表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

8:回る回る洗濯機

 私の招待で霊能者の白河眞琴氏が「メゾンあけやま2号館」の301号室を訪れてから、無事に何日か経過した。


 夜になると建物内がざわざわと物音が響く現象は続いていたけど無視できるレベルだし、室内への何者かの侵入も、白河氏に贈られた万年青の鉢植えのおかげか起こっていない。


 私は一応安心して、友人の神代菜々子に電話をした。彼女が遊びに来た時に白河氏に訪問してもらうので、その了解を取る為である。

<へええ? 男性のお客? ひのかがきちんと紹介してくれるなんて初めてじゃない。めでたいからお祝いの花束持って行こうか?>

 思い切り弾む声を出す菜々子に、慌てて否定する。

「いやその、そういう関係じゃなくて、私の部屋を、えーと調べに来てくれるだけで……」

 自分でも顔が赤くなったのがわかる。もごもごと口ごもる私に、菜々子は急転直下冷静な口調で尋ねてきた。

<部屋を調べる? わざわざ夜に? こらひのか、きっちり白状しなさい>

「別に変な人じゃないから! えーと白河さんっていう霊能者の人で、変な現象があったから調べてもらってる……んだよ」

 菜々子の声が思い切り甲高くなった。

<れいのうしゃあ?……ひのか、あのねえ>

「だから色々あったんだよ。会ったら詳しく話すから」

 うーと菜々子はしばらく電話口で考えていた。

<……わかったよ。ともかく、ひのかを一人で怪しげな男と会わせるわけにはいかないからね。私がきっちり見張って検分してやる>

 心配してくれるのは嬉しいけど、ドスのきいた声が怖い。


 菜々子は霊現象など一切信じていないし、私と違ってきっぱりはっきりと物を言う。白河氏と実際に会ったら何を言い出すかわかんないな、と溜息が出た。

 メールで訪問日の連絡をする際に、前もって「同席する友人は霊とか全然信じていないので、失礼があったらすみません」と言っておく。白河氏からは「慣れているから平気。ご友人にはきちんと振る舞うから安心して」と返事が来たので、ともかく白河氏を信用する事にした。


 そういえば白河氏は私より年上なのは確かだけど、霊能者としての経験はどれぐらいあるんだろうと、ふと気になった。

 私は、まあ霊は見えたりするけど決して霊能者ではない。市松人形のサチヨさんも別に話しかけてこないしなーと顔を見ると、少しばかり考え込んでいるような表情をしていた。


 そして、予定通り数日後の金曜日の夜。菜々子は私の部屋でビールを飲みながら寛いでいた。久しぶりに会った彼女は、ロングヘアを面倒だからとばっさり切っていてびっくりした。

