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見限れ、青。

作者: 佐藤朝槻


 連休中の喫茶店は、にぎやかだ。

 しかし黒のスーツを着用した男は、ひとり静かに座っていた。机を眺める表情は硬く、外の曇り空も合わさって暗い。口は縫いとめたように閉じられ、コーヒーを飲むときでさえ、ほとんど動かなかった。

 カランカランとドアベルが鳴り、少しして男の前に彼が現れた。彼の名前は春口功(はるぐちいさお)といった。


「待った?」

「…… いや、時間通り」


 功は男の向かい側に座る。それから店員を呼び、モーニングセットを注文した。店員

の姿が消えた後、功は男に向き直る。


「久しぶりだね。卒業以来?」

「かもな」

「元気にしてた?」

「ぼちぼち。功は?」

「僕も、まぁまぁかな」


 功は青いトレーナーの袖をまくり、乱れた前髪をかきあげた。冷や水を飲み、男の伏し目がちにコーヒーを飲む仕草をまじまじと見た。

 突然呼び出して、だんまりか。

 功は冷や水をたたきつけるように置いてしまい、その音にびっくりした男と目が合っ

た。


「あ、ごめん…… 。話があるって言ってたけど、僕からも、いい?」

「功から?」

「うん。店長候補になるよ」


 男はマグカップに伸ばしかけた手を止め、引っ込めた。


「へぇ…… 。おめでとう。学生の頃から言ってた夢がかなうんだな」

「ちょっと前進、かな。ここに住む人全員が求めに訪れるような、本でいっぱいの空間

を作りたいんだ」

 

 功が目を輝かせていると、「お待たせしました」とモーニングセットが届けられた。

 テーブルに置かれた編みかごから、食パンの香ばしい匂いが広がる。


「見ててよ、すごい本屋にしてみせるから」


 功はスプーンを持って、小皿に入った小倉あんを食パンにのせていく。

 甘い香りが男のすぐそばで漂った。

 けれども、男の手もとにあるのはコーヒーだった。甘みを拒絶するように苦を放ち、秘密の告白を促すように揺れている。


「悪い、無理だ」

「どうして」

「出向。東京に行く」


 男が淡々と答える。

 功は今にも泣きそうな顔で男のほうをのぞいた。


「どのくらいで戻ってくるの?」

「わからん。前の先輩は三年で戻ってきたらしいが、ひとつ前の先輩は一年で出向先に乗り換えたんだと」

「そっ、か」


 功は食パンを持ったまま、うつむいた。小倉あんが崩れ、ぽそりと食パンから小皿へ落下した。


「わざわざ来てもらって悪かったな」

功は首を横に振る。

「ううん、直接聞けてよかった。でも寂しくなるよ。常連になってほしかったのに」

「週一で通ってるんだから、すでに常連だろう」

「そうなんだけどね。僕の夢を笑わず、諭さず聞いてくれた君に、いつまでも見守って

いてほしかった」


 功の瞳は、まっすぐだった。近寄れば心の底まで透けて見えるだろうと、男は思った。


「じゃあ俺が帰ってくるまで続けておいてくれよ、店長候補」

「嫌だよ! そのときは店長がいい!」

「そうだな」


 男が微笑むと、功も満足げに食パンをほおばった。


「帰りに本屋寄っていってよ。君におすすめの本があるんだ」



 ――男は本の落ちる音で目が覚めた。

 引っ越し作業の途中、彼の本屋で買った本を眺めていたところ、うたた寝をしていたのだった。

 あれから五年。

 男は携帯を開き、彼に連絡する。

 しばらくして住所とメッセージが届いた。


『会うならここで』


 男は携帯を閉じ、天井を見つめる。自然と笑みがこぼれた。

 よかった。あいつ、やめてない。



 男が地元に到着する頃には、日は沈んでいた。


「つぶれたか」


 駅構内の一角。テナント募集の張り紙が貼られているスペースは、数年前まで本屋があった場所だ。


「思い出に浸らせてもくれないのな」


 男はリュックを背負い直すと、それ以上のひとりごとをやめた。


 コンビニでお茶を買い、電車を乗り換える。五分もしないうちに降り、構内踏切を渡る。携帯を押し当てるようにして改札を通りすぎ、木造駅舎を背に歩いた。


 夜風が吹き、男はマスクの位置を調整した。昼間ならば潮の香りも運ぶ風は、ここにはあって東京にないもののひとつだ。その風はたまらなく心地よくもあり、憎くもある。


 真っ暗な駅周辺を歩いていると、広い駐車場が見えてきた。右手には二十四時間営業のスーパー、その奥は男の目線からはスーパーに隠れて見えないが薬局がある。男から離れたところの国道沿いにはバーガーショップがあり、ドライブスルーに並ぶ車が赤く光っている。


