ライフ・オア・マネー
2027年 8月 東京 新宿
蝉のジリジリと響く声。夜の熱がジリジリと地面を焼く。
「おじさん、イケメンだしぃ~、ホ別3万でいいよぉ~」
「はい。3万、じゃあ行こうか」
環境に、人脈に、才能に恵まれなかった、トラウマを抱える子供たち。
ここは、彼らの住処。警察も、行政も、彼らに手を出すこともできていない。
ふわふわの外ハネショートに、幼さを感じる垂れ目に人を惹きつける甘い声。その童顔とは裏腹に、グラビアモデルと遜色ない、圧倒的なスタイル。
こないだ計ったら、胸囲は驚異のEを記録した。
容姿以外に恵まれず、社会の弾きもののこの少女は、自身の体を売って、毎日を生きていた。
ラブホに向かう、道中の路地裏。
肥えてぶくぶくに太ったネズミや、放置された酔っ払いの吐いた吐瀉物。
それらを見るたび、気持ち悪く、吐き気がした。
ラブホのシャワーは、その雫が針のように突き刺さり、血が流れるように、面の皮がはがれていく。
「ラナちゃん、最高だよ~‼」
「んっ、私も……もっと激しくしてほしい!」
ラナなんて本当はいない。偽名。
でも、私はラナがいないと生きていけない。
――私って何なんだろう……
*
「……あ~、なるほど。才能がBで、スキル無と……」
数年前、私は就活中だった。しかし、どの会社からも内定はもらえなかった。
理由は簡単、私の生まれが原因だ。この世界のステータスの制度によって、才能も、運動能力も、学力も平均的。でも、スキルもなければ最悪な生まれ。そんなもの
雇う方がおかしい。自明の理というものだ。
私は、親の顔を、名前を知らない。日乃出藍という、この名前も、施設でつけられた名前だ。
しかし、その施設は最悪で、暴力行為は当たり前、家事も勉強も、すべて子供たちだけでさせられる。その施設出身の人はみな、何もできない無能という偏見を持たれるおまけつき。
仕事もない、家もない、頼れる人もいない。そんな私が向かった先は、東京のトー横と呼ばれる場所。みんなは、こんな私に優しくしてくれた、帰る場所を作ってくれた。
あとは、衣食。それを満たすためにはお金が必要だった。
人生で始めて、男に裸を見せた。体を委ねた。そしてお金をもらった……。
最初は、抵抗もあったし、気持ち悪かった。でも、もう慣れた。だって、そうでもしないと私生きていけないし。
生きる意味も分からない。でも死ぬ気もないし、死ぬ理由もない。私には何もない。
*
「ありがとうね、ラナちゃん」
「うん~。またあそぼうね~」
気持ち悪いおっさんに抱かれて、3万。正直割にあってる気がしない。でも、やらないとご飯も食べられない。明日を迎えられない。
おっさんに抱かれる度、腕に刻まれる傷は一つ、一つと増えていく。その痛みが、流れる血が自分が生きていると、証明してくれる。
おっさんとか、ネットじゃリスカは死にたがりの行動だなんていわれるが、死にたい奴がこんな腕切ろうなんて思わないよ。
リスカは、生きてる証。存在証明の一つ。
「温泉行って、ご飯食べよ~」
汗と、おっさんの唾液でベタベタする体の不快感を除く為、近くの温泉に向かう。
「あのおっさん、キスマ残ったんだけど、ほんと最悪……」
シャワーを浴びる度、傷にお湯が染みる。
でも、その痛みより先に、私を襲うのは不快感。
誰が好きでもない男のキスマをつけて生きないといけないんだ。
温泉から出た後、ご飯を食べるため、レストランに向かっていた。
「ねぇ、あんたお金持ってる?」
私の後ろに立っている男。
センターパートの灰色の髪と、黒マスク。目元の赤いアイシャドウ。黒いサブカル系のファッション。180㎝ほどのかなり高い身長と、細身の骨張った体。
一目でもう、仲間だなと思った。私と同じ世界から弾かれた人間。
「私~、そんなに持ってないですよ~」
それでも、いつもと変わらない営業スマイルで対応する。八重歯をチラ見せして、上目遣いで間を少し潤ませる。そこから笑顔を見せたら、もう簡単。私の「誘惑」のスキルも相まって、もう思い通りだ。
