖女で……! そんな、鑑定なんて、でたらめです! わたくしは無実です!」
「鑑定は、偽れぬ」
一言で、アメリアの言い訳は封じられた。崩れ落ちる偽聖女。
担架の上で、ジークベルトが呻いた。
「では……薔薇の首飾りは……毒では、なかったのか」
テオバルトが、静かに頷く。
「あれは解毒薬の触媒。甘い香りは、解毒結晶が揮発する匂い。毒どころか、殿下の命綱そのものであった」
『良い香りでしょう?』
かつてリーゼロッテが微笑んで言った言葉が、今、残酷なほど鮮明に、王太子の記憶に蘇る。
「余は……余は、命の恩人を……悪女と呼んで、追放したのか……?」
答える者は、いなかった。そして、王家は青ざめた。
血族毒を抑えられるのは、リーゼロッテただ一人。彼女が去り際に残した調合ノートは、暗号で綴られ、どの学者も解読できなかった。足元に返された首飾りは――解毒能力を失った、空の抜け殻。
「早く……早くリーゼロッテを呼び戻せ! あの女の作ったノートを解読しろ! 余が、死んでしまう!」
「……あのノートは暗号で綴られ、どの学者も解読できませなんだ。本物の鍵は、彼女の頭の中にしか、存在せぬのです」
ジークベルトの叫びが、虚しく大広間に響いた。
だが、辺境で穏やかに薔薇茶を淹れる彼女に、その声は届かない。――届けたところで、もう遅い。
◇
辺境の薬房に、王都からの使者が駆け込んできたのは、うららかな昼下がりのことだった。
「薬師リーゼ様! いえ、リーゼロッテ様! どうか、どうか王都へお戻りを! 王太子殿下の御命が――!」
泥まみれ、汗まみれの使者が、床に額をこすりつける。
わたしは、薔薇の香りのする茶を、ゆっくりと淹れていた。手を止めず、湯気の向こうで、静かに微笑む。
「あら。王太子殿下は、確か仰いましたよね」
ことり、と茶器を置く。
「わたしの薬は『毒』だと。人を薬漬けにする悪女だと。公衆の面前で」
「そ、それは……!」
「毒だと仰ったのは、そちらでは?」
穏やかな声。だが、使者は打ちのめされたように言葉を失った。
「わたしは、ただの毒薬令嬢ですもの。毒しか作れませんわ。殿下の御命を救えるはずが、ありません。聖女様に、お任せを。あの方の御力があれば、毒薬令嬢など不要なのでしょう?」
「アメリアは……禁術の露見で、断罪されました……! もう、殿下を救える者は、あなた様しか……!」
わたしは、静かに首を横に振った。
(さて。ここからが、本題ね)
「――お戻りは、いたしません」
「そんな……!」
「ですが、薬を『商品』として、お売りすることはできます。対等な契約として。わたしを道具ではなく、一人の薬師として遇するのであれば」
使者が、はっと顔を上げた。
「価格は、こちらが決めます。供給量も、条件も。従えぬのであれば――どうぞ、他をお当たりください。もっとも、この暗号ノートを解ける方が、いればの話ですけれど」
わたしは、もう誰かの命綱にはならない。誰かに握られる道具にも、ならない。自分の意志で。自分の値段で。必要としてくれる場所にだけ、薬を届ける。
そのとき、薬房の扉が音を立てて開いた。
「――おい。うちの薬師に、無理を言っているのは、どこのどいつだ」
低い、地を這うような声。六尺を超える偉丈夫が、深紅の瞳を眇めて仁王立ちしていた。紅竜将軍アルヴィス。
その背後で、ハンナが腕まくりをして叫ぶ。
「うちの薬師様は、誰にもやらないよ! お引き取り願おうか!」
「ひっ……りゅ、竜将軍……!」
使者は、蒼白になって後ずさった。
(まったく。頼もしい護衛たちだこと)ふふ、聞かれたとおりです。どうぞ、お引き取りを。
◇
使者が帰った後の薬房は、いつもの静けさを取り戻していた。夕暮れの光が、棚に並ぶ薬瓶を琥珀色に染めている。
アルヴィスは、決まりの悪そうな顔で、薬房の隅に立っていた。
「……王都に、戻るのか」
いつも堂々としている紅竜将軍が、まるで叱られるのを待つ子供のように、こちらを見ないでいる。
(ああ。この人、不安なのね)戻りません。わたしの居場所は、ここですから。
アルヴィスの肩が、目に見えて緩んだ。
「……そうか」
そして、彼は意を決したように、こちらへ向き直った。深紅の瞳が、まっすぐにわたしを捉える。
「リーゼ。……ここに、いてくれ」
短い言葉。飾りのない、不器用な告白。でも、それはきっと、この人が持てる限りの、精一杯の勇気だった。
わたしを「毒薬令嬢」ではなく。「道具」でもなく。ただ、そばにいてほしい一人の人間として、求めてくれる言葉。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「――少し、屈んでくださいますか」
「? ……こうか」
訝しげに、けれど素直に、大男が身を屈める。
わたしは、懐から取り出した首飾りを、そっと彼の首にかけた。甘い薔薇の香りを放つ、結晶のペンダント。
かつて王太子に突き返した、あの『薔薇の首飾り』――ではない。これは、アルヴィスのためだけに、新しく調合し直した本物。彼の古傷を癒やし、深い眠りを守る、わたしの技術のすべてを込めた首飾り。
「今度は、ちゃんと『解毒』のためだけに。あなたの痛みも、眠れぬ夜も、これがぜんぶ解いてあげます」
アルヴィスが、首元の結晶に触れ、それから、くしゃりと顔を歪めた。照れているのだ。
「……甘い、香りがする」
「ええ。甘いでしょう?」
(薔薇には、毒がある。けれど、その香りは――解毒のためにこそ、あるのだから)
そのとき、遠く、王都からの使者が、再び辺境の門を叩く音が聞こえた。二度、三度と。
「……また、門を叩く音がする。王都の使者だろう」
「ええ。きっと明日も、明後日も。でも、わたしはもう、振り回されません。ここで、あなたと」
ここで、この人と。自分の意志で選んだ場所で。新しい薬を、また調合する。
二人の物語は、ここから始まる。
(さて。次は、どんな薬を作りましょうか)




