大根聖女は気にしない
さて。どうしてくれようか。
私は腰に手を当てて、氷漬けになった、憎たらしくも愛しい王子を見上げた。
太陽を思わせる明るい金髪。白陶器のように滑らかな肌。影を落とすほどの長いまつ毛。凍っていなければ、薔薇色だった薄い唇。
こうして見ると、神々の創った最高傑作の彫像のような男だ。
けれど私は知っている。
凍っていない彼は、いちいち輝く金髪を気障ったらしくかきあげるし、美しい頬を嘲笑で歪ませ、音がしそうなほどの長いまつ毛の下のアイスブルーの瞳で私を見下しながら、薔薇色の唇で『片田舎の大根娘』と、馬鹿にしてくる。
まあ、片田舎の大根娘は本当のことだし。
高貴な王子様が、農家の村娘である私をよく思わないのは、当たり前のこと。
全くもって気にしてなかったのだけど。
嫌味に動じない私が気に入らなかったのか、絡んでくる、絡んでくる。
王子って庶民が思うより暇な役職なのかしら? っていうほどの出没率だった。
たぶん『聖女と仲良くしろ』っていう国王陛下の命令だったんだろうけど。逆効果だったんじゃないかな。
私は聖女になるまで、ごく普通の農家の村娘だった。
うちは大根農家で、父さんの作る大根は真っ直ぐで瑞々しくて甘い。だけど私が作る大根は、見た目と味は父さんの大根と同じなんだけど、なんだか食べると元気になるという評判が立った。
あれよあれよと口コミが広がり、出荷先の王都でも大人気。両親は喜んだし、私も嬉しかった。
けれどその翌年。魔王の力が増大して、魔物の呪いが国中に広まってしまい、飢饉に。だけど私の作る野菜だけは飢饉に関係なく育った。
不思議に思っていたら、王都に呼び出され、聖女なんて称号を授かってしまった。
なんでも私は無意識に、育てた野菜から呪いを弾き返していたらしい。
それならばと神殿で軽く修行を積むと、国中の畑から呪いを退けることができた。
特に私が祈りを捧げた大根は、病を退けるほどの聖力を宿した。
なぜか大根だけ。
なんでだろう。自分でも分からない。やっぱり愛着かな。大根農家だったし。
それから私は大根聖女として、祭り上げられた。
いや、別にいいんだけど。
なんか聖女って、思ってたのと違うな。
本人でさえそう思うんだから、周りはもっとそう思っただろう。
第一王子は特に。
なにせ王子は勇者の称号を持っていた。
みんな知ってるおとぎ話で、勇者と聖女はセットだ。魔王が現れた時、勇者と聖女は邪悪を打ち払い、平和をもたらす。驚くことに、王家と神殿に伝わる由緒正しい書物にも、ほぼ同じことが書かれているらしい。
ということで、魔王退治を命じられ、勇者である王子と旅することになった。
「ちっ。聖女と言えば見目麗しい乙女だというのに。なんでこんな田舎臭い大根娘が聖女なんだ」
「本当に」
私の顔を見るたびに、ぶつくさと文句を垂れる第一王子に、深く同意すると。
毎回王子は、さらに嫌そうな顔をする。
「馬鹿にされても否定しないとは。お前にはプライドがないのか」
「私は農家の村娘です。高貴な方々のようなプライドなど持ち合わせておりませんよ。見目麗しくないのも、田舎臭い大根娘だというのも、その通りですので」
「はああ?」
何ですか、その顔は。美形が台無しですよ。
ほら、護衛の騎士さんたちが残念な人を見る目であなたを見てますよ。
魔王退治は勇者と聖女の役目だけれど、腐っても第一王子。しっかり護衛がついている。なんなら馬車が4台に、山盛りの物資も積んでいるので、快適な道中だ。魔物は出るけど。
勇者なだけあって、王子は強かった。出てくる魔物はほぼ王子一人が一掃で、護衛の騎士たちはほぼ飾りと錯覚するほどに強かった。
ええ、化け物級に強いですとも。性格は悪いけどね。
「華やかさも清廉さもないくせに、プライドすらないとは」
「そうですね」
「可愛げもないな。一つもいい所がない」
「そうですね」
「嫌味も通じないのか。頭が悪いんじゃないのか」
王子がハッと高く整った鼻から息を吐く。
「そうですね‥‥‥あら、どうしたの?」
王子の性格が悪かろうと、ぐちぐち言われようとどうでもいいので流していたら、馬たちがソワソワとし始めた。
近くの木々から鳥が飛び立ち、辺りが暗くなった。
「魔物か」
王子が聖剣を抜いた。神殿の地下に鎮座されていたもので、勇者にしか使えない。
「上です」
暗くなったのは、私たちの頭上にいる魔物のせいだった。山のような巨体、黒く硬質な鱗、鋭い爪と牙、強靭な尾。それだけで厄介なのに、空を飛んでいる。
「ど、ドラゴン」
騎士たちが絶望的な声で魔物の名を呟いた。
あれがドラゴン。書物にはあったけど、あんなに大きいんだ。
「デカい空飛ぶトカゲだな」
ドラゴンに圧倒されて固まる私たちをよそに、王子だけが余裕綽々だ。彼は爆音と共に地面をえぐりながら蹴って、空に飛び出した。数瞬後、ドラゴンの片翼が巨体から斬り取られる。
「後退よ!」
私は慌てて騎士たちに指示を飛ばした。
バランスを崩したドラゴンが落ちてくる。下敷きになったら怪我ではすまない。
ちゃんと考えて斬りなさい!