「へへへー、ひのかを驚かせようと思って黙ってた。もうラクチンラクチン」

 2人で色々買い込んできた総菜を並べたちゃぶ台は賑やかだ。散々互いの職場の話題や愚痴で盛り上がった後、菜々子は欠伸をしながら言った。

「この部屋、寛げるんだよねえ。別に変な感じはしないし、ひのかの言う変な事って初めての一人暮らしのストレスとかだったんじゃない?」

「……どうかなあ」

 菜々子には一応私の体験を話したけど、侵入者の件だけは黙っている。なんですぐに警察を呼ばなかったと説教されるに決まっているからだ。


「白河さんとやらが来るのは明日の夜か。興味はあるな。どんな人?」

「うーん、なかなかお洒落だよ。あとメガネをかけて長髪で三つ編みにしてる」

「そういう事じゃなくてさ、年は幾つ?」

「さあ。別に聞いてない。30歳にはなってないと思うけど」

「どこに住んでるの?」

「え? 知らない」

「何よ、向こうはここに来てるのに、ひのかは相手の住所を知らないの?」

「だって、別にそういう関係じゃないし、相談をしてるだけだから……」


 そう言いながら、私は気落ちしてしまった。

 本当に、私、白河さんの事を何も知らない……。そうだよね、白河さんが私に会うのもこの部屋を調べるためだし、用事が済めば会う事も無くなるし……。


 ――俺の目的は復讐だよ。今はそれしか言えない。


 しゅるしゅると元気の無くなった私を見て、菜々子は少し慌てたように言った。

「まあ、万年青の鉢植えを祝いにくれるとかセンスは良いよ。とにかく怪しい人じゃないかどうか、チェックしないとね」


 その夜は、久しぶりに6畳間に布団を敷いて菜々子と並んで眠った。

 隣で寝息をたてる人がいてくれると、何も怖く感じない……安心してうとうとしていた私は、窓の外から物音がするのに気付いて目覚めた。でも何の音かはわからない。しばらく用心していたら音が聞こえなくなったので、再び眠ってしまった。


 翌朝はゆっくり眠り、元気に目覚めて2人で遊びに出かけた。久しぶりに映画を観て、菜々子の熱烈リクエストでスーパー銭湯でゆっくり広い湯舟につかり、食事をして帰宅した。それから部屋を一応整頓して、白河氏の訪問を待つ。時間を気にしながらそわそわしている私を、菜々子はともかくサチヨさんまでがじいっと見ていた。


 約束の夜8時ちょっと過ぎに、部屋のチャイムが鳴り白河氏がやって来た。服装は前回と同じ黒いシャツに黒いズボンだけど、薄手のベージュのジャケットを着て首に軽くストールを巻いている。お洒落だ。

「夜分にお邪魔します。はいこれ、お土産」

「わわ、ありがとうございます」

 どうやらケーキらしい白い箱を受け取り、室内に案内して立って出迎える菜々子に紹介する……目をぱちぱちさせた顔で驚いているのは、予想よりお洒落な美男子だったからだろう。

「こんばんは、神代です。友人と同席させてもらいます」

 白河氏も丁寧に挨拶をする。

「初めまして、白河です。ひのかさんとゆっくり寛いでいるのに、無理を言ってご迷惑をおかけします」

「……ひのかさん?」

 ぴくりと菜々子の眉が上がって、私はぎくりとした。白河氏は、壁際のサチヨさんの隣に置いた万年青の鉢植えを見て、にっこりとした。


 私がジャケットを脱いだ白河氏に座布団をすすめ、お茶の準備をしている間は黙っていた菜々子は、白河氏がお茶を口にした瞬間に質問を始めた。


「名刺を見せてもらいましたけど、眞琴さんって本名ですか?」

「うん。男では割と珍しい名前だろうけど本名」

 白河氏は別に嫌な顔もしない。慣れているのかもしれない。

「お幾つなんですか?」

「25歳でもうすぐ26歳」

 え? もっと年上と思ってたのに私と3歳ぐらいしか違わない。そして菜々子の癖で質問は白熱してきて私は焦った。


「お誕生日は?」

「内緒」

「血液型は?」

「知らない」

「お住まいはどちらなんですか?」

「秘密」

「ご家族は?」

「兄がいる」

「お兄さんも霊能者ですか?」

「まさか。超お堅い仕事をしてる」


 私は必死で、それ以上個人的な事は質問しないで、と視線で菜々子に訴えた。長年の友人である菜々子は、私を見てから方向転換した。


「白河さん、お仕事は霊能者ってひのかに聞きしましたけど、本当ですか」

 白河氏は相変わらず愛想よく答え、隣に座った私は相変わらずハラハラしていた。

「うん本当。でも世間でいうほど特別な存在じゃないよ」

「お祓いとかをするんですか?」

「俺はしない。必要がある時は、知り合いの坊さんや神主に依頼主を回す」

「じゃあ白河さんは、何をするんですか?」

「大雑把に言うと、まず依頼主から相談話が来る。それから俺が『場』に行って、霊の言葉を聞いて、依頼者に伝達して、双方が納得して霊に去ってもらう。色々なパターンがあるけど、大体そんな感じ」

