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毒薬令嬢と呼ばれ婚約破棄されたので、薔薇の首飾りに仕込んだ「甘い毒」の解毒権ごと国を出ていきます ~前世は薬剤師、あなたたちの命綱を握っているのはこの私だったんですけど?~【短編・ざまぁ完結】

作者: uta
掲載日:2026/07/07

「毒薬令嬢。お前との婚約を破棄する」


卒業式の夜。まばゆいシャンデリアの下、王太子ジークベルトの声が大広間に響き渡った。


「人を薬漬けにし、王家を毒で操ろうとする悪女め。もはや貴様に王太子妃の資格などない」


扇子の陰で息を呑む令嬢たち。ざわめきが波のように広がっていく。その中心で、わたし――リーゼロッテ・フォン・アーレンハイムは、ただ静かに立っていた。


(ああ、やっぱりこうなったのね。むしろ、よくぞここまで持ったものだわ)


心のどこかで、こうなる予感はしていた。感心すらしている。


ジークベルトの隣には、栗色の巻き毛を揺らす男爵令嬢アメリア。潤んだ瞳で、いかにも「怖くて震えています」とばかりに王太子の腕に縋りついている。


「ジークベルト様……わたくし、怖くて……。あの方の作るお薬、いつも変な匂いがして……」


「案ずるな、アメリア。アメリアが教えてくれたのだ。お前が調合していたあの薬――あれは毒だとな」


(毒、ねえ。毎月あなたが発作で死なないように、夜通し薬草をすり潰していたのはどこの誰でしたっけ)


甘い香りの結晶を煮詰め、揮発しないよう温度を測り、指を火傷しながら作り上げてきたあれを――「毒」と。


「何か申し開きは? あるなら聞いてやろう」


ジークベルトが勝ち誇ったように顎を上げる。


わたしは、ゆっくりと首元に手を伸ばした。


甘い薔薇の香りを放つ、結晶のペンダント。国宝級の解毒薬『薔薇の首飾り』。


「……そうですか。では、これはお返しします」


その瞬間、彼らの誰一人として――自分たちの命綱を、たった今、自ら手放したことに気づいてはいなかった。



留め金を外す。ひやりとした結晶が、手のひらに落ちた。


「リーゼロッテ、聞いているのか。お前は――」


「わたし、もう我慢するのをやめます」


わたしが静かに遮ると、ジークベルトが虚を突かれたように口を閉じた。


「な……なんだと?」


喚かない。泣かない。取り乱しもしない。


「喚きも、泣きも、いたしません。断罪される悪女は床に膝をついて許しを乞うもの――そうお思いでしたか?」


わたしは微笑んだ。淑女らしく、穏やかに。


「生憎、わたしにはそんな趣味はございませんの」


(前世でも、理不尽なクレームには淡々と対応するのが一番効くのよ)


前世――現代日本の薬剤師、莉世。幼い頃の高熱を境に蘇ったその記憶が、わたしの背骨になっている。以来、薬草学と化学の知識を駆使して、王家の先祖伝来の遅効性血族毒を、秘密裏に抑え込んできた。


薔薇の首飾りを、王太子の足元にそっと置く。カツン、と乾いた音が大理石に響いた。


「聖女様の御力があれば、もう毒薬令嬢など不要でしょう」


アメリアの肩が、ぴくりと跳ねた。


(なに、この人……なぜ、こんなに落ち着いて……?)


「どうぞ――御自愛を」


最上級の慇懃さで、わたしは深く礼をする。


この首飾りが、もう空の抜け殻であることを。本物の解毒の鍵が、わたしの頭の中にしかないことを。


誰も、知らない。


「ふん、これで清々した! 二度とその顔を見せるな!」


(解毒薬を突き返されて喜ぶ患者、初めて見たわ。……さようなら。もう、振り返らない)