「ギャオオオオオオオッ」
片翼を斬られたドラゴンが咆哮を上げる。咆哮だけで衝撃波が起き、数人の騎士が吹き飛ばされた。ナイス。おかげで騎士たちがドラゴンの下敷きにならずに済んだ。
すでに発動していた防御結界を自分と騎士たちに展開すると、落ちてきたドラゴンが地面に激突。瓦礫まじりの土煙が視界を覆った。ガン、ゴン、と石が結界にぶつかる。結界を張っていて良かった。当たり所が悪かったら死ぬ。
「止めだ!」
空中に上がりきった王子が、ドラゴンに聖剣を構えて落下する。
あ、ちょっと待って。
ドラゴンが王子に向かって口を開けてる。
ドラゴンってブレスを吐くんでしょ!
まともに喰らったら、いくら勇者でもヤバいんじゃない?
「止めだ、じゃないでしょ。この馬鹿!」
私は足元に小さな結界を展開。思い切り蹴る。目指すはドラゴンの横顔。あれをどうにかして、別の方向に‥‥‥どうやって? 殴る? え、素手? なんか武器ない? 武器ほしい!
手の中に何かが現れたので、ぐっと握る。なんかすごく持ち慣れた感じ。何でもいいや。
「でええええい!!」
手の中の何かを思い切りフルスイング。ドラゴンの頬にヒットした。
あ、これ大根だ。
ドゴオオオン! 大根がドラゴンの頬が変形するほど張り飛ばし、首がのけ反ったところに王子の聖剣が刺さる。喉を貫通し、首が落ちた。
なんか思ってたのと違うけど、結果オーライ。
「すまん。その、助かった」
顔を背けて王子が礼を言う。よく見ると耳が赤い。真っ赤になるくらい我慢して礼を言わなくても、別にいいのに。
「いえ。ドラゴンを倒したのは殿下です」
「‥‥‥」
ああ、あんなに自信満々だったのに手伝われて複雑なんですね。
だったら、お互いに流しましょう。
「すみません。これ切ってもらえますか? 鱗のところが硬くて、騎士たちじゃ解体できないみたいです」
「分かった」
私は話題を変えるべく、ドラゴンを指さした。決まりが悪いのか、王子はいつものように嫌味も文句も言わず、黙々と聖剣でドラゴンの肉を切り分け始めた。
「なあ。確かに華やかさはないが、お前だって着飾ればだな、その」
ある程度の塊肉にしてくれた、ドラゴンの肉を一口大に切っていると、聖剣で大根の皮むきをしながら、王子がもにょもにょと口ごもる。
大根はもちろん、ドラゴンを張り倒したあの大根である。
「大根娘が着飾ってどうするんです。動きにくいだけでしょう」
はいはい。無理にとりなそうとしなくても大丈夫ですよ。分かってますから。
王子が魔法で木の枝に火を点ける。油を塗った鍋をしっかりと熱して、塩コショウをを振ったドラゴンの肉を投入。肉の色が変わったら王子が少し薄めに切った大根も入れて炒めた後、うちの村直伝のショウユとはちみつで味付けし、落し蓋をして煮込む。う~ん、いい匂い。
私の隣に座った王子も、興味深そうに匂いを嗅いだ。私の前にある鍋の匂いを嗅ぐためだろうけど、距離が近い。
この王子、王子のくせに私の料理を手伝いたがる。なんなら雑用すら一緒にやる。文句は言うけど働き者だ。おかげで描いていた、王子というものへの偏見が一つ減った。
「じゃあ、魔王を倒して城に戻ったらドレスを贈る!」
「はい?」
急に何を言いだすのか。意味が分からない。
「か、勘違いするなよ! 慣れないドレスに困るお前をからかいたいだけなんだからな!」
「ええ~」
何その新しい嫌がらせ。
「お前は贅沢にも慣れてないだろう。宝石も、靴も贈るからな! ゆ、指輪も」
「やめておいた方がいいです。それは私が勘違いしなくても、周りに勘違いされますよ」
「そんなもの。俺は第一王子で勇者だぞ。周りなんて俺が黙らせる」
傲慢だなぁ。
別鍋で炊いていた白飯を、塩をつけた手で握る。
「おい、大丈夫か。火傷しないか」
「手の皮が厚くなってるから平気です」
前に王子はこれも手伝おうとして、炊き立ての白飯の熱さに火傷をした。私は慣れてるから平気だけど、毎回心配してくれる。この王子、口は悪いが根は優しいのだ。
「はい、出来ましたよ。あ、鍋も開けてみてください」