体を売るようになってから、手にしたスキル。
目が合った人間を魅了して、誘惑する。
体を売る分には役に立つ。でも、誰が望むんだこんな力。私が手にした唯一の力。それは、私から、私を殺すようだ。私は、だんだんラナという一人の少女に殺されていくようだった。
「俺、飯食えてなくてさ、500円でもいいから金をくれない?」
「でも~……」
あれ、こいつ明らかに、私のことを見ていない。
「……しょうがないな~……」
「どうも」
表面上のキャラは崩さない。
でも、私は、私の心は彼の存在に興味を惹かれた。
一目惚れとかなんかではない。でも、確実に好意に似た何かを感じた。
しばらく歩いた後、安さが売りのファミレスに着いた。4人用のテーブルで、対角線上に、座る。
私が好きな、ドリアとサラダ。ドリンクバーとプリン。を注文した。そして、目の前の失礼な男はピザと、ドリア、パスタ……。普通金払う私より頼むかな……。
さっきまで、感じていた魅力はもう何にもなくなってしまった。
「来週、金が入るからその時、連絡したい。連絡先教えて」
「しょうがないなぁ~、私ごはん食べたいから勝手に追加しといて~」
体を売って、心身疲労。
そのうえ、至福の時間も邪魔をされている。今日は厄日だな……。それでも、ご飯というのはすべてを忘れさせてくれる。
「んん~」
テーブルに運ばれた、チーズドリア。
スプーンでそれを持ち上げると、チーズが伸びて伸びきった後、プチプチとチーズが千切れる。口の中で、チーズとミートソースの香りが広がって……うん、おいしい。
おいしいご飯につい、舌鼓を打つ。
「あんた、ぶりっ子みたい……」
私が頬に手をあてて、ドリアを堪能しているだけなのに、それをぶりっ子って……。
「君~、女の子にそんなこと言ったらメッだよ?」
あ~。気持ち悪……。
どうして、「メッ」とか言ってるんだろう。
結局、こーいうキャラが一番金が手に入るからってのもあるけどさ、疲れるな……。
「あ、ごめん。俺、家族以外で話すことほとんどなかったから」
「そっか~、じゃあ、次からちゃんと考えて話してみようよ」
「じゃあ、なんていえばいいの。教えて」
それを自分で考えられない奴が私は一番嫌いなんだよ!って、殴ってやりたいが、少し我慢だ。
スマホに新しく追加されている「瑛人」の文字。
「いま、変な男につかまっちゃた~」
「どんな男ww」
「なんか急にごはん食べさせてほしいってきて、今ファミレスにいるんだ~」
ご飯を食べながら、メッセージで会話をする。
いつからだろう、私は友達にすら、私を見せることはなくなった。私という、存在はラナという、作られた人格によって消滅させられているようだ。
「今から、パパとデートだからじゃ~ね~」
しばらくたった時、そういって、グループのメンバーの既読が付かなくなった。それをしきりにほかのメンバーも未読になった。
「ごちそうさま。ありがとう」
それだけ言って、瑛人は、席を立った。
「全くもう……」
瑛人の聞こえないような声でそう呟く。
瑛人という男は、もうそういう人間なんだと諦めて、デザートを頬張る。
「おいしいぃ!」
つい、そう叫んでしまいそうなほどおいしい。卵とミルクが本当に最高だ。
プリンは藍の頭から、悩みも、困惑もすべてを忘れさせた。
*
ファミレスを出て、トー横の広場に向かう。
いつも、私たち4人で遊ぶ、歌舞伎町タワーの入り口前。昔、ボウリング場で今はVRすごろく場。
子供の遊び場のような場所だが、案外ここは人が少なく、落ち着ける。
落ち着ける場所のはずだったのに……。
「てかさ、藍の事どう思う?」
「あいつ、ここにいるような奴じゃないよね」
「マジ分かる! あいつ、ノリ違うからね~」
そんな、話し声が聞こえた。
正直、分かっていた。私は、ハズレ者。でも、当たり前の日常というものに憧れを持っている。それが、私と彼女達を隔てたのだろう。
「無理させちゃってたの?もしそうならゴメンね……」
いつもの笑顔、いつもの表情。
……あれ?笑顔ってどうやるんだっけ?