 そうして店の並ぶ右手の反対、左手には本屋があった。スーパーの三分の一程度の大きさだが、本屋は暗く、だだっ広く見える。車が一台しか停まっていないせいだった。

 男が駆け足になると同時に、本屋から赤いエプロンを身に着けた人が出てきた。黒縁眼鏡の姿は学生のようであったが、白髪混じりの黒髪が生きた時間を物語る。


「功!」


 功は目をぱちくりと瞬かせる。


「俺だよ。連絡いれただろ」


 足を止めた男はマスクを一度取って見せ、すばやくつけ直した。男がくしゃみをする間に、「そうだけど、え?」と功の戸惑う声が聞こえた。


「邪魔なら俺は帰るけど」

「邪魔じゃない、けど」

「けど?」


 男が促すように言うと、功は頭をかいた。


「本当だったんだ。帰ってこないと思ってた」

「ひどいな。俺が郷土愛のない人間に見えるとでも?」

「違うよ。でも、この町は…… 」

「知ってる。だいぶ変わったみたいだな。地元のはずなのに新しい町にいる気分だ」

「……」

「本屋が続いていると知って安心したよ」

「まぁ、なんとかね」


 功は、ふにゃりと笑い、


「よかったら入ってよ」


 と言った。


「閉店時間じゃないのか?」

「店長特権だよ」


 男は目を見開いた後、徐々に細めた。


「じゃあ店長になった祝いに一冊買っていこうかな」

「もっと買ってよー」とあきれて笑う功の顔にシワが刻まれていた。


 店内に入ると静かだった。

 まず男の目に飛び込んできたのは、小説や漫画などの新刊であった。さらに進むと絵本や、絵本に出てくるキャラクターのおもちゃが置かれていた。


「おもちゃもあるんだな」

「絵本コーナー兼おもちゃコーナーだよ。土曜日限定で朗読会もやっててね。子どもが

いっぱいくるんだ」

「そうなのか。こっちは文房具?」


 男は数歩進み、左を指さしながら功のほうに顔を向けた。


「学生も多いからね。受験生のテキストと一緒によく買ってくれるんだ」

「なるほどな」


 また進むと、今度は本とは違う形が並んでいた。


「これは?」

「アニメグッズだよ」

「ふぅん」

「レジにはアニメ関連のくじもあるし、アイドルを推している人に向けたCDや特典も

置いてあるよ」

「へぇ」


 その後も功の案内が続いたが、男は黙っていた。


「じゃあ僕は準備があるから適当に見…… 」

「なあ」

「何?」


 功は、すぐさま振り向いた。


「この店全体で、本が占めてる割合はどれくらいなんだ?」

「五割くらいかな」


 男の眉間にシワが寄る。


「それは本屋なのか?」

「本屋じゃないとでも言いたいの?」

「いや、本屋なんだろう。功らしさは感じないが」

「僕らしさ、ね……。本屋の店長として続けられるだけで充分だよ」

「は? 本気で、そう思うの?」


 男は駅構内の一角を思い浮かべた。

 誰も立ち入らなくなった、白く空虚な空間。あそこは色鮮やかな場所のはずだった。資格勉強のために何時間もテキストを見比べた日や、ビニール包装された漫画の特典をのぞこうとして店員ににらまれた日。それらが全部、白くなった。清潔になった。

 目の前にいる功の回答が、あの空っぽな空間と重なって仕方ないのだった。


「功は夢を諦めたのか?」


 功は男をチラリと見た。


「諦めたつもりはないよ。でも、どうだろうね」

「はぐらかすなよ」

「はぐらかしてないよ。君こそ忘れてるんじゃないか。変わるのは町だけじゃない」


 男には、功の声が重く感じた。

 お前は、お前だけは夢を追いかけていたじゃないか。腐敗した田舎で、お前は他の誰よりも色を持っていた、放っていた! だのに、お前も、お前までも色を失うのか。


「ねぇ」


 彼の呼び声がしても、男は視線をそらして無視した。だが、もう一度「ねぇ」という声がすると顔を上げざるをえなかった。彼の声はまだ、あの頃を思い出させる音色をしている。


