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3:キラキラ物件へようこそ……

 私は、白い外壁の小奇麗な3階建てのマンションの前に立ち、思い切り感激しながら見上げていた。冬の冷たい風や寒さなど全く気にならない。


「最上階の301号室が、天城様に紹介するお部屋です。まだ築5年ですからとても綺麗ですよ」

 横に立つ杉沢不動産の営業マン、鳴子氏がにこやかに説明してくれる。私はぶんぶん頷き、鳴子氏の後に続いて「メゾンあけやま2号館」の建物に夢心地の足取りで入った。


 祖母の知人経由で名刺を貰った杉沢不動産の鳴子氏は、とても良い人だった。

 恐る恐る電話をした私に丁寧に対応してくれ、早速電車を乗り継いで不動産屋の店舗を訪問するとカウンターで迎えてくれた鳴子氏は、頼りになりそうな清潔感のある中年のおじ様だった。

「ちょうど条件のいい物件があるんですよ。便利で治安もいい地域ですし、女性の一人暮らしにぴったりだと思います」

 鳴子氏が差し出した物件情報の用紙を見た私は驚いた。正直、古いぼろマンションや木造アパートぐらいは覚悟していたのだ。ところが私の希望地より少し遠いけど、築5年3階建てマンションの1DKでおまけに家賃が安い!


「あの、これ、まさか訳ありの部屋とかじゃないですよね?」

 私は、自分が大変な怖がりな性格だというのを前もって鳴子氏に電話で訴えておいたのだ。いささか嘘だけども背に腹は代えられない。鳴子氏は笑った。

「違いますよ。最近はそういう心理的瑕疵(しんりてきかし)を気にされる方が多いので、担当の私もきちんと確認をしています。こちらは、一旦入居者が決まったんですが、つい先日キャンセルになりまして。大家さんとしては早く次の入居者を決めたいので、思い切り家賃を値下げされた訳です」

「そうなんですか。安心しました」

「大家さんは土地や不動産を幾つもお持ちで、当社とも長く取引があります。万が一トラブルがあっても、きちんと対応できますのでご安心ください」


 その後、私は鳴子氏の運転する営業用軽自動車に乗せてもらって「メゾンあけやま2号館」にやって来た。

 エントランスはオートロックではないけど、管理人室がある。今は無人だけど大抵は大家さんが在室しているらしい。

 郵便受けもチラシが溢れたりしていない。このご時世なので居住者名はないけど。鳴子氏によると、他の住民も皆女性で安全面には注意しているとの事で安心した。


 2人も乗ったらほとんど満員のエレベーターで3階に上がり、301号室に足を踏み入れる。明るくてピカピカだ! と舞い上がってしまう。

 小さいけど風呂もトイレも分かれているし脱衣所もある。ダイニングキッチンの向こうに6畳間と押し入れがあり、ベランダがある。ダイニングキッチンに窓は無いけど、息苦しさは無い。リフォームも完全で、何より嫌な雰囲気が一切無い。室内の空気はキラキラしていて金の粒が漂っているようだ。

「ベランダの向こうはビルの壁面で眺めは良くないし、日当たりも悪いのですが……」

 少し申し訳なさそうに言う鳴子氏に、平気ですと答える。我が幽霊屋敷の日当たりの悪さに比べれば明るさは段違いなのだ。眺望ぐらいは妥協しよう。


 ここで暮らせる! 私は完全に有頂天になって、決めます! と鳴子氏に告げた。即決である。


 改めて店舗で詳しい説明を受けるために建物の外に出た私は、道路を挟んだ向かいに建つ同じような3階建てのマンションに気が付いた。外観は良く似ているけど、少し古びていて入り口に「メゾンあけやま1号館」と看板が掲げられている。私の視線に気づいた鳴子氏が気軽に説明してくれた。

「あちらも同じ大家さんのマンションです。人気があって常に満室なので、土地を購入されて向かいに同じ構造で2号館を建てたんですよ」

「……そうですか」

 私が気になったのは、1号館全体がうっすらと黒い霧のようなもので覆われている事だった。エントランスも何だか真っ暗に見える。鳴子氏は全く気付いていないようだけど……いやいや暗いのは似ているとはいえ別の建物だ。私の住む予定の建物は何ともないんだから気にしないでおこうと決めた。


 それからの私は、バタバタと何もかも決まっていく慌ただしくも充実した日々を過ごした。

 両親と一緒に杉沢不動産で正式に賃貸契約を結び、「メゾンあけやま2号館」にも案内して見てもらった。引っ越し業者を決め、引っ越し日も決まり、姉は「ひのかちゃん、いなくなるんだー」と寂しがり、友人の菜々子も心配していた分喜んでくれて、引っ越しを手伝ってくれる事になった。


 そんなある日。部屋で本棚を整理していた私のスマホに、鳴子氏から連絡があった。

「実は、家賃の支払いの件なんですが」

「はい、何でしょう」

 まさかここに来て値上げ? と身構えた私に鳴子氏がすまなさそうに言った。

「実は大家の朱山(あけやま)さんが、取引銀行とゴタゴタがあったそうで。これから新しく口座開設などをするにしても時間がかかるので、何か月かは振込ではなく現金で払ってもらえないかと申し出があったんですが……」