「霊が去るって、あの世にですか?」

「その理解でいいよ。俺は彼岸って言ってるけど、人によって違うから」

 へえ、白河氏は声が聞こえるんだ……菜々子の質問は続く。


「それで、依頼主から報酬を貰うんですよね?」

「そりゃもちろん。仕事だからね。領収書もちゃんと出すよ」

「ひのかにも料金を請求するんですか?」

「ちょっと菜々子! 失礼だよ!」

 さすがに私は焦ってたしなめたけど、白河氏は平静だ。

「まさか。この部屋に来ているのは、調べたい事があってひのかさんに頼んだから。俺がお礼をしないといけない立場だな」

 私の胸の奥のどこかがずきりと痛んだ。菜々子が身を乗り出した。


「白河さんのお仕事は理解しましたけど、私は、幽霊とか怪奇現象とか全然信じてません」

 私はぎょっとしたけど、白河氏は面白そうに笑った。

「それで構わないよ。信じなくても何の不都合もないから」

「でも心配はしています。ひのかは、幽霊屋敷とか事故物件とか絶対に嫌だと言ってたんですよ。ここは大丈夫だと信じて引っ越してきたのに、何だか妙な事を言い出して白河さんともいつの間にか知り合って……凄く理不尽だと思います」

 白河氏は、じっと菜々子の顔を見た。

「神代さんの気持ちはわかるけど、この301号室と縁が出来たのはひのかさんの運勢だから」

「運勢? じゃあ白河さんが霊能者としてひのかの悩みを解決してくれるんですか?」

「……まだ見えない事が多い。だから、今夜この『場』に来る許しをひのかさんにもらった」

 菜々子は怪訝そうな表情になり、白河氏はフォークで手土産のフルーツタルトを小さく切り取りながら、少し不思議な事を言った。


此岸(しがん)で漂う霊は影響力はあるけど、(もろ)い存在。生きている人間は何よりも強くて眩しい。でもあやふやな霊やモノが見えて声が聞こえる人間にも、何らかの役割はあるはず。俺はずっとそういう考えで生きてきた」