「そんなに今の僕が気に入らない?」


 功は、目をそらし続ける男に詰め寄る。


「答えてよ。嫌い?」


 男は、功と目を合わせた。黒く、鋭い目つきだった。


「嫌いだね。あの頃の功が知ったら、中途半端な人生に泣くこともできないだろう」

「そう。なら見限れよ、青太郎(あおたろう)


 功は表情を崩した。


「よくある話だろ。卒業のタイミングで離れて、久々に会うと気まずくて。なんとなく表面上はうまく話して確かめ合うふりはするけど徐々に離れていく。そういう経験、君にもあるだろ。仕方ないんだ。皆、変わる。僕も変わる。たぶん君も。どうしようもない」


 功は話しながら視線を落としていき、口を固く引き結んだ。


 男――青太郎は顔に濃い影を落としたまま無言で見つめた後、店を出ていった。

 青太郎は来た道を戻り、三十分ほどして電車に乗った。窓外の一切は暗くて見えないが、行きに見た映像が頭の中に流れていた。汚れた校舎や建設中のビル、手入れの行き届いていない田んぼ。子どもはおらず、車椅子に座る高齢者が自力でタイヤをまわしていた。世界は孤独が自然の摂理であるように映った。


 電車からの景色は、かつて見飽きたとも思われるそれと重なるが、同じではない。知っているようで知らない。青太郎が知る町は存在しない。

 青太郎は息苦しくなるくらいマスクをぴったりと顔につけ直し、腕を組み、目を閉じた。




 実家に帰ると、青太郎(あおたろう)の姉――青香せいかがキッチンに立っていた。ラフなスウェットに身をまとい、フライパンに冷凍ごぼうと千切りした人参を入れて火にかけていた。


「おかえり」

「……ただいま」


 青太郎が立つ場所から青香の表情を確認することはできない。わかるのは、調理中の彼女の後ろで揺れる金髪ポニーテールだけ。


「明日の弁当作ってるんだけど、アオタもいる?」

「いや、いい」

「そっ」


 青太郎は自室に行ってリュックを部屋に放り投げ、キッチンに戻った。

 この間、青太郎は口を閉ざしたままだったが、内心驚いていた。

 帰省することは母にしか伝えていないし、姉はフライパンから目を離していなかった。にもかかわらず、あの反応速度。まったく恐れ入る。

 青太郎は食器棚からグラスを取り、冷蔵庫にある炭酸を注いだ。白い液体がグラスとの境目で泡を吹く。

 ゴク、ゴク、ゴク……。

 冷たい。焼かれる。白は嫌いだ。

 グラスを流し台にいれ、青太郎は隣を見る。青香は数種類の調味料を混ぜ、それをフライパンに回し入れたところだった。


「姉貴、きんぴら作ってる?」

「あたり。向こうでもご飯作ってたんだね」

「一応は。それより聞きたいことあるんだけど」

「何?」

「姉貴は、車、持ってる?」

「持ってるけど」

「明日、借りていい?」


 青香は、このときようやっと青太郎を視界に入れた。


「何言ってんの?」


 彼女の顔には、信じられない、と書いてあった。



   ○



 翌日の閉店作業中、功のスマホが鳴った。


「はい?」

『バーガーを買いすぎたんだ。手伝ってくれ』


 功は耳からスマホを離し、名前を確認した。青太郎だった。電話越しでは、昨日の覇気は感じられない。


「急にどうしたの」

『あー……、悪い、やっぱいい』

「なんで」

『冷めきってるから。じゃあな』

「待って、行く。冷めてるバーガー好きだし」


 電話を切った後、功は仕事を片づけ、本屋と同じ敷地のバーガーショップに向かった。

 バーガーショップの奥の席で、青太郎がテーブルに突っ伏していた。テーブルの上には、山盛りのバーガーが置かれている。

 青太郎の向かい側には、スマホをいじる金髪女性が座っている。足を組み、グレーのスーツにシワが入りながらも、浮き毛なく背中まである金髪や、清潔感のある白インナー、高いヒール、鎖骨の間に光るネックレスから、年上の雰囲気を功は感じ取った。 