 値上げでは無かったので、私はほっと安心した。

「了解です。大丈夫ですよ、現金で払います」

「良かった。ありがとうございます。大家さんはほとんど毎日管理人室におられるので、天城さんの面倒は少ないと思います」


 鳴子氏との電話が終わって、私は少し考え込んだ。

 まだ会った事はないけど、朱山さんはしっかり者の元気なお婆さんだと鳴子氏から聞いている。その朱山さんが今の時期に取引銀行と揉めたねえ……何だか引っかかる。何が気になるんだろう……実は祖母から「もう鍵は貰ってるんだろ? 引っ越しまでに、大安の日に新居に新しい鍋を運び込んでおくといいよ」と言われているのだ。験担(げんかつ)ぎだけどもこういう風習は割と好きだ。よし、鳴子氏経由で引っ越し日などは伝わっているけど、鍋を持って行った時に事前に大家さんに挨拶しておこうと決めた。何事も挨拶は大事だ、うん。


 しかし鍋か。ついでだから新しく小さな鍋を買おうかな、と最近どういう訳か私の部屋にずっと居座っている市松人形のサチヨさんに話しかける。もちろん返事は無いけど、微妙に目玉が動いたように見えた。


 3日後の大安の日、私は新しい鍋を入れた紙袋を下げて「メゾンあけやま2号館」に向かった。

 最寄駅(もよりえき)からは10分ほど歩くけど、途中にスーパーやコンビニ、飲食店があって賑やかなので帰宅が遅くなっても大丈夫だろう。ふんふんと周囲を確認しながら歩いていた私は、道路に立っている男性と、ふと目が合った。


 足こそ止めなかったけど、私は内心「胡散臭(うさんくさ)いな……」と感じていた。

 黒縁のメガネをかけた、かなり整った顔立ちのはっきり言って美形の男性だ。黒いセーターに黒いズボン、暖かそうなチャコールグレーのコートが決まっている。全身、垢ぬけた雰囲気だけども、それ以上にどういう訳か胡散臭いと思ってしまう。


 けれど目が合ったのはほんの一瞬で、男性はふいっと背中を向けると横道を歩いて去って行った。背中に垂らした三つ編みの髪。お洒落だな……と感心してから前方を見た私は、信じられない光景を目にして立ち止まった。


 私が入居予定の「メゾンあけやま2号館」が、黒い霧のようなもので覆われている……。


 そして逆に、以前は黒い霧で覆われていた「メゾンあけやま1号館」は何ともなく白い外壁が陽光に輝いている。


 どうして? 明るく輝いていたのは2号館だったのに! 私の見間違いかと思わず小走りで2号館前に立った私はぎくりとした。


 真っ暗に見えるエントランスに、小柄なお婆さんが背中で両手を組んで、待ち構えていたようにこちらを見ていた。派手な模様の半てんを着こんだ姿は可愛らしいけど、表情は全く可愛くない。

「301号室の天城さんじゃないか。ようこそ」

 わざとらしい。建物から流れてくる冷たい霊気に身体が震えそうになるのを必死で耐える。


「あの、もしかして朱山さんですか」

「もしかしてじゃないよ、大家の朱山さ。不動産屋の鳴子から聞いているだろうが、家賃は毎月27日に管理人室まで現金で持ってきな。くれぐれも遅れるんじゃないよ」

 会うなり現金で家賃を要求……やっぱり変だ。私は思い切って言った。

「ここ、前に来た時と全然雰囲気が違うんですけど、何かあったんですか?」

 大家は皺だらけの顔をくしゃりとさせ、歯の抜けた口を大きく開けて笑った。

「さあねえ。どっちにしろ見えているのはあんただけさ。でももうここに入居が決まっているんだ。逃げても無駄だし逃がしゃしないよ」


 けっけっけ、という嫌な笑い声を背中に、私は2号館前から逃げ出した。とうてい建物に入る気になれない。速足で歩いて「メゾンあけやま」が見えなくなってから立ち止まった。息が乱れ、混乱しながら私は途方に暮れた。一体全体、何がどうなっているんだろう。

 大家の恐ろしい言葉が脳裏に浮かぶ。


 ――もうここに入居が決まっているんだ。逃げても無駄だし逃がしゃしないよ。


 とにかく一旦帰って、お祖母ちゃんに相談しよう……契約をしてくれた両親には、こんな事はとても言えない。


 手に持った紙袋を見て、情けなくてべそをかきそうになった、その時。突然強い視線を感じて私は振り向いた。


 誰もいない……と思ったら、少し離れた場所にさっき目の合ったメガネをかけた男性が両手をコートのポケットに突っ込んで私の方を露骨といっていい感じで見ている。

 私が更に訳がわからなくなっておどおどしていると、突然(ひらめ)いた。


 ――この人、伊達メガネだ。


 どうして、今そんな事を……と思っていると、男性の口元が動いた。離れていて聞こえないはずなのに、はっきりと言葉が聞こえた。


「朱山の婆さんに思い切り騙されてやんの。鈍感」


 はあ? と思わず大声を出した私を見て、男性はにやりとするとそばに近づいてきた。そして動けない私に向かって、妙に感じのいい声で話しかけてきた。

「俺の声が聞こえて怒ったなら大丈夫だな。話が通じる」

「通じるって……あの、さっきから、あなた、何なんですか」

「俺? 霊能者」


 れれれ霊能者? 口をぽかんと開けて言葉の出ない私の表情を見て、男性は言った。

「大事な話がある。近くの喫茶店に行こう。おごってやるよ、ドジっ娘」

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