王子が落し蓋を開けると、しっかりと味が染みこんでつやつや光っている大根と、鶏肉そっくりなドラゴンの肉が顔を出した。
ごくっと喉を鳴らす王子を、ちょっと可愛いと思ってしまう。
「熱いから気をつけてくださいね」
「それくらい分かっている! あちっ!」
「はい、お水です」
王宮ではずっと毒見して冷めた料理しか食べていなかったからか、王子は猫舌だ。私が料理したものは勝手に解毒されるので、熱いまま直接食べられる。さらに疲労回復効果もつくので、道中の料理は私がやっている。
「はふ、はふ。美味い!」
「それは良かったです」
庶民の料理なんて王子の口に合わないと思っていたけど、気に入ってくれているらしい。いつも美味しそうに食べてくれた。
そうして魔王にたどり着くまで、順調で平和な旅が続いた。
魔王は強かった。私の防御結界と、治癒や解毒、強化があったにも関わらず、ドラゴンの一件から、自分を過信しなくなってより強くなった王子以上に強かった。
それでもなんとか倒した。最後の最後に、魔王がほんの少し手を抜いた気がしたけれど、倒したのに。
「どうして‥‥‥」
こんなの、おとぎ話にも王宮の書物にもなかった。
こんな、こと。
「逃げろ」
見たことのない優しい顔で微笑む王子の顔色は、ゆっくりと黒く染まっていく。比喩ではなく、漆黒に。首も、おそらく鎧の下の肌もだろう。
目の白い部分も黒く染まり、スカイブルーの瞳が赤くなる。黒くなった金髪の間から角が、背中から翼が生えた。
「どうして、殿下が魔王にっ」
涙が溢れた。王子は嫌味で、口を開けば悪態で、ニヤニヤと私を嘲笑うけれど。強くて、働き者で、優しい人だ。魔王になんてなる人じゃない。
「解呪を」
王子に手を伸ばすと、そっと振り払われた。
「もう魔王は俺の中にいる。解呪は無理だ」
「嘘」
否定したいけれど、私にも分かっていた。
これは呪いじゃない。そういうものなのだ。
聖女は勇者を助け、勇者は魔王を倒し、魔王を倒した勇者は次の魔王となる。
それがこの国の歴史。
おとぎ話では、魔王を倒してめでたし、めでたし。王家の書物には、倒した後の勇者の記述はなかった。ただ、『勇者が魔王を倒して、聖女の祈りによって百年の平和が約束された』とだけ書かれていた。実際に約百年ごとのサイクルで、勇者と魔王、聖女が現れた記録があった。
彼は第一王子で勇者なのに、第二王子が立太子していた。どんなに横柄な態度を取ろうとも、誰も咎めなかった。王宮の皆が彼を腫物扱いしていて、同情するような目で接していた。
それは彼が勇者に選ばれた時点で、魔王になることが決定していたから。
たかが百年ほどの平和のための生贄だったから。
「愛してる」
「‥‥‥え?」
「最後にどうしても伝えたかった。俺は、君を愛してる」
「馬鹿っ!」
ふっと王子が笑う。
駄目。このまま生贄になんてさせない。そんなの嫌だ。
何か、何か手はないの? ないのなら。
「凍結」
私は王子を凍らせて、彼の時間を止めた。
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さて。どうしてくれようか。
私は腰に手を当てて、氷漬けになった、憎たらしくも愛しい王子を見上げた。
魔王の姿になっていた王子は、元凶の邪神像を壊したことで、元の姿に戻っている。
あれから十年。私を連れ帰ろうとする騎士たちを撒いて、一人世界を放浪した。どんなに探しても元凶が分からなかったので、祈った。
私を聖女に選んだ神よ。実は魔王があなたの仕業だとばらされたくなかったら、今すぐ元に戻す方法を教えてください。
祈ったところで、返事は返ってこなかった。だから私はさらに祈った。
この十年で私は聖女として、至る所で奇跡を起こしてきました。食糧難を解決し、健康長寿、老化防止を推進。私の大根を食べると、お肌つるつる、貧血も治り、子宝にも恵まれ、むくみも解消、病知らず。
人々はもう私の大根なしではいられません。
大根聖女教ができそうな勢いです。