くるりと踵を返す。ドレスの裾が、床を舞った。


この国に、わたしの居場所はない。公爵家でさえ、庶子の弟に家を継がせる密約が交わされている。


身一つで、出ていこう。誰も、わたしを必要としない場所から。



王都を出て、馬車を乗り継ぎ、辿り着いたのは辺境の街。


荒くれ者の冒険者たちが行き交う、王侯貴族の世界とは真逆の場所だった。


「あんた、薬が作れるって? 口だけならなんとでも言えるけどねえ」


ギルドの受付で、そばかすの散った赤茶色の髪の女性が、無遠慮にわたしを見上げた。まとめ役のハンナだ。


「ええ。傷薬でも、解毒薬でも、魔物素材の精製薬でも。では、そこの怪我をした方に」


カウンターの隅で、腕から血を流してうめいている冒険者がいた。


「うっ……ぐ……もう魔力切れだって言われて……こんな傷、どうにもならねえよ……」


「動かないでくださいね。……はい、これで塗り込みます」


前世の知識で選び抜いた配合。傷口に塗ると、みるみるうちに出血が止まった。


「――嘘だろ、痛みが引いた!? 血も止まってる……!」


ざわり、とギルドが揺れた。ハンナがぽかんと口を開け、それから、にやりと笑う。


「気に入った! あんた、うちで薬師やりな。名前は?」


「リーゼ、とだけ」


貴族の名は、もう捨てた。


「よし、リーゼ! 今日からあんたは『辺境の薬師様』だ!」


その日から、わたしの薬は飛ぶように売れた。眠れぬ夜に効く鎮静薬、魔物の毒を消すポーション、傷の膿を止める軟膏。


誰かに「毒」と罵られることもなく。ただ、実力と人柄だけで、対等に評価される。


(ああ……こんなに、息がしやすいなんて)


そんなある夜のこと。ギルドの薬房の扉が、乱暴に叩かれた。


現れたのは――隈だらけの顔をした、六尺を超える大男だった。



「……眠れる薬を、くれ」


深紅の瞳が、ぎらぎらと血走っている。黒銀の髪は乱れ、右腕から首筋にかけて、竜の鱗を思わせる古傷が走っていた。


「あ、あんた、あれだよ! 紅竜将軍アルヴィス様! なんでこんなとこに……!」


扉の外でハンナが小声で叫ぶ。『冷酷無双の紅竜将軍』――戦場で無表情に敵を薙ぎ倒す、竜血を引く辺境伯。


その恐怖の将軍が、今、縋るような目でわたしを見ている。


(あら。この人、ものすごい不眠だわ)


薬剤師の目が、瞬時に彼の状態を見抜く。


「……何年、眠れていないのですか」


「……数えていない」


「古傷も、痛むのですね」


「……なぜ、それを」


「肩の強張りと、手の震えが教えてくれます。これを、寝る前に。竜人の体力を考えて三倍量です」


大男は、疑わしげに薬包を受け取った。


「……効かなかったら、どうする」


「効きます。わたしの薬は、患者を裏切りませんので」


それは、王都で「毒」と罵られてなお、曲げなかった矜持だった。


アルヴィスは、しばらくわたしを見つめ――そして、何も言わずに去っていった。


翌朝。ギルドの扉が、また開いた。


「……眠れた。何年ぶりか、わからないほど。だから……その、また来る」


そう言って、彼はぷいと横を向く。耳が、ほんのり赤かった。


(え。この人、こんなに可愛かったの? 耳、真っ赤じゃない)……ええ、お待ちしておりますね。


こうして、冷酷無双の将軍は、辺境の薬房の常連客になったのだった。



アルヴィスは、律儀に通ってきた。


薬を受け取るだけならすぐ帰ればいいのに、なぜか薬房の隅の椅子に座り込み、わたしが調合する様子を眺めている。


「……何を作っている」


「解毒ポーションです。沼地で毒沼蛇が出たと聞きましたので」


「ふん」


会話は、いつもそっけない。けれど、彼が来ると薬房が少し暖かくなる気がした。


そんなある晩。遠征帰りのアルヴィスが、ふらりと現れ――そのまま、椅子で眠り込んでしまった。


(まあ、眠ってしまわれたわ。よほどお疲れなのね……起こすのも忍びないわね)


気づけば、夜が明けていた。そして――わたしは硬直した。


(……って、いつの間にわたしの膝で! しかも子供みたいに丸くなって!)


あの偉丈夫が、わたしの膝元で子供のように丸くなって眠っていたのだ。数年分の眠りを取り戻すように、すやすやと。


やがて、ゆっくりと彼の瞼が開いた。


「――なっ、こ、これは違う! 俺は、その……!」


がばりと飛び起き、ぷるぷると震えている。冷酷無双の将軍が。


「ふふ。よく眠れましたか?」


「うるさい! ……いや、その……」


彼は、ぐっと言葉に詰まった。そして、絞り出すように呟く。


「……お前がいないと、俺は眠れない」


(うわ。不意打ちすぎるでしょう、それ)


