29.バーナードという男
「おお、これは……」
数十分後、一行は大きな扉の前に来ていた。
石で出来たそれは大人が二人縦に連なっても上辺には手が届かないであろうほどに高く、巨大だ。
(どうやって開けるんだろう……?)
少なくともミモザ一人では重くてとても無理だろう。
それくらいに重厚な扉である。
破壊するしかないか? と思案するミモザの横をすり抜けて、バーナードはその扉にびたり、と張り付いた。
「やった! やったぞ!! ついにここまでたどり着いた!!」
彼はしばらくの間、よだれでも垂らさんばかりの勢いで扉に頬擦りをしていたが、やがて顔を上げた。
そして扉に両手をつける。
「いざ!」
「ストォップ……っ!!」
しかしそれを邪魔する声が上がった。
ミモザである。
彼女は両手で大きくバッテンを作ってみせた。
「その前に!」
「……前に?」
やや不服そうに唇を尖らせるバーナードに、ミモザは懐からある物を取り出して高々と掲げてみせた。
「腹が減っては戦はできぬ!」
それはクッキーだった。
ここから先、何があるかはわからない。
これまでは幸いなことに平和だったが、『願いの叶う石』などと物騒な物を探しに行くのだ。
腹ごしらえができるのは、ここが最後のタイミングかも知れない。
ミモザのその訴えに納得したのか、それとも単純に歩き疲れていただけか。バーナードは意外なほどにすんなりと扉から手を離した。
こぽぽ、と軽やかな音を立ててミルクティーがコップへとそそがれる。
「はーい、どうぞー」
それをミモザは二人へと振る舞った。
気分は給食のおばちゃんである。
「あ、これねー、一人3枚ずつなんで。味が一人一枚ずつないから片寄っちゃうんですけど、喧嘩しないようにお願いしますねー」
ひょいひょい、とクッキーも適当に配る。ただのクッキーと侮るなかれ。その大きさは顔の半分くらいはあるであろう、超巨大クッキーである。
腹は十分ふくれるだろう。
配膳が終わったミモザも、自分の取り分を手に腰を下ろした。三人は円を囲むようにして座っている。
「ふふふ……」
しばらく無言でもそもそとクッキーを食べていたが、少ししてバーナードが含み笑いをもらした。ちょうど扉と向き合うような位置に座る彼は、うっとりとした表情で扉を見上げている。
「これでエオも見つけられなかったものが手に入る! やはり俺の方が上だ!!」
「……どうしてエオのことがそんなに嫌いなんですか?」
彼の独白にミモザは尋ねた。
ミモザも別にエオのことが好きなわけではないが、そこまで嫌う理由もない。ステラに協力しているという点においては忌々しいが、それは人柄の好悪とはまた異なる感情だろう。
ましてや、同じ組織に属するバーナードがエオを嫌う理由とはなんだろうか?
その問いにバーナードは笑みを引っ込め、顔をしかめた。
「あいつは生意気だからだ」
「それは聞いてますけど……」
初対面の時にも確かそう言っていた。
「ふん……」
バーナードは鼻を鳴らす。そして手元のクッキーをちみちみと小鳥のようについばみながら言った。
「あいつは保護研究会なんかにいる資格はない奴だからだ」
「……?」
(『資格』……?)
よくわからない。
ミモザは首を傾げる。
ミモザの知る限りにおいて、保護研究会には厳格な入会制限やら資格などはない、ーーはずだ。
さすがに組織を裏切るような人間を入れるわけにはいかないだろうから、ある程度の選考はあるのかもしれないが、しかしこの言葉のニュアンスはそういうことではないのだろう。
つまり、彼はエオのことを『保護研究会にふさわしくない』と考えているのだ。
ミモザは少し考えてから質問を変えた。
「あなたは、なぜ保護研究会に?」
「俺の親が人殺しだったからだ」
簡潔な言葉だ。そして鋭い言葉でもある。
二の句のつげないミモザに、彼は淡々と言った。
「警察に捕まって処刑された。俺は本当は医者になりたかったんだ」
「それは……」
言葉が出ない。こんな時になんと声をかけるのが適切なのだろうか。
いや、そもそも適切な言葉などは存在しないのかもしれない。
バーナードがクッキーの最後の一欠片を口の中に放り込んだ。そしてやおら立ち上がると、拳を握った。
彼は叫ぶ。
「偉い立場になって、ふんぞりかえりたかった!」
「……」
別の意味でどうコメントしたらいいのかがわからない。
黙り込むミモザの横で、ジーンがぼそりと「研究がしたかったわけではないんですね」とつぶやいた。
その目はどこか遠くを見ている。