私の知名度と発言力は絶大。そんな私が神のあれこれを暴露したら、どうなるでしょうね? 信仰心、減るかもしれませんよ。
かくして新たな神託が下った。歴代の魔王を作り上げていたのは、邪神像のせいだった。ってか、神が邪神を滅ぼし損ねて逃げられたようだ。適当な地下教団の像に潜り込み、コツコツと力を蓄えていたらしい。
私は速攻で邪神像を壊した。魔王に力の大半を移していたため、邪神像自体は大して強くなかった。大根でぶっ叩いたらあっさり割れた。大根万能。
邪神像を壊したその足で魔王城にとって返し、今に至る。
凍結された王子は、あの時のままの美しさと若さで、眠っている。
私は王子の頬に手を伸ばす。眠れる姫を目覚めさせるのは、王子様のキスと相場は決まっているのに。これじゃあ反対だ。
まあ私は気にしないけど。王子は気にするかもね。プライドの高い人だから。
「嘘です」
ひやりと冷たい頬を撫でた。
「気にしないふりをして流していたけど、本当はあなたに馬鹿にされる度に、ちょっぴり傷ついてたんですよ。私は片田舎の大根娘で、あなたは強くて綺麗で格好いい、勇者で王子様だったから」
どんなに言われ慣れていても、私だって人間だもの。気にしないなんて無理だ。
「あなたの近すぎる距離にだって、ドキドキしてたんですよ。美味しそうに食べてくれる姿にも、優しさにだって」
身分も容姿も不相応だから、惹かれないようにしていたけれど。
「あの時の『愛してる』だって、きっと一時的な気の迷い。王宮に戻って、美しいご令嬢たちに囲まれたら、大根娘なんていらないでしょうけど。それでいいんです」
凍結前に『愛してる』と言ってくれたけど、私はあれから十歳年を取った。若くて美しい王子様とは、いっそう差が開いてしまった。
きっと目が覚めた王子は私に幻滅するだろう。だから。あなたの時間の止まった今だけ。本心をぶつける。
「好き」
誰にも聞かれない告白をして、そっと唇を寄せた。目を閉じて、硬くて冷たい唇に触れた、その瞬間。
「愛してる」
「えっ」
ぎゅうっと抱き締められていた。
「邪神像を壊してくれてありがとう」
「なんで知って‥‥‥?」
「魔王と邪神像は繋がっていたからな。腐っても邪神、神と同じで世界をある程度は把握している。君が俺のために放浪してくれたことも、崇められていたことも、神を脅したことも、慌てて邪神が用意した刺客を大根でぶっ飛ばしたことも見ていた」
うわぁ。全部だ。
いやいや、今さら気にしない、気にしない。
「散々馬鹿にして悪かった。君の側に少しでもいたくて、反応がみたくて、絡んでただけなんだ。許してくれ」
「ふあっ?」
変な声が出た。え? えっ? それってもしかして、さっきの告白も聞かれてたってこと?
えっ、どうしよう。恥ずかしいっ。
「何だその可愛い声は」
「え、これは違くて、その」
か、可愛い‥‥‥。
かあああっと頬に熱が上る。だめだめ。気にしない、気にしないっ。
「あの、私、もう、30過ぎのおばさんでっ」
「うん? 俺もだ」
顔が見えないほど密着していた体を離した王子が、多分、真っ赤になっている私を覗きこんで甘く笑った。
「時間を止めていた凍結が解けたから、俺も止まっていた間の年を取っているだろう? 君は出会った時から可愛かったが、ずっと綺麗になったな。前よりももっと俺好みだ」
渋みのある声が、妙に体に響いた。
若く美しかった王子に深みと色気が加わっている。これはもう、気にしないなんて、無理だ。
私はついに、降参した。
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魔王討伐後、勇者と聖女は行方不明。その後二度と魔王は現れなかった。
とある村で、とある夫婦の作る大根が、知る人ぞ知る効能を持っていたとかいないとか。欲をかいて村に攻め込んだ者は、誰も帰ってこなかったとか。
それは定かではない話。
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