不覚にも、胸が跳ねた。


ずっと道具として扱われてきたわたしを。「毒薬令嬢」と罵られてきたわたしを。この人は、まっすぐに「必要だ」と言ってくれる。


「……なら、ずっと、そばで薬を作ります。あなたが、ちゃんと眠れるように」


「……っ、そ、そうか」


アルヴィスの耳が、また赤くなった。


その頃、遠い王都で。王太子ジークベルトが、突然、胸を押さえて崩れ落ちたことを――わたしはまだ、知らない。



王都は、混乱の渦中にあった。王太子ジークベルトが、原因不明の発作で倒れたのだ。


「ぐっ……あ……胸が……痛い……!」


「ジークベルト様! いま、聖女の力を……! さあ、癒しの光を――」


寝台の傍らで、アメリアが両手をかざす。柔らかな光が王太子を包み――一瞬、顔色が良くなった、かに見えた。


だが。


「……効かぬ。また、痙攣が……なぜだ、なぜ効かん!」


光が消えるや否や、ジークベルトは再び苦悶に喘いだ。むしろ、先ほどより顔色が悪い。


「な、なぜ……わたくしの聖女の力が……!」


アメリアの声が、上ずる。額には、脂汗が浮いていた。


そのとき、部屋の扉が開いた。鑑定スキルを持つ高位神官テオバルトが、厳格な相貌で歩み入る。


「畏れながら。わたくしに、殿下を鑑定させていただきたい」


止める者はいなかった。宮廷医たちは、すでに匙を投げていたのだから。


テオバルトが、静かに手をかざす。深い皺の刻まれた双眸が、青白く輝いた。長い、沈黙。


「これは……王家の血に流れる、遅効性の毒。先祖伝来の、血族毒」


どよめきが走った。


「そして――長年、何者かが解毒し続けていた痕跡がある。ここ数月で、その解毒がぱたりと途絶えている」


数月前。その言葉に、朦朧とする王太子の頭の奥で、ひとつの光景が蘇った。


卒業式の夜。足元に置かれた、薔薇の首飾り。淑女の礼と、穏やかな微笑み。『どうぞ――御自愛を』


「……数月前……まさか……まさか、あの女が――リーゼロッテが、余を……生かして、いたのか……?」


そして、テオバルトの鑑定の眼が、次に捉えたもの。それは、寝台の傍らで凍りついている、聖女アメリアだった。


「――ほう。そこの娘。そなたの『聖女の力』。それは、癒しなどではないな」



王家主催の『快気祈願』――そのはずだった催しは、公開審理へと姿を変えた。


大広間には、貴族たちがひしめいている。中央には、青ざめた顔で担架に横たわるジークベルト。その傍らに、震えるアメリア。そして、証言台に立つ高位神官テオバルト。


「聖女アメリアの力の正体を、鑑定によって解き明かした。あれは癒しの魔法ではない。他人の体力を吸い上げ、己の魔力に変える――禁術だ」


悲鳴のようなどよめき。


「表面の症状を一時的に消して見せる。だがその実、患者の生命力を削り取っている。殿下の毒症状を悪化させていたのは――この娘、その人だ」


テオバルトの指が、まっすぐアメリアを指した。


「ち、違います! わたくしは、聖女で……! そんな、鑑定なんて、でたらめです! わたくしは無実です!」


「鑑定は、偽れぬ」


一言で、アメリアの言い訳は封じられた。崩れ落ちる偽聖女。


担架の上で、ジークベルトが呻いた。


「では……薔薇の首飾りは……毒では、なかったのか」


テオバルトが、静かに頷く。


「あれは解毒薬の触媒。甘い香りは、解毒結晶が揮発する匂い。毒どころか、殿下の命綱そのものであった」


『良い香りでしょう?』


かつてリーゼロッテが微笑んで言った言葉が、今、残酷なほど鮮明に、王太子の記憶に蘇る。


「余は……余は、命の恩人を……悪女と呼んで、追放したのか……?」


答える者は、いなかった。そして、王家は青ざめた。


血族毒を抑えられるのは、リーゼロッテただ一人。彼女が去り際に残した調合ノートは、暗号で綴られ、どの学者も解読できなかった。足元に返された首飾りは――解毒能力を失った、空の抜け殻。


「早く……早くリーゼロッテを呼び戻せ! あの女の作ったノートを解読しろ! 余が、死んでしまう!」


「……あのノートは暗号で綴られ、どの学者も解読できませなんだ。本物の鍵は、彼女の頭の中にしか、存在せぬのです」


ジークベルトの叫びが、虚しく大広間に響いた。


だが、辺境で穏やかに薔薇茶を淹れる彼女に、その声は届かない。――届けたところで、もう遅い。



辺境の薬房に、王都からの使者が駆け込んできたのは、うららかな昼下がりのことだった。


「薬師リーゼ様! いえ、リーゼロッテ様! どうか、どうか王都へお戻りを! 王太子殿下の御命が――!」


泥まみれ、汗まみれの使者が、床に額をこすりつける。


わたしは、薔薇の香りのする茶を、ゆっくりと淹れていた。手を止めず、湯気の向こうで、静かに微笑む。


「あら。王太子殿下は、確か仰いましたよね」


ことり、と茶器を置く。


「わたしの薬は『毒』だと。人を薬漬けにする悪女だと。公衆の面前で」


「そ、それは……!」


「毒だと仰ったのは、そちらでは?」


穏やかな声。だが、使者は打ちのめされたように言葉を失った。


「わたしは、ただの毒薬令嬢ですもの。毒しか作れませんわ。殿下の御命を救えるはずが、ありません。聖女様に、お任せを。あの方の御力があれば、毒薬令嬢など不要なのでしょう?」