 私は白河氏の横顔を見つめ、菜々子は「まあ……白河さんが真面目なのは良くわかりました」と言ってくれた。私はほっとしつつ小声で謝った。

「あの、なんだか色々とすみません。彼女は本当に心配症で」

 菜々子は難しい顔でフルーツタルトを齧り、白河氏は私の顔を見てほほ笑んだ。

「友達ってそういうもんだよ。別に気にしてない。俺も依頼主には個人的な事を細かく尋ねるからね。てか、ひのかさんが俺に質問しなさすぎ。俺の好物とかさ」

 好物? 私がドギマギして赤面して菜々子の眉が上がった時、突然白河氏が低い声で言った。


「……サチヨが怒ってる」


「え?」

 私がサチヨさんの方を見てみると、確かに怖い顔になっている。白河氏は6畳間の方を見た。

「俺は邪魔者というわけかな。でもまだ見えないし聞こえない。ひのかさん、何か聞こえる?」

「いえ、別に……あれ?」


 ――ゴロゴロ……ゴォンゴォン……ゴォンゴォン


 物音がする。ものすごく身近な音がはっきりと聞こえる。これってまさか。

「洗濯機だ……あの、洗濯機が洗濯しているような音が窓の外からします」

「へえ。なるほど生活音ってわけか」


 白河氏は大きく息を吐くと、メガネを外してシャツの胸ポケットに入れると立ち上がった。

「ひのかさんも一緒に来て」

 顔つきが固く冷たい感じに変わっている。壁際に置いてあったサチヨさんを持ち上げると、菜々子に言った。

「神代さんはそこに座っててください。動かないように」

 菜々子は目を丸くして、口調と雰囲気の変わった白河氏を見上げた。

「大丈夫です、あなたは守護がとても強い。危険はありませんし何も見えません」

 呆気にとられつつ、菜々子は心配そうに白河氏の背中と私の方を交互に見た。

「ひのか……」

「大丈夫だよ、菜々子。白河さんを信じてじっとしてて」


 私はそう言うと、サチヨさんを抱えて6畳間に入って行った白河氏の後を追った。


 6畳間は今は部屋の隅に寝具が積んであるだけだ。電気をつけないままなので暗い。黒いシャツに黒いズボンの白河氏は闇に溶けたようだ。


 ――あれ? 何だかこの部屋、広く感じる? 錯覚かな……。


 窓に近寄ると白河氏はカーテンを開けた。いつもの夜のビルの壁面が見えているけど、洗濯機が洗濯しているような音はまだ聞こえる。

「白河さん、音は聞こえています」


 私の言葉には答えず、低い独り言が聞こえた。

「ひのかさんにだけ、聞こえるように見えるようになっている……サチヨは少しだけ感じている……」

 白河氏は、持ってて、と私にサチヨさんを差し出し私は慌てて受け取った。


 ごく小さな声でしばらく何事か呟いてから、白河氏はいきなり右足でガラス窓を蹴った。


 ――ダーーーン!


 異様に大きな音が響き、まさか割れた? と私がサチヨさんを抱きしめて固まっていると、白河氏が普通にガラス窓をカラカラと開けた。


 窓の外には、陽光が明るく輝く広々とした青空と奇妙な絵画のような数軒の家が広がっていた。


 遠近感が狂ったような、全てが歪んで屋根が斜めになったり建物の下の方が細くなって遥か下の方に見える。

 右手のどこか遠くの原っぱに線路が見えるけれど、電車は走っていない。


 以前見た時よりも、はっきりと見える。

 窓は狭いのに、何もかも全部視界に飛び込んでくるような強烈な感覚に私は頭がぐらぐらしてきた。


「やっと見えた。この『場』と繋がったあちらの世界」

 冷静な白河氏の声に、はっと我に返った。

「何ですか、これ」

「わからない。彼岸じゃないけど、でもこちらと地続きという感じもする。窓の向こうに誰か住んでいる」


 こちらの窓のすぐ向かい、手を伸ばせば届きそうな場所に大きな窓がある。さっきまで無かったのに。

 古びた畳敷きの部屋で、タンスやちゃぶ台が置かれている。何だか大昔の古びたアパートという感じで生活感はあるけど、住民の姿は見えない。


 その時、がちゃりと音がして窓の横の壁の扉が開いた。扉の外には踊り場のような場所があるけど、階段は無い。


 普通ならば見えない場所にあるはずの扉や壁が、なんで見えるんだろう。


 その踊り場に、洗濯機が置かれていてゴォンゴォンと動いている。さっき聞こえた音はこの洗濯機だったのか。それにしても何もかも古い、セピア色の薄紙を通して見えているような世界なのに、なぜ洗濯機は妙に新しいのか。


 私は立ったまま落下していくような感覚に襲われて、少しだけ後ろに下がろうとした。その時、誰かが開いた扉から出てきた。


 白い開襟シャツに灰色のズボン、短髪の痩せて背の高い男性が、両手をズボンのポケットに突っ込み、咥え煙草で洗濯機の横に立った。洗濯機を見下ろしていた男性は、ふと気づいたようにこちらを見た。


 意外な事に男性は笑顔になると、煙草をポイと放り投げて声をかけてきた。

「やあ、人を見るのは久しぶりだな。そうやって男女が並んでいると、お雛様みたいだ」


 白河氏が落ち着いた声で返事をした。態度は冷静だけど、窓を固く握りしめている。

「私の声が聞こえますか?」


 男性は不思議そうな顔になった。

「そりゃ聞こえるさ。そんな近くにいるのに。僕の声も聞こえるだろう?」

「ええ、聞こえますし姿も見えます。お尋ねしますが、あなたのいる世界はどういう世界なのですか?」


 男性はにっこり笑って両手を広げた。

「そうか、君は知らないものね。ここはね、僕が描いた世界。僕は画家だったらしい。好きにしていいって言われたから、家や世界を描いたんだ」

 男性は洗濯機を手でコンコンと叩いた。

「最近はね、この洗濯機で洗濯をするのが楽しいんだ。水が渦を巻くのを見ていると飽きないね」

「……そうですか」


 洗濯機から、洗濯終了の合図のピーピーという音が周囲に響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