それにバーナードはふん、と鼻息荒く
「研究も好きだ!」
と胸を張った。
「でも……」
「でも?」
座ったまま見上げる二人の前で、彼は先ほどまでとは一転してしょんぼりと肩を落とした。
「ありがとう、と人に言われる仕事がしたかった」
「……」
「俺の居場所なんてどこにもない。人殺しの子どもを通わせてくれる学校も雇ってくれる場所もない」
黒いフードの中、バーナードの瞳が敵意を宿してぎろりと光る。
「でも『アイツ』は違う」
それはエオに対する敵意だ。
「保護研究会にいる奴なんて、たいていはなんかあるんだ。でもアイツは普通の家で普通に育った奴なんだ。まだ性格が良ければ許す。でもアイツは生意気だからダメだ」
その敵意の強さとは裏腹に、その言葉はとても静かで淡々としていた。
それは自身を律しているからなのか、もしくは、怒りが強すぎて逆に静かな声になってしまっているのか。
ミモザにはわからない。
彼は自らの握った拳を見つめて言った。
「独学でここまできたんだ」
「……すごいですね」
ミモザは心の底からそう言った。それはすさまじい努力だ。
独学で魔薬を生成して、それをただの『副産物』と言えるほどの知識と技術を彼は得たのだ。
ミモザにはとてもできない。
「そうだぞ、俺はすごいんだ」
彼は胸を張る。
「……何を願うんですか?」
興味が湧いた。
自身には由来しないマイナスの状況からスタートして、それでも挫けず、社会規範には反しているといえど、ある程度の地位と実績を得ている彼だ。
一体何を願うのだろうか。
(僕なら……)
「まずは不老不死だ」
ミモザが彼の立場ならばきっと、と想像を巡らせた時、その思考を遮って彼の言葉が降りてきた。
「不老不死になった自分の体を、ひととおり調べて論文にまとめる」
「……。『親が人殺しだった事実を消す』わけじゃないんですね」
ミモザならばそうする。今まで自分を苦しめてきた原因を排除しようとするだろう。
しかし彼はあっさりと言った。
「そんなつまらないことはしない」
「『つまらない』?」
「ふん」
彼は鼻を鳴らす。それは本当につまらない話を聞いたとでも言いたげな態度だった。
「……昔の俺ならそうしたかもな。でも今はしない。俺は一人でここまで来たんだ。親が人殺しでも、ここまで自分で居場所を作ってやった! 親の事実をなくすってことは、これまでやってきたこともなくすってことだ! そんなことはしない」
彼は両手をかかげる。その手をそのまま、何かを掴むかのように再びギュッと握りしめた。
「今の俺は、今のままで最高なんだ。だからしない!」
「……あなたは強いですね」
「そうだ! 俺は強くてすごいんだ!」
彼は堂々と胸を叩く。
その姿がミモザにはまぶしい。
同じ立場で、ミモザも同じように言えるだろうか。
女神からの提案は、障りがありそうだからと断った。
けれど、もしもなんの問題もないのであれば。
その願いを叶えたところで、うまく周りに影響を与えずに調整してくれると言われたなら、ミモザはーー、
『ステラがいなければ』と、願うだろうか?
「……願わないかもな」
唇にわずかに笑みが浮かぶ。
確かに、原因を取り除いてしまったら、今の自分は存在しない。
そんな『つまらないこと』を願うだなんて、もったいないかもしれない。
なんでも願いが叶うなら、もっと楽しいことがいいだろう。
(まぁ……、悪影響が怖いから、たぶん僕は何も願えないだろうけど)
どこまでも小心者なミモザである。副作用の恐ろしさにきっと心が耐えきれないだろう。
願ったはいいものの、その後一生、何かが起こるたびにこれは自分が願ったせいで起きた副作用ではないかとびくびく怯えて過ごす姿が目に浮かぶ。
「なんだ? なんか言ったか?」
「いえ……」
振り返って尋ねてくるバーナードに、ミモザは首を振りかけて考え直した。
「あなたがもう少し目立たず静かに立ち回れる人ならば、仲良くなれたかもなぁと詮無いことをぼやいただけです」
バーナードは『目立ちすぎる』。
魔薬を売り捌いたり、それを阻止しようとする騎士団と派手に戦ったりと、誤魔化しようのない悪事をしてしまっている。そして本人は非常に感情的で嘘をついたり裏工作をしたりということは苦手な性質だ。
そんな人間とは、ミモザの『立場』ではうまく付き合えない。
(ステラの悪事もなすりつけちゃったし……)
まぁ、彼の悪事も原因の一端を担っていたのだから、全くの濡れ衣ではないわけだが。
ミモザのその言葉に、彼は馬鹿にするように小さく鼻を鳴らした。