「アメリアは……禁術の露見で、断罪されました……! もう、殿下を救える者は、あなた様しか……!」


わたしは、静かに首を横に振った。


(さて。ここからが、本題ね)


「――お戻りは、いたしません」


「そんな……!」


「ですが、薬を『商品』として、お売りすることはできます。対等な契約として。わたしを道具ではなく、一人の薬師として遇するのであれば」


使者が、はっと顔を上げた。


「価格は、こちらが決めます。供給量も、条件も。従えぬのであれば――どうぞ、他をお当たりください。もっとも、この暗号ノートを解ける方が、いればの話ですけれど」


わたしは、もう誰かの命綱にはならない。誰かに握られる道具にも、ならない。自分の意志で。自分の値段で。必要としてくれる場所にだけ、薬を届ける。


そのとき、薬房の扉が音を立てて開いた。


「――おい。うちの薬師に、無理を言っているのは、どこのどいつだ」


低い、地を這うような声。六尺を超える偉丈夫が、深紅の瞳を眇めて仁王立ちしていた。紅竜将軍アルヴィス。


その背後で、ハンナが腕まくりをして叫ぶ。


「うちの薬師様は、誰にもやらないよ! お引き取り願おうか!」


「ひっ……りゅ、竜将軍……!」


使者は、蒼白になって後ずさった。


(まったく。頼もしい護衛たちだこと)ふふ、聞かれたとおりです。どうぞ、お引き取りを。



使者が帰った後の薬房は、いつもの静けさを取り戻していた。夕暮れの光が、棚に並ぶ薬瓶を琥珀色に染めている。


アルヴィスは、決まりの悪そうな顔で、薬房の隅に立っていた。


「……王都に、戻るのか」


いつも堂々としている紅竜将軍が、まるで叱られるのを待つ子供のように、こちらを見ないでいる。


(ああ。この人、不安なのね)戻りません。わたしの居場所は、ここですから。


アルヴィスの肩が、目に見えて緩んだ。


「……そうか」


そして、彼は意を決したように、こちらへ向き直った。深紅の瞳が、まっすぐにわたしを捉える。


「リーゼ。……ここに、いてくれ」


短い言葉。飾りのない、不器用な告白。でも、それはきっと、この人が持てる限りの、精一杯の勇気だった。


わたしを「毒薬令嬢」ではなく。「道具」でもなく。ただ、そばにいてほしい一人の人間として、求めてくれる言葉。


胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「――少し、屈んでくださいますか」


「? ……こうか」


訝しげに、けれど素直に、大男が身を屈める。


わたしは、懐から取り出した首飾りを、そっと彼の首にかけた。甘い薔薇の香りを放つ、結晶のペンダント。


かつて王太子に突き返した、あの『薔薇の首飾り』――ではない。これは、アルヴィスのためだけに、新しく調合し直した本物。彼の古傷を癒やし、深い眠りを守る、わたしの技術のすべてを込めた首飾り。


「今度は、ちゃんと『解毒』のためだけに。あなたの痛みも、眠れぬ夜も、これがぜんぶ解いてあげます」


アルヴィスが、首元の結晶に触れ、それから、くしゃりと顔を歪めた。照れているのだ。


「……甘い、香りがする」


「ええ。甘いでしょう?」


(薔薇には、毒がある。けれど、その香りは――解毒のためにこそ、あるのだから)


そのとき、遠く、王都からの使者が、再び辺境の門を叩く音が聞こえた。二度、三度と。


「……また、門を叩く音がする。王都の使者だろう」


「ええ。きっと明日も、明後日も。でも、わたしはもう、振り回されません。ここで、あなたと」


ここで、この人と。自分の意志で選んだ場所で。新しい薬を、また調合する。


二人の物語は、ここから始まる。


(さて。次は、どんな薬を作りましょうか)

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― 新着の感想 ―
馬鹿ですねー。 代々伝わる毒なら伝承として残すべきなのに。 残しているけど馬鹿な王子は覚えていなかっただけかな。
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