いつもなら、出てくるラナも答えてくれない。
辛いことは私に投げてくるのか……。
でも、本当はこれも、体を売ることも全部全部私の役目、その役目から逃げていたのは私のほうだったのか……
「あ、藍……」
気まずい空気が、私たちを包む。
「ごめんね、私……」
「あのさ、そういうとこが合わないって言ってるの」
「え?」
「うちらの顔色うかがってんのがキモイって言ってんの。それがわからないなら、もうどっか行ってくんない?」
その言葉は、私の心を強く抉った。
私は、走った。向かう先も、分からず。ただ、この苦しみから逃げるために。
*
空蝉
揺れる動く陽炎
空っぽの心
ひどく冷たい心
私は数日ぶりに、トー横に帰って来た。
「……久しぶり」
瑛人に呼ばれたから。
「……さっさと、金返して。私もうここに居たくないから」
もう、演じることはできない。ラナはあの時から私のもとに現れなくなったから……。
ラナのことが嫌いだったのに、居なくなってほしかったのに、いざいなくなると、胸に穴が開いたそうな喪失感に襲われた。
あの日、ここから逃げた日。あの日を最後に私は、人を信頼することをやめた。
例外はない。瑛人のことも信頼なんてしていない。元から、素性も知れない男のことを信頼するような軽い人間ではないが。
じゃあ、ここに来た理由は? そう問われたら、私はすぐに答えることはできないだろう。
強いて言うなら、過去の私と決別するため。
「これ、あの時のごはん代」
渡された紙封筒はどう考えても、ごはん代と一致しない厚さだった。
「こんな、大金受け取れない」
「これは、ごはん代とチップ。それと、契約料」
中には、50万と千円が入っていた。
「……俺と、一緒にこの世界変えない?」
「どういうこと?」
いきなりの出来事に頭の理解が追い付かない。
まず、どうしてこんな大金をこんな軽々と渡せるんだ?
それに、契約って何?世界を変える?
「この世界はステータスですべて決まるでしょ。そして、ステータスに恵まれなかった人間は何もできず、蔑まれる。俺は、こんなステータスのシステムなくしたいんだ」
私がかつて見た夢の世界。ステータスなんか無くなって、みんな平等の世界。
でも、そんなの不可能だ。ステータスというシステムは私たちを閉じ込める檻だから。
「今のままじゃ、難しいのは分かる。でも、ここに強力な協力者がいたなら?」
「強力な協力者?」
「学力、運動どっちも、A以上のエリート様だよ。彼らはこの世界のシステムに懐疑的で、僕の考えに賛同してくれた」
どこかのオカルト宗教の勧誘のような胡散臭さ。
でも、心のどこかで、惹かれている自分がいる。
もう他人を信用しない。って決めたはずなのに、こいつなら。と考える自分がいる。
それに、私にはもう道はないんだ、これはきっと最後の人生の分かれ道。なら、面白そうと心動く方に向かうのも悪くないのだろう。
「……あんたの事、まだ完全に信用したわけじゃない。でも、その話乗らせてもらう。」
「ありがとう……」
「ただし、私にとって無益だと思ったら、その場で契約
は破棄させってもらう」
「分かった。じゃあ、互いにいい未来のために」
「じゃあ、早速なんだけど協力者に紹介したいんだけど、いい?」
首を縦にコクコクと振ると、瑛人は進んだ。
暫く経ったとき、目の前の廃倉庫の中に入っていった。
「紹介するよ、協力者の塚野始と、黒崎ユリさん」
そこにいたのは、黒髪を巻いた鋭い目つきのギャルと、爽やかイケメン。
一見、本当に信用できるのか。そう疑問を持ったが、その疑問は一瞬で消し飛んだ。
「初めまして、自己紹介代わりに私のステータス見せてあげる」
ギャルの子が見せてくれたステータス。
才能が私より、低い「E」。なのにそれ以外のステータスはカンストのS。
この世界。ステータスがすべて。
つまりこの少女は、最強の少女なのだ。
「これから、よろしくね」
彼女の笑顔は、ひどく不器用で