「どちら様ですか」


 彼女は携帯から目を離した。


「私は青太郎の姉です。あなたが春口功さんね?」

「そうです」

「来てくれてよかった。絶対食べきれる量じゃないもの」

「お姉さんも手伝いに?」

「いやいや、まさか。弟が突然、運転するって言い出したの。さすがにペーパードライバーに車を貸すのは怖いじゃない? ドライブしたい気分だったし、代わりに運転したの」

「なるほど」

「でも、どうやら弟は、あなたに会いたかったみたい」


 青香は立ち上がる。すれ違い様、「アオタのこと、よろしくね」と残し出ていった。


 功は声も出なかった。店員の「ありがとうございましたー」の声で我に返り、青太郎をじっと観察する。寝息を立てているようにも見え、顔を近づける。


「大丈夫?」

「……」

「ねえってば」


 困っていると功の腹が鳴った。


「とりあえず一個もらうよ。いいよね?」


 返事はない。

 先ほどまで青香が座っていた席、青太郎の向かい側の席に着いた。


「本当にもらうからね?」


 功はチーズバーガーを取り、かぶりついた。口の中で濃厚に広がるチーズに、思わず「おいしい」とつぶやくと、


「まったく姉貴は、すぐ余計なことを言う。そもそも車を貸してくれていたらこんなことには……」


 と青太郎のひとり言が聞こえた。


「さすがにお姉さんが正しいと思うよ」

「そうかよ」


 わずかな沈黙の後、青太郎は上半身を起こした。

 目は合わなかったが、


「昨日は悪かった」


 青太郎の謝罪する声が、たしかに功の耳に届いた。


「青太郎が帰った後、僕も考えてみたけど、毎日をこなすのに精いっぱいで夢を忘れてた気がするよ」

「いいじゃないか。夢をかなえることだけが正しいわけじゃない」


 青太郎は、消え入るような声で言った。


「昨日とは正反対なこと言うんだね。本当に青太郎?」

「んだよ、それ。冷静に考え直しただけだ」

「そう……。そっか」


 功はうなずき、チーズバーガーを食べた。

 青太郎は、おもむろに携帯を取り出した。

 しばらくして功の携帯が鳴った。携帯を開くと、画像が送られてきていた。


「この画像は……」

「出向中に行った本屋の写真。参考になるかと思って撮っておいた」

「こんなに? 都会は違うなぁ、すごい。大きな本屋がまだ残ってるんだ」


 功が画像や映像をまじまじと見つめていると、青太郎が席を立った。


「帰る」

「もう?」

「残りは持って帰る。手伝ってくれてありがとな」

「ううん、こちらこそ、ごちそうさま」


「先に出てて」と青太郎に言われ、功は外に出た。夜風が肌寒く、暗い。

 功は駐車場に停まる赤い車に目がいった。車のルームライトが点灯しているからだ。そこには金髪女性、すなわち青太郎の姉がスマホを操作しながら座っていた。

 功の視線に気づいた青香は、車の窓を開けた。


「どう? 弟とは話せた?」

「はい。出向中の写真も見せてもらってよかったです。ありがとうございました」

「……出向? 何の話?」


 青香が首を傾げた。


「青太郎は五年間、出向してたんですよね?」

「ふぅん」


 青香は、ほおづえをついて微笑を浮かべた。笑わない目もとは青太郎によく似ている。


「それウソ。アオタは養成所に行ってたのよ」

「え。何の、ですか?」

「声優の養成所。高校のとき親に反対されていたけど諦めきれなかったみたい。五年前、突然仕事やめて東京に……。おや、タイムリミットだ」


 青香は遠くに目をやった。彼女の見つめる先を追いかけるように振り返ると、紙袋を抱えた青太郎が立っていた。


「お姉さんの話は本当? 青太郎が声優を目指して上京したって話」


 青太郎が地面を見つめることしばし。青香のほうをにらんだ後、功のほうに視線を移し、うなずいた。


「教えてくれたら応援したのに」

「誰にも言わなければ、俺が諦めようが粘ろうが関係ないだろ」

「関係なくなんか……」

「それでも迷惑はかからない」


 功は、申しわけなさそうに下唇をかんだ。夢を応援してくれている相手に「迷惑はかからない」と言わせた悔しさと吐かせた申しわけなさが熱となり、かけ回り、ほおに触れる空気がより冷たく感じる。


「僕は応援してくれる君の存在がありがたかった。だから、できることなら応援したかった」


 そうだなぁ、と青太郎は真っ暗な夜空を見上げる。


「意識してはいなかったけど、功に比べて俺は無価値だと、そう思ってきたからかな。隠したかったのかもしれない」


 青太郎は言い終わると、功を見据えた。


「そう、だったんだ」


 と功は、ひと言だけ返した。本当は青太郎が無価値ではないと伝えたかった。見守り続けてくれたことが、どれだけ支えとなったか。経営が傾いたとき、どれだけ彼との約束を思い浮かべたことか。しかし、言えなかった。東京に行くと言った五年前と同じく、青太郎の顔は強ばって気迫に満ち、侵入させないのだった。


「功みたいに頑張れば、昔の夢を追いかければ、頭に響く自己否定の声が消えると思った。最初は三年という期限を設けたが、結局、五年もかけてしまった。おかげで今度こそ諦めがついた」

「諦めていいの?」

「いい。俺はこの町で暮らすほうが合ってる」


 そう話す青太郎の眉根は下がり、空気は少しずつやわらかくなっていく。


「教えてよ。僕に怒ったのは夢を諦めてほしくなかったから?」

「いや、違う」


 と青太郎は即答した。


「地元に帰るって決めたとき、絶対会いたいと思ったのが功だった。でも昨日は、俺の知ってる功じゃなくて耐えられなかった。誰だって変わると知っているのに押しつけようとした。悪かった」

「僕は気にしてない。君の気持ちが聞けてよかった」

「優しいな。いや、お人好しだな」

「そうじゃないよ。縁が切れる覚悟でいたから、素直に話してくれてよかったと思ってる」


 青太郎は大きなため息を吐き、紙袋を抱え直した。


「そこまではっきり言われても困る」

「ご、ごめん」


 青太郎の照れに気づいた功は、別の話題を考える。


「……あ」


 功は半身をそらした。視線の先には店長の肩書きを背負い、守り続ける書店がある。


「青太郎は、これから仕事を探すんだよね?」

「ああ」

「端的に言うと暇だよね?」

「就職するまでなら」

「そっか」


 功は顎に手を当てる。


「じつは朗読会のボランティアさんがひとり、やめることになってるんだ。興味ある?」



   ○



 あれから、ひと月がすぎた。

 功が営む本屋の端にある、朗読コーナー。そこで青太郎は子どもたちの前に絵本を読み聞かせている。声をいくつも使い分け、耳を真っ赤にして、手汗をかきながら、演じている。青太郎の読み聞かせは、朗読会の席が埋まるほど盛り上がった。

 読み聞かせ終了後、片付けをしている青太郎のところへ、功がやってきた。


「はじめての朗読会は、どうだった?」

「いい感じでしたよ、店長」

「よかった。引き受けてくれてありがとう」

「俺も……。ここは本を売るだけの場所じゃないんだな」


 何気なく発した青太郎の感想が、功を笑顔にさせた。

 青太郎は本屋を後にして、スーパーで弁当を買った。飲食スペースの端を陣取って椅子の背にもたれ掛かると、ああ、とため息がこぼれた。全身から力を抜けていき、天井を見つめる。

 見限ったつもりだった。無理だと、おしまいだと、分不相応だった、と何もかも諦めた。諦めがついたから帰郷した。実際、子どもの頃の夢を捨てたことに後悔はない。


「それでも、やっぱり、まぶしい」


 人も町も、すべてが変わっていくというのに、彼の青を見ているうちは、青太郎も青のままだと思った。つまり、この先も幾度となく自身の無価値さについて悩まされ続けるということ。ただ以前よりも、その言葉に痛みはない。

 青太郎は箸を使い、ひと口サイズに切ったハンバーグを口に運んだ。


「うまぁっ」


 飯がおいしいと思ったのはいつぶりだろう。青太郎は勢いのまま弁当をかき込んだ。

 遅い昼食を済ませた後、青太郎はスーパーを出た。駐車場では太陽の光を受けた車が白く輝き、目が痛く、まぶたを下ろした。青空の下、大きく伸びをしてみると、青太郎を歓迎するように海風が吹き抜けた。潮の香りがした。

 青がすぎる。

 青太郎は目を開け、本屋に戻った。


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